第五話  桃色の頬と剣

布多未ふたみ……!」


 と日佐留売ひさるめが声をあげるが、


「かすり傷や、衣が裂けるぐらいはあるってことですよ、姉上。

 姉上にはコイツが女官に見えてるでしょうが、コイツは上毛野衛士卯団かみつけののえじうのだんですよ。

 見てなさい、少しの傷、本人が一番へっちゃらですよ。」


 すでにもう古志加こじかは一人、庭に降りて、ゆるく身体をほぐしはじめている。

 頬を桃色にし、ニコニコ笑っている。


 一衛士が、上毛野衛士団福長かみつけののえじだんふくちょうと稽古できる機会なんて、ほとんど無い。

 布多未は十二歳の頃から、酉団長とりのだんちょうとして酉団とりのだんを率いていたという。

 酉団とりのだんは稽古をつけてもらう機会がある、と聞いたことがあるが、

 卯団うのだんの古志加には当てはまらない。


難隠人ななひとさまの女官で、あたしは幸運だ……!)


 颯爽とした足取りで庭に降り、目の前に立った布多未は、禽獸きんじゅうのような鍛え抜かれた肉体から、みなぎる気を放射し、側にいるだけでこちらに圧迫感を与える。

 本人はその事を知ってか、知らずか、気軽な口調で、


「本気で良いぜ。」


 とからりと笑う。


 前に、難隠人さまの前で、布多未と立ち会ったことはあったが、女官姿だったし、お行儀良く、わかりやすい武の型を見せてあげただけだった。


「うふ……。」


 思わず楽しげに笑ってしまい、口もとを引き締める。

 目をらんらんと輝かせ、


「お願いします。」


 と古志加は言った。


「おう。」


 とこたえた布多未の表情が、すっといだ。

 すらりと剣を抜き、

 抜き身の剣を、

 チィン、

 とあわせる。

 ゆら、

 と布多未から圧倒的な剣気が立ち昇る。

 ふぅ───っ、と無言の気合を発し、

 古志加から仕掛ける。

 上から振りかぶり、鋭く打ちこむ。

 布多未は背が高い。

 目の前で軽く止められ、弾かれる。

 左上から打ち込み、弾かれ、

 右横からぎ、止められ、


「はッ!」


 大きく踏み込み、左から薙ぎ、いなされ、

 足を狙われ、

 とん、と軽く地を蹴り、避ける。

 布多未の剣が追いかけてくる。

 ビュ、と風をきり、

 上から刃が古志加の脳天を狙う。


(あれを喰らったら、頭が真っ二つだなぁ……!)


 受け止める。

 ガァン、

 と剣から火花が散る。

 剣圧が重い。ぐっと足が地に沈み、

 剣を弾き、二歩軽く下がり、

 大きく一歩踏み出し、

 上、

 上。

 凄まじい速さで古志加が打ち込む。


「あはぁ……。」


 歓喜のため息をもらし、身をまわし、

 鋭い蹴りを放つ。

 ひょいとかわされる。

 布多未の顔が見えた。

 嬉しそうに目を細めてる。


(楽しい……!)


 もっと早く。

 右、

 左、打ち込み、

 もっと荒く。

 ついっと身を沈め、

 身体をつむかぜのように回しながら、

 左手を地につき、足払いをかける。


「おっと。」


 ぴょんとかわされ、

 容赦のない剣がビュッと振り下ろされてきた。

 早い。狙いは腰。

 剣を握った右拳を地に真っ直ぐ突きたて、

 起点にし、よける。

 勢いを殺さず、

 地面をすくっていた足をぐいっと天にかち上げる。

 狙いは布多未の顎。


「とぉ……!」


 布多未の顎に足は当たらない。

 頬をかすった。

 そのまま腕をたわませ、反動をつけ、

 地から身体を弾き、

 古志加はくるりと軽い動きで地に足をつけた。


「せぃ。」


 そこを布多未が突きこんできた。

 避けきれない。

 とっさに剣で弾いたが、

 左腿の外側を布多未の剣がかすった。

 鮮血が散る。


「!」


 突きこんできた布多未の動きを利用し、

 布多未の腕にそうようにクルリと身をまわし、

 剣をふり、背中めがけて右から剣を薙ぐ。


(よっし、行ける……!)


「あれっ!」


 布多未が背をむけたまま、

 腕だけ背中にまわし曲げ、

 古志加の剣を受け止めた。

 そんな不安定な姿勢なのに、

 全然ぶれない。堅い。


(まずい。)


 すごい驚いてしまった。

 己の剣の呼吸が乱れた。

 布多未がぱっとこちらを向いて、

 強烈な一撃を左から薙いできた。


「くっ……。」


 なんとか弾く。腕がジンと痺れる。

 すぐさま右の突き。腰狙い。

 慌てて防御するが、受け止めきれない。

 右腿を、浅く広く斬られてしまった。


「はい……、ここまで。」


 軽く息をはずませた布多未が冷静に言う。

 無傷。

 こちらは肩で大きく息をし、右腿と左腿に傷。


「はぁ……、はぁ……、

 ありがとうございました。」


 剣をおさめ、すっかり上気じょうきした顔で、眉尻を下げて古志加は言う。肩を落とし、


「あたし……、全然ですね。」


 はし布で剣をぬぐい、剣をおさめた布多未は、上機嫌に、


「あん? そんなことねぇさ、荒弓は良くやってるだろ。

 動揺が剣に出やすい。そこを直せ。

 あと必要なのは……、経験だな。このまま励めよ。」


 と真面目な上毛野かみつけのの衛士団福長の顔で言ったあと、ふと布多未は破顔した。

 古志加の腰に布多未の腕が伸び、あっと思った時には、布多未に片腕で力強く抱き寄せられていた。

 古志加の腰と布多未の腰がぐっと密着し、驚きに目をみはった古志加の間近に、ゆるやかに笑う布多未の顔が近づいた。

 布多未がじっと古志加の目を見つめながら、ささやいた。


「おまえ、仕合ってる時すげぇ色っぽい。

 弟を諦める必要なんてねぇよ。」


 それだけ言うと、ぱっと手を離した。


「へ……。」


 そんなこと言われるとは思ってもみなかった。

 息がつまる。

 むしろ、男っぽくて、色っぽいのは布多未のほうだ。

 間近でまともにそんなことを囁かれ、布多未の色っぽさに当てられた。

 古志加はさらに顔を真っ赤にし、口を両手でおさえ、ペタンとその場に座り込んでしまった。

 腰が抜けた。


「古志加!」


 難隠人ななひとさまが。


「大丈夫……?」


 浄足きよたりが。

 慌てて古志加に駆け寄ってくる。

 古志加はすぐに、さっと立ち上がった。

 まだ顔は赤いが、ニッコリ笑って、


「あはは、大丈夫、かすり傷です。」


 と部屋にいる日佐留売にまで聞こえるように、大声を出した。


「衛士の真剣の稽古はいかがでした?

 難隠人さま。」


 古志加の傷などなんでもない、という態度で布多未が言う。

 ぱっと難隠人さまが古志加を背にかばうように、古志加の前に立った。

 きっ、と布多未をにらみ、


「一回、足を斬ったところで、なぜやめなかった!

 二回も斬る必要なんてないだろ!」


 と声を張り上げた。


「甘ったれんな!」


 布多未が一喝した。

 浄足は難隠人さまのそばでオロオロしている。


「古志加がなんのために血を流したと思ってる?

 強い衛士であるためだ!

 もし今にも賊が襲ってきて、上野国大領かみつけののくにのたいりょうである広瀬ひろせさまが、大川さまが倒れたら、上野国かみつけののくにはどうなる?

 かわりは誰もいない!

 だから衛士は、あなた方を守る為なら、いくらでも血を流す。

 いくらでも、いくらでもだ!

 日々どういう想いで、我々が警邏けいらし、稽古で血を流しているか、考えてみなさるがいい!」


 ぐっと言葉に詰まり、難隠人さまがうつむいた。


「それがわかったら、もう少し日々の稽古に身を入れてくだされ。それが一番、我々衛士の為になります。」


 おごそかに布多未は言い、古志加を向いてバチンと片目をつむった。

 あはは、と古志加は小声で笑い、肩の力が抜ける。


(いいように使われたなぁ……。)


 難隠人さまはワガママでムラっが強い。

 ちゃんと稽古に打ち込む日があるかと思えば、理由なく、


「今日は気分じゃない。」


 とやる気が見られない日もある。

 そのことを言っているのだろう。

 古志加はそっと、うつむいた難隠人さまの肩に後ろから手をかけた。

 そして優しい声で、


「心配してくださって、ありがとうございます。難隠人さま。

 でも、これくらいは、常日頃のことですので……。布多未の言う通りですよ。」


 と言うと、難隠人さまは、一回右腕でぐいと己の目もとをぬぐったあと、顔を上げ、布多未に、


「わかった。これからはもっと励む。」


 とハッキリ言い、近くにいた浄足が嬉しそうに笑った。

 そこで難隠人さまは古志加を振り向き、


「早く手当を。本当に……、心配だ。」


 と言った。

 たしかに部屋では、日佐留売が、


「そのお湯は、甘麦大棗湯かんばくたいそうとうには使いません。

 傷口を拭きましょう。清潔な布を。

 ああ、血止めの薬草、どこだったかしら……。」


 とお湯を持ち帰った甘糟売あまかすめに早口で指示を出している。

 部屋に行かなければ。

 でもその前に。

 この目の前で本気で自分を案じてくれている、もうじき八歳になる難隠人さまの顔を見た。


(かわいい。)


 腕がムズムズした。

 古志加は、えいっ、とばかりに、難隠人さまを抱き寄せてしまった。


「わっ!」


 古志加の胸に顔をうずめる形になり、難隠人さまが驚いた声を出す。


(えへへ。だってかわいいんだもんね。)


 ニコニコ顔で難隠人さまを離さないまま、古志加は布多未のほうを向いた。

 ちょっと訊いてみたいことがある。


「両足を斬られた、ってことは、足にすきがある、ということでしょうか?」


 布多未は両肩をすくめ、


「いや、衣が破れて、おみなの足が見れたら、楽しいかなぁ、と。」


 と悪びれず言った。

 古志加は半目になり、難隠人さまを離した。

 ……そういえば、前にこの人、

 湯殿ゆどのであたしの裸、堂々と見たよね?

 内衣一枚で、刑司けいのつかさに申し開きさせられたのだって、相当恥ずかしかった。

 後から思えば、ちゃんと濃藍こきあい衣着てたって、刑司けいのつかさは変わらず申し開きを聞いてくれたように思う。

 ……助けてくれたことには感謝してるけど!

 ああ手が!

 手がムズムズする……。

 古志加はずんずんと布多未に近寄り、


「いやらしい! このタコッ!」


 と両手の平手打ちを布多未の両頬に炸裂させた。


 布多未は無言で目をまん丸にした。
















↓加須 千花の挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330661232220100




かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました。

かごのぼっち様、ありがとうございました。↓

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074009762978

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