第十二章   火色の血

第一話

 ことん、と肩に古志加こじかの頭が乗った。


(オイオイ器用かよ……!)


 の刻。(夜中11時〜1時)


 花麻呂はなまろと古志加の二人は、東門の上のやぐらで、寝ずの番──夜番にあたっている最中だ。


 の刻(夜9〜11時)の警邏けいらの時には、古志加は普通だったが、今、やぐらの上で可我里火かがりびに照らされつつ、立ったまま静かに寝ている。

 頭を隣に立つ花麻呂の肩にもたせかけて。


「ふ……。」


 と大きな寝息を肩でたてる。


(オイオイオイ……。)


 とちょっと古志加のほうを向くと、花麻呂の頬に、古志加のくるくるに巻き、結いきれない髪の毛先がつんつんとあたる。

 おみなとして隙がありすぎないか古志加。

 オレが悪いおのこだったらどうするんだ……!

 はぁ、と花麻呂は白いため息をつく。


 古志加の髪からは、十二月の夜気にのり、春の陽射しと風に揺れるすみれの花の香りがする。

 同じおみなでも、莫津左売なづさめとは全然違う。

 莫津左売は、全身からほのかな白梅の香りがする。

 花麻呂は、じっと動かないまま、夜空を見上げた。

 空には雲がかかり、月が見えない。



───次の符契ふけい割符わりふの番号札)は十番。



 莫津左売は、押しも押されぬ、人気の遊行女うかれめだ。

 あれだけなよやかで美しいのだから、当たり前だ。

 別に銭を払って、次に会える符契ふけいを、浮刀自うきとじからあがなわねば、逢えない。


(あと、十夜。)


 花麻呂にとっては……、長い。

 でも、これで良いのだ。

 オレは銭を貯める必要がある。

 銭を貯め、オレが莫津左売を遊浮島うかれうきしまから出すのだ。

 まだ、銭を貯められるのは先だ。

 オレの妹となり、妻となってほしい、と莫津左売に言えるのも、まだ先だ。

 そして、三虎が奈良から帰ってきてから、符契ふけいの日にちが二日、ずれたことを、花麻呂は知っている。

 三日前に遊浮島うかれうきしまに行ったら、オレより一つ前の……、九番の符契ふけいを握りしめたおのこが、


「なんでだよ、ちゃんと九日めじゃねぇか!」


 と浮刀自うきとじにくってかかっていた。


「はん! おみなが一年中、毎日すずを鳴らせると思ったら、大間違いだよ! 

 さあ、あんたは二日後、また来ておくれ!」


 と遊浮島を守るならず者の大男に、九番の男はつまみ出されていた。

 花麻呂が十番の符契ふけいを握りしめ、もじもじしていると、


「あんたも、二日ずらして、また来ておくれ。」


 と浮刀自にすげなく言われ、


「はい……。」


 と肩を落とし、花麻呂は素直にその日は帰ったのだった。


 三虎は、石上部君いそのかみべのきみの若さまだから、オレとは使える銭の額が違う。

 符契ふけいの番号をすっとばして逢っているのだろう。

 胸が、

 この身が、

 焼けるように痛む。


(わかっていたこと、わかっていたことだ……。)


 もともと、莫津左売は、三虎の吾妹子あぎもこなのだから。

 それを、オレが、恋してしまったのだから。

 どのような嬉しい顔で、莫津左売が三虎を迎えるかなど。

 想像したって、何をどうしようもない。

 ただオレが苦しいだけだ。

 美しい莫津左売。


「オレのこと……、すこしは恋いしいと思ってくれる?」


 と、つい、甘えて言ってしまって。


「ええ、もちろん……。花麻呂。」


 と白梅がほころぶようにうるわしく、優しく、オレにむかって笑ってくれた。

 あの笑顔だけを、オレは、胸にいだこう。




    *   *   *




「うっ。」


 突如とつじょ、胸のあたりに、おぼろげな、冷たい感触がし、背中に冷たさが抜けた。

 背がぞくぞくする。


(来た来た来たあ……!)


 これを放っておくと、腹が冷えて、腹を壊して、本当に酷い目に遭う。

 慌てて、肩にもたれる古志加を見る。

 花麻呂が震えたので、震えが伝わり、


「ん……。」


 と古志加が声をもらすが、何事もない。


(そんなはずはない。)


 今まで二回、この胸の冷えがあり、それは決まって、古志加の命が危ない時だった。

 そう、花麻呂は理解している。


(では、何が……?)


「古志加、起きろ!」


 と、倒れないように古志加の腰に手を回した上で、古志加の額を強めにピシャリと叩いた。

 はにゃはにゃ言って起きた古志加に、


「警戒。」


 と告げ、そばに置いてあった弓を手にとる。

 四方を鋭く警戒し、


(必ず、この虫の知らせは、何かある。)


 と異変がないか目を走らせる。

 月明かりがなく、可我里火かがりびが届かぬ築地塀ついじべいの遠くはよく見えない。

 ───と。

 うしとら(北東)で、小さな、小さな灯りが見えた。

 一つ、と見えたものは、あっという間に、十、二十と増え、


「伏せろ!」


 自分の弓を持った古志加の頭をつかみ、しゃがませる。

 うしとらから無数の矢が、

 ピュウ、

 と二人を狙って飛んできた。

 カカカッ、

 とやぐらの柱に、床に矢が突き立った。


「敵襲!」


 古志加が叫び、櫓の鐘に飛びつき、力いっぱいガンガン打ち鳴らし始めた。


「伏せろ!」


 花麻呂は今度は声だけで古志加に告げ、己も伏せる。

 次は、さっきより量の多い火矢が飛んできた。

 柱に、櫓の壁に突き刺さり、炎がなめはじめ、夜を照らす。


(虫の知らせ、すげえ!)


 と花麻呂はおののきながら、弓に矢をつがえ、火矢の飛んできた方に打ち込み、


「敵襲!」


 と叫んだ。

 炎に照らされ、こちらは丸見え。対して、こちらからは賊が良く見えない。


(何人だ? 何人いる……?)


 屋敷内がざわつきはじめ、東門の櫓の鐘は鳴り続け、櫓のすぐ下、東門を守る衛士が……、


「うわ!」

「げえ!」


 と悲鳴が聞こえてきた。

 続き、ギシギシと門が開く音が聞こえてきた。

 信じられず、花麻呂は、


うつつか?!」


 とうめいた。

 うしとらから人馬が上毛野君かみつけののきみの屋敷になだれこんだ。

 その数ざっと五十。

 花麻呂は弓矢を上から打ち込んだが、駆け去る人馬に当たったかはさだかではない。

 やぐらの一角には、なめし革と紐で覆われた、燭火ともしび(松明)と弓矢の予備が置かれている。

 もどかしく紐を解き、その人の背より大きいなめし革を花麻呂はつかみ、櫓の床に刺さった火矢をいくつかたたき消した。

 ついで、櫓の四方に置かれた水桶の一つをつかみ、櫓の中央で鐘をつく古志加の頭からかけた。

 カビくさい水の匂いがし、驚いた古志加が、


「花麻呂!」


 と声をあげた。


「鳴らせ! 

 炎にまかれる間際まで、オレたちは鐘をつくぞ。

 煙を吸い込むな。流れ矢に注意しろ!」


 古志加は手布を懐から出しつつ、


「うん!」


 と大声で返事をした。

 花麻呂は走り、もう一つの水桶を古志加のそばに置いた。

 全ての火矢を消せたわけではない。

 ゆっくり炎は櫓を燃やしはじめている。

 パチパチと木がぜる音を聞きながら、花麻呂は弓に矢をキリ、とつがえ、梯子はしごにむけた。

 賊が登ってくる。








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