第四話  

 一包めは、

 いただいてすぐ、せっかくだからと、日佐留売ひさるめと飲んでしまった。

 二包めは、

 三虎が奈良に行ってしまうと聞いた日に、飲んだ。

 三包めは、

 花麻呂と布多未ふたみに助けてもらった次の日に、飲んだ。

 四包めは、

 阿古麻呂あこまろと市歩きして九日後に、飲んだ。

 まだ一包、残ってる。




 重い足を引きずり、よろよろと日佐留売の部屋に行く。

 巳三つの刻。(午前11時)


「日佐留売……。あたしもうダメ……。あのがた薬湯くすりゆ、飲ませて、お願い……。」


 と泣き腫らしたひどい顔で、古志加こじかは日佐留売に言った。

 部屋には、日佐留売と、福益売ふくますめ甘糟売あまかすめ多知波奈売たちばなめがいる。

 庭には、難隠人ななひとさまと浄足きよたりが、剣がわりの棒を持ち、布多未ふたみに稽古をつけてもらってる最中だった。


「古志加! どうしたの?」


 と日佐留売と二人の女官が口々に言い、その声につられて、こちらを見た難隠人さまが、


「てッ!」


 布多未に頭を打ちえられた。


「───休憩。」


 布多未がそう言ってくれる。


「本当は、昼番で、卯団うのだんに帰らなきゃいけないんだけど、さっきまで、三虎と二人きりで、あたしの母刀自の墓参りに行ってて……。」


 ひっ、ひっ、としゃくりながら、古志加は口にするか迷い、


「ええん……。」


 と嗚咽おえつがもれる。

 日佐留売が、古志加を取り囲んだ皆を見回し、無言でぐいぐいと、奥の部屋に古志加の腕を引っ張っていって、戸を閉めてくれた。

 二人きりになり、ぼろぼろと涙をこぼしながら、


「三虎が、誰でもいいから、つまを得ろ、って……。

 なんとか断ったけど、あたし、あたし……。」


 とそこまで言って、日佐留売に抱きつき、大声で泣き出した。


「あたし、せっかく、あのかんざし、いただいたのに、つけれない。

 一生無理だあ……。

 ごめん、あたし、一生、つまを得ない。

 このまま衛士として、一人で生きる。」


 と泣き声のあいまで日佐留売に言うと、


「古志加! かんざしはいいんですよ、あれは、つけられなくても、眺めているだけで充分価値があるものです……。

 でも、一生、独り身なんて。本気なの?」


 と日佐留売が驚いて言うので、うん、と古志加は頷き、


「もう、いいの……。」


 と言った。

 あの響神なるかみ(雷)の日から、口づけへのあこがれはあった。

 三虎に口づけしてほしい、と思ってた。

 でも、阿古麻呂あこまろに強引に口を塞がれて、ほとほと嫌になった。

 本当に恋いしい人とでなければ、嫌だ。


「裸は恋する相手に見せてこそだ。オレだっていもがいる。妹が良い。」


 と言った花麻呂の言葉が、本当に心からわかる。

 無理に、恋うてもいないおのこの妻となるより、


「ここで、遠くからでも、三虎を見て、衛士として過ごす方が、よっぽど、よっぽど良い。」


 とぽつりと漏らすと、

 日佐留売がはっ、と目を見開いた。


「古志加。」


 と名を呼び、息をすい、目が、古志加を見ながら、すごく迷っている。口を開き、


おみなには、女には……。」


 と言いかけたが、それ以上言葉にせず、しっかと抱き寄せられた。

 日佐留売が泣いている。


「あなた、三虎をあきらめてないの?」


 と日佐留売が問う。


「さすがに、手をとってもらうことは、諦めます。

 でも、あたしが恋いしいのは、三虎だけ。」


 その言葉を口にしたら、ずぐり、と胸がえぐられるように傷ついた。

 もう……、

 この恋しさは、あたしを傷つける。

 あたしの心に血を流させる。

 それでも、三虎への恋しさが、あたしの中で大きすぎて、なかったことにはできない。

 嘘偽りを口にすることはできない。


「これからも、ずっと、ずっと、この恋しさを胸に抱いたまま、生きます。」


 おそらく、泣くことになるだろう。

 三虎がいつか、妻を得ても、あたしは見てるだけ。

 三虎は、ほとんど奈良だ。

 一年に何日か、上野国かみつけののくにに戻ってくるだけ。

 それを卯団うのだんの一員として迎えよう。

 寂しさに泣く夜もあるだろう。

 でももう、いい。

 ゆっくり、年をとっていく三虎を、

 あたしは遠くから眺めて生きよう。

 それでもう、いい。

 あたしは剣を持ち、衛士として生きよう。

 心は自由だ。

 心の中だけで、三虎をいとしんでいこう。



「く。」


 日佐留売が身を震わせた。


「古志加、あなたは、それで良いわ。誰がなんと言おうと、あたしはあなたを応援するわ。」


 と言ってくれた。


「ありがとう、日佐留売ぇ……。日佐留売、あたしのお姉さんみたい……。

 日佐留売がいてくれて、あたし、良かったよぉ……。」


 と言って、古志加は温かい涙を流した。




    *   *   *




 タン、と戸が開いて、手を繋いで出てきた古志加と日佐留売を見て、皆、ぎょっとした顔をした。

 古志加ばかりか、日佐留売までも泣いているのは、どうしたことだろう?


「母刀自!」

「日佐留売!」


 と浄足と難隠人が、心配そうに日佐留売に駆け寄る。


「ああ、大丈夫、大丈夫よ、ちょっとね……。」


 と日佐留売は泣きながら笑い、


「ふっ。」


 と泣き声を一つもらし、しゃがみこみ、二人のわらはを両手で己に抱き寄せた。


「どうしたの?」

「日佐留売……?」


 と二人は口々に言うが、その可愛らしい二人の頬に、日佐留売は顔を擦り寄せ、


「お二人ともお優しい……。優しくて、良い子で、あたしは本当に、お二人が大好きですよ。」


 と言った。


「えへへへ……。」


 と浄足は笑い、


「当然だっ!」


 と難隠人は頬を赤くし、二人のわらはと日佐留売はかたく抱き合った。


 それで日佐留売が落ち着いた。

 すっと立ち、


「甘糟売、薬湯をいれます。お湯を炊屋かしきやからもらってきて。」


 と言い、


「古志加、今日はここで休んでらっしゃい。

 福益売、卯団うのだんに、古志加は今日は女官として預かると伝えてきてちょうだい。」


 と言った。


「お、それなら、オレの名を使えよ、姉上。

 今日はこの布多未が預かるってな。

 そのほうが無用なやっかみが無いだろ。」


 と布多未が涼しい顔で言う。


(気遣いできる人だなぁ……。)


 と古志加は布多未を見る。


「それもそうね。福益売、あたしの部屋で布多未が預かると伝えてきて。」


 と日佐留売が言い直し、二人の女官は礼をして部屋を出る。

 二人のわらはは、古志加に何があったかわからず、日佐留売か古志加からか説明を待ってる顔をしていたが、その場で一番早く口火を切ったのは布多未だった。


「おう、古志加。やるぞ。」

「えっ、何を……?」


 古志加はたじろぐ。


「何かあったんだろ? オレもむしゃくしゃする時はある。

 そういう時は四つのことをする!」


 と布多未は勢いよく四本の指を目の前に差し出した。


「剣! 弓! ほこ! 馬!

 それでスッキリしてからおみな

 あっ、五つだなあ、アッハッハ……!」


 五指全てを立て、豪快に笑う。

 日佐留売が頭を抱え、古志加は戸惑い、わらは二人は、


おみな……。」

「女だってさ……。」


 と冷めた目でささやき交わす。


「オイ! 女って言っても、ちゃんと鏡売かがみめだぜ。

 あとやっぱ四つだ。

 むしゃくしゃした気分を己のいもにぶつけてはいかん。

 剣、弓、鉾で、むしゃくしゃをぶつけきる、

 これが大事だぜ。」


(……今、馬が抜けましたね?)


 と古志加は心の中でつぶやきつつ、この夫婦めおと、羨ましいなぁ、と思う。


「で、古志加、おまえは……、剣だな?」


 と布多未がこちらを見る。


「ええ……。」


 と古志加は首肯し、薄く笑う。

 布多未との稽古……。

 全身の血潮ちしおが熱くなってくるのを感じる。

 布多未は強い。

 おそらくは、……荒弓より、三虎より。


「どうすっかなぁ……。せっかく衛士の濃藍こきあい衣だし……。真剣かな?」


 布多未がそう口にし、わらは二人を見た。

 口の端を釣り上げ、


「おまえら、血を見る覚悟はあるか?」


 と笑った。

 二人のわらははかたまる。






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