第三話  三虎、正述心緒、其の二。

「は……。」


 三虎は一人馬を駆り、白い息を吐く。

 今日は特に、胸に触れる冷たさがひどい。

 背中がぞくぞくする。

 古志加こじかを一人、墓の前に残し、上毛野君かみつけののきみの屋敷へ駆ける。


(一人にしてきて、大丈夫だったろうか。)


 こちらに背をむけた古志加は震えていた。

 肩が震え、くるくる巻いた髪の毛が揺れ、細いうなじも震えていた。

 だが……、このような話をするオレと一緒に帰るのも嫌か。

 それもそうだな。





 三虎は、一年前の姉との会話を思い出す。



 奈良へ行きます、と伝えたら、日左留売ひさるめは、古志加も連れて行ってあげて、と口にした。


「それはできません。上野国かみつけののくにに置いていきます。」


 とたんたんと告げると、


「だって、いつ戻るかわからない、ずっとあっちなんでしょう? 古志加は、古志加は……。」


 と姉は言いよどみ、


「もう十七歳になるから言うわ。古志加はおまえに恋してる。いもか、吾妹子あぎもこにしてあげて。」


 と古志加本人がいたら、気絶しそうなことを言ってのけた。


吾妹子あぎもこにするために拾ってきたのではありません。」


 と言ったら、頬をしたたか打たれた。

 姉は震え、頬を張った手を握りしめ、


「あ……! ごめんなさい、やりすぎたわ三虎。

 でも……、でも……。なぜ、こんなにおのこは、おみなの気持ちをわかってくれないの……?

 あたしは無性むしょうに、おのこの頬をえてやりたくなる時があるわ。」


 と涙をこぼした。

 だが三虎もここで引き下がるわけにはいかない。


「姉上。───打ちたければ、いくらでも。

 ただ、留守中、古志加を頼みます。古志加は親もなく、兄妹もいない。頼りにできるのは姉上だけです。

 もし……、誰かと婚姻を結びたくなって、持参金の問題がでてきたら、面倒を見てやってほしいのです。」


 と両手を胸の前であわせ、礼をした。

 姉は困ったように、


「おまえのことがわからないわ、三虎。

 あの子のこと、こんなに大事にしているのに、なぜ、妹としないの?

 前に熱をだした古志加に声をかけたおまえは、とても……。」

「姉上、オレは妹は持ちません。遊浮島うかれうきしま遊行女うかれめはいますが、それだけです。

 あ! おみなにする話じゃなかったなぁ……。すまない、姉上。」


 と頬をかいて謝ると、


「困った弟。」


 と姉がため息をつき、


「古志加のことは心配しなくて良いわ。」


 と言ってくれた。





 そうとも。

 オレはいもはいらない。

 妻もいらない。




 父に前に、たった一人の妹って、どうやってわかるのか、と訊いたことがある。父は、


「会えばわかるのさ。そのおみなの面影がずっと忘れられなくなり、このおみなしかいないとわかる。

 命を投げうっても、守りたくなるおみなさ。」


 と言った。

 そういうものか、と思ったが、心に引っかかるものがあった。

 オレが命を投げうっても守りたいのは、大川さまだ。

 何よりも、オレ自身よりも大切なのは、大川さまだ。

 妹ができたら、オレは変わってしまうのだろうか。


(嫌だな。)


 と思った。

 それはあの、くちなわ女によって確信となった。


 オレは大川さまのそばに。

 必要とあらば、喜んで盾に。


 それがオレの望み。

 おみなの肌が欲しくなれば、莫津左売なづさめに逢いに行けば良い。

 母刀自ははとじに、妻を持たないのか、と言われたこともあるが、大川さまのために死ね、と教えたのは母刀自自身だ。


「子供なら、布多未ふたみがもった。それで充分ではないか。」


 とねつけた。


 幸いにして、まだ、会えばわかるというおみなには、会ったこともない。



 古志加は、卯団うのだんの衛士だ。

 オレは卯団長として、とくに卯団の衛士を大切にしている。

 当たり前だ……。

 オレと大川さまの手足となって、働いてくれているのだから……。

 とくに古志加は、オレが拾ってきたから、心を砕いてやってる自覚はある。

 その分、成長して、良い衛士になれば良し。

 そこまで期待できる腕前とならなくても、卯団衛士うのだんえじの妻となれば、安泰の人生が送れる。

 それで充分、オレは大川さまの、


「なんとかしろ、三虎。」


 に応えたろ……。と思っていた。

 オレは古志加の幸せを願っている。



 古志加も十六歳になった。

 これで、一年近く留守にすれば、花麻呂はなまろあたりが放っておかないだろう。

 古志加が花麻呂を選ばなかったとしても、おのこならゴロゴロまわりにいる。

 十七歳は本格的に郷の女がつまを得る頃だ。

 古志加も、近くの男に目がいくだろう。

 荒弓あらゆみと姉上に頼んでおいたから、これで安心……! と思っていたら。




 帰国したら、思っていたより、悪い出来事が起こっていた。

 古志加の美しさが悪いほうに作用した。

 四月、

 布多未と花麻呂が間に合っていなかったら、古志加は裸で殺されていただろう。

 その話を聞いて、荒弓を思いきりにらみつけたら、荒弓が平謝りをしていた。


(……まったく!)


 七月、

 荒弓に古志加の休日を訊きに来た阿古麻呂あこまろが、どうやら古志加と二人で休日にでかけ、妻問つまどいを失敗したようだ、との話も聞いた。

 ごのみか古志加。頑固者がんこものめ。


(……まったく!)


 桑麻呂くわまろ酒虫さかむしのようなおのこがでてくるようでは、放ってはおけない。

 さっさとつまを得させるべきだ。

 もう……、古志加の歳を考えても、古志加を取り巻く状況から考えても、はっきりと伝えるべきだ。

 そう決めた。 


 上野国かみつけののくにに帰国した当日、荒弓に話を聴いたその日に、すぐに古志加に言い渡しても良かった。

 なぜか足がむかなかった。

 悩む……ほどではないが、なら、少し考えるか、と思った。

 三日かけた。

 昨日は、寝床で寝る前に、良く考えた。


 古志加は誰を選ぶか。

 花麻呂はなまろなら良いと思う。

 花麻呂は卯団を見回したなかでも、顔が良い。笑顔が明るく曇りがない。

 きっと幸せにしてくれる。


 阿古麻呂あこまろのことは良く知らない。だが、自分から妻問つまどいしたなら、本当に恋うているのだろう。きっと大切にしてくれる。


 薩人さつひとは、遊浮島うかれうきしま通いがきっと婚姻後もやめられないだろう。オレが回数を控えるよう言ってやることぐらいはできるが、古志加が許容できるかどうか。

 許せるなら、薩人は良いつまとなるだろう。

 もしかしたら、薩人が古志加におぼれるように甘くなって、女遊びはスッパリやめる、なんてこともあるのかもしれない。

 オレに男女のことなぞ分からない。

 言えることは、薩人は、

 もう何年も一緒に遊浮島うかれうきしまに遊びに行ってる仲間だ。当然、掛け鈴の部屋の中のことまで見たわけではないが、薩人と遊んだ遊行女うかれめの、の前と、後の顔、そのうっとりとした変化を見ていれば、否応なしに分るというものだ。

 そこまで考えて、瞬間的に想像が頭で散る。

 ねやで古志加の衣を脱がせる薩人。

 自分のつまとして、全てを許した表情の古志加。

 白い乳房に爪を立てるおのこの顔は、


 ───自分の顔に変わる。


「ちっ───。」


 思わず舌打ちし、渋い顔で首を左右に振る。


 違うだろ。

 三日考えた。

 答えは、


 古志加が卯団衛士を選べば良い。

 古志加が夫婦めおととなった後も、つまたる衛士が身を持ち崩したりしないか、オレが見ててやるぐらいのことはできる。

 しかし、そういうのも良くないのかもしれない。

 いっそのこと、裕福な郷のおのこの妻にしてやったほうが、良いのかもしれない。

 二度と会うことはなくなるだろう。

 時々は、秋間郷の屋敷の者を使いにやって、暮らしが破綻していないか、オレの耳に入れるくらいはしよう。

 でも、直接は会わない。

 暮しぶりの細かいことも、わからない。

 幸せに、暮してるならそれで……。

 会わず、知らず。

 それぐらいが、ちょうど良いのかもしれない。

 せめて、一生安泰に暮らせるよう、金持ちの、穏やかな、良いおのこを慎重に探してやろう。

 オレが安心して古志加を送りだせるように。

 古志加は誰を選ぶだろうか。

 誰も選ばなかったら、早急に郷の良い男を探さねば。心当たりはない。秋間郷に時間をとり、帰るか……。

 とにかく、早くしよう。

 大川さま以外のことで、心を乱されるなど、オレらしくない。

 早くこの乱れを整えたかった。


 そう考えつつ、昨日の夜は珍しく、一人、浄酒きよさけを呑んだ。


 おみなの夢でも見たら嫌だった。おみなの夢など、莫津左売なづさめの柔らかい手枕たまくらで見るのだけで充分だ……。

 


 そして今日、古志加にそれを実際伝えるのは、簡単ではなかった。

 口は重く、胸は冷え、古志加に泣かれ……。

 しまいには、父親の話まで持ち出され、ほだされてしまった!

 古志加はつまを得ないと言う。

 一生、独り身で、衛士として生きると……。

 本当にいいのか、それで。

 こんなに……、美しく育ったのに。




 そうだ。古志加は美しくなった。

 大川さまの部屋で、耳に紅珊瑚を光らせ、古志加は、


「三虎……。」


 と名を呼んだ。

 頬を赤く、潤んだ目で、柔らかく唇を動かし、こちらをじっと見上げていた……。


(おまえ、綺麗になりすぎるなよ。)


 そう思った。

 だから、奈良には連れていけなかった。


 大川さまが酒に酔い、


「古志加でも呼んで、しゃくをさせようかなぁ……。」


 とたわむれに言った夜。オレは、


「古志加はオレの部下です。」


 と言った。それ以上、何を言えよう。それでも大川さまが、


「古志加を呼べ。」


 と口にしたら、オレは、


「はい。」


 と答え、古志加を大川さまの部屋に呼んだ。

 それが何を意味するか、充分わかって。



 十六歳の古志加が、藤売ふじめに痛めつけられ、熱をだした翌日。

 眠る古志加に、


「大川さまにだけは、恋するな。」


 とささやいたことがある。

 あれがオレの本心。

 古志加を見ていると、


「大川さまの吾妹子あぎもこにだけはなるな。」


 と思ってしまう。

 そして胸の奥の、

 その深淵の、

 今まで気がつかなかった、

 黒いねばねばとした気持ちが、

 ゆっくりと盛り上がってくる。


 おのこを商いの相手とする遊行女うかれめを除き、おみなはいつでも、三虎の目の前を通り過ぎる。

 大川さまをうっとりと笑顔で見つめ、三虎をちらと見る時は塵芥ちりあくたのような目で見る。

 それは、わらはの頃から。

 そして、この先もずっと、変わらない。


 オレは、大川さまの、まったく意識をしていないのに、そこにいるだけでまわりのおみなを恋に落としてしまう、あの美貌が、


 ねたましい……。


 大川大川さまの綺羅綺羅きらきらしい風貌は、本人の望んだものではない、むしろその風貌のせいで、大川さまは傷ついてさえいる。

 オレは一番そばにいて、誰よりも、誰よりもそのことを知っていながら、

 あさましくも、大川さまに嫉妬している。

 なんといやしい。

 なんと醜い心。

 こんなものは……恋ではない。

 たとえ、白昼見てしまった胸の白さにくらりとし、憤死ふんしものの夢を見たとしても、そんなものは、ただのまやかし。

 オレが古志加を見ていて思い知らされるのは、オレのあさましい心の奥の嫉妬。

 それだけが真実だ。

 ……こんなことは、気がつきたくなかった。

 なぜ、この歳になって、気がついてしまったのだろう。


いもなんていらない。妻もいらない。)


 大きな瞳をきらめかせながら、こちらをじっと見つめる古志加の顔が思い浮かぶ。

 大川さまの部屋で、

 三虎の部屋で、

 あるいは、卯団うのだんの稽古場の、

 ほんの一瞬。

 あるいは、板鼻郷いたはなのさといちで。

 あるいは、女官姿で、

 難隠人ななひとさまの食事の世話をしながら、

 ほんの一瞬。

 古志加は何かを懇願するような顔で、こちらを見ていた。

 その顔は、花がほころぶような笑顔にかわり、

 かん気の強い、頑固な顔にかわり、

 額に汗をかき、目から強い気を発し、

 剣を振るう時の顔にかわり、

 頬を赤く恥じらってうつむく顔にかわり、

 苦しそうに泣く顔にかわった。

 親の仇を前に絶叫して泣く顔。

 父親を、


「大キライ、大キライ……!」


 と苦しげに泣く顔。


「あたしを置いていかないで。」


 とひらすら泣きじゃくった顔。

 今さっき、オレの言葉にひどく傷ついて、静かに泣きながら、悲しそうに、


「三虎……。」


 とこちらを見た顔。

 泣き顔ばかりが胸に去来する。


「あ────、クソッ!」


 馬上で一人、大声を出す。

 もうやめだ。やめやめ!

 もう古志加のことは考えない。

 今夜は必ず莫津左売なづさめに逢ってやる。

 必ず。必ずだ。









  ↓鉛筆画。


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659580626611



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