第二話 我が恋はまさかもかなし
あたしの恋は今も悲しい。
ずっとこの先も、悲しいのだろう。
万葉集 作者未詳
(「まさか」とは現在の意味。「おく」とは将来の意味。「
* * *
三虎が帰ってきて五日後。
霧けむる
「おい
これから
といきなり三虎に声をかけられた。
古志加は馬から降りたばかり。
「うん!」
とすぐ馬に乗りなおす。
やっと、ゆっくり、話ができる。
去年、墓参りの時に、年が明けたら奈良に行く、と言われて……、それ以来だ。
去年古志加は、奈良に連れて行ってほしい、と言ったのを断られて、驚いて、その後は何も言えなくなってしまった。
泣くばかりで……。
今日は、もっと、話を色々できたら良い。
霧が濃い。
朝からあたりを真っ白にした霧は、辰四つの刻(8:30)になってもまだ残り、行く手を白くぼかす。
白い息を馬が駆ける速さで、細く後ろに飛ばしながら、前を行く三虎に話しかける。
「奈良ってどんなところだったの?」
「ああ……。」
三虎は気乗りしない返事だ。
「もうさんざん話したろ。華やかなところさ。
大川さまは
「うん。」
さんざん話をした、と言いながら、大川さまの話になると、三虎は口が滑らかになる。
「まぁ……、この話はいい。」
おや? 止まった。
「古志加、墓参りが終わったら、話がある。」
と前で馬を駆る三虎が白い息を吐いた。
真剣な口調だった。
(なんだろう。)
古志加の
奈良に行く話をしたときだって、こんなこと言わなかったのに。
(……あまり良い予感がしない。)
古志加は押し黙り、三虎も喋らない。
霧のなか、ただ馬を駆り、古志加の家についた。
(母刀自、来たよ……。)
本当は、今年あった色々なことを、心のなかで語りかけようと思っていたのに、この後の三虎の話が気になりすぎて、うまく語りかけができなかった。
ため息を長くつき、三虎を振り返る。
「三虎、終わった……。」
三虎は腕を組んで、
「う。」
とちょっと顔をしかめ、右の拳で自分の胸を二回、とんとんと叩いた。そして、無表情に、
「古志加、おまえ、年が明けたら、十八歳だろ。
おまえ……、誰でもいいから、婚姻を結べ。
来年からは、
と言った。
その言葉があまりに衝撃で、頭が殴られたように、ガン、と目の前に火花が散った。
古志加はあえぎ、
「な、なんて……?」
と口にすることしかできない。
「郷の
誰か気になる
三虎はずっと無表情。
「本気で言ってるの……?」
古志加は目をみはり、震えつつ訊いた。
「ああ、誰でもいいぞ。花麻呂でも、……阿古麻呂でも。」
(……知られてる!)
きっと、阿古麻呂が古志加に
「問題はあるが、おまえが良ければ
薩人は喜んでおまえを
なんて言葉。
恋いしい人の口から聞くには、あまりにも、あまりにも……。
古志加は歯を食いしばり、目をぎゅっとつむり、顔をすこしそむけた。
「
残酷な言葉は続く。
古志加は目を開け、三虎を見た。
こらえきれず、涙が頬をつたう。
「み、三虎……。」
あたしが恋してるのは、あなたです。
言えない。
「郷の
「三虎……。」
あたしが妹と呼んでほしいのは、あなたです。
伝わって、と思いをこめて。
泣きながら、三虎を見つめる。
「板鼻郷が嫌なら、
裕福で、年が釣り合う
「三虎……。」
あたしが
あなたです。
あなたです……。
「持参金なら面倒を見てやる。心配をしなくて良い。一生、楽に暮らせるぞ。」
「三虎!! そんなの望んでない!!」
声が裏返り、悲鳴をあげるようにそう叫び、
「うぅ……っ。」
古志加はとうとう顔を覆って泣き出した。
「おまえが選ばないなら……。」
その言葉に戦慄した。
続きを言わせてはいけない!
「やめて! いない、いない、誰もいない!」
慌てて顔をあげ、叫ぶ。
(ああ、どうしよう……。
このままでは、……きっと、阿古麻呂あたりと婚姻させられてしまう。
親なしのあたしは、三虎がしろと言えば、従わざるを得ない。
衛士をやめさせられてしまう。
それだけは嫌だ。)
「三虎、あたし……、衛士をやめたくない。
あたしは剣が好き。
剣を教えたもらったこと、クソ親父に唯一、感謝してることなんだ。
クソ親父は今でも大嫌いで、あたしは親父を憎んでる……。
でも剣を教えてくれた時だけは、いいぞ、いいぞって褒めてくれた。
今でも、剣を振ってる間だけは、親父に感謝できる。
あたしと親父の、細い細い、たった一つの絆なんだ。
お願い、あたしから、剣をとらないで……。」
泣きながら、己を両腕で抱き、古志加は懇願した。
「おまえ、婚期を逃すぞ。」
困ったヤツだな、というように三虎が言う。
「そんなこと……、かまいません。」
古志加はやるせなく言う。
この恋は届かない。
「あたし、このままずっと、衛士として、一人で生きます。」
「古志加……。」
三虎が名を呼んだ。
だから三虎の顔をじっと見つめて、言う。
涙が頬を伝い続ける。
「
あたしは
それを望む
目をそらしてはいけない。
ここで三虎を説得できなければ、もうあとはない。
沈黙がおり、三虎と見つめ合う。
三虎が目をそらした。
古志加はすかさず、口を開いた。
「話はそれだけですか。」
「ああ。」
「では先に、帰って下さい。ちゃんと馬は帰します。もう少し……、一人で母刀自と話がしたいので。」
古志加は、くるり、と三虎に背をむけた。
「ここまで、ありがとうございました。」
(……もし、阿古麻呂だったら、ここで背をむけたあたしを、背中から抱きしめてくれたね。)
(でも三虎はさ。
あたしを恋うてないからさ。)
しばらく背中で、三虎が戸惑ってる気配がしたが、ややあって、
「ちゃんと馬は帰せ。たたら
と三虎が立ち去る足音がした。
足音は止まらず、馬をつないである栗の木まで行き、馬がいななき……、
古志加は一人になった。
(ほらね!
こうやって、三虎はあたしを一人にしちゃうんだよ。
抱きしめてもくれない……。)
「わああああ!」
膝からくずれ、母刀自の墓に泣き伏した。
(十歳の、母刀自のいなくなった雪の日。
三虎がいなかったら、あたしも黄泉に行ってた。
母刀自以外、誰にも抱きしめられたことのなかったあたしを、初めて抱きしめてくれたのは三虎だ。
三虎はあたしに全てを与えてくれた。
魂が散り散りになりそうな夢を見るあたしを、
細い朝の光で、三虎の寝顔をじっと見つめていた
幼すぎて、己の気持ちに気がつくのが遅れたけど、今から思えば、はっきりわかる。
あたしは大きくなったら、この人の妻になりたい、と思っていたんだ。
もうずっと、ずっと……。
それなのに。
誰でも良いから、誰か他の男の妻になれなんて、恋いしい人から一番聞きたくない言葉だ。
この恋は届かない。
できればいつか、本当に三虎の
それがダメなら、……一夜だけでも。
ちょっと味の変わった
それだけで。
あたしはもう一生、生きて行ける。
そう、思ってたのに。
この恋は……。)
「恋してます、って言うこともできなかった……! ああああ………!」
一人、墓の前で号泣した。
金の
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