第2話

学校に残って遅くまで勉強していたら、またこんな時間になってしまった。

帰り道を歩く途中で、ふと空を向いて見ると、今日は満月だった。

楓は、また嫌な感覚を覚えた。

満月を見ると、気持ち悪くなるのだ。


昔、母親と恋仲だった(すぐに居なくなったが)男が1ヶ月に一度、満月の日にうちにきては、その男に時々軽く殴られた。

母親もそれを少し注意して止めるばかりで、本気でやめさせようとしなかった気がする。

だから毎月、満月の日がくるのが怖くて仕方なかった。

そもそも今考えれば、1か月に1度会っていた意味もわからないし、気持ち悪い仕来りだと思うし、そんなことをロマンチックに感じていた母親を今も心底、軽蔑している。

母親は、あの時私を助けてくれなかったのだ。

たが、嫌な感覚は、単にそういうことだけじゃない。

そういう嫌な事も思い出すが、同時に、何故かどこか穏やかな感覚になるのだった。

反対する両者の感覚が並列して心に浸透するので、とても気持ち悪く嫌な感覚になるのだ。


家に着くと、母親はおかえり、と言ってきた。

ただいま、とは返さず、そのまま部屋に直行した。

今はだいぶ更生したかもしれないが、昔は酷かった母親を今も許していない。

いきなり母親ヅラされても困るのだ。

すると、母親は勝手に部屋に入ってきた。

「ねぇふうちゃん。今日お月見とかどう?」

「勝手に部屋に入ってこないでよ」

母親を睨めてつけて言ったら、急にポロポロと泣き出した。

「ごめんねふうちゃん、今日は満月だから」

「だからなに?」

「ふうちゃんがいなくなった日を思い出して反省してるの」

「いつも言ってくるけどそんな事知らないって。忘れたし何その話。嘘でしょ」

「ほんとよ」

「知らないってば」

「交番にふうちゃんがいた時、どれだけ安心したか」

「もういいから出てってよ」

扉を強引に閉めて、母親を追い出した。

泣き落としか、昔から母親はあういうところがあった。

感情の波が激しく、こちらが疲れるのだ。

あんな話も、多分嘘だ。

いなくなった日の事なんてそもそも、覚えていないし、全部母親の妄想に決まっている。

楓は、この先も母親を許すことはないし、そんな母の愛を感じたことも、この先感じることも、もう一度もないと思った。


楓は、また少しだけ勉強を頑張って、寝る前にSNSを開いた。

検索数上位のワードに満月、とあった。

何をそんなに盛り上がっているのか、楓は意味がわからなかった。

満月は嫌なのだ。気持ち悪い。

ただなんとなく、満月というワードでSNSを彷徨った。

ずっと奥深くまで永遠に昔を辿っていく。

別に何の意味もないが、ただそうした。

昔の人も同じように満月で盛り上がっているのを見て、今も昔も変わらないと思った。


くだらない。

もう寝ようと思って、携帯の電源を切ろうとした。

急に、一つの言葉が、目に留まった。


「満月の夜、楽しい夜」


グっと手に力が入った。全身の神経が走るような感覚がきた。

どういうことだ。

これは、少しでも嫌な満月の日を乗り越えるための、ずっと昔から、いつからか自然に頭にある言葉。

友達にも母親にも言わず、ずっとそうやって自分の中で包んできた言葉。

それが、そのままあった。

吸い寄せられるように、これを投稿したアカウント情報を見てみた。

投稿日は、11年前。

他の投稿はなく、ただこれだけ。

それっきりだからもう使われていないのだろう。

そう思ったが、それともう一つ、同じ日に写真が投稿されていた。

何だろうか。

楓は、はやる気持ちで写真を見た。


写真は、大きな満月に、二つの手が収まるようにピースサインをしているものだった。


その瞬間、楓は、身体全てに電気が走るような感覚と、それと同時にグワッと穏やかな感覚に襲われた。

見覚えのある写真、確実に自分の記憶の中にある風景。

しかし、思い出せるような思い出せないような、夢から覚めて時間がたって、見た夢を思い出せないようなそんな感覚が、またすぐにやってきた。

全身に鳥肌が立って、身体が震えるほどの衝撃。

ただとてつもなく、優しい気持ちになる感覚。

これが何かはわからないが、とても勇気付けられるのだ。

楓はおぼつかない足取りでカーテンを開けて、背の低いアパート街の真上にある満月を見た。

頬から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。


「何これ…」


相変わらずの嫌な感覚と、正体不明だった穏やかな気持ちに今の気持ちが合致した感覚だった。

意味がわからないが、それはもう十分な感覚だった。

こんな感情があることなんて、知らなかった。

こんな感情に満たされることなんて、知らなかった。

満月の夜、楽しい夜という言葉、満月に2つ重なったピースサイン。


「なんだっけ…。なんなんだっけ」


色褪せた写真が、頭の中で段々と半透明になって消えていく。

ハッとして、いつの間にか落としてしまった、スマホの画面を見た。

もう、さっきのアカウントは映っていなかった。

もう一度見ようとまた、必死にいくら昔を遡っても、もう見つかることはなかった。

また、涙がとめどなく溢れ出てきた。


しばらく経って、楓は、ようやくただスッと目を閉じた。

今日の満月が綺麗に見えた。

悪くない満月もあるのだと思った。

頬が濡れたまま、その思いを抱いたまま、そのまま眠りについた。


【了】


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満月の日だって 夏場 @ito18

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