短編
鳳ひより
蟻
僕は蟻である。働き蟻として生まれたからには、仲間や女王様の安全を守ること、快適に暮らすこと、できる限り長く生きることが務めであり喜びだ。
巣は建設途中。建設班の僕は土を掘っては外へ積む作業を繰り返している。顎で冷たい土を挟み、日光の当たる明るい外へ……。単調で疲れる作業だが、とても重要な役目だ。
いつもの通り担当区域の建設を進め、外へ出た時、強い甘い香りがした。
食糧? あまりにも強い香りのほうを見上げる。
そこには見たことのない薄土色の巨大な何かがあった。思わず近づく。その側にいた食糧調達班の仲間が僕に気づいて、興奮気味に言った。
「これはすごいよ。この大きさ、人間の食べ物に違いない」
「人間って?」
「知らないのか。とにかく大きくてこのあたりにたくさんいる動物だ。大きすぎておれたちのことは気にしないから危なくない」
「へえ…」
食糧調達班が調べたところによると、この甘い食糧は円い形をしていて、僕らの体長ほどもある分厚さらしい。食糧を見つけたら巣の食糧庫へ運ぶのが食糧調達班の仕事だが、この食べ物は大きすぎて巣に入らない。
「だから齧って小さくしてから運ぶ。巣に入るほど小さくなったらそのまま運ぶ。何日もかかる重労働になるぞ。手伝ってくれないか?」
僕は迷わず頷いた。力が要るなら仲間に協力するのは当然だ。それに、ここは巣に近く、齧って中へ運ぶだけならいつもの作業と逆になるだけの話。これだけの食糧を運べたら、たくさんの仲間がしばらくは飢えずに暮らせる。
食糧調達班の彼は喜び、他にも仲間を連れてくるから作業を始めてくれと言い外へ向かった。
通常、食糧調達は大変な作業だ。巣から遠く離れ食べられるものを探して運ぶ。大きなものを引きずって長い距離歩くことも多い。その間に別の動物に襲われる危険もある。
でも、この食糧を運ぶことに専念させれば、彼らの負担も少なくなる。
彼がいなくなってから、運ぶ前にこの食糧をこっそり食べてみた。
「あ、あ、甘い!!」
思わず出た僕の叫び声に、他の建設班の仲間も寄ってきた。みんな齧っては口々に「甘い! おいしい!」と叫ぶ。
僕は食糧調達班の彼に聞いたことをそのまま伝えて、建設班の仲間たちにも手伝ってもらうことにした。
齧っては運び、齧っては運び……食糧調達班がほぼ全員戻ってくる。齧っては運び、齧っては運び……どおおん! どおおん! と地響き。
驚いてあたりを見回す。先輩の蟻たちは気にしていないようだ。
「あれが人間?」
「そうだよ。気にしなくていい」
人間は巣のすぐそばで動かなくなった。僕は動揺しながらも作業を再開する。気にしなくていいとは言われたが、何やら見つめられているようで気味が悪い。
でもとにかく、仲間のために、齧っては運び、齧っては運び……やがて陽が落ちて辺りが暗くなる。食糧調達班のリーダーが僕らに向けて大声で言う。
「他班のみんな、手伝ってくれてありがとう。今日の巨大食糧の解体作業は終わりにし、元の作業に戻ってくれ。食糧調達班は、もう少し作業をしてほしい」
指示通り、僕は食糧のそばを離れた。あまりにも巨大だった薄土色の甘い円盤は、ほとんど均等に齧り取られぎざぎざの円盤になった。それでもまだまだ大きいが、随分運んだものだ。
達成感を得ながら、さあ土を運ばんと巣へ戻ろうとしたその時、また地響きがした。
人間が動いたのだ! 今までずっと巣の前で動かずにいたから、いつの間にか僕自身も気にせず他の動かない大きな物と同じに考えていた!
気味の悪さが蘇り身震いして、駆け足で巣に戻る。
元の担当区域になっている建設現場に行きかけてから、既にいっぱいになっている食糧庫を拡張したほうがいいだろうと判断して、何度も往復したほうへ進み、穴の真下を通る。
突然息ができなくなった。
大量の水が僕らの巣へ流れ込んでいる。
僕は流されながらもがいた。霞んだ五感に、掘り進めてきた大切な巣が水と融和する気配、甘い食糧が流されてぐるぐる回る気配を感じ取る。
ああ! 大切な巣。僕の仲間たちは? 女王様は? なぜこんな大量の水が流れ込んできたのか? 雨が降っても簡単には浸水しないところに穴を設けたはずだった。そのうえ今日は晴れていた。
今更原因など考えても仕方の無いことだが、どうしてかあの巨大な地響きが思い出された。
僕は流れて、流れて、流れる仲間達を見る。仲間達も僕を見る。ああ麗しい女王様。彼女もたくさんの卵や幼い子供と共に流されている。
これが僕達の運命であるなんて。
短編 鳳ひより @Otorihiyori
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