未来へ 【Tomorrow leaves 明日葉】

 あの後悔の夜が明けてから、三度目の朝に現れたおひさまは、明日へと向き合おうとする小さな若葉の背中を照らしていた。

 本に囲まれたその場所で普段なら、二人で文字を追っているはずだったが、今日は違う。ただゆっくりと優しく机に向かって手を動かすだけだった。

 つばさ君は緑や茶色の紙に自分の心を覚えたてのひらがなにして表出し、私はそれをお手製のひこうきに作り変えていく。

窓の外では、風に運ばれてきたひつじ雲たちが、懸命な少年の姿をただ穏やかに見つめている。今日は絶好の飛行日和なようだ。

「おねえちゃん、かけたよ」

 段ボール箱の中身が四分の三くらいになったところで、つばさくんはやり切ったような表情を見せた。

「おつかれさま、じゃあちょっと休憩して、屋上に行こうか」

 私が労いの言葉をかけると、つばさくんは私の目を見つめて、首を横に振った。

「きゅうけいしなくていいから、いますぐいきたい」

「そっか、じゃあ行こう」

 私は出来上がったひこうきを別の段ボール箱に丁寧に詰め、抱え込むようにその箱を持ち上げた。

 それを合図にして、つばさくんは立ち上がり扉に向かった。そして、その気が利く少年は何も言わずに、扉を開けて固定した。

「ありがとう」

 私の言葉につばさくんは何故か照れくさそうに、頷くだけだった。

 扉からでると、つばさくんは走って、屋上へと続く階段を上っていった。

「走ると危ないよ」

「大丈夫! 」

 いつもは素直なはずなのに、彼は威勢よく階段を駆け上がっていくだけだった。私はつばさ君が何かに焦っているように感じた。

 少し遅れて三階につくと、つばさくんがお母さんと話しているのが見えた。お母さんは私に気づくと、駆け寄り話しかけてくれた。

「なつきさん、翼がいつもお世話になっています」

 どうやら私のことは知っていてくれていたようだ。

「いえいえ、こちらこそ つばさくんが来てくれて、施設長や他のスタッフも喜んでいますよ」

 私が笑顔で返すと、お母さんは申し訳なさそうに頭を下げた。

「この間は翼がすみませんでした それに今日もわがままに付き合わせているみたいで……」

「いえいえ、そんなそんな」

 私は一瞬、どのように返答したらよいのか迷ってしまい、ただ首を横に動かすだけだった。

 そんな私を見て、お母さんは続ける。

「あの子、おばあちゃんが亡くなってから、心を閉ざしてしまったみたいで、家でもほとんど笑わなくなってしまって、でも、最近はここから、帰ってくると、決まって、今日は“かえで”でこんな本を読んだんだよ、こんなことを教えてもらったんだよって目を輝かせながら、話してくれるんです」

 お母さんの話は私の心の奥を熱くさせるには十分だった。でも、涙はみせない。もう、あの夜のただ泣いているだけの私ではないのだから。

「おねえちゃん、はやくはやく」

 階段のうえから、私を急かす声が聞こえる。その声を聴いて、お母さんは笑いながら、つばさ君の方ではなく、私を見て、言った。

「翼をよろしくお願いします」

 今度はさっきとは違う。目を見つめ、意気揚々とそれに答えた。

「はい!任せてください」

 抱えこんだ未来の葉が箱の中で静かに微笑んでいるような気がした。


 屋上の扉を開けると、広大な自然とその奥のニュータウンが私たちを出迎えてくれた。

 ひこうきたちは、ゆるやかな風に命を吹き込まれたのか、段ボール箱の中で静かに揺れている。

 空では帯状の雲が一直線に伸びていて、私たちのために滑走路を作ってくれているように見えた。

 私は持っていた段ボール箱をつばさ君の横に置き、そして、ひこうきを一機、取り出した。

「投げ方はわかる?」

 つばさ君は私の問いに対して、ただ首を縦に動かすだけだった。私は彼のうなずきに笑顔で答え、ひこうきを手渡した。

 つばさ君は手渡されたひこうきを指先でつまんで、離陸の態勢をとると、目を瞑り、深呼吸を繰り返した。

 そして、目を開け、私を見つめ、言う。

「ちゃんと届くかな」

 私は自信を持った声で答える。

「届くよ、必ず届く」

 つばさ君は私の言葉に安心したのか、ひこうきを手から離した。そして最初の一機が軌道に乗ったことを見届けると、彼は次へ、次へと力強く、軽やかにひこうきたちを飛ばしていった。

ひこうきたちは少年の指先から枝を伸ばすように、螺旋を描き、彼のおばあちゃんがいるところへと向かっていった。

やがて、そのか細い螺旋は時間をかけて幾重にも重なりあい、大樹へと姿を変えた。そして、ひこうきたちは翼としての役目を終えると、緩やかに解けていき、手紙となって、その宿り樹を彩る言の葉となった。

 つばさ君の瞳には、どのような景色が映っているのだろう。私と同じような情景だろうか、それとも自分の手紙が地面で花を開いてしまって、草木たちの肥料になるような情景だろうか。

そんなことを思って、私がつばさ君の方を向くと、彼は 視線を上にあげたまま 私に言った。


「おねえちゃん、本をやぶっちゃってごめんなさい」


「 いいよ」


 つばさ君の“ごめんなさい”に、私はなるべく優しい声で応えた。

そして人はいつまで経っても若葉だという立花さんの言葉を思い返した。


 あの夜から、この言葉の意味を私なりに考えてみて、感じたことがある。

 それは、“人はずっと若葉であるがゆえに、明日に向かって成長を続けることができる”ということ。

破られた本の頁はそのままだけれど、間違えてしまった現在はそのままではない。思い出や経験、後悔や戒め、色とりどりの落ち葉となって、ふかふかな大地をつくり、その上に新しい未来を咲かせてくれる。

だから大丈夫、もし、この楓の大きな樹が大空の向こう側まで届いていなかったとしても。

 明日に向かって芽を伸ばすことを諦めなければ、本当の最後が迎えにきたときにきっと、あの空に そよ風が若葉を届けてくれるから。

 

 

おわり

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そよ風は若葉を届けて ユキ @YukiYukiYuki312

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