第27話 迷宮の予感
夜営を開始から、恐らく数時間が経った。
皆はテントに入り、程なく寝息が聞こえてきた。
「うむ。どこでも寝られる事は、冒険者にとっては必須の技能だ。なかなか経験をつんでいるな」
俺は満足し、結界越しに外の様子を伺った。
この結界には自信があるが、それでも完璧ではない。
こうして俺が見張りしているのは、そのためだ。
「今のところ、異常はない。もっとも、異常があってからでは、遅いがな」
俺は小さく笑った。
夜中の迷宮は、相変わらず賑やかだ。
魔物どもは奇声を上げ、あえてそうしたのか逃げ遅れたのか、冒険者たちの大声が聞こえてきた。
「やれやれ、今日は交代制ではないからな。ほんの少しだけ、本気を出そう」
俺はそっと目を閉じて、辺りの気配を感じ取った。
一応探索の魔法はあるが、魔力を隠蔽する魔物も跋扈しているので、俺の神経から伝わってくる情報の方が正確だ。
代わりに休む暇がないというと事が、欠点といえば欠点だが、大した問題ではなかった。
「ん…人間一人とハーフエルフ、あとはドワーフだな。足音からして、かなりの重武装だ。あとは、この音は聞き覚えがある。ガイドのアランだな」
程なく聞こえてきた足音を分析し、俺は結界越しになに事もなかったかのように通過していった。
「アランもまた無茶するな。他の店だからなにも言わんが、俺だったら小言の一つでもくれてやるところだ」
俺は苦笑した。
アランは優秀なガイドではあるが、クレームの多さでも有名だ。
客の練度が低いのに一層の深部に向かったり、上級の冒険者たちには簡易防寒具だけで極寒の三層を進むなど、なかなかスパルタなヤツだ。
これで死者を出さないのが不思議なのだが、客に責任がある場合を除いて、一人として死者を出していないという、運がいいのか実力なのかよく分からないヤツだ。
「さて、深夜の迷宮サファリパークをやっている者はいいとして、引き続き警戒しよう」
俺が再び警戒に入って数時間という頃合いだ。
革の手袋をして、赤い腕章をつけた女性が結界をガンガン叩いた。
「なんだ、ビスコッティか。コイツは魔力に敏感だからな。気がつくのも無理はない」
俺は苦笑して、結界の一部に穴を開けた。
「あっ、やはりシュナイザーさんでしたか。また高度な結界を」
入ってきたビスコッティが、辺りをキョロキョロ見まわした。
「おいおい、ビズコッティ。世間話にきたわけではないだろう。早く用件をいえ」
俺の言葉に、ビスコッティがまたアワアワしはじめた。
「そうです。緊急の用件できました。お客様がこの先の毒の沼地で、木道から落ちてしまい、毒をもらってしまって…」
ビスコッティが弱り声で、ちょうど結界の穴からぐったりしている少女と、パーティメンバーと思しき面々が入ってきた。
「全員で六人だな。中にヒーラーらしき姿もある。あの程度の毒なら、簡単に解毒できると思うが…」
俺の言葉に、ビスコッティが答えた。
「はい、彼女はここまでで魔力が枯渇しているのです。再び魔力が回復するまで、とてももちません。どうにかなれば…」
ビスコッティが、なにかを祈るような目を向けてきた。
「全く、こんな時間まで遊ぶからいかんのだ。どれ、そこに寝かせろ。容態を診る」
俺が指示を出すと、ビスコッティの誘導で少女を肩で担ぐようにして、一人の戦士と思しき身なりの男が石の床に寝かせた。
「ちょっと待ってろ。さて…」
俺は横になり、浅く速く呼吸している少女をみた。
「沼の毒が変わっているな。オウヨモギシンからヘルニードルトキシンか…。よくここまでもったな。この年齢だと、即死してもおかしくなかったぞ」
俺は小さく息を吐いた。
「えっ、そんなものに!?」
ビスコッティが顔色を変えた。
ビスコッティは毒や薬に関しては、もはやプロ級の領域に達している。
俺が指摘した事を聞いて、顔色を変えるのは当然だった。
「お前なら注意していれば、かすかな臭いでも毒の変化で気づかないはずだが、珍しいな」
俺の言葉に、ビスコッティがその場で崩れてしまった。
「よし、さっそく治療にかかろう。いっておくが、これは慈善事業ではない。この子に対する代価として後遺症が残るが、とりあえず生きている状態にするか。または、完全に治癒させるかを選んでくれ。こっちは、ガイド同士の話になる。ビスコッティ、お前はガイドだよな。自分の客がこうなった場合、どうするかは分かるな?」
俺の言葉にビスコッティが体をビクッとさせた。
「…ガイドライセンスの剥奪。そして、強制退店」
ビスコッティが小さく息を吐いた。
「あのな、お前マジで勉強をやり直した方がいいぞ。客が死ぬのは当たり前の世界なんだ。そんな事をしたら、あっという間にガイドなんていなくなるぞ。それは、故意に事故らせたり、勝てない魔物と戦わせたりした場合だ。ビスコッティには、公的な処罰はない。但し、ガイド同士は違う。まあ、それはあとにしよう。今のはただの説教だ」
俺は笑みを浮かべ、少女のパーティの面々を見た。
「よし、決まったか?」
俺が問いかけると、全員が頷いた。
「コイツはスコーンっていうんだ。今回は魔法戦力が欲しくて、村で休息中のパーティから無理いって借りてきたんだよ。まあ、それは別として、今は同じパーティのメンバーだ。有り金全部叩いても今は手持ちが少ない。不足分は地上に戻ってから渡す。噂のビルヘルム堂だろ」
戦士は小さく息を吐いた。
「分かった。ビルヘルム堂は、いつも銀貨だ。金貨なんてもらってしまったら、オヤジに怒られてしまう。銀貨三十枚で構わん。後は任せろ」
俺は笑みを浮かべ、さっそくスコーンの側に座った。
「よし、男どもはあっちに行ってろ。冒険者でも、さすがに恥ずかしいだろう」
俺の指示に従い、男どもは一番奥の結界壁まで移動して座った。
「ビスコッティ、ハサミはあるか?」
俺の問いに、ビスコッティは鞄からハサミを取り出した。
「よし、俺では扱えないサイズだから指示する。まずは、服を正中線通りに切って、左右の布を退けてくれ。魚の開きみたいにな」
ビスコッティは、俺の指示通りにスコーンの服を切った。
「…これは、かなりマズいな」
スコーンの腹はどす黒い色に染まり、普通の医師なら諦めてしまうだろう。
しかし、俺はガイドだ。迷宮内にいるからには、案内しているパーティ内で他に手が出せない状況ならば、最善の手を尽くすのは当然だ。
それが、他パーティであっても変わらない。
「さて、治療にかかろう。まずは、オーソドックスに解毒魔法で…」
俺はスコーンの腹に両手を当て、最強クラスの解毒魔法を使った。
それによって、一時的に黒から肌色に変わったが、またすぐに戻ってしまった。
「ふむ…。ビスコッティ、落ちた時の状況を教えろ」
俺が問いかけると、ビスコッティが小さく頷いた。
「はい、落ちた箇所の水深が深かったので、頭まで浸かってしまいました。水を飲んでしまったかもしれません」
ビスコッティが小さく息を吐いた。
「なるほど。これでは、一般的な回復魔法は効かん。まさか、禁断の蘇生術を使うわけにもいかん。なんとかしたいが…」
俺は小さく鼻を鳴らした。
「えっ、蘇生術なんて使えるんですか!?」
ビスコッティが俺をキャッチして抱きしめた。
「バカ者、それどころではないだろう…。飲んでしまったか。普通ならそこで終わりだが、なかなかタフだな。気に入った。まずは、胃の中の毒素を抜こう」
俺が魔法を使うと、心持ちスコーンの腹がやや肌色になった。
「うむ。少しはマシになったようだな。魔法で出来るのはここまでだ。ビスコッティ、『祝福の聖水』を持っているか?」
俺が問いかけると、ビスコッティが頷いた。
「はい、持っています。回復魔法が使えない場合の保険として」
祝福の聖水とは、村に一件しかない薬屋で買える、最上級の回復薬だ。
値段は高いが用心深いビスコッティなら、一つは持っているだろうと思っていたが、案の定持っていた。
「よし、魔法陣を描くからちょと待っていろ。さて…」
俺はどこでも書けるチョークを取りだし、床に複雑な文様を描いていった。
「えっ、まさか蘇生術!?」
ビスコッティが俺の顔をみた。
「バカ者、生きている人に蘇生術などかけても意味がない。これは、その一つ下の完全回復術だ。魔法でいうならエクストラヒールだな。さて、準備が出来た。先の祝福の聖水をスコーンの全身にかけろ。補助薬だ」
俺は目を閉じ、呼吸を整えた。
魔法と呪術は全く違う。
似たような効果がある魔法でも、呪術の方がはるかに効果が高い。
細かい話は別として、お互いに安全装置があるのが魔法。お互いに安全装置がないのが呪術としておこう。
「出来ました。あとはどうすればいいですか?」
スコーンを全身ビショビショにしたビスコッティが、俺に声をかけてきた。
「なんだ、お前。よりによって、特大サイズか。どこから、金を調達したのか分からないが今はどうでもいいな。よし、ちょっと静かにしていてくれ。失敗すると、俺だけではなく、スコーンの体も吹っ飛びかねん」
俺はそっと呪文を口ずさみながら、両腕を前に突き出した。
魔法陣が徐々に光りはじめると、俺は右腕印を刻みさらに左腕でも所定の印を切り、魔法陣の明かりが最大限まで輝くと、そこで両手の平を合わせ、床のスコーンを指し示した。
「…アル・エファド」
呪文を最後まで詠唱すると、俺は細い息を吐いた。
「お、終わったの?」
ビスコッティが恐る恐る問いかけてきた。
「ああ、終わった。しばらくしたら起きると思うが、一時的に激しい筋肉痛で飛び上がると思うぞ。俺ももう痛い」
俺は苦笑した。
まあ、あれだけ騒げばカイルたちも起きるのは当たり前で、テント内で待機していたそうだが、俺が声をかけると、皆がぞろぞろ出てきた。
「よし、腹減ったな。メシにするか」
地上はまだ早朝という頃合いだろうが、そんな事は気にせず食える時に食う。
これも、冒険者たちの嗜みだ。
屋外用コンロで腕を振るアリアのメシは、当然ビスコッティがガイドをしているパーティにも振る舞われた。
しばらく雑談したあと、ビスコッティたちは再び迷宮に戻っていった。
「それにしても、シュナイザーはすっごい術が使えるんだな。驚いたぜ」
カイルが笑った。
「まあ、武器を持てない分、その補完で色々準備してある。まさか、本当に使う日がくるとはな」
俺は笑った。
「皆さん、そろそろ撤収しましょう。テントを片付けて下さい」
魔法使いのマージののんびりとした声が聞こえ、全員がそれぞれ作業を開始した。
「さてと、毒の沼地は危険だな。無難に避けていくか」
実のところ、毒の沼地は急いで一層に戻りたい時に使うルートで、ビスコッティが危険を承知でここを選んだのも納得だ。
しかし、今のところ俺たちは急いではいないので、少々遠回りになっても、なにも問題はない。
「うむ、ルートは決まった。罠はないが、魔物は出ると思う。肩慣らしにちょうどいいだろう」
俺は近くにいたカイルに声をかけた。
「なぁ、毒の沼地ってどんな感じなんだ?」
やはり気になるようで、カイルが問いかけてきた。
「そうだな…。危険度が高いので今回はいかないが、毒のお陰で強烈な臭気を漂わせていてな。ドラゴンですら近寄らないそうだ。渡る方法は一つで、木製の細い木の橋を使うしかない。魔物も罠もないが、あんな場所にあるわけがない。そういう場所だ」
俺は苦笑した。
「そうか、行ってみたいが、ガイドのいう事は聞いておくべきだ。さて、撤収作業が終わったらいくか」
カイルが笑みを浮かべ、テントを畳む作業に加わった。
「まあ、気になるのは分かるが、今回はダメだ。何回かここに潜って、慣れたらだな」
俺は笑みを浮かべた。
俺たちは、再び通路を進みはじめた。
ここまで臭ってくる毒の沼地へと続くルートを逆方向に進み、二層深部へと続く広めの通称大通りと呼ばれる場所に出ると、たくさんの冒険者たちで賑わい、コボルトたちが出店まで出しているという、相変わらず謎の迷宮だった。
「こりゃまた…。ここは町なのかと疑うな」
カイルが笑った。
「まあ、そうだな。変な材料は使っていない。適当に買い食いしてもいいな。俺は食える物が少ないがな」
俺は笑った。
こうして大通りを抜けると、再び狭い通路を歩きはじめた
途中何度か魔物と戦闘があったが、明らかにその数が少なかった。
「シュナイザー。なんだか変な感じがする。魔物が少ないのはいいとして、直感的に危険を感じる。ここらで撤収した方がいいかもな」
カイルがそっと呟いてきた。
「お前も分かるか。ここらで撤収して、地上で様子を伺った方がいいかもしれん」
俺は小さく息を吐いた。
「皆聞け。ガイドとしての意見だが、ここらで撤収しようと思う。もう少し進めば三層の入り口があるが、そこまで進んでしまうとダメだ。あきらかにこの迷宮に何かが起きている。反対なら意見を述べて欲しい」
俺の声に誰も反論なしで、今後の方針が決まった。
「うむ。地上へ戻ろう」
俺は笑い、きた道を引き返しはじめたのだった。
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