第5話:悪魔
「お願い、見ないで……」
僕は羽織っていた外套を外し、部屋の隅で震えているフィリアにそっとかけた。ガリガリに痩せこけた腕や顏、そして、美しかった亜麻色の髪は見る影もなくガサガサ。僕の知っているフィリアとは、まるで別人だ。
どうしようもない怒りと悲しさが一度に襲ってきて、声をかける事も出来ずに、僕は、外套の上からきつく抱きしめていた。
「……駄目、来たら駄目」
「え……子供?」
奥の部屋から出て来たのは、粗末な服を着た小さな男の子だった。裸足のままこちらに歩いてくる。
「ママ……」
――今なんて?
フィリアは僕を押しのける様にしてその子供を抱き寄せ、か細い声で静かに言った。
「私の、子供なの……」
「な……父……親は?」
僕は何を言っているんだ……他に聞く事が沢山あるはずなのに。
目を伏せたまま、震える手でまだ生暖かい死体の山を指さすフィリア。
――その時、僕の中で何かが崩れ始める音がした。
「どいつだ? この中のどいつだよ?」
「わからないの……」
「わからないってなんだよ!!」
声を荒げている自覚はあった。だけど僕もどうしようもなかったんだ。
「あの時……何人もで……」
声を絞り出そうとするフィリア。だが、発する言葉は断片的過ぎて的を得ない。いくつかの言葉をパズルのようにつなぎ合わせて、その時やっと、僕は僕の間違いに気が付いた。
あの日僕は『絶対に来るな』とフィリアに言った。恥ずかしさもあったと思うけど……ガキの意地で、怒鳴る様に言ったからなのだろう。フィリアが見送りに来るのを躊躇していると、そこにこの豚どもが強盗に入ってきた。
僕が呑気に『薄情だ』なんて言っている時に、僅か数百メートル離れたこの家の中で、フィリアは何匹もの豚に凌辱されていたんだ。
僕がもっと素直になっていればこんな事には……
「何で、何で逃げなかったんだよ」
「お父さん達が人質になっていたんだよ? おいて逃げられないよ」
「それでも……」
「助けようとしてくれた人は、皆殺されたの。私の目の前で……レトリのご両親も」
俺が悪かったのか? 俺の一言が?
――その時、崩れかけていた何かが、完全に瓦解した。
俺はそこに転がっている死体に剣を突き刺した。
「どいつだ?」
何度も何度も斬りつけ、耳を削ぎ目を繰り抜き、股間のモノを切り落とした。
「殺したのは! 犯したのは! どいつなんだよ!」
物言わぬ肉塊に怒りをぶつけている時、ふと、子供に目が留まる。俺の視線に気が付いたフィリアが、慌てて隠す様に抱き込んだ。
「ダメ、この子は、この子だけは……」
「なんだよ、この豚どもの種なんだろ? 望んで産んだんじゃねぇだろ?」
「レトリやめて、お願い……。そんなひどい事を言わないで」
子豚を掴もうとすると、フィリアは俺の手に噛みついてきた。ふざけんなよ。誰の為にやってると思ってんだよ!
あれ、誰の為だ? ……ああ、みんなの為だ。それが俺の戒律じゃないか。
俺は“その女”を殴りつけ、子豚の首を掴んで引き離す。床に落ちた”それ”を蹴飛ばし、壁に叩きつけた。そして無造作に剣を突き立てる。心臓を貫いた剣は床板に突き刺さり“それ”は静かになった。女は『悪魔』と泣き叫んでいたが、それは違う。悪魔は今、俺が殺したんだから。
……ところでこれってなんだったか。二匹の蛇。悪魔に突き刺した剣に、刻まれている紋章。
僕の戒律は『全ての民の笑顔の為』悪党を駆逐したんだ。みんな喜んでくれるよね。母さんも父さんも……もちろんフィリアも。
♢
「
あの後すぐに、僕はその場に倒れた。何故か体に力が入らず、呼吸しか出来なかったんだ。そんな僕を王都まで護送したのはグレイ。でもどうして? 僕は人々を守ったのに。
「準騎士グレイ、報告せよ」
「はい。かの村は四年程前から“双蛇党”と名乗る盗賊が入り込み、住民を人質にして口止めし、周囲に漏洩しない様に少しずつ占拠していきました」
――何か長々と報告をしているみたいだ。僕の村の事?
「盗賊の残りは辺境警備隊がアジトを襲撃、壊滅に追い込みました」
――ああ、まだ残りがいたのか。でも、これで村のみんなも安心だな。
「レトリ、子供を殺したお前を許したら……俺は戒律に背いてしまう」
――子供? 悪魔だろ、グレイ。お前なんで泣いているんだ? ……まあ、なんかもうどうでもいいや。
「最後に、残す言葉はあるか?」
何故だろう?
その時僕は、
「四年前の僕に伝えてくれ」
僕自身にも判らない事を口走っていた。
「
♢
「明日から寂しくなるね~」
「あれ、フィリアでも寂しいなんて事あるんだ」
「ああ、私じゃなくて。レトリが寂しがるだろうなって」
「はあ?」
「私と会えなくなって寂しいでしょ?」
「……うん、寂しい。なあ、フィリア」
「なぁに?」
「一緒に来てくれないか?」
まだ少し冷たいそよ風の中、亜麻色の彼女は微笑みながら口を開いた。
完
亜麻色の騎士 猫鰯 @BulletCats
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