12/03/22

深海くじら🐋『駅ヰタ【FAU】』🏫連載中

12/03/22

 十一月が規格外に暖かかった杜陸もりおかだが、師走の声を聞いてもその異常さは変わらない。例年なら輪郭が白くぼやけて建物と背景が曖昧に交じり合う雪景色のこの季節も、今年は彩度の低い街の地肌を晒し続けている。

 重苦しい雲が広がる空の下、水色のレインコートを着こんだ燈智トーチに手を引かれた涼子りょうこは、休日午後の大学構内を歩いていた。ほんの十五分ほどでにじんできた汗に、早くも涼子は自分の見立ての甘さを後悔し始めている。ただでさえダウンで着ぶくれなのにリュックの中身が多過ぎる。替えのおむつやウェットティッシュの他に、着替え、タオル、水筒、エプロン等々。なによりも邪魔なのは傘だ。氷点を越えた最高気温は空からの水滴を柔らかな雪に変えてくれない。無粋で冷たい雨。ちゃんと空を冷やしてくれれば傘なんて気にしなくてもいいのに。そんなことを考えながら忌々しい曇天を見上げた。

 しかし、二歳児にとってレインコートと長靴でのお出かけはよほど嬉しいらしい。


「りょーたん、みてみてー!」


 図書館前の枯れた芝生の広場を見つけた燈智は母と繋いだ手を離し、歓声を上げながら駆け出した。昼頃に少し降ったみぞれの所為せいで芝や地面が黒く湿っている。重心が不安定で危なっかしいその後ろ姿は思わず見惚れてしまいそうになるのだが、転びでもしたらせっかくの可愛い服が汚れてしまう。涼子は小走りに駆け寄り後ろから息子の襟を捕獲した。遊んでもらってると勘違いした燈智は、大喜びで手足を振り回している。だが今はそれに構ってはいられない。今日は公園に遊びに来たのではないのだ。涼子はそのまま抱き上げて、息子がよそ見できないよう急ぎ足で中央食堂まで駆け込んだ。

 がらんとした休日の食堂を探検する燈智の気配を追いながら、涼子はスノーグラス越しにスマートフォンを確かめる。約束の五分前。時折思い出したように振り返る燈智は、見守っている母親の視線を認めてにぃっと笑う。涼子が笑顔を返すとそれを承認と受け取り、さらに奥へと進軍していった。

 壁の時計の短針が真横からほんの少し下に傾いだところで、エントランスにふたつの人影が現れた。こげ茶色のコート姿と真っ黒いダウンで膨れた小柄な影。食堂の一番奥に達していた燈智は、自分から視線を外して二人連れを見つめている母親を見上げた。


「リュウジくん、あのデータの解釈は、さすがにちょっと無理あるんじゃない? いくらリア充が嫌いだって、男性側の被害者意識が大き過ぎるよ」


「いいじゃん。少しくらいセンセーショナルな方がみんなにもウケるって」


「あのね。卒論はウケ狙いの漫談じゃないんだから」


 ゆかりんだって、と言いかけたこげ茶コートは奥に佇む場違いの母子に気づき、隣の女子学生の顔を伺った。


「そ。ファイン先輩。リュウジくんも知ってるでしょ。超絶美人で有名だった天津原あまつはら涼子ファインモーションさんだよ。ほら、きみの予備調査で好感度ダントツ一位だった顔写真のご本人。先輩、お久しぶりです。トーちゃんも、おひさしぶりのすけー」


 幼児に駆け寄りながら台詞の最後を言い放つ原町田はらまちだ由香里ゆかりは、その勢いのまましゃがみ込んで燈智をがしっと抱きしめた。突然の強襲に泣くべきか叫ぶべきなのかわからなくなった燈智は、硬直してされるがまま。


「えっと、はじめまして。俺、皆川みながわ笠司りゅうじです」


 後輩に抱擁され狼狽している息子を眺めていた涼子は、青年の話し掛けに気づき顔をあげた。


「あの……卒論の予備実験で学生証のお写真使わせていただきました。あと本実験でも」


「原町田さんから聞いてます。なんかとんでもない性格にさせられてたそうね。約束は守らないは告げ口はするは癇癪は起こすは……」


 少しずらしたスノーグラスの奥に光るあおい瞳に見つめられ、青年はしどろもどろに答えた。


「あ、あれは、容姿と性格の合計スコアが均質な五人に対する印象評価の実験で、ふぁ、天津原さんは容姿スコアが分散ゼロの満点だったから付与する性格も最低点の組み合わせにせざるを得なくて……」


 どうにかこうにか魔手から逃れて足元に抱きついてきた涙目の燈智の頭を撫でながら、涼子は続きを受け取った。


「結局はそのトンデモな性格も、容姿に軽く蹴っ飛ばされちゃったんですってね」


「そ。そうなんです。男子女子共に、女性に対して大学生たちが得る印象は性格よりも圧倒的に容姿の方に引っ張られてて。それに対して男性対象の印象は……」


「リュウジくん、バイトに行くんでしょ」


 俄然饒舌になった青年に、デイパックを背負しょい直しながら立ち上がった由香里が釘を刺した。

 あ、そうだった、と素に戻った青年は一歩下がって涼子に深々とお辞儀をしてから、論文が完成したら由香里経由でデータを送ることを確約して去っていった。


「ふぅん」


 しがみつく息子を抱き上げた涼子は意味ありげに含み笑いをする。


「あ、ファイン先輩。なんか間違った想像してるでしょ」


 燈智がずらした椅子の位置を正しながらエントランスに向かう涼子を追い、由香里も歩きだした。


「感じのいい子じゃない。新しい彼?」


 振り返らずに歩を進める涼子。はしゃぎまわって電池が切れたのか、燈智は母親に抱かれて早くも舟を漕ぎはじめている。追いついた由香里が横に並んだ。


「違いますよぉ。ゼミの同期。今日はたまたま卒論原稿の読み合わせで」


「たまたまの読み合わせで、お休みの日に研究室でふたりっきり」


 にやにや笑う涼子に、由香里は食って掛かる。


「いくらファイン先輩でも怒りますよ。リュウジくんとはそんなんじゃないんですから!」


「リュウジくん、だって」


「だ~か~ら~、違いますって!」


 ねえ、と同意を求めながら燈智に頬ずりする涼子と全力で否定する由香里。


「なぁんだ。やっとシンスケくんに見切りつけたのかと思ったのに」


「そっちとは相変わらず付き合ってますよ。だらだらと!」


 由香里は寒さで紅くなっている頬を膨らませて強弁してきたが、涼子はそんな虚仮脅こけおどしに動じる様子も無い。意に介すことなく流れるように言葉を紡ぐ。


「でも彼、ご家族の住む地元函館には帰らず杜陸市役所入ったんでしょ。住んでる会長屋敷はもともと新婚さんサイズの戸建てだしゆかりんちゃんも岩銀本店に内定決めてるんだから、今度の春くらいにはあるんじゃないの、プロポーズ」


「どうなんですかねえ。今のところそんな素振りは皆目まったくこれっぽっちも無いですね。毎日忙しい忙しいばっかりぼやいてますよ、あの御仁は」


 自分のペースさえ取り戻せば由香里だって相当な論客だ。涼子のボディブロウを軽くスウェイでかわすと、あっさり目先を変えてきた。


「そんなことより先輩、いろいろ回ってきたんですよね。どうでした。すみれさんとかイツロー先輩とかは」


 エントランスに立ち止まった涼子は、扉を押し開けてくれている由香里のリクエストに応えた。


「報告したげるのはいいけど、そこそこ長くなるわよ。歩きながらってのもね」


 うち来る? と尋ねる涼子に、立ち止まって思案する由香里。しばしの沈黙から表情を転じた由香里は軽いステップで追いつくと、母子にこう言った。


「あたし、お腹減ってるんです。朝ごはんからこっち、なんにも口に入れてないんで。だから先輩さえ良ければ、久しぶりに行きませんか、高島屋」





 夕方にはまだ早い店内は、三人の他に客は誰もいなかった。案内された奥の座敷席に座布団を重ね、涼子は寝入っている燈智を静かに置いた。ダウンを投げ出し膝でにじり寄った由香里が、幼児の顔を覗き込みながら頬にそっと指を触れる。


「うわっ。やわらか! なんですか、この弾力は。ぷにぷにですよ、ぷにぷに」


 初めは恐々こわごわだった由香里の手つきも幼児の無反応をいいことに大胆になり、終いには指の腹を下ぶくれの頬にうずめてくる始末。そんな狼藉は放っておき、涼子はメニューを眺めている。


「んー、これが二歳児の実力か。まさしく天使の寝顔。そういえばトーチくん、碧眼へきがんさんなんですよね」


「私よりずっと碧いわよ。並んだら私のが普通の日本人の瞳に見えるもの」


 顔を上げて答える涼子に由香里は、またまたぁと手を振った。


「ホントよ。この前渋谷でふたりでプリクラ撮って、いっくんに確かめて貰ったんだから。少なくとも色素はデュークの血の方が濃いかな」


「将来はモテまくるんだろうなぁ」


 向かいの席に移って足を投げ出した由香里は、羨ましげにそう呟いた。幼児の母親は、否定もせずに淡々と応える。


「その手の苦労はしないかな。今も愛想良いしね。まあ、本人が普通の恋愛望むんなら無双でしょうね」


「なんですかそのお墨付きは。でもまぁ当然っちゃあ当然ですけど。なにしろ母親はファイン先輩で、父親はイケメンの英国紳士ですもんね。オマケに実家は両家共に極太で、生まれた時からバイリンガル。チート過ぎで涙が出ますよ、まったく」


「あら、ゆかりんちゃんの子どもだってきっと可愛いわよ。シンスケくんにしても別に醜男ってワケじゃないし」


「 な ん の 励 ま し に も な っ て な い 」


 深い溜息を漏らした由香里は店員に目を合わせ、声を掛けた。


「ひっつみ定食、ふたつお願いします」





「どこから話そうかしら」


 はふはふと頬張った熱々のひっつみをゆっくりと咀嚼し飲みこんでから、涼子は口を開いた。


「やっぱり時系列がいいわよね。うーん、そうだ。あれ試してみようかな」


 背筋を正して目の前に手を伸ばした涼子が、厳かに詠唱した。


「イキュラス・エルラン!」


 驚愕し、声を失う由香里。ふたりの眼前に炎の額縁が……。


「やっぱりアニメみたいにはいかないわね」


 何も浮かんでいない目の前の虚空を一瞥した涼子は笑った。


「トーチが好きで、一緒になってよく見てるのよ」


あせったぁ。ファイン先輩なら異世界魔法でも使えちゃいそうな気がするから、本気で信じかけましたよ」


「んふん。ありがと。でもこの世界では、やっぱり自分の口で話さないと伝わらないのよね」


 箸を置き、隣で眠りこけている燈智の髪をそっと梳いてから涼子は話し始めた。


「すみれはサンノゼ空港まで迎えに来てくれたの。バイクで来るかと心配したんだけど、ちゃんとレンタカーで。トーチが元気だったからそのまま動物園のある公園に連れてったくれたわ。化粧っ気はほとんどなくて、なんか逞しくなってて。研究のお仕事はエネルギッシュにこなしてるみたい。でもプライベートがポンコツなのは相変わらずだったかな」


「すみれさん、こっちに帰ってくる予定は無いんですか?」


「どうかしら。いずれは日本で暮らすつもりでしょうけど、今のところは全然考えてないんじゃないかしら。向こうに戻ってお仕事はじめてまだ二年半しか経ってないから」


「イツロー先輩とは……?」


 気持ち声を落として尋ねてくる心配顔の由香里に、涼子は破顔して応えた。


「あのバカップルはチャットやビデオ通話で毎日繋がってるそうよ。年に一、二回らしいけど、会えるときには数日かけてフル充電してるって言ってたから、問題ないんじゃない?」


 敬愛するふたりの変わりがないことに安心した由香里は、最前自分に飛んできていた矢を握り直して、ここにはいない超遠距離カップルに投げつけてみたりする。


「でも、すみれさんも大台乗っちゃったし先の話も考えたりしてないのかなって、外野はつい考えちゃいますよね」


「すみれは元々子どもが苦手なのよ。自分がこまっしゃくれて生意気なガキだったから。でもね、今回三日ほど一緒に居たんだけど、あのトーチにべたべたで。この子も綺麗なお姉さんは大好きだから懐いちゃって、別れ際にはふたりとも大泣きよ」


 あれで少し火が点いちゃったかもね。涼子はすみれの話をそうやって締めて、箸を持ち直した。





「東京ではいっくんに会ったわ」


 定食を半ば平らげたところで、涼子は再び話し始めた。


「元気でした? イツロー先輩」


「普通にしてたからたぶん元気なんじゃないかな。スーツ着てた以外はなんにも変わってなかったわよ」


「へえ。イツロー先輩スーツ着て仕事してるんだ。へえ」


「あら、シンスケくんは着てないの? スーツ」


「着てませんよ。初日以外見たことない。なんか、市役所は服務規定ドレスコードが緩いみたいなんです。最近は、毎日同じのラクそうなコーデュロイにチノパン、ジャンパーで通ってますよ」


 大袈裟にかぶりを振って由香里は即答した。そのリアクションに、ツッコミどころとばかり涼子が打ち返す。


「あら。毎朝お見送りしてるのね。ご馳走様」


「ち、違います。あたしの知ってる限り、ですから」


 語るに落ちた由香里を含み笑いでスルーして、涼子は話を戻す。


「いっくん、九月いっぱいで研修は終わったんで、今は本社のいろんな部署でアシスタントしてるんですって。噂だと、来月あたりから赴任地が決められて四月からの本格業務の準備に入るんだとか」


「じゃあ、どこに飛ばされるかはまだわからないんですか」


「一応、北米西海岸を希望してるけど希望通りになる当ては期待薄って言ってた」


 立て直しに必死な由香里の無難な質問にも丁寧に答える涼子。可愛い後輩相手なら、そのくらいの気遣いはしてやれるということか。


「今は憶えることばかりで充実してるし、それはすみれも同じ。どこに赴任してもすみれとは繋がってるから大丈夫、とか甘っちょろいこと言ってるから、こっちが恥ずかしくなっちゃった」


 やってらんない体の涼子の様子に、由香里も思わず吹き出した。


「でもね。私がサンノゼで撮ってきた動画や画像は食い入るように見てたわよ」





 そういえば、と由香里が切り出した。


「今日ファイン先輩と会うんで、あたしもひさしぶりに連絡とったんです、エスポーにいるまーやと」


「弥生ちゃんね。アールト大学でしたっけ。フィンランドの」


「アアルト大学。音引きしないでって釘刺されちゃいました。そこのビジネス学部で美術館や文化施設の運営管理を勉強してるって」


「彼女、コロナで留学が一年遅れちゃったから、まだ二年生になったばかりよね」


「ええ。でもおかげで英語の勉強や情報収集はしっかりできたって言ってましたよ」


 頷く涼子の優しい表情に由香里も安堵する。と、涼子の瞳に狩猟者の光が灯った。


「彼女の理想、向こうでは花開いてるの?」


 想定の質問だっただけに、由香里もそのあたりは弥生から聞き出している。数少ない不得意な分野ではあったが。


「まーや曰く、極めて理想に近い、だそうです。復活したあの秋からの杜陸での二年間、結局三人、それも飛び飛びでしかお付き合いできなかったのが、エスポーに行ってからは、この一年余りで十人を超える彼氏ができたって喜んでました。まったく、いいんだか悪いんだか」


 涼子は笑顔で聞いていた。おそらく本心から喜んでくれているのだろう。

 由香里は涼子の反応に、自分では決して到達できないであろう懐の深さを感じ入っていた。





「ところで先輩、今日がなんの記念日だか知ってます?」


 ふたりともほぼ完食し、起きてきたときのために取り分けておいた燈智の分も涼子が食べ終えたあたりで、由香里が唐突に話を振ってきた。だが、涼子の反応は早かった。


「あら、ゆかりんちゃん博学ね。そんなことも知ってるなんて」


「え? ファイン先輩、気づいてたんですか」


 流れを読み切っていたかの如き涼子の対応に思い切り想定を外された由香里は、思わず会話の主導権を手放した。


「カレンダーの日、でしょ。明治五年から翌六年の年越しで、それまで使ってた太陰暦、渋川春海しぶかわはるみが天文台つくってまでして打ち立てた暦ね、その労作を新政府が西洋に合わせた太陽暦に改暦したってお話。ご先祖様が天津原を名乗ったのが太陽暦最初の年だから、うちの古文書にも書いてあるの。でもびっくりよね。明治五年の十二月三日かと思ってたら、いきなり明治六年元旦になってるとか」


「なんという力業ちからわざ。師走が二日しか無いなんて」


「それまで連綿と続いてきた長い物語と新しく始まる未知の物語が交差した結節点。それが明治五年十二月三日。だから今日、十二月三日はカレンダーの日」


 どう? 当りでしょ、とドヤ顔を向ける涼子に、由香里は毒気を抜かれてただ感嘆する。


「はぁあ。今日ってそんなたいした記念日でもあったんですねぇ……」


「あら。違うの?」


「あたしが知ってるのはただの語呂合わせの方ですよ」


 そう言って、由香里は椀に残した最後のひっつみを箸で持ち上げて見せた。


「ひとつ、ふたつ、みっつの読み替えで『ひっつみ』。だから今日はひっつみ記念日、ていう安直なやつで」


 意気消沈し、本来なら注目を集めるはずだった冷めたひっつみを口に放り込む由香里に、涼子が笑いかける。


「それで高島屋だったのね。ひっつみの日。いいじゃない。ほっこりしてて罪がない。聞いた? トーチ。十二月三日はひっつみの日なんだって。これからは毎年食べようね」


 健やかな寝息を立てる燈智の頬を撫でながら子守歌のような節で語りかける涼子を見つめながら、このひとは本当にお母さんなんだな、と由香里は思った。





「当分は遠出もしないから、たまにはうちにも遊びに来てね。ゆかりんちゃんとシンスケくんならいつでも大歓迎だから」


 上田通のマンション前で、由香里は母子を見送った。結局眠ったままだった燈智の手を持ち上げて、涼子は由香里に手を振ってくれた。

 トーチくん、今夜は夜更かしさんになっちゃうかな。そんなことを巡らせながら、由香里は内丸の自宅に足を向ける。


 いつの間にか雨が降り出していた。少しみぞれ混じり。夜にはいよいよ雪になるかもしれない。街灯が灯る中央通りを折り畳み傘を片手に歩く由香里の目の前に、沿道のコンビニから出てきたばかりの見知った顔が現れた。リュウジだ。


「お、ゆかりんじゃん。今帰り?」


「うん。ファイン先輩とはさっき別れたばかり。てか、こんなところでなにやってんの? サボり?」


「莫迦言え。これもバイトの一環だよ」


 リュウジの手に煙草二箱が握られてるのを目敏く見つけた由香里が台詞に被せた。


「リュウジくん、煙草吸うんだ。不良ぉ」


「違う違う。これを社長に頼まれたの。急な仕事の準備で手が離せないからって。知っての通り、俺は煙草やらないし」


 じゃ、急ぐからまたな。そう言ってリュウジは傘も持たずに足早に去っていった。小さくなるこげ茶の背中を見送りながら、しばし由香里は思考に沈む。


 そう言えば彼はまだ就職先が決まってなかったはず。こんな時期なのにバイトばっかりしてて大丈夫なのかな。ま、他人事ひとごとなんだけどね。彼の人生は彼の物語。あたしのとは全然別。


「長く続いた物語と新しい物語が交差する結節点、か」


 そうぼそりと呟いて踵を返した由香里は、自分の目的地へと続く濡れた歩道に足を踏み出した。


(了)

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