最終話

 千里の問いに、北条が回想しつつ話す。

「彼は一週間前に自分が書いた脚本をスクール宛てに送ってきたことがあるんです。講師の感想をぜひ聞かせてほしいと。粗削りでしたが中身はまあまあでしたので、そのことを伝えようと電話したら女性が出たんです。直後に大きい音がして、女性のうめき声と男性の激しい息遣いが聞こえてきました。女性の声がしなくなったあと、電話は切れてしまいました」

北条は千里を見つめ、先を進める。

「翌日に殺人事件があったことを知って、現場が送付状にあった住所と同じだと気づいた私は、菊池君がやったのかもしれないと思いました。しかも、死体が逆さ吊りになっていたのを聞いた私はシンパシーを感じ、彼の携帯番号に連絡して昨夜のことを話し、通報しないことを約束すると犯行を認めました。それから私は全てを明かし、匿う代わりに仲間にならないかと誘ったところ、案外快く受け入れてくれましたよ」

事の過程を聞いた千里は見定めた。

「やっぱり菊池の言ってた“あの人”も、スマホに残ってた非通知の相手もお前のことだったのね。なんであいつが競技場にいることがわかったの?」

「警察に追われていると言っていたので、あそこで合流しようとあらかじめ連絡していたんです。夜は人がいないですし、隠れるには最適な場所だったので。だから最初は殺す気なんてなかったんですよ。来てみたら驚きました。すでに緋波さんがいるんですから。捕まっても私のことはしゃべらないと話してたんですが、万が一暴露されると困るので殺しました。別の殺人用にと交番から奪って持ってきた銃を使う羽目になりましたが・・・」

北条は醜悪な薄笑いを浮かべて教える。

「緋波さんは故意に殺さなかったんですよ。足止めできればいいと思いましたから」

そんな北条に千里は言った。

「菊池は逃走先のネットカフェでいろいろ検索してたわ。お前の話を聞いて気になって調べたのかもね。シナリオの学校や蓮が通ってた高校、それに大学」

「大学・・?ああ、川合教授のことですか」

千里が北条の脳内を察した。

「私の推測だけど、その川合も標的にするつもりだったんじゃない?」

さらに笑みを深めた北条が拍手する。

「ご名答。さすがです。蓮君の話によれば、川合さんは彼を戒めたらしいじゃないですか。それを思い出した私は、人格者を気取るあの男を、最も凄惨で斬新な方法で殺してやろうと決めて、川合さんの行動を調べ始めていました。菊池君にも協力してもらおうとしてたんですけどねえ」

北条は肘掛けに頬杖をつくと、千里が訊いた。

「七節署の松原とは付き合いがあるんでしょ?」

「はい。ありますよ」

あっさりと北条は認めた。

「二年前から?」

「ええ。さっきから松原さんと連絡取れなくなっちゃいましたけど」

「死んだわ。自殺よ」

千里が言うと、北条はやや目を見張った。

「そうですか・・。役立つ情報くれてたのに・・・」

北条が片手で後頭部を撫でた。

「松原に捜査情報流させてたのね。お前との関係は?」

詰問する千里に、北条が経緯を答える。

「私が殺す相手を探していたときですかねえ。見ちゃったんですよ、松原さんが酔って寝ているサラリーマンから財布を抜き取ってるところを。パトロール中の警官に呼び止められた彼が手帳を見せて名乗っていたので、彼も警察官なんだとわかりました。その場は上手く言い逃れていましたが、これは活用できると考えた私は、松原さんに接触して、スリの現場を撮影した動画をネタに、私が知りたい情報を教えるよう、取り決めさせました」

「松原にスマホ渡したでしょ。直接あいつに連絡すればいいのに」

「取り決めをした当初は直接かけていました。けど、中国で使えるスマホを見つけたんで、試しに」

「間違った判断だったわね。そのスマホでここが特定できたのよ」

千里が言うと、北条は細く息を吐いた。

「実用的だと思ったんだけどなあ・・・」

どうしても、北条の口から明らかにしたいことがひとつ、千里にはあった。

「まだ話してないことがあるわよ」

表情が一層厳しくなった千里が、自身にとっての核心に触れる。

「二年前、お前は梨恵を殺した」

「妹さんね。ええ、殺しましたよ。私が手掛けた第一の“作品”です」

北条は顔色ひとつ変えずに告白した。

「どうして!なんの関係もないのに!」

千里が激情をあらわにした。

「確かに関係ありません。でもね、あれは緋波さん。私にとって脚本を書く上でいい題材になってくれたんですよ」

「え?」

意味がわからない千里に、北条が説いて話す。

「その頃、私は家族を殺されて苦悩する刑事を主人公にした本を書いていたんですが、リアリティを追求したい私には、主人公の心情がどうも書けなかった。警察監修の知人に訊いても、そういった体験をした警察官とは会ったことがないとの答えでした。そこで考えついたんです。だったら、本当に刑事の家族を殺せば、その刑事はどういう反応をするのか、少しは心情がわかるかもしれない、私の欲望も満たされて一石二鳥だと。最初は松原さんの家族を殺そうと思いましたが、初めて殺人を犯すのならば相応の人間にしたかった。それで松原さんに、周辺で目立った刑事はいないかと訊ねました。上司の方針に反対して、蓮君の事件の捜査をしている本部の刑事がいると彼は話していました。緋波さん、あなたですよ。適任だと感じた私は、松原さんにあなたの素性や親類関係を調べさせ、妹さんの存在を知りました」

北条は音のないため息を漏らすと続ける。

「あのときは興奮したなあ・・・」

そして、汚らわしい声で言った。

「妹さんの指もありますよ、もっとじっくりご覧になりますか?」

千里が拳を強く握る。

「そんなことのために梨恵を・・・」

炎のような怒りが込み上げ、身体が熱くなっていくのを感じた。

「緋波さんが以降どうしていたかは、松原さんから逐一聞いていました。ですが、もう一押し欲しいと思った私は手紙をつづり、妹さんのパスケースと一緒にあなたの自宅へ届けました」

「じゃあ、あれはお前が」

「ええ。予想していたよりダメージが大きかったようですね。松原さんの話によれば、あなた、そのあとどこかの病院に入院したそうじゃないですか。しかし、おかげで私はいい本が書けました」

薄ら笑いを浮かべる北条に、千里はうつむいた。

「もういいわ。話はおしまい」

囁いた千里は、ホルスターから特殊警棒を取り出し、強く振り下ろした。そして、激しい憎悪を秘めながら北条を見据えると、一歩ずつ近づいて行った。北条は拳銃を両手で握り、千里の顔を狙って引き金を引いた。その瞬間、状況が一変した。負傷した親指の痛みから手元が狂い、北条の撃った弾丸はわずかに弾道を外れ、千里の頬をかすめた。その隙を突き、素早い動作で警棒を巧みに操った千里は北条を押し倒し、組み伏せたあと、拳銃を奪って北条の後頭部に銃口を強く押し当てた。

「撃ちたいなら撃ってください。それであなたの気が済むなら」

北条は忌まわしく哄笑した。唇をきつく結び、瞳孔が大きく開いた千里は、黙って撃鉄を起こした。


 倉庫の前に、赤色灯を光らせた数台の覆面パトカーが止まる。滝石と諸星以下、複数の捜査員が拳銃を構えて一斉に倉庫内へ入っていく。滝石と諸星が奥へ足を進めると、横倒れになったワークチェアの近くの鉄柱に、後ろ手に手錠をかけられ、顔を伏せた男が地面に座っていた。滝石が男の顔を上げると、北条だった。わずかに開いた口は浅く呼吸をしている。

「北条さん・・・」

滝石が呟いた。気を失っている北条の顔は以前会ったときと違う、なにか普通とは異なる奇怪なものを滝石は感じた。

「これ・・。緋波警部は?」

地面に落ちていた警棒を拾い上げた諸星が辺りを見回す。滝石も捜すが、そこに千里の姿はなかった。


 千里は倉庫の屋上に来ていた。遠く正面から昇ってくる太陽を見ながら、撃鉄が起きたままの拳銃を持った千里は、銃口をゆっくり自分のこめかみに当てた。

「今、そっちに行くからね」

千里は微笑み、静かに目を閉じた。引き金に指をかけたとき、突如、女の声がした。

―生きて!

その声にハッと目を開けた千里の前に、梨恵が立っていた。今度ははっきりと輪郭が見える。

―生きて。お姉ちゃんは悪くない、後悔なんてしないで。私なんか忘れたっていいから、お願い、生きて。お願い、お姉ちゃん。

懇請した梨恵の全身が徐々に透けていき、そして完全に消えた。こんなことありえないと脳裏をよぎるも、二度と聞くはずのなかった妹の優しい声と言葉に、ひと筋の涙が千里の頬を伝う。力が抜けた千里はコンクリートの地面にへたり込み、項垂れた。

「忘れるわけないでしょ・・。梨恵・・・」

千里の眼から大粒の涙が溢れた。そして、肩を小刻みに震えさせながら嗚咽した。輝く旭光がひとりの刑事を温かく包んでいた。


 二日後、梨恵の墓参りを終えた千里が帰途につく際、小さな広場に出ると、背後から声がかかった。

「緋波さん」

千里が振り向くと、滝石が大きく手を振って走ってきた。

「滝石さん、なんでいんの?」

少々驚いた千里が訊いた。

「家宅捜索から署に戻る途中で緋波さんを見かけたもので」

「北条の?」

「はい」

滝石はうなずいて答えた。

「で、どうだった?」

「殺人に関する証拠がいくつか出てきました。あれだけあれば立件できるでしょう」

「そう」

今度は滝石が千里に訊ねた。

「彼はどうしてます?今、本庁で取り調べてるんですよね?」

「私はあれから一度も会ったことないけど、担当した刑事の話じゃ、全然反省した様子がないみたい。むしろ、誇らしげに自供してるって。まあ、そうじゃないかと思ってたけど」

当然ながら、千里の北条に対する憎しみは消えていない。

「でも、犯人を逮捕できたんです。自分が言うのもなんですが、これで少しは、妹さんも浮かばれるんじゃないでしょうか」

滝石の所感に、千里は黙したまま首肯した。

「そういえば聞きましたか?一ノ瀬総監と息子の清正警視正が退官されるそうです。どうやら一ノ瀬蓮の犯行や、彼を組織ぐるみで隠匿したのが捜査過程でわかったと、誰かが首席監察官やマスコミにリークしたようで、庁内や世間は大騒動になってますよ。それを受けて、検察がふたりに取り調べを行うとのことです」

話題を変えた滝石に、千里は即答した。

「知ってる。やったのは綿矢ね」

千里が解説を加えた。

「あいつははなからそのつもりだったのよ。ちょっとでも自分の非を回避しようとして、警察官僚のふたりを今ある地位から引きずり降ろそうとしたのね。前から疎ましかったのかもしれないけど、だから私に事件の真相を暴かせた。その前に発覚したり、告発されでもしたら、あいつも処罰される。それで考えて先手を打ったのよ。綿矢にとって梨恵の件は二の次で、あの親子を免職に追い込ませるのが本心、目的だった。あとで監察には、保身のために内密でなんらかの取引でもしたんでしょう」

「そう言われてみると確かに、どこからも管理官の名前は出てきてませんでしたね」

滝石が合いの手を入れた。

「綿矢みたいな老獪ろうかいがやりそうなこと。贖罪の気持ちなんて、あいつにはない」

不機嫌そうな千里に、滝石は気を転じようと質問した。

「緋波さんは今後どうなされるんです?一課に復帰されるんですか?」

「いえ、病院に戻ってしばらく休むわ。これでも私、まだ治療中の身だから」

本人にとっては自嘲めいたことを千里は口にした。滝石は姿勢を正すと、柔和な面持ちで右手を差し出した。

「またいつかお会いできれば、自分はそう思っています」

千里はその手をじっと見ていたが、やがて緩やかに摑んだ。

「いつか・・ね」

晴れやかに破顔した滝石につられて、千里も久方ぶりに純粋な笑みを浮かべた。


 滝石と別れた千里は閑静な道を歩いている。隣に視線を向けると、にっこりした穏やかな表情の梨恵が、姉を眺めながら肩を並べていた。妹を見た千里も笑顔を返したとき、“自分は独りであって独りではない”と心に感じた。千里はわずかに、だが確実に、人間らしさを取り戻しつつあった。

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ace Ito Masafumi @MasafumiIto

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