第12話

 両手に革製のドライブグローブをはめ、ロングのレインコートに身を包んだ黒衣の男が、千里に拳銃を向けたまま歯を見せて冷笑した。

「北条・・・」

千里がその男、北条柳吾を睨みつける。

「ようこそ、私の作業場へ」

北条が手を広げた。

「お前、小宮山を監禁したでしょ。犯人の声がお前によく似てたって、彼が供述したわ」

「あの状態で逃げられるとは予期してませんでした。水しか与えてなかったのに。彼がいなくなってから、いずれこの場所がバレるとは思っていましたが、意外と早かったですね」

気味悪いオーラを漂わせる北条に、千里は落ち着いた声で言った。

「一連の事件は犯人がふたりいる。そのもうひとりがお前だってことには気づいてた」

「なぜ私とわかったんでしょう?聞かせてください。緋波さん」

目を異様に輝かせる北条に、千里は説明した。

「お前と初めて会った日、お前が靴紐を結び直したときの結び目が、遺体を縛っていたロープの結び目と一緒だった。特徴的だったから覚えてる。最初は偶然かと思った。けど、事務員の話で疑いが濃くなった。私が来たとき、普段は事務員しか使わないパソコンをお前が操作してたのを見られてる。お前がいなくなってすぐに事務員が確認したら、三年前の受講者名簿が削除されてた。お前は、自分が初めて講義した体験講座の受講者を標的にしているのを知られたくないために当時のデータを消して、それ以降のものを私に見せた。でも、詰めが甘かったわね。事務局は紛失時に備えて、ネットのクラウド上にも名簿を保存してたのよ」

「そうでしたか・・。さすがにそこまでは知らなかったな・・・」

呟いた北条に、千里は続けた。

「もうひとつ、五件目の事件のとき、遺体を遺棄する様子がドライブレコーダーに記録されてた。映像で犯人は右手を下に振ってた。あれは痛がってる仕草だと直感した。犯人は負傷してる。それで思い出したの。お前が靴紐結んでるとき、右手の親指に大きな絆創膏が貼ってあったのを。もしかしたらと思って被害者の歯を調べさせたら、強い力が加わった形跡が残ってた。つまり、お前は被害者に親指を噛まれた。絆創膏の下、ひょっとして被害者の歯形が付いてるんじゃないの」

千里が自分の右手を示すと、北条はうなずいた。

「あれはアクシデントだった。あの女、拉致するときに酷く抵抗してね。手袋を剥がれて、指がちぎれるほどに思いきり噛まれました。今も痛みが引かない、神経や骨もやられてるかもしれないな。」

北条は自虐的に笑った。

「被害者の歯に血液が付着してた。お前の血だな」

「でしょうね」

にやつく北条に、千里は補足を加える。

「怪我して扼殺が困難になったお前は、ロープで首を絞めて殺した。索条痕からして、地蔵背負いでもした?」

「おっしゃるとおりです。せっかくの獲物を手放したくなかった。地蔵背負いで殺すのは初めてでしたよ。本で書いたことはありましたが、現にやってみると意外と体を使いますねえ」

北条は淡々と返した。

「小宮山の名前を挙げて捜査を攪乱かくらんさせようともした」

「あー、あれ・・。彼の話を聞いて、利用できるんじゃないかと思ったので。成果が見えるかわかりませんでしたが。まあ、曽布衣町に行くついでに」

「曽布衣町・・、被害者が死んだのはお前と会った日・・。まさか、遺体積んだまま署に来たの?」

唖然とする千里に、北条の口元が緩む。

「だって、あの日しか殺すチャンスがなかったんですよ。小宮山君のことも早く伝えた方が、私に捜査の手が及ばないだろうと考えて、善は急げと行動したんですが、この状況になっては、やはり、それほど意味をなさなかったみたいですね」

「なんで小宮山をすぐに殺さなかったの?お前が彼に言った被験者ってどういう意味?」

千里の問いを、北条は手で制した。

「順序立ててお話ししましょうか。緋波さんだって聞きたいでしょう。私がなぜこんなことをしたのか」

「そんな余裕あんの?もうすぐここ、警官だらけになるわよ」

「話したいんですよ」

北条は千里に銃口を向けたままワークチェアに腰を下ろした。

「そう・・。人を殺すようになったきっかけは、一ノ瀬蓮ね」

千里が訊くと、懐かしむ表情になった北条は追慕するのと共に一気に語り始めた。

「ええ。二年前に蓮君と出会いました。彼は公園の片隅で野良猫の首を絞めていました。私が声をかけると咄嗟に手を放して、猫は息を吹き返して逃げていきました」

北条は続けて一気に語る。

「冷たい目をした彼に、私はこのことを他言しない代わりに理由を尋ねると、『近いうちに人を殺すから、これは予行練習だ』と言っていました。他者から見れば、常軌を逸していると思うでしょう。ですが私は、蓮君に感銘を受けたんです。長年、殺人の衝動に駆られながら、それをミステリーやサスペンスという形で書くことによって抑えてきた私にとって、初対面の人間に平然と殺人を告げる蓮君は、まさに聖人でした。私は自分が脚本家であることを明かし、そのことを伝えたところ、気を許したようで、話をしてくれました。小さい頃、保育士にカッターナイフを突きつけられたことを機に、初めて人を殺したいという欲求が湧いたことや、母親の存在が欲求を制御してたが、その母親が病気で亡くなってから、コントロールができなくなってきて、常日頃、威勢を誇示して、蓮君を厳しい言葉で責め立てる父親を困らせてやろうという思いも重なって、犯行の計画を練り始めたってことをね。後日、事件をニュースで知って、蓮君から計画の一部を聞いていたので、すぐに彼の犯行だとわかりました。あとで直接訊いたら、すんなりと認めましたよ。証拠に血痕が付いたナイフを見せて、これで指を切り落としたと言っていました。本当に蓮君は人を殺した、そう思った瞬間に、私も抑えていた衝動を開放したくなったんです」

「それで、三件目からお前が殺しを引き継いだ」

「蓮君が再び事件を起こしたあと、私も人を殺してみたいと彼に言いました。そうしたら、自分と同じ方法でやってくれないかと要望され、私はその頼みを引き受けました。殺害手段や遺棄の仕方を教えてもらい、手立てを考えていたとき、突然、蓮君が命を落としてしまった。私は彼との約束を果たそうと、殺す相手を探し出し、実行に移しました。麻酔薬を嗅がせて意識を失わせ、ここまで運び、ブルーシートの上に寝かせて両手で首を絞めました。あの感触は忘れられません。絞めたときに、少し意識が戻って苦しい顔つきになるんです。そして、首の骨が折れると、瞬く間に何の情もない顔になる。清々しい心地良さを感じましたよ」

千里の北条を睨む目が、さらに鋭くなる。

「あとは、指を切り落とし、裸にしてシーツを巻き付け、誰もいない場所にロープで死体を逆さに吊るせば、“作品”の完成というわけです。切った指は、ご覧のように保存してあります」

北条は小瓶の置かれた棚を指した。

「私も蓮君にならって、記念品として残してあるんですよ。これらを見ながら、殺したときの記憶を味わっているんです」

「そんなに衝動性が強いんだったら、二年間はどうしてたの?あの学校のサイトに載ってた経歴どおりだと、お前はその間、仕事で中国にいた。向こうでも誰か殺した?中国警察の知り合いに訊いたら、未解決の殺人事件はなかったみたいだけど」

「したくてもできなかったんですよ。私は日本でもやれると言ったのに、中国の制作会社にせがまれて半ば強引に・・。滞在中は、ほとんどホテルで缶詰め状態、それに、外に出れたとしても、日本以上に現地警察の監視が厳しい。殺人を行える環境ではなかったんです」

重く淀んだ空気が漂うなか、北条が続ける。

「帰国後に、スクールで小宮山君の質問を受けて、思いつきました。二年間考えていた殺害方法のひとつを彼で試してみようと。フッ化水素酸という溶液を口の中に流し込んで体内をドロドロに溶かすという方法です。人を溶かした事例がないそうなので、実験してみたくなったんですよ。被験者とは、そういう意味です。彼はこれからアルバイトだと言っていたので、その間に住所を調べ自宅の前で待ち伏せし、拉致しました。ただ、前もって注文しておいた溶液を作る材料の配送が遅れるとの連絡があったんです。私は早くこの殺人欲を満たしたかったので仕方なく、小宮山君をここに閉じ込めて、物が届くまで蓮君の殺害方法を続行することにしました。一度やっているせいか手順を覚えていたというのもありますし、道具も揃っていたので。相手を体験講座の受講者にしたのは、三年前に一回だけ教えた生徒ならば足が付きにくいと思ったからです。住所も容易に手に入りますしね」

両腕を広げた北条が誇らしげに言う。

「すごいでしょう私の発想力。人を体内から溶かすなんて、蓮君のよりセンセーショナルで残虐な殺し方だ。私はね、緋波さん。実際にこの手で人を殺したことによって、脚本のアイデアも以前より豊富に浮かぶようになったんですよ」

優越感に浸る北条の顔はすこぶる不気味だった。この男は自分と違う意味で人間性が欠落している。千里はそう感じた。

「でも、指の切断箇所が違ってた。ほかは統一されてたのに。その点は蓮から細かく訊いてなかったみたいね。だから私はもうひとり犯人がいると思ったの」

「蓮君からは『右手の人差し指を切れ』としか言われなかったからなあ・・、そうか、あのときの手振り。完全に誤解していた・・・」

思い起こした北条は、ため息を吐くと、拳銃を握った手を額に当てた。

「私や菊池を撃ったのもお前」

そう言う千里に、北条は口角を上げてワークチェアにもたれかかった。

「菊池君に関して言うと、端的に証拠隠滅ですよ」

千里が疑問を投げかける。

「だいたい菊池との接点はなに?」


 その頃、数台の覆面パトカーが赤い流線りゅうせんを描きながら駆け抜けるように倉庫へと向かっていた。諸星を助手席に乗せてハンドルを握る滝石は、アクセルを踏み込んで加速度を上げた。言いようのない不安と焦燥に胸がさいなまれ、今にも心が押しつぶされそうになっていたからであった。

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