第11話

 日が沈み、喧騒が収まりつつある会議室に千里が戻ってくるが、出入り口にはバリケードテープで規制線が張られており、中に入れなかった。そこへ、滝石と諸星が近づいてくる。

「スマホ、なんとか解析できました」

諸星が証拠品袋に入ったスマートフォンを顔の前にかざした。

「なにかわかったの?」

千里が訊くと、諸星が説明を始める。

「破損してますが、SIMカードは無事だったんです。だけど、契約者を調べたら、プリペイドのようで、誰かはわかりませんでした。鑑識さんの話では、どうやらこのスマホ、本来は音声通話やSMSができないはずなのに、できるように改造した痕跡があったそうです」

諸星が人差し指を立てる。

「こっからが重要です。実は通話履歴が見つかったんです。日付や時間から見て、犯人が松原刑事に連絡した際の番号がありました。さっき、通信会社に情報開示を請求しました。もしかしたら、犯人の居場所がわかるかもしれません」

そのとき、会議室内にある無線機のスピーカーから声が聞こえてきた。

―七節PBからPS、応答願います。

無線は七節町の交番からだった。千里はバリケードテープを潜って歩き出した。高円寺ほか、捜査員たちの注意する怒声を聞き流して、無線マイクを持った。

「どうしたの?」

―先ほど警ら中に、ふらついて歩いている男性を保護したんですが、所持していた学生証から、諸星警部補が捜している人物と名前が一致したので連絡しました。小宮山隆史です。

「そいつ、こっちに連れてきて」


 七節警察署の取調室で、小宮山は滝石から事情聴取を受けていた。傍らで、千里は腕を組み、壁にもたれて話を聞いている。その様子を隣の部屋で、諸星と高円寺がマジックミラー越しに見ていた。

「小宮山さんは、自宅マンションの玄関先で何者かに布を押し当てられ、意識を失った。気づいたら、どこかに監禁されていた。そして、自力で逃げ出した。ということで間違いないですか?」

滝石が小宮山の供述内容を繰り返した。

「そうです」

頬がこけた小宮山は震えながら答えた。

「目隠しされて、口にガムテープ貼られて、手足縛られて。何日経ったのかわからないくらい、長い間ずっと・・・」

「どうやって逃げたの?」

千里が訊いた。

「近くに鉄の柱があって、手で触ってみたら、角の一部が腐っていて、ノコギリみたいになってるのがわかって。誰もいないのを耳で確かめてから、その角でロープを切って逃げました。とにかく、あのときは一心不乱でした」

小宮山の手首には、拘束を解く際についたであろう切り傷があった。

「犯人の声とか聞きませんでしたか?」

滝石の問いに、小宮山は首を捻った。

「どっかで聞いたような声でした。『指のコレクションを見せてやる』とか、『自分の力で人が死んでいくのは興奮する』って耳元で囁くんです。『お前は被験者になるんだ』って意味不明なことも」

「指?それって、まさか。緋波さん、彼は今回の事件の犯人に監禁されてたんじゃ?」

推量する滝石のそばで、千里がゆっくりと机に身を乗り出す。

「北条柳吾って知ってる?」

「北条・・・」

小宮山が視線を左に向けた。

「あんた、北条に殺人犯の心理について訊いたんだって?それであいつ、本当にあんたが人を殺したんじゃないかって疑ってるわよ」

赤くなった目で、小宮山は訴えるように言った。

「俺は誰も殺してない!」

千里がうなずく。

「そうよね、あんたじゃない」

室内を周り始めた千里が続ける。

「充血した目、乾燥した肌、やつれた顔。病院で診てもらえばわかるけど、栄養失調の症状が出てる。そんな体じゃ、相手を扼殺するのは難しい。遺体を運んで吊るすなんて尚更できない」

悠然と歩きながら千里が小宮山に訊く。

「因みに二年前はどこにいた?」

「その頃は地方の実家にいました。東京に出てきたのは一年前です」

室内を半周したところで、千里は立ち止まった。

「滝石さんの言うとおり、彼は例の犯人に監禁されてた。すぐに殺さなかったのは、犯人の言った“被験者”と関係してるかもしれない。まあ、それは犯人に直接訊く」

千里は片手を机に置いて、小宮山に顔を向ける。

「で、どこに監禁されてたの?」

「七節町の倉庫街です。たしか、倉庫のドアには<9>って書いてありました」

隣の部屋で固定電話が鳴った。受話器を取った諸星は声を上げた。


 取調室のドアから諸星が顔を出して、千里と滝石を手招きする。

「ちょっと、いいですか?」

ふたりは小宮山を残して、取調室を出た。

「通信会社から返答が来ました。スマホの発信位置が特定できたそうです」

諸星がタブレットを操作しながら報告した直後、隣の部屋から出てきた高円寺が割り込んできた。

「おい!なんかわかったのか。俺にも話せ」

「後で諸星から聞いて。取調室に電話あるでしょ、あんたは小宮山を病院に連れてくよう手配して」

「はあ?」

千里の指示に、高円寺は露骨に不機嫌な表情をした。

「早く行けよ!」

取調室のドアを開けた千里は、高円寺を室内に押し入れて、バタンとドアを閉めた。

「場所はどこ?」

千里が諸星に訊いた。

「あっ、はい。ここです」

諸星はふたりにタブレットの画面を見せた。

「ここ、倉庫街ですよ。小宮山さんの供述と合致します。七節町で倉庫街は一か所しかないですから」

滝石が画面上の地図を指差して言ったとき、諸星がはっと思い出す。

「そうだ、警部に渡したい物が」

諸星は一旦、先ほどいた部屋に入ると、またすぐに戻ってきた。

「警視が唯一許していました」

それは、ショルダーホルスターに入った特殊警棒だった。

「渡すの遅いんじゃない?」

警棒を受け取った千里が破顔した。

「確かに、すみません」

諸星が申し訳なさそうに謝った。

「でも、今なら都合がいいか・・・」

千里は呟くと、諸星にも指示を与えた。

「このこと高円寺に伝えて、急いで捜索令状出してもらって」

「わかりました」

諸星は了解すると、取調室に入っていった。鋭い目になった千里が歩き出す。滝石は後を追った。

「もしかして緋波さん、ひとりで倉庫に向かおうとしてませんか?なら、自分も行きます」

足早に歩を進める千里に、滝石が並走しながら言った。

「私だけでいい。滝石さんは令状が出たら来て」

滝石が千里を追い抜いて、眼前に立ちはだかる。千里の足が止まった。

「管理官から聞きました。緋波さんのこと、妹さんについても」

「あいつ・・・」

千里は目を逸らした。

「諸星さんと話していてわかったんです。緋波さんと菊池を撃った犯人が、自分たちが追ってる犯人と特徴が同じだってこと。だとすれば、相手は銃を持ってることになる。倉庫に犯人がいたらどうするんですか。警察官だからって、女性ひとりでそんな所に行かせるわけにはいきません」

「女を理由にしないで」

不平を口にした千里に、滝石は声を張り上げた。

「緋波さんを死なせたくないんです!」

滝石の激した口調にも、千里の目は動じない。

「妹さんの復讐をしたい気持ちはわかります。でも罰するのは法律であって自分たちじゃない。緋波さん、令状の許可が出たら一緒に行きましょう。犯人がいるかはわりません。けど、重要な手がかりが必ず見つかるはずです。犯人を逮捕して実態を白日の下に晒すんですよ。だから復讐なんて考えずに、今回だけは自分の言うことを聞いてください。お願いします」

切実に滝石が説いた。千里は黙考したあと言った。

「わかった」

千里が踵を返す。

「どこへ?」

「何か飲み物買ってくる」

歩き去っていく千里を、滝石は安心したように見送った。

「ごめんなさい。滝石さん」

千里はひと言、声を発した。


 数分経ったが、千里が戻って来ない。心配になってきた滝石に、取調室から諸星が出てくる。

「捜索令状、許可が下りそうです。あれ、緋波警部は?」

途端、滝石が駆け出した。

「滝石さん!?」

諸星は呆気に取られた。滝石は自動販売機のある休憩所に行き着くが、千里の姿はない。さらに廊下を走っていく。署内の奥に、警察署の駐車場と繋がっている裏口があるのに気づいたからである。その裏口を出て、駐車場を見渡すが、制服の警察官が数名いるだけだった。(ひとりで倉庫街に向かったのでは)、そう思い、不安に駆られた滝石は千里を捜すため、痛んできた脇腹を押さえながら、署内へと戻っていった。


 闇に包まれた静かな倉庫街、覆面パトカーから降りた千里は、上着の下に警棒の入ったホルスターを身に着けて、準備を整えていた。すると、スマートフォンが振動音を鳴らす。電話は諸星からだった。

―警部、今どこにいるんですか?滝石さんが捜してますよ。

「倉庫」

―なに勝手なことしてるんですか。たった今、令状の許可が出ました。これから僕たちも向かいますから、動かないで待っててください。ああ、それと、小宮山が犯人の声が何者か思い出したそうです。

「誰?」

諸星がその名を伝えると、千里は案の定といった表情をした。

「私、先に行ってるから」

―ダメですよ!もう一度言います。なにもしないで待機してくだ・・・。

千里は一方的に電話を切った。スマートフォンを上着の内ポケットにしまったあと、真剣な眼差しで呟く。

「梨恵。私に最後の力を貸して・・・」

そして、倉庫街へと歩みを進めた。


 <9>と表記された倉庫の前に立った千里がドアノブに手をかけると、扉が開いた。ゆっくりと足を踏み入れると、そこは、外よりも静寂した薄暗く広い場所だった。山のように積まれた木製のパレットが点在している。長年使われていないのか、壁や柱が腐朽しており、すぐにでも崩れ落ちそうな状態だった。慎重に進んでいく先に、天井の中央部だけ照らされた蛍光灯の下にワークチェアが一脚置いてあった。座面の上には、折りたたまれたブルーシートが一枚とナイフが収められたケースが置かれている。隣にはスチール製の棚があり、三つの小瓶が並べられていた。その小瓶の中には、それぞれ水溶液に浸された指が入っていた。千里が近づこうとした瞬間、横から銃声が響いた。弾丸がコンクリートの地面に当たり、破片が飛び散った。千里が音のした方に目を向けると、人影が近づいてきた。

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