第10話

 翌日、七節警察署では、捜査会議が行われていた。綿矢の姿は依然としてない。捜査員たちは尽力して捜査に当たっているが、決め手となる報告は上がらず、状況は進捗しないまま、膠着こうちゃく状態に陥っていた。進行役の高円寺が、マイクで会議の終了を告げたとき、千里がそのマイクを奪った。

「これから名前挙げる人、前に出て」

「おい!どういうことだ」

訝る高円寺に、千里がマイクのヘッドを摑んで言った。

「確かめたいことがある」

「確かめる?なにをだ?」

高円寺の質問を無視した千里は、マイクで捜査員の名前を呼んだ。会議室にいた滝石や諸星も何事かと顔を見合わせている。すると、千里の目の前に刑事の男が三人、長机を挟んで横一列に並んだ。その中には、ネットカフェで会った刑事、松原もいた。

「三人とも装備品以外の私物、全部出して」

「なんでです?」

松原が訊ねた。

「やましいことがないなら出せるでしょ。ほら」

急かす千里に三人は渋々、手帳やスマートフォンなどを取り出して机の上に置いた。そのとき、制服の警察官がふたり、会議室に入ってきた。

「なにかあったのか」

深刻な表情で高円寺が立ち上がった。そのふたりの警察官。等々力とどろき森谷もりたには高円寺に敬礼すると、刑事たちの所持品を見ていた千里にも敬礼した。

「腕、上げて」

三人のうち、右端にいた刑事に千里は言った。

「えっ?」

その刑事が訊き返すと、千里が長机の脚を蹴る。

「いいから上げろよ」

威圧的な千里の言葉に、刑事の男は戸惑いながらも腕を広げた。

「やって」

千里が指示を出すと、ふたりの警察官は突然に刑事の身体を検め始めた。

「説明しろ」

高円寺は千里を睨んだ。

「地域課から呼んだ」

千里の返事に、高円寺は苛立った。

「そうじゃない!なんの意味があってこんなことしてるんだ」

等々力が千里に報告する。

「なにもありません」

「次、あんた」

千里が中央にいる刑事を指した。ふたりが再び身体検査をし出す。

「答えろよ」

高円寺の問いを千里は返さず、腕を組んで黙っている。

「ありません」

森谷は首を振った。千里が高円寺を見る。

「念のため、高円寺も」

等々力が高円寺のもとに駆け寄ってくる。

「失礼します」

「な、なんだよ!」

高円寺を等々力はボディチェックしたが、特に疑わしき物は見つからなかった。

「じゃあ、最後」

千里が松原を見る。森谷が服に触れようとしたとき、松原が咄嗟に後退った。右胸に手を当てている。その挙動不審な様子を見た千里は長机を横切ると、松原に歩み寄り、強引に上着の右内ポケットに手を突っ込んだ。出てきたのは、スマートフォンだった。

「これはなに?」

スマートフォンを示して千里が訊いた。

「すまない。出すの忘れてたんだよ」

松原は言い訳じみたことを口にした。

「なんで二台持ってんの?」

「そんなの俺の勝手だろ」

「これ、調べさせてもらうわよ」

「やめろよ!個人情報だぞ」

スマートフォンを傍らの長机に置いた千里が、経緯を説明する。

「七節町が警戒地域に指定された途端、犯人は別の街で遺体を遺棄した。警官だらけのここじゃ難しくなったから、でも、警戒地域のこと知ってるのは警察だけ、しかも、捜査会議で正式に通達が出る前に犯行が行われてた。もしかして情報が洩れてると思ったわ。気になって本庁に連絡したら、一番先に刑事課に知らせてたそうじゃない」

「確かに、俺が管理官から電話で聞いた。昨日も話したろ」

千里の後ろで、高円寺が言った。

「そのとき、刑事課にいたのは、この三人だけだったんでしょ。で、警戒地域のことを伝えた」

「ああ・・。まさか、三人の中に犯人と通じてる奴がいるってのか?」

高円寺は目を見開いた。

「犯行時間帯から考えて、犯人にそれを知らせることができるのは、高円寺を含めて四人。私、あんたらが仮眠してる間に刑事課の庶務係に訊いて、デスク調べさせてもらった」

「人のデスク、勝手に見たのか」

無遠慮な千里の行動に、高円寺の苛立ちが積もる。

「署内のパソコンじゃすぐにバレるし、そんな軽率なことはしないと思ったから、ほかに通信手段になる物探したんだけど、そういったのはなかった。だとすれば、本人が肌身離さず持ってるかもしれない。だから所持品を出させたってわけ」

千里がスマートフォンを顎で指す。

「これで、犯人と連絡取ってたの?」

松原はうつむいている。

「松原、違うよな。お前がやれるわけない。違うなら違うって正直に言ってくれ」

高円寺の部下を想う気持ちの片鱗が見えた。

「嫌疑晴らしたいなら、調べても構わないわよね」

千里の声に、松原は歯ぎしりをした。その瞬間だった。

「うわあ・・あーっ!」

松原は雄叫びを上げて、腰のホルスターから拳銃を抜いて、両手で構えた。銃口が千里に向けられている。途端に会議室内がざわめき立った。

「松原!やめろ!」

高円寺が怒鳴った。ほかの刑事たちも松原を制しようと必死に呼びかけた。千里は動じず、冷静な目をしている。松原は千里に向けた銃口をスマートフォンに移して発砲した。銃弾で穴が開いたスマートフォンが音を響かせて床に転げ落ちる。

「動くな。動くなよ!」

松原は拳銃を四方八方に向けながら、じりじりと後方に下がって行く。

「お前が犯人に捜査情報流してたの?」

千里が沈着して言うと、松原は立ち止まって、再び千里に銃口を向ける。

「二年前で終わってたはずなのに、こんな物寄越しやがって・・・」

松原は憎々しげに、落ちたスマートフォンを見た。

「二年前・・、そのときも同じ犯人に捜査情報を?」

千里が訊くと、松原は銃を構えたまま、深くうなずいた。

「当時の帳場にも俺は詰めてたからな」

「犯人は誰?」

「自分で調べろよ。あんた捜一だろ」

松原は気のない返事で拒絶した。

「そう、でも次の質問には答えて。本庁に連絡したとき、もうひとつ気になることがあって、警務部の担当者に訊いたの。二年前に私の人事記録を見た人間はいないかって。調べてもらったら、ひとり出てきた。お前だよ、松原」

千里が獰猛な目つきになる。

「私の家族のこと、犯人にしゃべっただろ」

その目を見た松原の拳銃を持つ手が、微かに震え出す。

「奴にあんたのこと話したら、興味を持ったみたいで、それで・・。まさか、殺すなんて思わなかったんだ・・・」

追い詰められていく松原に、高円寺が説得に入る。

「もういいだろう、話は全部取り調べで聞く。松原、悪いようにはしない。だから銃を置くんだ」

刑事たちが、松原を取り押さえようと、少しずつ、ゆっくりと近づいていく。退路を塞がれた松原が、悲壮感を漂わせた顔色で呟いた。

バチが当たったんだなあ・・。俺は・・・」

松原は銃口を自分の胸に押し当て、引き金を引いた。銃声が鳴り渡り、松原はバタンとくずおれた。周囲が騒然となる中、千里だけはひとり、言いようのない心境のまま、その場に佇んでいた。


 七節警察署の屋上で、千里は沈んだ様子で手すりに摑まり、下を向いていた。ふと気づいて隣に視線を投げると、病室で見た若い女が立っていた。それは千里の妹、梨恵なのだった。梨恵は心配そうな表情で千里を眺めている。千里が近づこうとしたが、梨恵の白い影は、風が吹くと同時に消えてしまった。憂いを帯びた顔で千里が立ち尽くしていると、滝石が階段を上がってきた。

「ここにいたんですか」

滝石が千里に歩み寄る。

「松原は?」

千里は滝石を見ずに訊いた。

「即死でした」

滝石は暗い面持ちで答えた。

「松原が持ってた、あのスマホ、調べて」

「諸星さんがウチの鑑識課に出しました。ただ、損傷が激しいですからね。解析できるかどうか」

それを聞いた千里が歩き出す。

「結果が出たら教えて。私は曽布衣署行ってくる」

「なら、自分も・・・。」

「私ひとりでいいから」

千里は滝石を置いて階段を下っていった。綿矢から千里の過去を聞いた滝石にとっては、気が気でならなかった。


 曽布衣警察署を訪れた千里は、刑事課で大野から報告を聞いていた。

「警部がおっしゃっていたガイシャの歯について、法医学の先生に再度調べてもらったところ、例の奥歯にあった赤い付着物は血液でした。しかし、ガイシャの血ではなく、別の人物の血液でした。DNA鑑定をして、男性だということはわかったんですが、前歴者データに合致する者はいませんでした。あと、大学の歯学部の先生にも頼んで詳しく検査しましたら、その歯の歯根膜しこんまくという箇所に炎症があったそうです。先生の話によれば、何かを強く噛んだために、その力の影響で炎症を起こしたようで、ガイシャが行方不明になっている時間帯に発症したものと考えられます」

「わかった。ありがと」

大野に礼を述べた千里は、刑事課を辞した。

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