第9話
その映像には、黒いコートを着て、フードを被り、手袋をはめた人物が映っていた。後ろ姿だったので、顔までは見えなかったが、背格好からして男だった。その男は大型トラックの荷台で、向かいに駐車してあるクレーン車のフックと、遺体の両足をロープで括り付けると、遺体を担いで、慎重に吊り下げたあと、手洗い後の水滴を払うかのように、右手を下に振っていた。
「一昨日の夜、十一時頃の映像です」
大野が画面に表示されたタイムコードを指し示した。
「そういえば、手がかりと言えるかどうかわかりませんが、そちらで捜査している事件の遺体とひとつ違う点がありまして。ガイシャは扼殺ではなく、絞殺されているんです。調べたところ、遺体を縛っていたロープで首を絞められたとのことでした」
ふたりに大野が伝えた。
「遺体は今どこ?」
千里が大野に訊いた。
千里と滝石は、曽布衣町にある大学病院の霊安室にいた。眼前に横たわっている遺体は、まだ学生といった印象の若い女だった。千里は、斜め上に付いた首の索条痕や、指が切断された右手など、遺体の状態を詳細に見て言った。
「殺し方以外は一緒。三、四件目の事件と同じ犯人ね」
「じゃあ、なんで今回は扼殺ではないんでしょう?」
滝石の問いに、千里は訳知り顔で答えた。
「その辺は見当がついてる」
白手袋をはめた千里は、遺体の口を開くと、スマートフォンを取り出して、口の中をライトで照らした。そして、近くにいた大野に突として訊いた。
「遺体の歯は調べた?」
「歯ですか?歯は・・、いえ、見てませんね。死因と直接関係ないと判断したんでしょう」
持っていた死体検案書を見て、大野が答えた。
「見て」
千里が言うと、滝石と大野が近づいて、遺体の口腔内を見る。左下の奥歯の中央部分に、乾いた赤い汚れが付着していた。
「面倒かもしれないけど、調べてくれる?」
申し出た千里に、大野はうなずいた。
「わかりました。先生はいい顔しないと思いますが」
腕を組んで、首を傾げていた滝石が、千里に訊ねる。
「同一犯だとしたら、犯行の範囲を広げたってことですか?」
遺体の口を閉じた千里は、スマートフォンをしまうと、首を振って否定した。
「違うと思う。広げたんじゃなくて、七節町で遺棄が出来なくて、仕方なく、別の場所に変更した」
ふと思い出した滝石が小声を上げた
「あっ、警戒地域!」
千里がうなずいた。
「それね。七節町は今、警官やパトカーでいっぱい。遺体を遺棄したくても七節町じゃ無理。でも、自分の犯行は誇示したい。だから、近くの曽布衣町に遺棄することにした。警戒地域の通知が出たのはおとといだし、タイミングが良すぎる・・。でも、変ね」
「変とは?」
「このこと知ってるの、警察関係者だけよ。犯人は知らないはず・・・」
新たな謎にぶつかった千里は、再び考えを巡らせた。
七節警察署の捜査本部に千里がひとり戻ってくると、諸星が待っていた。
「小宮山の所在ですが、未だ自宅に帰っていないようです。彼の実家や友人関係の家、バイト先、行きそうな場所、全部当たったんですが、いませんでした。完全に行方不明です。一応、各所の交番にも、彼の情報があったら連絡するように伝えておきました」
諸星の報告を聞いた千里は、並べられた捜査員席の最後列に腰掛けて脚を組んだ。
「どこ行ったんだよ」
焦燥感に駆られる諸星の顔を、千里が見た。
「ねえ、私を撃った奴は捕まったの?」
諸星が一呼吸置いて答える。
「いえ、まだ。担当の捜査員が調べたところ、競技場内や付近の防犯カメラに、銃を持って走っている黒いコートの男を捉えたんですが、フードを被って、マスクをしていたらしく、顔まではわからなかったそうです。それに、途中で見失ってしまって。今、全力を挙げて足取りを追っています。また犠牲者が出たら大変ですし」
「黒いコートにフード・・。五件目の犯人と同じ格好・・・」
千里が呟いた。
「諸星君、曽布衣署の捜査員にこちらの捜査状況を説明するので、手伝ってくれないか」
高円寺に呼ばれた諸星と入れ替わりに、滝石が千里のもとにやってきた。
「緋波さん、訊くのがちょっと遅いんですけど、シナリオスクールで聞き込みしたあと、なにしてたんですか?自分、車で随分待たされましたけど」
滝石が千里の隣に座った。
「事務局で名簿見てた」
「あのときの名簿ですか?なんでまた見たんですか?」
「消えていたもう一年分があったのよ。その名簿には、四件目と五件目の被害者の名前が載ってた。このふたりはスクールの生徒じゃない。体験講座で一度だけ受講してる」
千里が説明した。
「共通点が出たってことか・・・」
滝石が言うと、千里は難しい顔になっていた。
「だけど、三件目・・、梨恵の名前がなかった・・。梨恵はどうして・・・」
考え込む千里の姿を、滝石はじっと見つめていた。
その日の夜、警視庁内の面談室に滝石が入ってくる。そこには、綿矢がひとり、手を後ろに組んだまま、窓に映る自分を凝視していた。
「お忙しいところ、失礼します」
滝石が綿矢に向かって一礼した。
「怪我は大丈夫かね」
綿矢は、窓に映し出された滝石に視線を移した。
「はい。平気です」
滝石が顔を上げて言った。
「それで、私になんのご用かな?」
「管理官にお訊きしたいことがあります。緋波警部の過去について」
綿矢が振り返る。
「過去?」
「緋波さんは、二年前に妹さんを亡くされたそうですね。その原因となった事件が、現在、我々が捜査している事件と同一だと、諸星さんから伺いました。少し気になりまして、本人から話を訊くのも気が引いたもので。上司である管理官なら、詳しくご存じかと思いまして参りました。当時の緋波さんはどんな人だったんですか」
手のひらで、滝石の傍らにある椅子を指した綿矢は、座るよう勧めた。滝石が椅子に腰掛けると、綿矢は千里について語り出した。
「彼女は実直で責任感のある警察官だったよ。キャリアであることも鼻にかけず、とても懸命に捜査に臨んでいた。美点ではあるが、今思えば、それが彼女の弱点だった」
「自分もこの目で見ましたが、緋波さんは、ときに言動が暴力的になる面がありました。以前からそうだったんですか?」
滝石の問いに、綿矢は首を振った。
「いや、仕事熱心が過ぎて、感情的になるところはあったが、決して相手に手を上げるようなことはしなかった」
「では、緋波さんがああなったのは二年前の・・・」
綿矢はうなずいて、もうひとつの椅子に腰を下ろし、机の上で指を組むと、対面した滝石に向かって続けた。
「捜査本部を解散させようとした矢先、彼女の妹、梨恵さんが殺害された。死亡した蓮君と同じ犯行手口でね。梨恵さんの亡骸を見たときの彼女の悲痛な叫びは、今も耳に残っている。ご両親はすでに他界しており、家族は梨恵さんひとりだけだった。彼女はひどいショックを受けると同時に、自分自身を厳しく責めていたそうだ。偶発的とはいえ、妹を守れなかった自分をね。私は犯罪捜査規範に従い、彼女を捜査から外した」
「被害者が親族だったから」
「そうだ・・。彼女が捜査を外れて三日後だったか、自宅の郵便受けに定期入れと一枚の紙が入っていたらしい。定期入れは梨恵さんの私物で、その中には乗車券のICカードのほかに、彼女と梨恵さんを写した最近の写真と、幼き頃を写した家族の写真があった。そして紙にはパソコンで打たれた字で、妹さんが殺されたのは姉である彼女のせいだといった主旨の根も葉もない文章が書かれていた。こちらで調べたが、誰が入れたのかはわからなかった」
重たい表情のまま、綿矢は続けた。
「それが影響したのか、自責に駆られた本人にとっては堪えられなかったのだろう。以来、彼女は自傷行為を繰り返すようになった。まるで自分を罰するかのように。本庁の心理士でも手に負えないほどに状態は悪化していった。このままでは命に関わると思った私は、彼女を無期限の休職処分とし、精神病院に入院させた。幽閉したとでも言うべきか・・。おかげで自傷行為は
滝石は眉間に皺を寄せた。
「緋波さんに拳銃を携帯させなかったのは、自殺防止のため」
「そのとおりだ。まだ彼女は精神的に不安定だからね」
「前から思ってたんですが、二年前と繋がりのある可能性が高いこの事件の捜査に、緋波さんは参加できないはずです。なのに、なぜ捜査させるんですか?」
「私の独断だ。上層部や医師は猛反対したがね、私が責任を持つと押し通した。彼女には、梨恵さんを殺害した犯人を逮捕させて、ケジメをつけさせたいんだよ。だから、私は彼女を捜査に復帰させるため、面会を求めた。最初の頃は本人から謝絶されたが、繰り返すうちに、一度だけ面会を許されてね。かつての面影がなくなった彼女をどうにか説得して現在に至る、といったところか」
やにわに立ち上がった滝石が声を上げた。
「なぜ、不安定なのに退院させたんですか?それに、管理官も知ってますよね、緋波さんが撃たれたこと。その犯人はまだ捕まってません。今度もまた撃たれたら、緋波さんが危険です」
千里を気に掛ける滝石に、綿矢が悠然と言った。
「彼女が犯人を逮捕できると信じているからだよ。今の彼女は、粗暴な面はあれど、二年前よりも明敏になっている」
「聞こえのいいことをおっしゃってますけど、自分には、緋波さんを事件解決のために、都合良く利用しているようにしか見えません」
滝石は強く抗弁した。
「そう見えるなら、それで構わない。もういいかな、まだ仕事が残っている」
綿矢は室内から出ようと腰を上げて、滝石の脇を通り過ぎたが、一旦立ち止まった。
「言っておくが、現時点で彼女に拳銃の携帯は許可できない。そんなに心配なら、きみが守ってやりなさい」
背後の滝石に、綿矢はひと言言い置いて、歩み去って行った。滝石は、緊張が解けたかのように息をひとつ吐くと、椅子にもたれかかった。
同じ頃、七節警察署の廊下を千里が歩いている。スマートフォンを耳に当て、中国語でなにやら会話をしていた。通話を終えた千里は、刑事課の部屋に入ると、まっすぐ係長席に向かった。
「高円寺」
千里が声をかけると、書類に目を通していた高円寺が気づく。
「なんだ」
机の上に身を乗り出した千里が言った。
「ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
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