第8話

 ふたりに向かい合った綿矢は、手を後ろに組んだ。

「話というのは?」

綿矢が切り出すと、千里が口を開く。

「重要な被疑者が浮かんだ。一ノ瀬蓮、十六歳、民明高校一年。もう故人だけどね」

「そうだという根拠は?」

理由を尋ねる綿矢に、千里が答えた。

「一件目と二件目の事件当日の夜、遺棄現場近くで蓮が目撃されてる。そのとき彼はリュックとキャリーバッグを持っていた。おそらく、リュックには凶器や被害者の衣服、遺体の遺棄に使う道具一式が入れられてた。そしてキャリーバッグには、遺体そのものが詰め込まれてた。調べたら、遺棄現場はいずれも彼の自宅から徒歩圏内にあった」

「それだけでは信証に欠けるな。きみの考えも混じっているじゃないか」

綿矢は冷淡に否定した。

「根拠はほかにもあるわ」

千里はビニール製の証拠品袋を示した。中にはブレスレットが入っている。

「滝石さんが見つけた物。これ、蓮の私物でしょうね。彼の名前と番号が刻まれてるわ。メーカーに問い合わせたら、世界で二十個しか製造されてない限定品だそうよ。番号は製造番号で、購入者ごとに違うの。名前も控えてあるって言ってたから、調べれば、買った人間がはっきりするわ。それに、これを鑑識に回したら、男の指紋がふたつ、ひとつはこれを拾ったホームレス、もうひとつは蓮の指紋でしょうね。あと、ふたりの被害者の指紋が付着してた。遺体の状態から、被害者に抵抗の痕跡はなかったけど、実は多少なりとも抵抗してたのよ。そのときに触れたのね。それに気づいた彼は、これを処分しようとしたか、指紋を拭き取ろうとした。その場でしなかったのは時間がなかった、もしくは、そういう状況になかったからかもね。だから外すだけして、犯行後にやろうとした。そのままにしてたら、また余計な物が付着すると考えて。だけど、途中で失くしてしまった。彼は焦ったと思うわ。殺人の証拠になる物だから」

推論を述べた千里に、綿矢は眉をひそめた。

「あんたに訊きたいことがある」

千里は綿矢を見据えたまま、ブレスレットが入った証拠品袋を滝石に手渡した。

「一ノ瀬蓮が犯人だってこと、知ってたでしょ。それに高校で、あんたは彼に会ってる」

黙している綿矢に、千里の怒声が飛ぶ。

「なんか言えよ!」

綿矢が呟いた。

「そうだ。知っていたよ・・・」

ふたりから視線を逸らした綿矢は、落ち着いた声で語り出した。

「このことを知っているのは、上層部のごくわずかな人間だけだ。二年前、蓮君の父親で、当時、本庁の警務部参事官だった警視正が、息子である本人から、第二の殺人があった次の晩に告白されたそうだよ。その第二の事件と、第一の事件は自分が起こしたと。犯行に使われた手袋と、被害者の指が入った小瓶を見せられてね。対応に困った警視正は、警察庁刑事局長だった彼の父、つまり、蓮君の祖父にあたる総監に相談した。総監はすぐに箝口令を敷いた。私も警視正から話を聞いて、速やかに処理せよと命令を受けた。私はその命令に従うために、捜査本部を解散させた。捜査の立て直しを理由にしたが、あれは嘘だ。少しずつ捜査員を減らして、最終的には完全な解散とし、闇へ葬るつもりだった」

千里は憤りを抑えながら、もうひとつの疑問を投げかける。

「高校に行ったのはなんで?」

ことの真偽を確かめるためだ。直接、蓮君と話したいと思ってね。彼は、私にも素直に告白してくれたよ。遺体などの運搬方法は、きみの推定どおりだ。ほかにも、通学中によく見かける人間を標的にしていたこと、ある種の記念として指を切断していたこと、より多くの興味や関心を惹く遺体遺棄を考えていたなど、いろいろとね。反省や後悔の色は見えなかったな。むしろ、達成感と充足感に満ちた顔をしていた。そのブレスレットについても話してくれたよ。きみは言ったね、殺人の証拠を失くしたから焦っていただろうと。少し語弊がある。失くして焦っていたのは本当だ。しかし、殺人の証拠になるからではない。あれは亡くなった母親が贈った大切な品だからだ。人を殺したことよりも、あれを失ったことに心を落ち込ませている様子だった。それから三日後、蓮君は急死した。無念だよ」

粛々と答える綿矢の最後のひと言が、千里の怒りの琴線に触れた。

「綿矢、てめえ!」

激高した千里は、綿矢の胸倉に摑みかかった。

「なにが無念だ!人殺しのイカれたガキひとり守るために事件を揉み消そうとしたのか!」

綿矢を睨む千里の目は、鬼のようだった。

「緋波さん!」

滝石が身をもって、ふたりを離した。襟を正した綿矢が続ける。

「蓮君の死後、捜査員の数を縮小している最中に、同様の事件が起こった。妹さんの事件だよ。犯行の手口も同じ、警察が公表してない点まで一緒だった。生前、蓮君は私に言った。殺人を継いでくれる人間を見つけたと。おそらく、第三の事件以降は、その人間がやったんだろう」

「そんなこと、わかってる」

千里が返した。

「どうするつもりかね。告発するか?」

綿矢のサングラス越しの瞳がギロリと動く。千里は、その問いかけに答えず、口を閉じたまま足早に部屋を辞した。

「きみはどうだ、マスコミにでも流すかね?」

真正面を向いたままの綿矢は、視線を滝石に向けた。

「いや・・、自分は・・、あの・・」

返答に窮する滝石に、綿矢が言った。

「好きにしてくれて構わない。ただし、自分の身の上を案じる覚悟でやりなさい」

警告と脅迫が混合した綿矢の言葉に、滝石は証拠品袋を上着の内ポケットに入れると、一礼して部屋を出て行った。

「さて、私はどうするかな」

綿矢はほくそ笑むと、ひとり思索にふけるのだった。


「ああーっ!」

 警察署の屋上にいた千里は、残っていた怒りの気持ちを全て吐き出すように、夜空に向かって咆哮した。そこへ滝石がやってくる。

「緋波さん、まだ事件は完全に解決していません。捜査、続けるんですよね?」

千里の後ろで、滝石が厳粛した目で訊いた。

「当たり前でしょ」

真剣な表情で千里が答えた。

「そうですよね」

滝石は目を細めて微笑むが、すぐに顔から笑みを消す。

「あの、緋波さん。ちょっと訊いてもいいですか」

「なに?」

夜景を眺める千里の背中に、滝石は改まった声で質問した。

「緋波さん、管理官や係長は呼び捨てにするのに、なんで自分だけ“さん”付けするんですか?」

「ああ、それね」

千里は、かすかに笑みを浮かべた。

「もしかして、自分のこと・・・」

滝石の淡い期待を、千里が打ち砕く。

「滝石さんが、梨恵、妹に似てたから」

「妹さんに?」

夜風が静かに吹くなか、千里は話した。

「もちろん顔じゃないわよ。雰囲気というか内面的なところが。迷子の女の子に会ったときがあったでしょ。前にも、同じことがあったの。梨恵が迷子の子と接してる姿が、滝石さんに似てて、なんかオーバーラップしちゃったのね。そのせいか、妙に呼び捨てしづらくなっちゃって」

「そういうことだったんですか・・・」

滝石は少し気落ちしながらも事情を理解すると、さらに訊ねた。

「もうひとつ。緋波さん、下の名前は、なんて言うんですか?」

「千里よ。せんさとと書いて、ちさと」

「いい名前ですね」

ニッコリ笑った滝石の顔に、世辞は感じられなかった。

「ほんとにそう思ってる?」

「思ってますよ」

千里が振り向く。

「滝石さんは、なんて言ったっけ、下の名前。直也?」

「はい。直也です。滝石直也」

なにかが吹っ切れたように千里が歩き出す。そして通り過ぎざま、滝石に投げかけた。

「滝石さんもいい名前」

千里はひと言言うと、警察署内に戻って行った。

「ありがとうございます」

美人に褒められて、年甲斐もなく滝石がはにかんだ。そして、千里の後を追いかけていくのだった。


 翌日、曽布衣町の事件現場に来ていた千里と滝石は、曽布衣警察署の刑事、大野おおのに話を訊いた。昨日の朝。作業員が仕事のために建設現場に来たところ、白いシーツに巻かれた女の遺体が、両足首をロープで縛られ、クレーン車のフックから、逆さまに吊り下がっているのを発見、通報した。遺体の状態や死因が七節町で起きた一連の事件と同様だったので、七節警察署に報告した。被害者は堺智子さかいともこ。家族が七節警察署に行方不明者届を出していたため、身元が判明できたという。

「ガイシャは七節町在住。死亡推定時刻は、一昨日の午後六時から十時前後と思われます」

大野が滝石に言った。千里は、地上から三メートルほどの高さで、フックが降ろされたクレーン車を見つめている。クレーンの向かい側には、大型トラックが空(から)の荷台を背にして駐車されていた。

「これとこれ、現状のまま?」

千里がクレーン車と大型トラックを指した。

「はい。動かしてません」

大野が答えた。

「なにか、手がかりは?」

滝石が訊ねると、大野は首を振った。

「現場や遺留品から指紋は出ませんでしたし、切断されたガイシャの指も見つかってません。ゲソコンの大きさから男性だということはわかったんですが、それ以上はなにも・・・」

「あの荷台に乗って、遺体を吊るしたのね」

千里が言った。滝石が見ると、確かに大型トラックの荷台に乗れば、十分に手が届く位置にクレーン車のフックがある。大野はうなずいた。

「そうです。付近に駐車してあった車のドライブレコーダーに、そのときの様子が記録されていました」

大野は持っていたタブレットを操作して、表示された映像をふたりに見せた。

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