第7話
そこには、一ノ瀬清正の家族構成が表示されていた。
「はあ。蓮君は警察官僚のご子息だったわけですか」
「一ノ瀬蓮を調べる必要があるわね。川合って教授が言ってたでしょ、蓮はあるサイトを見てたって。それ多分、富樫のサイトよ」
「富樫というと、配られた前科者資料にありましたね」
「あいつは自分で考えた殺害方法や、遺体遺棄の方法なんかのアイデア、ってか空想をサイトに載せてた。富樫は言ってた。『勝手に使われた』、『盗まれた』って。おそらく蓮はサイトを見て、そのひとつを実行した」
少しずつだが、道が開けてきたと感じた千里の眼光が鋭くなる。
「だとすると、事件の犯人は蓮君ですか?」
「途中まではそうかもしれない。蓮が死んでからは、誰かが引き継いだ・・。じゃあ、梨恵のときは・・・」
そう言いながら、ふと気づいた千里は、目を閉じて思索した。そんなふたりの様子を、会議室の出入り口で遠目に見ている者がいた。諸星だった。
「どうしました?」
急に黙り込んだ千里に、滝石が声をかける。
「なんでもない」
目を開けて、我に返った千里が言った。
「自分、二年前はこの署にいなかったので知らないんですが、当時はどこまで捜査が進んでいたんですか?」
滝石が質問すると、千里は窓ガラスに映る自分に目をやりながら答えた。
「遺体の損壊や遺棄の異常さから、本部は一種のサイコキラーだと踏んで捜査したの。被害者の身元は、なんとかわかったんだけど、犯人に繋がる手がかりがなくて。現場の痕跡から、男だってことは判明した。でも、被疑者に該当する人間には、皆アリバイがあった。それに、富樫のような虚偽自白する奴が出てきたり、期間を空けずに同じ事件が起きたから、捜査は難航した。と言うより、混乱してたと言った方が自然ね」
「当時の管理官も綿矢警視ですか?」
「そう、綿矢」
すると、千里は正面を向いた。
「綿矢で思い出した。あのとき、おかしなことがあったんだ」
「おかしなこと?」
滝石が聞き返す。
「二件目の事件が起きてから何日か経った頃かなあ。普段、捜査会議に参加しない綿矢が急に現れて、捜査本部を一旦、解散させるって言い出したんだよね。本庁の捜査員を撤退させて、所轄の捜査員だけに事件を任せるって。事件が円滑に進んでいないから、一度、捜査を立て直すためだって理由にしてたけど。私は反対して本部に残った。でも、そのあとすぐに・・・」
千里は一瞬、口をつぐむと、また続けた。
「とにかく、綿矢の言動に、私は不信感を持ったの・・。もしかして、あいつ知ってたんじゃ・・・」
滝石の目が開く。千里の言わんとすることを察したようだった。
「綿矢管理官は犯人を知っていた!事件が一ノ瀬蓮の犯行だってことを」
声を上げた滝石は、何度かうなずいた。
「それなら、解散も納得できますよ。警察官僚の息子が人を殺したとなったら大騒ぎです。上層部としたら、極力、隠したい事件ですからね」
「でもまだ、確証があるわけじゃない。ちゃんと裏を取ってからでないと」
千里が言ったとき、刑事課の庶務員がふたりのもとへやってきた。北条がふたりと話したいと警察署に来ているらしい。千里と滝石が会議室を出て行く。諸星は咄嗟に物陰に隠れると、見つからぬよう、慎重に後をついて行った。
千里と滝石が、刑事課内の小さな会議室に入ると、北条が椅子に座って待っていた。ふたりも椅子に腰掛け、北条と対面する。
「お話というのは?」
滝石が口火を切る。
「その前に、刑事さんたちは、なにか事件をお調べになっているんですよね?もしや、テレビや新聞で話題になってるコウモリ殺人?」
北条は推し量ったような言い方をした。
「まあ、そうですね。詳しくは話せませんが」
滝石が遠回しに応じると、北条は目算が当たった顔をした。
「やっぱり、車を飛ばした甲斐があった。刑事さんが帰られたあと、思い出したことがあって。これなんですが」
北条は一枚の用紙を机の上に差し出した。それは、シナリオスクールの入学申込書だった。
「スクールの生徒で、
「妙なこととは?」
滝石が問いかける。
「殺人についてです。彼は、私と同じ、ミステリーやサスペンスの作家志望で、講義のあと私に、殺人犯の心理を理解するには、実際に人を殺してみないとわからないものなのかと訊いてきたんです。どうやら、連続殺人鬼を主人公にした本を書いているようで、その主人公の心理描写について考えていると言っていました」
北条は困惑した声で話した。
「それで、北条さんはなんと?」
滝石が答えを急かすように北条を見た。
「冗談だろうと、そのときは適当に聞き流しました。でも、今思い返せば、彼は深く悩んでいる様子でした。それから数日後に、あのコウモリ殺人が起きたんです。この申込書を見て調べたら、事件のあった現場は、彼の自宅の近所だったので、ひょっとして、本当に人を殺したんじゃないかと心配になって」
「小宮山という男は今、どこに?」
所在を訊こうと、滝石は手帳を取り出した。
「わかりません、事件が起きた日から無断欠席しています。自宅にも帰ってないようです」
滝石と北条のやりとりを、千里はひと言も発さず、黙って聞いていた。
北条の乗る車を見送った千里と滝石は、捜査本部のある会議室に戻っていく。その途中の廊下で、千里は足を止めた。
「諸星!そこにいるんでしょ!」
千里が強い口調で大声を出す。いきなりのことに飛び上がった滝石は辺りを見回した。ふたりの後ろの物陰から、諸星が姿を現した。
「こっちに来い!」
命令口調の千里に、諸星はためらいながも歩み寄った。
「どうせ、綿矢から監視しろとでも言われてるんでしょ。私が自殺するんじゃないかと思って」
「自殺って・・?」
滝石には、千里の言葉の意味がわからなかった。
「僕は、綿矢警視の指示どおりに行動したまでです」
怒られると感じた諸星は臆した。千里が振り向いて、滝石の上着の内ポケットから、三つ折りにされた一枚の紙を取り出すと、開いて見せた。
「ぶっ飛ばされたくなかったら、こいつの所在、調べて」
それは小宮山が書いた申込書のコピーだった。千里はそのコピー紙を諸星に渡した。
「わ、わかりました」
諸星が承知すると、千里は捜査本部に戻るため、歩みを進めた。滝石は、千里の放った“自殺”という単語を引きずったまま、その後を追った。
翌日、千里と滝石は、蓮の写真を高校から取り寄せると、それぞれ分かれて、一件目と二件目の事件現場付近に赴き、目撃者がいないか、再度、聞き込みを行っていた。だが、二年前のこと、事件自体を覚えていない者、引っ越してきたばかりで、事件があったことを知らない者が多く、目撃者は皆無と思われた。しかし、一件目の事件現場を回っていた千里が最後に聞き込みをした人物が、有力な情報を与えた。
「その日、見ましたよ。この人」
ふくよかな体系をした中高年の女は、自宅の玄関先で、千里が示した蓮の写真を指差して言った。
「どこで見たの?」
千里が耳を傾ける。
「事件があった場所の近くにある歩道」
「詳しく聞かせて」
女は目撃したことを、ありのまま打ち明けた。
「夜の十一時十五分、腕時計見たから間違いない。私、仕事で海外に行くために、空港に向かってたの。電車じゃ間に合いそうになかったんで、タクシー呼ぼうとしたら、この写真の人とすれ違ったの。リュックしょって、大きなキャリーバッグ重たそうに引いてて。この人も私と同じで、どこか行くのかなって。だけど、駅や空港と逆方向に歩いてたし、家に帰る途中なのかと思った。そういえば、冬でもないのに手袋してたから、ちょっと変だったわね」
「二年前に警察が聞き込みに来なかった?そのこと証言した?」
千里が訊ねると、女は答えた。
「言ったでしょ。仕事で海外に行ってたって。日本を離れてたのは一年ぐらいだったから、警察が来たとしても留守だったわよ。それに、事件のこと知ったの半年前だし、あの人が関係してるなんて思わなかったから、すっかり忘れてた。刑事さんに写真見せられて今、思い出したんだから」
「そう、ありがと」
千里は簡単に礼を述べると、その場を後にした。
二件目の事件現場にいた滝石にも、ひとつ収穫があった。現場近くの公園に、段ボールハウスを作って寝泊まりしているホームレスの老人に聞き込みをしたところ、言いよどんでいる態度だったので、問い詰めると、事件当日の深夜、蓮がリュックとキャリーバッグの傍らで、胸を押さえて苦しんでいるのを目撃していた。老人がゆっくり近づいてみると、蓮は激しく動揺した様子で、服のポケットをまさぐり、ケースを取り出した。その際、ある物が落ちた。蓮は、それに気づかず、ケースの中からカプセルをつまんで、口の中に入れていたらしい。そのあと、落ち着きを取り戻した蓮は、落とし物を残したまま、荷物を手にして、よろめきながら去っていったという。老人はその落とし物を拾っていた。
「高級そうだったからさあ、金になると思って。だけど、いい買い手が見つからなくて。身分証持ってないから、質屋にも出せないし。捨てるに捨てられないから、持て余してたんだよ」
「見せていただきますか?」
滝石はハンカチを出して開いた。老人は大切に保管していたのであろう段ボール製の小箱から、その落とし物を取り出すとハンカチの上に置いた。有名ブランドのロゴが彫られたシルバーでバングルタイプのブレスレットだった。
「前にも刑事が来たんだけど、盗んだみたいで気が引けたから、このこと黙ってたんだ。これ、罪になんのか?なるとしても、もう時効だろ?」
老人は上目遣いに訊ねた。滝石がブレスレットを細かく観察すると、裏面に二桁の番号とローマ字で蓮のフルネームが刻印されている。滝石はそれを視認したあと、老人に説明した。
「この場合、占有離脱物横領罪に当たります。一年以下の懲役または十万円以下の罰金もしくは科料。残念ながら時効は三年。ちゃんと拾得物として、警察に届けるべきでしたね」
「だったら俺、逮捕されんのか!?ちょ、ちょっと待ってくれよ。罰金にしても金なんかないし・・。まあ、留置場は悪くないけど・・。いや、でもなあ・・。あー、勘弁してくれー・・・」
ガックリと落胆する老人に、滝石が言い聞かせた。
「もうこんなことしないと約束できるなら、今回は大目に見ましょう」
「ああ。わかった。わかったよ。約束する」
顔を上げた老人はホッとしたのか、首を何度も縦に振った。
「これは自分が預かります。いいですね?」
「ああ、持ってっちゃって」
滝石はブレスレットをハンカチに包んだ。
日中を聞き込みに費やし、辺りは夕陽に染まっていた。覆面パトカーの前で合流したふたりは、互いに結果報告をした。
「目撃証言取れました?」
滝石が千里に訊いた。
「ええ、ひとつだけね。滝石さんは?」
「自分もひとつだけ。ですが、物証になる品を手に入れました」
それを聞いた千里は、スマートフォンで、警視庁の鑑識課に連絡を入れた。そのとき、覆面パトカー内の無線が入る。七節町に隣接する街、
「曽布衣町で、逆さまに吊られた遺体が見つかったそうです。現場行ってみますか?」
「向こうの管轄でしょ、また模倣犯かもしれない。一連の事件と同一犯だと断定されたらね。その前に、私は話をつけておきたい相手がいるから」
夜の七節警察署。その廊下を綿矢が歩いている。千里に呼び出されたのだ。綿矢は刑事課の強行犯係がある部屋に入っていく。捜査員が全員、捜査本部に詰めており、人がほとんどいない中で、奥には、千里と滝石が立っていた。
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