第6話

 警視庁の会議室では、諸星の目の前で背を向けた綿矢が後ろで手を組み、通知を発していた。

「これから七節署に伝達するが、きみにはあらかじめ伝えておく。今後、七節町を重点強化警戒地域に指定する。交番の巡査が何者かに拳銃を奪われ、逃走中との報告がきた。銃を持った犯人が七節町に潜伏している可能性も含めての措置だ。街頭防犯カメラでの監視、パトカーなどの警らを徹底し、これ以上、事件を続発させないよう取り組むこととなった」

「承知しました」

綿矢は直立不動の諸星をチラと見て、冷たい声を飛ばす。

「その奪われた拳銃で彼女が撃たれたと聞いた。きみから報告がなかったぞ」

「申し訳ありません」

諸星は弁解もせず、素直に深々と腰を折った。

「彼女の様子はどうだった?」

「はい。特に変化はなく、捜査を続けています」

「そうか。きみは継続して彼女を見ていなさい」

綿矢の瞳は、サングラスの奥で怪しく光っていた。


 千里と滝石は、菊池がネットカフェで閲覧していたサイトの場所へ聞き込みに回るべく、まず、七節町にあるシナリオスクール、<JPGシナリオセンター>を訪れていた。講師である脚本家の北条に会うためである。事務員の話によれば、北条は三年前から教えているが、専属の講師ではないらしく、普段は不在なのだが、千里は事前に来校日をウェブサイトで確認してあった。

「北条柳吾っていったら、ミステリーやサスペンスドラマの脚本書いてる人ですよ。自分もあの人が書いたドラマ、何本か見たことあります」

がらんとした教室で、滝石は能弁したが、千里は興味なさそうだった。そこへ北条が入ってきた。

「お待たせしました。北条と申します」

北条は四十代初めで、パーマをかけた長髪に、堀の深い顔をした男だった。

「七節署の滝石といいます。こちらは警視庁の緋波です」

滝石は警察手帳を提示した。

「どうぞ、お座りください。それで、私になにかご用でしょうか?」

北条が口火を切ると、千里が菊池の顔写真が表示されたスマートフォンを見せた。

「この男、菊池智巳というんですが、見覚えありません?彼がスクールのサイトから、あなたの紹介ページを見ていた形跡がありまして」

写真をじっと見た北条は首を傾げた。

「いやあ、どうでしょう。受講者は何十人といるので、顔まではちょっと・・・」

「北条さんは、不定期で講義をされているとか?」

滝石が訊いた。

「ええ、手が空いたときに。スクールの生徒さんのほかにも、体験受講やオンライン受講などでも教えています」

北条の返答に、滝石は感心した。

「そりゃすごい、売れっ子ですもんね。受講者も多いはずだ」

「売れっ子だなんて、そんな。まだまだ修行中の身ですよ」

手のひらを横に振って謙遜する北条に、千里は再度確かめた。

「本当にこの男、心当たりはないんですか?」

「受講された生徒さんかもしれませんが、先ほども申したとおり、ひとりひとりの顔までは覚えていないので。お力になれず、すみません」

そのとき、千里が北条に訊ねた。

「受講者の名簿があれば、見せてもらえます?もし生徒なら、菊池の名前があるかもしれません」

「わかりました・・。少々お待ちください」


 一旦、事務局に行った北条は、受講者の一覧表の束を持って教室に戻ってきた。

「解けてますよ」

千里が指を差す。北条の革靴の靴紐が片方解けていた。

「急いでて気づきませんでした。やっぱり、蝶結びじゃダメだな」

北条は表を教卓に置くと、ふたりの目の前でしゃがみ込み、靴紐を蝶結びとは違う結び方で丁寧に直した。それゆえ少し時間がかかっている北条の様子を、千里は凝視していた。

「失礼しました。こちらになります」

立ち上がった北条は、表を千里と滝石に手渡した。ふたりはそれぞれ、表に記載してある氏名を隈なく目で追ったが、菊池の名前はなかった。だが、千里はある点に目が留まった。滝石が見ていた表にも視線を向け、その点を確認した。

「この名簿、日付を見る限り二年分しかありませんが、これ以前の名簿は?」

千里が北条に訊ねた。

「実は最近、私が講義した受講者名簿のデータが一部消えてしまいまして。残っているのはそれだけなんです」

北条は困惑している様子だった。千里は一瞬考えると言った。

「わかりました。一応これ、預かります」

千里が言うと、北条はうなずいた。

「どうぞ。私一度自宅に戻らないと、原稿の締め切りが近いので」

「ご協力どうも、これからも頑張ってください」

滝石が応援の意を送ると、北条は一礼して、そそくさと教室を出て行った。


 北条が去ったあと、滝石のスマートフォンが振動した。画面を見ると、上司である高円寺からのメールだった。

「あっ、自分、なにも言わずにここに来てました」

「滝石さんは車で待ってて」

千里が席を立つ。滝石はスマートフォンを手に覆面パトカーへ向かった。


 千里はひとり、事務局のドアを叩いた。

「北条さんなら、お帰りになりましたよ」

事務員の女が千里に応対した。

「違うの」

千里が受講者名簿のデータ消失が事実かどうか確かか訊ねると、女は辺りを窺った。

「それなんですけど・・・」

女は躊躇した様子で千里を見た。

「話して、なに?」

訊く千里に、女は小声で告げた。


 千里は、事務員の女の許可を得て、事務局のパソコンを見ていた。画面には、北条が先ほど見せた、シナリオスクールの受講者名簿が表示されていた。相違があるとすれば、名簿の日付が、千里と滝石が閲覧したものより古いことだった。千里はマウスを動かしながら画面に目を走らせた。そして通覧すると、笑みを浮かべた。


 次に訪れたのは、<民明高等学校>だった。私立のなかでは名門と評判のある高校である。ふたりが校長室で待っていると、いかにも厳格そうな校長と教頭がやってきた。千里はスマートフォンの写真を見せて、北条にしたときと同じ質問を投げかけた。しかし、校長と教頭は首を横に振った。千里がスマートフォンを上着の内ポケットに入れる。

「警察の方がいらっしゃるのは、これで二度目ですよ」

校長は少し迷惑そうな表情で言った。

「以前に、この学校でなにかあったんですか?」

滝石が訊ねると、校長が答えた。

「いえ、そういうわけではないのですが、二年前にも、ある生徒と話がしたいと、警察の方が直接、私のところにいらっしゃって」

「二年前・・、生徒って誰です?」

今度は千里が訊いた。

一ノ瀬蓮いちのせれんという生徒です」

答える校長の顔は曇っていた。千里が続けて言った。

「その生徒と会えますか?」

校長は沈痛な面持ちで口を開いた。

「すでに亡くなっています。二年前、警察の方がいらっしゃった数日後、突然に」

「亡くなった?原因は?」

滝石が問いかけた。

「心疾患だと聞いております」

千里が質問を引き継ぐ。

「二年前に来た警察官、誰ですか?」

「たしか、名刺が。少々お待ちください」

校長は自分の机の引き出しからファイルを出して開くと、名刺を一枚取り出して、千里に手渡した。

「えっ!?」

千里は絶句した。名刺に記された名は、綿矢だった。

「この警察官が、蓮という生徒と、なにを話していたかわかりますか?」

「いえ、わかりません。ふたりきりで話したいとおっしゃっていたので、その様にいたしました」

ひとつ謎が増えたと感じた千里に、教頭が気になる発言をした。

「蓮君のお父さんは、警察関係者なので、校長や私も、お父さんについての話だと思っていたのですが、違うんですか?」

千里は目の焦点が定まらないまま、呟いた。

「一ノ瀬・・、まさか」


 東成大学へ向かう覆面パトカーの車中、運転する滝石が、助手席にいる千里に訊ねた。

「一ノ瀬蓮って生徒、知ってるんですか?」

教頭の言葉を聞いたときの動揺した千里に、滝石は懸念を感じていた。

「蓮って子は知らない。だけど、身内かもしれない奴らなら知ってる」

「誰です?警察関係者って言ってましたけど」

「一ノ瀬清正きよまさ、警察庁長官官房付。おそらく、そいつが蓮の父親。さらに、そいつの父親は、警視総監の一ノ瀬飛鳥馬あすま

「警視総監!?」

雲の上の存在である名前が出てきたことに驚いた滝石は、思わずハンドルを切りそうになった。

「でもまだ私の推測だから。それに、なんで綿矢があそこに来たのか」

千里は浮かない顔をした。

「蓮君のお父さんについてじゃないんですか?」

「わからない。でも、あいつは管理官のくせして滅多に本庁から出て来ない。引きこもりみたいな奴よ。そんな奴がわざわざ出向くってことは、よほどの内容だと思う」

「いっそのこと、管理官に直接訊いてみますか?」

滝石は思い切った気持ちで言った。

「ただ訊いても、あいつは答えちゃくれない。調べて外堀埋めてからでないと」

一気に湧き出た疑念で、千里の頭は混乱していた。


 ふたりは東成大学の川合教授を訪ねた。自身の研究室にいた川合は、教授にしては若い四十代後半で、リムレスの眼鏡をかけた中性的な顔の男だった。千里が菊池の写真を見せるが、見ず知らずの人物だと返答した。

「なにをお調べになっているんですか?」

川合がふたりに質問した。

「それは捜査上の秘密で教えられないんですよ。ただ事件があったとしか言えないもので」

済まなそうに滝石は答えた。

「シナリオスクールといい、民明高校といい、誰も菊池のこと知りませんでしたねえ」

滝石が千里に何げなく言った単語のひとつに、川合は引っかかった。

「民明高校・・・」

「ご存じなんですか?」

顔色が変わった川合に、滝石が訊ねた。

「実は二年前に、そこの高校の生徒に相談というか、意見を求められたことがありまして・・・」

「もしかして、生徒の名前は、一ノ瀬蓮?」

二年前と聞いて、気に掛かった千里が身を乗り出す。

「そうです、一ノ瀬君です。でも、どうして彼の名前を?」

怪訝な様子の川合に、滝石が頭の後ろに手をやって、言いづらそうに答える。

「捜査の関係で耳にしまして」

千里が真剣な表情で、川合に問いただす。

「なにを訊かれたの?」

川合は目線を下げて、回想するように話し出した。

「一ノ瀬君は、私が犯罪心理学を教えていることを、どこかで聞いて、この研究室にひとりでやって来ました。彼は通常とは違う、つまり、異常な殺人に興味があるらしく、ネットで世界中の猟奇殺人や快楽殺人、自他殺不明の変死などに関する情報を集めているようで、いかに死体を芸術的、美術的に見せられるか、特に遺棄の方法にこだわっている口ぶりでした。それで私に訊いたんです。自分は殺人者に向いているかと」

「なんて答えたんですか?」

滝石が問う。

「諭しました。向いてる向いてないは関係なく、むやみに人の生命を奪ってはいけない。そんな考えは改めるべきだと言いました」

川合の顔が強張る。

「しかし、一ノ瀬君は、あるサイトで、気に入った死体遺棄の方法を見つけたようで。あの喜々とした表情が、私には恐ろしかった」

千里は川合の話から、富樫が管理していたサイトを思い起こした。


 その夜、捜査本部にいた千里は、会議室の隅でひとり、タブレットで警察庁の人事資料を読んでいた。

「なにか、わかりました?」

滝石が声をかけた。脚を組んで座っている千里の隣に腰を下ろす。

「思ったとおりだった」

千里は滝石にタブレットの画面を見せた。

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