第5話

 千里が乗ったパトカーが、サイレンのけたたましい音を響かせて、数台の車をゴボウ抜きしていく。ハンドルを握る千里は、無線を通じて、追跡状況を確認していた。すると、菊池を見失ったとの報告が入る。だが、見失った場所を聞いた千里はニヤリとした。

「やっぱり、あそこか」


 日が暮れて、周辺が暗くなってきた。区民競技場の近くまで来ると、パトランプの赤色灯とサイレン音を消した千里は、パトカーを停めて、運転席から降りたとき、スマートフォンが振動した。出ると、諸星からだった。

-あと数分で現着します。それと、ひとつ報告が・・・。


 通話を終えた千里が競技場に向かっていくと。出入り口の前で、警備員の男がうつ伏せに倒れていた。千里が駆け寄り、警備員の首に指を当てて脈を確かめる。どうやら気絶しているだけのようだ。顔を見ると、殴られた跡があった。自分の読みが当たっていると感じた千里は、警備員をその場に残したまま、競技場内に入っていった。


 千里の予想どおり、菊池は競技場内に逃げ込んでいた。暗がりの外通路を、額から脂汗を浮かせた菊池が、リュックを両手に抱えて、辺りを見回しながら、恐る恐る歩いている。裏の入場ゲートからフィールドに出ようとしたとき、上着を片手に持った千里が立ちはだかった。

「やっと見つけた」

千里は競技場内を走り回って捜していたせいか、少し息が切れている。

「あーあ」

菊池は観念したというより、疲れたといった様子で、持っていたリュックを横に放り投げた。

「警察よ」

「捕まえに来たんだろ?」

「ええ、お前は恋人を殺して、刑事を刺した」

千里は先ほど諸星から受けた報告から話し始めた。

「恋人の首に付いた傷から、唾液の成分が出た。調べたら、お前のDNAと一致した。乾燥の程度から、犯行時間内に付着したものとわかったわ。よっぽど興奮してたのかしら、殺したときに思わず垂れちゃったのね。刑事を刺したときもそう、ナイフにお前の血が付着してた。指に傷が付いてるんじゃない?」

菊池は右手を見た。人差し指に切り傷が付いている。

「その傷とナイフを詳しく鑑定すれば、お前が刺したって証拠になる」

千里の言葉に、菊池は顔を伏せた。

「首を絞めて殺したり、遺体を逆さ吊りにしたのも、一週間前に起きた事件の犯人がやったと見せかけるため?」

「ああ・・・」

訊ねる千里に、菊池はコクリとうなずいて言った。

「でも、詰めが甘かったわね。そもそも、逃げた時点で、疑われるってわかってたでしょう。お前バカじゃないの」

ケースから手錠を取り出した千里が、菊池に歩み寄る。

「菊池智巳、殺人及び殺人未遂の容疑で逮捕する」

上着を脇に抱えた千里が、手錠をかけようとしたとき、うつむいたままの菊池がポツリと呟いた。

「あの人に匿ってもらうはずだったのになあ・・・」

「匿う?あの人って誰?」

問い立てる千里を無視するかのように、菊池は淡々と続けた。

「あの人から連絡があったんだ。殺して吊るしたこと白状したら、全部教えてくれた。それで俺を守ってやるとも言ってくれた・・・」

「誰なの!?言え!」

千里が返事を迫った直後、一発の銃声がした。その弾丸が菊池の背中に当たる。目を見開いた菊池はそのまま、コンクリートの地面に横倒しになった。千里は突然の状況に、一瞬驚きながらも、銃声がした方向を見た。入場ゲートの奥に黒い人影がいる。その影から閃光が放たれた瞬間、千里の右肩を銃弾が襲った。手錠と上着が地面に落ちる。

「緋波警部!」

そこへ、諸星が駆けつけてきた。叫び声を聞いて、人影が消え去る。被弾した肩を摑んだ千里はよろけて、壁に寄りかかると、片足を投げ出して、地面に座り込んだ。

「警部!大丈夫ですか!」

諸星が千里に近づいて、傍らにしゃがんだ。

「追って」

千里は痛い肩を上げて、入場ゲートの奥を指差した。

「でも・・・」

狼狽えている諸星を、千里が怒鳴りつけた。

「早く行け!」

「はっ、はい!」

諸星はダッシュで入場ゲートから競技場の中へと入っていった。千里は顔に苦悶の色を浮かべた。


 警察病院の待合室のソファで、千里はひとり、前屈みになって腰掛けていた。服の下は包帯が巻かれている。幸い、弾丸は肩を貫通しており、命に別状はなかった。だが、諸星の追跡も空しく、銃撃犯は捕まえられなかった。

「警部」

諸星が千里のもとにやってくる。その後ろには、スーツを着た滝石の姿があった。

「滝石さん、なにやってるの。寝てなきゃダメでしょ」

千里は立ち上がると、半ば、叱るように言った。

「抜け出してきました、自分だけ寝てるわけにもいきません。平気です、取柄はこの頑丈な体ですから」

滝石は胸を平手で叩いた。

「撃たれたそうですね。諸星さんから聞きました。大丈夫ですか?」

心配そうな様子の滝石に、千里は笑みを浮かべて答えた。

「私なら大丈夫」

その笑みもすぐに消えて、諸星に訊いた。

「菊池は?」

「搬送中に亡くなりました。あと、菊池の所持していたリュックから、凶器と思われるスカーフが見つかりました。今、鑑識が調べています」

「そう」

千里は片手を腰に当てると、下を向いた。

「菊池の奴、変なこと言ってた。『あの人に匿ってもらうはずだった』って、それに、『全部教えてくれた』とも、あの人って・・・」

難しい顔で考え込んでいた千里は、ハッと思いついて諸星に訊ねる。

「菊池、スマホ持ってた?」

「はい、持ってました。それも鑑識が解析中です」

千里が諸星に指示を出す。

「通話履歴、あと、メールとSMSの履歴、わかったら、教えて」

「わかりました」

諸星は千里の意図が読めず、言われるがまま従った。

「私、着替えてくるから。明日、捜査本部で合流しましょう」

千里はソファに置いてある上着を手に取った。

「滝石さんは無理しないでよ」

滝石の肩をポンと叩いた千里は、病院を後にした。


 翌日、七節警察署の捜査会議では、菊池の死亡と鑑識作業の報告がなされていた。またしても、その場に綿矢の姿はなかった。菊池の所持していたスカーフから、本人の指紋と、被害者の皮膚片が検出されたことから、そのスカーフが凶器と断定され、犯人は菊池で決まりという見解になった。しかし、動機は不明のまま、被疑者死亡で書類送検という運びとなった。


「なんだか、やりきれないですね。殺されたとはいえ、被害者が浮かばれない」

 滝石が悔やんだ表情で言った。隣で、カットソーを紺から白に変えた千里が、険しい目つきになる。

「死んだのは模倣犯。事件の真犯人は見つかってない」


 菊池と千里を撃った銃は、弾丸の線条痕から、一昨日、交番の警察官から奪われた拳銃だと特定され、現在、犯人の逃走経路を捜査中とのことであった。そして、管理官である綿矢から高円寺を介して、全捜査員に拳銃携帯命令が出されたが、千里だけは除外された。


 捜査会議が終了したあと、諸星が、千里と滝石に、菊池のスマートフォンに残された通話とメール、そしてSMSの履歴のリストを持ってきた。メールやSMSの履歴に不審な点はなかったが、直近の着信履歴を見ると、<非通知>と書かれた欄が何件かあった。

「この非通知の相手は誰でしょうね?」

滝石がリストを指差すと、千里が答えた。

「今の状況じゃ、特定するのは無理ね。事件と直接関係する根拠があれば、わかるかもしれないけど」

千里が腕を組んで、思案顔になる。

「非通知の相手が、菊池の言ってた、“あの人”かもしれない。菊池や私を撃ったのも、そいつ・・・」

「口封じってやつですか?」

滝石が訊いた。

「多分ね」

千里はうなずいた。

「あのー」

諸星が小さく手を挙げた。

「考えたんですけど、事件の犯人は単独犯じゃなく、複数犯って線はありませんか?あれだけの遺棄の仕方、ひとりじゃできないと思って。菊池の場合も、その“あの人”っていう人物に協力してもらったとか?」

その諸星の推理を、千里は否定した。

「複数犯なら、それなりの痕跡が残ってる。だけど、一連の事件にその痕跡はなかった。捜査資料読んだ?単独犯の可能性が高いって書いてあるわよ。それに菊池も、遺体遺棄を含めて、犯行をやり遂げたあとに“あの人”と話したって感じの言い方してた。加担したとは考えづらいわね」

「まあ、力さえあれば、ひとりで出来ないわけではないですよね」

滝石は、千里の意見に同調した。

「しかし、警部も犯人はふたりいるって」

諸星は弱々しく抗弁した。

「あれは、二件目までの事件と、三件目以降の事件の犯人が違うって言ったの。複数犯って意味じゃない」

「そうですか」

肩を落とした諸星に、千里が声を投げた。

「でも、あんたの考え、一応、頭ん中に入れとく」

そのとき、高円寺が近寄ってきた。

「おい、そこの三人、なにヒソヒソ話してる」

滝石が首を振って言った。

「いえ、別に」

高円寺は怪しみながらも、諸星に告げた。

「諸星君、綿矢管理官がお呼びだ。すぐに本庁に戻りなさい」

「はい」

諸星は、千里と滝石に一礼すると、会議室を後にした。

「本庁に苦情が来てたぞ。女の刑事に暴力を振るわれたって。警部、あんたのことじゃないか?」

高円寺が訊ねると、千里は、そんなことかと、軽く答えた。

「あいつがムカつくこと言ったから、ちょっと懲らしめただけ」

「認めたな。上に報告するから覚悟しとけ」

「はいはい、勝手にどうぞ」

千里を指差した高円寺に、当人は、柳に風と受け流した。

「もういい?私、ちょっと行くとこあるから」

「なら、自分も一緒に」

滝石が申し出た。

「滝石さん、まだ完治してないでしょ」

千里の言葉に、滝石は笑顔で返した。

「それは、警部も同じじゃないですか」

その顔を見て、千里はぞんざいに言った。

「好きにすれば」

会議室を出て行こうとする千里と滝石の背中越しに、高円寺が戒めるような声を上げる。

「怪我人のくせに、また暴力沙汰起こす気じゃないだろうな!」

振り向いた千里は、高円寺に向かってひと言発した。

「高円寺・・、うっせえ」

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