第4話

 その頃、千里はもう一軒のネットカフェに来ていた。店員に警察手帳を示して訊ねる。

「この男、来てない?」

千里がスマートフォンに表示された菊池の写真を見せた。

「いえ、よくご利用になられるお客様ですけど、今日はいらっしゃっていません」

女の店員は答えた。

「そう」

千里はカウンターから離れると、滝石に電話をかけた。

「そっちはどう?」

-こちらに・・いることは・・わかったんですが・・、それどころじゃ・・なくなってしまいまして・・・。

「どういうこと?」

息も絶え絶えに答える滝石の声と、周囲がざわめいている音を聞いて、感づいた千里が訊いた。

「もしかして、怪我した?」

滝石の返事はない。

「したのね、わかった。そっち行くから」

電話を切った千里は、猛然と駆け出した。


 ネットカフェに到着すると、滝石はすでに、救急車で病院に運ばれたあとだった。臨場した制服の警察官に、事の次第と搬送先の病院を訊いた千里は、再び走り出した。


 滝石は警察病院のICUで集中治療を受けていた。ガラス越しに見守っている千里が呟く。

「滝石さん・・・」

そこへ、無線を聞きつけて、諸星がやってきた。

「手術は成功したようですが、意識不明だと聞きました」

「私が、滝石さんをひとりで向こうに行かせたから・・・」

後悔の念に駆られた千里はうつむいて、握った拳を壁に叩きつけた。

「緋波警部」

高円寺が千里のもとに歩いてくる。

「滝石がこうなったのは警部、あんたの責任だ。あんたは・・・」

「わかってるよ!」

高円寺の威圧感を吹き飛ばすような大声を発した千里は、滝石を一瞥すると、ICUを離れた。


 広い廊下をひとり歩く千里の後ろから、声をかける者がいた。

「彼が死んだら、自分も死のうなどと考えていたのかね?」

千里が立ち止まって振り向く。廊下の角に人影が立っている。綿矢だった。

「きみは、自分のせいで犠牲者がまたひとり増えたと思っているんじゃないか。妹さんのときと同じように・・・」

「黙れ!」

千里は綿矢を睨みつけた。

「死ぬのは勝手だが、せめて、この事件を解決させてからにしてもらいたい」

その言葉を聞き入れず、黙って歩みを進めた千里を、綿矢はサングラス越しに見やった。


 千里は、滝石が刺されたネットカフェで、菊池のいた個室を調べていた。店内を刑事や鑑識などの捜査員が行き来しており、スライドドア近くの壁や床には血の跡が残っている。白手袋をはめて、中腰になった千里は、個室に設置してあるデスクトップパソコンを立ち上げた。調べたところ、菊池がいた時間、本人がインターネットを閲覧していた痕跡が残っていた。見ると、千里が捜査している事件のニュースのほかに、七節町内にあるシナリオスクールと大学、そして高校のサイトの履歴があった。千里は、マウスを動かして、履歴内にあるシナリオスクールのページを開くと、<講師紹介>との文字の下に、顔写真と名前、経歴が表示された。

北条柳吾ほうじょうりゅうご・・、脚本家・・、海外映画の脚本も担当・・・」

千里は経歴を一読したあと、大学のページを開いた。<東成とうせい大学心理学部(社会・犯罪心理学コース)>の表示と共に、学部の案内と男の写真があった。

川合洋次かわいようじ・・、教授か・・、犯罪心理学・・・」

肩書と略歴を見た千里は、次に高校のページを開く。そこには、<民明みんめい高等学校>という私立高校のサイトが表示された。これらが事件と関係するのかと千里が考えていたとき、スーツの男がひとりやってきた。

「どちらさん?」

声のした方に千里が視線を向けると、後退した髪を刈り上げた強面の男が室内を覗き込んでいた。

「誰?」

無愛想な態度で千里が訊くと、男が答えた。

「七節署強行犯の松原まつばらです。で、そちらは?」

千里は黙って警察手帳を開いた。それを見た松原忠雄ただおが思い出した。

「緋波・・・」

呟いた松原は一瞬目を逸らすが、また元に戻した。

「あんた二年前の帳場にいただろ。捜一か?」

「だったらなに」

態度を崩さない千里は、シナリオスクールと高校の住所を頭の中に叩き込むと、個室から出て行く。

「捜一の方なら一応、お知らせしとくべきかなあ」

意味ありげな松原の言葉に、千里が食いつく。

「なんかわかったの?」

松原の説明によれば、滝石を刺した凶器は、ロックバック式と言われる折りたたみナイフで、鑑識が調べたところ、指紋は検出されなかったが、そのナイフの柄に近い「キック」と呼ばれる突起部分に、滝石とは違う血痕が付着していたという。

「今、科捜研で分析してもらっています」

「そう」

「で、緋波さんに見てもらいたいものが」

松原はそう言うと、千里を会計カウンターの奥まで案内した。


 ネットカフェのスタッフルームで、松原は千里に防犯カメラの映像を見せた。滝石が刺される寸前の光景が映し出されている。その中には、男がナイフの柄をハンカチで巻いて持っている姿があった。だが、キャップ帽を被り、下を向いているため、顔は見えなかった。

「この男なんですが・・・」

松原がマウスを動かすと、昨日の映像に切り替わる。そこには該当の男が個室から出て行く姿が映し出された。同じ帽子をかぶっているが、顔がはっきり映っていた。男は菊池だった。

「滝石刑事を刺したのは菊池でしょう。現在、緊配キンパイかけて追ってます。係長に報告して、逮捕状の請求と緊急手配を依頼するつもりです」

「刺したときの映像、見せて」

モニターを操作する松原の後ろで、千里が言った。松原が映像を戻す。犯行の一部始終を見た千里は、黙したままネットカフェを後にした。


 夕方になり、千里は七節警察署の捜査本部に足を踏み入れた。ふたりの刑事の話し声が耳に入る。

「昨日、交番の巡査が襲われて、拳銃奪われたんだってさ」

「ほんとにこの街は物騒だよなあ。次から次へと事件が起きる」

大型モニターには、マンションで起きた絞殺事件の新たな捜査情報が表示されていた。吉川線、つまり、被害者が抵抗した際に付いた首の引っ掻き傷の上に、被害者とは違う唾液の成分が検出されたとのことだった。それを見ていた千里に、高円寺が指を差しながら突っかかってきた。

「緋波警部、なにしに来た!」

高円寺は威嚇するような目をしたが、どこ吹く風といった千里は、画面を直視したまま訊いた。

「菊池の自宅、家宅捜索したの?」

「とっくにやったよ。事件が起きた日からいなくなったんだ。誰だって怪しいと思うだろ」

「DNAは採った?」

それには、傍らにいた鑑識課員が答えた。

「ヘアブラシに絡まっていた髪の毛から採取しました」

「そのDNAと唾液のDNA、菊池のものと照合して」

千里は画面を顎で指した。

「言われなくても、やるよ!」

高円寺が声を上げると、千里が付け加える。

「あと、滝石さんを刺したナイフに付いてた血のDNAとも」

「血って、滝石以外の血が付着してたって、あれか?」

千里は、高円寺に鋭い目を向けた。

「滝石さんを刺したのは、菊池」

高円寺はうなずいて答えた。

「ああ、松原から聞いた・・。じゃあ、その血って、菊池の・・・」

「ええ、刺したときに、勢い余って切っちゃったのね」

千里の説に、さらにうなずいた高円寺が呟く。

「血のDNAが菊池のものと一致すれば・・、それに防犯カメラの映像・・、これだけでも逮捕できるな」

息巻いている高円寺の近くで、固定電話が鳴った。直後に、千里のスマートフォンも振動音を鳴らす。ふたりが同時に電話に出る。高円寺は病院から、千里には諸星からの連絡だった。

「諸星、なんで私の番号知ってるの?教えてないわよ」

千里が問いかける。

-滝石さんのスマホを頼りに、自分で調べました。ってことより・・・。

そのとき、送話口を手で塞いだ高円寺が声高に叫んだ。

「滝石の意識が戻ったぞ!」

周りにいた捜査員たちが喜悦と安堵の表情を浮かべる。それは千里も一緒だった。たった今、諸星から同じ報告を受けていたのだ。

「図太い奴だぜ、あいつは。もう回復しやがった」

電話を切った高円寺は、目を丸くしたあと、自然と笑みがこぼれた。瞬間、警察無線のスピーカーから、切迫した声が流れた。

「至急、至急。七節3からPS、マル被発見、現在追跡中。マル被は、七節五丁目大通りを南に逃走、応援願います。繰り返す・・・」

無線を聞いた千里は、長机に置いてあったパトカーのキーを取った。

「借りるよ」

「おい、待て!勝手に、おい!」

高円寺の呼び止めにも応じず、千里は走って会議室を出て行った。


 千里は走りながら、繋がったままのスマートフォンを耳に当てた。

「諸星、聞いてる?」

-はい。

「急いで七節町五丁目にある競技場に行って。これから私も向かう」

-え、そこになにが?

警察署から外に出た千里が続ける。

「菊池が、滝石さんを刺した犯人がそこに来る」

-なんで、わかるんですか?

「隠れられるとしたら、あの場所しかない」

十分な説明をせずに、千里は電話を一方的に切った。キーに取り付けてあるキーホルダーには、<PC七節1>と、シールが貼ってある。その識別番号と合致するパトカーを見つけると、開錠して飛び乗った。そして、サイレンを鳴らし、アクセルを最大に踏んだ。

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