第3話

 千里と諸星が向かった現場は、幅広い五階建てマンションの屋上だった。白手袋をはめて、靴カバーを履いたふたりが遺体のもとまで行くと、グレーのスーツ姿の男がしゃがんでいた。納体袋のファスナーを半分開けて、仰向けになった遺体を凝視している。すると、男が気配を感じて、その方を向くと、赤バッジを付けたふたりを見て、腰を上げた。

「本庁の方ですか?」

男は短髪で、がっしりとした体格の、一見して柔道家のような風貌で、意志の強そうな、かといって、温厚そうな印象を与える顔立ちをしていた。

「はい。捜査一課の諸星です。こちらは同じく緋波警部」

諸星は真摯な態度で挨拶したが、千里は横を向いて屋上から見える景色を眺めていた。

「七節署強行犯係の滝石直也たきいしなおやです」

滝石は、ふたりに一礼すると、発見状況を説明した。遺体はマンションの屋上に設置された鉄柵から、一週間前の事件同様、シーツに巻かれた状態で逆さ吊りにされていた。通報者はマンションの最上階に暮らしている住人で、窓に黒い影が見えたので開けたところ、遺体を発見したという。被害者は、このマンションの住人で、管理人が身元を確認していた。

「また起こっちゃいましたねえ」

屈んだ諸星は遺体の顔を見た。被害者は若い女だった。

「死因はもしかして、絞殺ですか?」

諸星が滝石に訊ねる。

「はい。なにか布状の物で首を絞められて殺害されたものと推定されます。凶器はまだ見つかってません」

千里も遺体を見たが、なにかに気づいて、しゃがみ込み、納体袋のファスナーを全開にして、遺体を検めた。そして、立ち上がるなり言った。

「模倣犯ね。便乗犯とも言うべきかしら」

「どうして、そうだとわかるんですか?」

断言する千里に、滝石が理由を尋ねる。

「服を着ていること、指が切断されてないこと、吉川線があること」

千里は早口で捲し立てた。確かに遺体は、千里の言うとおりの状態だった。

「遺体の状態は、首を絞められたこと以外、公表されてない。だから模倣犯だと?」

諸星が千里の方を向いた。

「それもあるけど、諸星、あんたにも話したでしょ。犯人はこだわりを持ってるって。これは、あまりにも違い過ぎる。シーツは何色だった?」

千里が滝石に訊いた。

「ピンク色でした」

滝石が手帳を取り出して、ページをめくると答えた。

「シーツも、色までは公表されてません」

諸星が付け加えた。

「この事件の犯人は、私たちが追ってる犯人じゃない」

千里の言葉に、滝石が異議を唱えた。

「模倣犯と断定するのは早計です。ちゃんと捜査したうえで決めませんと」

「わかってる。一連の事件の手がかりが摑めるかもしれないし、捜査はするわよ」

哀憐の表情を浮かべた千里は、ゆっくりと納体袋のファスナーを閉めた。


 その夜、七節警察署の捜査本部では、本庁と所轄署との合同捜査会議が行われていた。上座にある長机の両脇に設置された、二台の大型スタンドモニターには、現場や被害者の写真が表示されており、数名の刑事が捜査状況を報告している。その会議室に綿矢の姿はなかった。代わりに高円寺が会議を進行していた。ひととおり報告が終わると、高円寺がマイクに向かって、滝石に命じた。

「滝石、お前は、明日から緋波警部と組んで捜査に当たれ」

捜査員席の最後列で、それを聞いた諸星が挙手して、大声で言った。

「係長、僕は警視・・、管理官から、警部と組むよう指示を受けてるんですが・・・」

「合同捜査の場合、本庁と所轄が二人一組で捜査するのが基本だ。だいたい、あの警部は俺を殴るような女だ。それに、前科者資料を無断で持っていったそうじゃないか。そんな身勝手で乱暴な奴、捜査中になにしでかすかわからん。ブレーキ役が必要だろう。滝石、お前がブレーキだ」

(その役目は自分なのに)、諸星はそう思った。隣にいる当の千里は、聞いているのか、いないのか、脚(あし)を組んで、立てかけたタブレットに表示された捜査資料を読んでいた。

「管理官には俺から話しておく。本音じゃクレームつけて、捜査から外したいところだが、捜査員が足りないから仕方ない。頼んだぞ、滝石!」

「わかりました」

高円寺の言葉に、滝石は姿勢を正して応じた。


 捜査会議が終了して、刑事たちが散り散りになっていくなか、諸星がスマートフォンを手に会議室を出て行った。ひとりになった千里のもとへ、滝石が歩み寄る。

「明日から、よろしくお願いします」

「どうも・・・」

滝石は愛想よく微笑んで挨拶を交わそうとしたが、千里の方は、滝石に目もくれず、座ったまま、タブレットを操作しながら、無愛想に答えた。

「今後のために、スマホの番号、交換しておきましょう。ね?」

そんな千里の態度にも、笑顔を絶やさない滝石は、スマートフォンを前に出した。ひとつため息を吐いた千里は、面倒そうに上着からスマートフォンを取り出す。ふたりは互いに電話番号を交換した。


 七節警察署の外に駐車してある覆面パトカーの前で、諸星は綿矢に連絡を取っていた。

「警視、七節署の係長から話が来ると思いますが、緋波警部と行動を共にすることができなくなりました。すいません」

-そうか・・。だが、それも計算ずくだ。きみは引き続き、彼女を見てなさい。なにか変わった兆候があれば、すぐに連絡するように。

「わかりました」

電話を切った諸星は、暗くなった天を仰いだ。


 翌日、何棟もの建物が縦横に立ち並ぶ団地の歩道を、千里と滝石が歩いていた。捜査会議の報告によれば、被害者の女、畑中沙奈はたなかさなには交際している男がいた。名前は菊池智巳きくちともき。現在、その菊池の所在が摑めていないという。高円寺の指示で、ふたりは、菊池と親しくている人物に聞き込みをすべく、自宅へと向かっていた。公園に差し掛かったところで、泣き叫んで立っているひとりの小さな女の子を見かける。四、五歳ほどと見られる女の子に、滝石は駆け寄ると、屈んで視線を合わせた。

「どうした、迷子か?」

優しく声をかけた滝石に、女の子は泣きながらもうなずいた。

「お父さんや、お母さんは?」

滝石が訊くと、女の子は首を横に振って答えた。

「どっか行っちゃった・・・」

「わかった。おじちゃんが見つけてやる」

女の子の頭をポンポンと叩いた滝石に、千里が冷たく言った。

「交番の警官に任せればいいじゃない」

「でも、心配じゃないですか。放っておけませんよ。自分、昔は警視庁のキッズコーナーにいたんで子供には慣れてるんです。あー、泣かないで。大丈夫だから」

温かみのある笑顔で女の子をなだめる滝石の姿を見た千里の瞳に、妹の面影が追憶としてよみがえり、重なった。

「ゆかりー」

そのとき、遠くから大きなエコバッグを提げた女が駆けてきた。女の子の母親だった。滝石は警察手帳を掲げると、事情を説明した。

「買い物途中で、はぐれてしまって。ご面倒おかけしました」

深々と腰を折る母親の顔を上げさせた滝石の顔が厳しくなった。

「ダメですよ、目を離しちゃ。でも、よかった」

だが、その顔もまたすぐにほころんだ。歩き去っていく親子を、滝石はにっこりしながら見送った。

「お人好しって言われない?」

傍らで、その様子を見ていた千里が訊いた。

「よく言われます。けど、警察官はそうあるべきだと思っています」

「あ、そう。行きましょ」

ふたりは、再び歩き出した。


 団地の一棟に着いたふたりは、三階まで上り、いくつかあるドアのうち、ひとつの前に立つと、滝石がチャイムを鳴らした。ドアが開いて男が顔を出す。顎に髭を生やして、右耳に大きなリング状のピアスをした二十代半ばの男だった。

濱尾圭太はまおけいたさんですか?こういう者ですが」

滝石が警察手帳を示す。

「そうだけど。なに?」

濱尾は投げやりな態度で応じた。どうやら警察に対しての心証を悪く持っているようだ。

「早速ですが、この男性に見覚えは?親しくされていると聞きましたが」

スマートフォンに表示された菊池の顔写真を、滝石は濱尾に見せて訊ねた。

「菊池さん?この人がどうかしたの?」

「自宅にいらっしゃらないようで。菊池さんがほかに行きそうな場所に心当たりはありませんか?」

濱尾の目が一瞬泳いだ。滝石の後ろで壁に寄りかかり、腕を組んでいた千里はそれを見逃さなかった。

「知りませんよ。もういいですか」

苛立たしげにドアを閉めようとした濱尾を千里が遮った。滝石を押しのけて身を乗り出すと、濱尾の胸倉を摑んだ。

「あんた、居場所知ってるでしょ」

「知らねえっつってんだろ。そっちこそこんなことしていいのか?暴行したってネットに晒すぞ。このクソ警官」

濱尾が口走った脅迫と罵りの言葉に目を吊り上げた千里は、胸倉から手を瞬時に移して、濱尾の頭を固定するかのように摑んだ。そして、もう片方の手で濱尾のしているピアスの輪に指を入れ、思い切り下に引っ張った。

「やれるもんならやってみろよ。クソ野郎」

千里が不敵な笑みを浮かべながら、静かに返す。

「痛い痛いっ!」

耳たぶから血をにじませた濱尾が悲鳴を上げる。今にも引きちぎられそうだ。

「やめてください!緋波さん!」

滝石が慌てて止めに入るが、千里には効いていない。

「わかった、しゃべる。しゃべるから、放して!」

苦痛に顔を歪めた濱尾は口を割った。千里が払うようにピアスから手を放す。

「菊池さんが行くとしら、近くのネットカフェだ」

耳たぶを摩りながら、濱尾が話した。菊池は自宅近くにある二軒のネットカフェをよく利用していたらしい。ふたりは濱尾から、そのネットカフェの大体の住所を訊いた。


「緋波さん、無茶が過ぎます。相手は一般人なんですよ」

 団地を出た滝石は咎めるように言ったが、千里は聞く耳を持たず、スマートフォンを操作していた。

「ここからは二手に分かれましょう。私はこのネットカフェ行くから、もうひとつの方、お願い」

千里は滝石に、スマートフォンに表示されたネットカフェの店舗写真を見せた。


 滝石はひとり、濱尾が供述した二軒のうち、一軒のネットカフェに赴いた。カウンターにいる店員に警察手帳を掲げ、菊池の顔写真を見せて訊ねると、昨日から泊まり込みで来店しているという。店員に菊池が泊まっている個室を聞き出した滝石は、そこへ向かった。


 滝石が、菊池のいる個室のスライドドアをノックするが、応答がない。

「失礼します」

スライドドアを引くと、室内に菊池の姿はなかった。テーブルに置いてある飲みかけの紙コップから湯気が立っている。先ほどまで、そこにいたと思った滝石が中に入ろうとしたとき、リュックを背負い、キャップ帽を被った男とぶつかった。

「あっ、すみません」

滝石がひと言謝るが、キャップ帽の男は、そのまま通路を歩き去っていった。直後、滝石の身体からだに形容しがたい激痛が走った。見ると、脇腹にナイフが刺さっていた。滝石は壁にもたれかかり、力が抜けたようにへたり込んだ。傷口から出た血で。スーツの上着が少しずつ濡れていく。異変に気づいた店員が駆け寄り、すぐに救急車を呼んだ。

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