第2話

 捜査本部が設置された七節警察署に到着した。上着のえりに赤バッジを付けた千里は、諸星と共に署内へ入っていった。捜査資料のある文書保管室へ向かう途中、<七節町二丁目橋殺人事件特別捜査本部>と書かれた戒名が貼られた会議室の前を通り過ぎたとき、出入り口の前で刑事らしきスーツの男ふたりが愚痴をこぼしていた。

「ったく。柿田かきたさんは謹慎食らっていないし、中村なかむらも出張で北海道だし、ただでさえ人員少ないのに。あの係長、無茶ばかり言いやがって」

「俺なんか三時間しか寝てないよ。しかも無理やり起こされて」

そんな男たちを後目に、千里と諸星は警務課の署員の案内で文書保管室に着いた。何台かの書棚に数十冊ものファイルが所狭しと並べられている。署員が該当のファイルを取り出して諸星に渡すと、礼をして部屋から出て行った。千里は黙って諸星からそのファイルを奪い取ると、ページをめくった。


 数分後、壁に寄りかかって捜査資料を読み込んだ千里はファイルを閉じた。

「違う・・・」

千里がファイルを見つめて呟いた。

「違うって、なにかわかったんですか?」

暇そうにしていた諸星が千里を見たとき、開いているドアをノックする音が聞こえた。ふたりが振り向くと、男がひとり立っていた。

「本庁の刑事さんがここでなにしてる?」

魚のような顔で、長い前髪をセンター分けにし、ダブルのスーツを着ているその男がふたりに歩み寄ってきた。

「あなたは?」

諸星が訊ねると、男は仰々しく答えた。

「刑事課強行犯係係長の高円寺満こうえんじみつるだ。本庁から応援が来ると聞いてたから、どんな奴かと思えば、ひとりは女か」

高円寺は鼻で笑った。女性蔑視に近いその態度に千里の目つきが変わった。ファイルを諸星の胸に叩きつけるように渡すと、高円寺の顔面を一発殴った。床に尻餅をついた高円寺は鼻から血が出ているのを指で拭って確かめると、声を荒げた。

「いきなり、なにすんだよ!」

千里は怒気を含んだ目で高円寺を見下ろした。

「次また、あんな顔したら殺す」

静かにそう言い置いて千里は文書保管室から出て行く。一瞬なにが起こったのかわからず茫然としていた諸星は我に返り、ファイルを棚に戻して、高円寺に謝罪の意味でお辞儀すると、急いで千里の後を追った。


 多くの刑事が忙しなく出入りしている捜査本部の会議室に千里は入った。奥の方へ歩きながら会議室の様子を窺っていると、上座の長机に顔写真と前科前歴が記載された資料が数部置かれていた。その資料をざっと垣間見ていくと、ある人物の資料に目が留まった千里はそれを抜き取った。ちょうどそのとき諸星が追いつくが、捜査本部を出て行く千里の姿を見て、ため息をひとつ吐くと、再び走って追いかけた。


「ちょっと!どこ行くんですか?」

 警察署を出て階段を下りる千里に諸星が後ろから呼びかけた。駐車してある覆面パトカーのもとまで来た千里は、ついてきた諸星に先ほど拝借した前科者資料を見せた。

「こいつに会いに行く。場所言うから運転して。それとも私がする?」

「いや、僕が運転しますよ。にしても、そいつ誰です?」

諸星が資料に載っている写真を指差した。

富樫晶とがしあきら。被疑者候補のひとり。二年前の事件でも捜査線上に上がってた」

千里が言うと、諸星は写真を指差していた手をパーにして開いた。

「待ってください。この紙どこから・・、まさか捜査本部から勝手に持ち出したんですか?」

諸星の質問に千里は口をつぐんだまま、早くしろとばかりに覆面パトカーのルーフを叩いた。

「マズいよなー。あとで絶対怒られるよ・・・」

気が気でない諸星は項垂れたまま覆面パトカーのドアを開錠した。


「殺害方法や遺棄以外で、被害者になにか共通点ってないんですかね」

 運転する諸星がなんとなく言った。

「全員、七節区ななふしく在住ってことくらい。年齢も職業もばらばら」

助手席で腕を組み、サイドウインドウに目をやっていた千里が答えた。

「緋波警部、保管室で『違う』って言ってましたけど、なにが違うんです?」

諸星が訊ねた。

「犯人はふたりいる・・・」

正面を向いた千里が呟いた。

「えっ、ふたり?」

聞き返す諸星に、千里は説明を施す。

「違う点は三つ。ひとつは一、二件目に比べて三件目と今回の事件の方が被害者の首に付着していた手袋痕が大きかったこと」

「それは単に違う手袋を使ったんじゃ?」

諸星は意見を述べた。

「仮にそうだとしても、首を絞めたときは大きな力が加わるから、手袋をしていても指の形が自然と浮かび上がってくるものなの。その大きさに差があった。同一犯とは思えない」

言い切った千里が続ける。

「それに、下足痕」

「下足痕、足跡ですか?」

諸星が訊ねた。

「犯人らしき下足痕のサイズが少し違うのよね。そこも気になる」

千里は顔をしかめた。

「もうひとつは、指の切断箇所。二件目までは第二関節から切られてるのに、それ以降は第三関節、つまり指の付け根から切られてた」

「ただの偶然では?」

諸星はまたも意見した。

「殺害も遺棄の仕方も統一されてた。この犯人はこだわりを持って犯行に及んでる。なのに、切断箇所が急に変わったのが妙に納得いかない」

千里の胸には確信と疑念が入り交じり、渦を巻いていた。

「それで犯人はもうひとりいるかもしれないと?」

ハンドルを切りながら諸星が言った。前方を見据える千里は考えを巡らせていた。


 千里と諸星は、七節町の一角にある古びた雑居ビルの階段を上っていた。

「富樫ってのは、どういう奴なんです?なんで被疑者に上がったんですか?」

諸星が訊くと、千里が富樫という男について話した。

「二件目の事件が起きたとき、富樫はネットの掲示板で自分が犯人だと吹聴してた。それを見つけた当時の捜査員たちが調べたら、こいつ、<芸術的殺人>なんて、ふざけたサイトを立ち上げてて、その中のひとつに一連の事件と同じ遺棄の仕方が書かれてた。しかも富樫は一度、殺人未遂で懲役受けてたから、参考人として、私が本人に取り調べをした。あいつは自分がやったって言ってたけど、細かい点に関しては供述があやふやで、証拠も出なかった。でも、なにか知ってるような口ぶりだった」

ふたりは、あるフロアに行き着いた。狭い通路の両脇にはサブカルチャー的な店舗が軒を連ねている。

「あー、それじゃあ、今回は本当にやったと思われて被疑者候補になってるんですか」

諸星は納得した顔色をした。

「富樫の資料があるってことは、捜査本部はそう考えてるみたいね」

千里が先頭を行って歩みを進めると、中古商品を扱うパソコンショップを見つけて、ふたりは店内に入っていく。奥のレジカウンターに、パンクTシャツに金髪を逆立てた三十代半ばの男が椅子に座ってノートパソコンを操作していた。

「あっ」

諸星が小声を上げた。その男こそ、今まで話題にしていた富樫だった。

「お客さん?」

目の前にいるふたりに気づいた富樫が目を細めて言った。

「警視庁の者です」

千里の後ろにいた諸星が警察手帳を掲げてみせた。

「警察・・?あれっ、あなた、前に俺のこと取り調べた刑事さんでしょ?随分と印象変わったねえ」

富樫は舐めるような視線で千里を指すと、当人はふっと笑みを浮かべた。

「覚えてたんだ・・。一週間前に起きた殺人事件、知ってる?」

千里は店内を歩き回りながら富樫に訊いた。

「ああ、死体がぶら下がってたっていうあれだろ?テレビでもネットでも騒いでるよ」

「前みたいに言わなくていいの?あれは俺のアイデアだって」

「俺が殺したと思ってんのか。今の俺はあんときとは違う。サイトも閉めて、正直に生きてますよ」

富樫が千里を目で追いながらせせら笑う。

「あんたが殺したと思ってない。けど、なにか隠してるでしょ。正直に生きてるなら話してくれない?」

千里はレジカウンターに置いてある冊子を手に取り、ペラペラとめくった。

「なんのことだか・・。最初に見たときから思ってたけど、刑事さん美人だよねえ。死体になっても綺麗なんだろうなあ・・・」

富樫はあらぬ妄想をしながら答えた。千里は笑みを消して冊子を筒状に丸めると、レジカウンターにいる富樫に近づき、丸めた冊子の先端で富樫のあごを勢いよく突いた。そして、上方に持っていかれた富樫の額を押さえると、半開きになった口の中に、その冊子を強引に喉奥まで押し込めた。

「警部!死んじゃいますよ!」

さすがに度を越していると、諸星は身を挺して止めに入った。千里を羽交い絞めにしてなんとか富樫から引き離す。冊子を吐き出した富樫はむせびながら床にくずおれた。興奮冷めやらぬ千里は、諸星の腕を振り解くと、四つん這いになっている富樫のそばにしゃがみ込んで、逆立った髪を根元から摑んで顔を上げさせた。

「話さないと、お前の指を一本ずつ折っていく。それでも話さなかったら目玉をえぐる」

千里は髪を摑んだまま、もう一方の手で床に落ちていたボールペンを拾い上げ、キャップを取ると、ペン先を富樫の目の前に突き立てた。

「お・・、俺のサイトにメールが届いたんだよ。『あなたのプランを採用しました』って、その次の日に逆さまに吊られた死体が見つかったってニュースで見て、俺が考えた方法なのに・・、許可なしに勝手に使われたと思った俺は、自分がやったって言い触らしたんだよ」

富樫は怯えながら告白した。

「なんで取り調べのとき言わなかったの!」

千里が激しい語気の声を出す。

「今言ったろ。俺が考えた方法だ。ほかの奴に盗まれたなんて、プライドが許さなかった」

「チッ」

舌打ちした千里はさらに問い詰める。

「で、メールの送り主は誰?」

「わからない。匿名だった。サイトも閉じたから、そのメールも見れないよ」

「クソッ!」

手を放した千里は立ち上がった。

「刑事さん・・、怒った顔もいいねえ・・・」

不快な笑顔を見せた富樫の腹を、千里は力強く蹴り上げた。腹を押さえ、身体を丸くしてうめく富樫を横目に、ボールペンを放り投げた千里は店を後にした。こんなとんでもない人と自分を組ませるなんて、諸星は命令を出した綿矢に、やや嫌悪の情を抱いた。


「なにが卓越した捜査能力だよ・・。ただの暴力じゃんか」

 綿矢の言葉を思い出した諸星は独りごちた。

「さすがにやりすぎです。懲戒モンですよ」

前を歩く千里に、諸星が諭すように注意した。

「あいつが気持ち悪いこと言うから」

全く反省の色が見られない千里に、諸星は呆れ返りながらも訊いた。

「富樫はこの事件の犯人じゃないんですか?」

「あいつは人殺しとしておおやけに出たがってるふしがあった。犯人だったら最初から私たちに口を割ってる。それに、今はもうその願望はなくなってるみたいだったし」

ふたりが覆面パトカーに乗り込んだとき、警視庁の通信指令室から無線が入った。逆さ吊りの遺体が発見されたとの一報だった。

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