Case.16 痩せてるあなた

 僕はとても貧弱な体をしている。

 

 正直、細いという印象はとっくに通り越してもしかして病気なのでは?と思われることもしばしば。

 両親は勿論のこと、年に一度の親戚の集まりでもみんなに「細いね〜。大丈夫かね!?」と言われてしまう。

 そうそう、この前なんて、初めて入ったラーメン屋で、忙しそうにしている店主に「おまえ、チャーシューサービスするからもっと食え!」と言われてしまう始末…。

 そんな僕だが、健康の為に毎朝三キロのジョギングをしてるし、それに三食欠かさず食べてる。だけど思ったように体重が増えないんだからしょうがないじゃないか。


 でも、まあ、それは強がりってもので…。


 実は、この年になると、さすがにもう少し体重が欲しいと真剣に思っているし、それが悩みでもある。

 大学のゼミで、生徒同士の連絡に使っている全体ラインに「来週、海行こうぜ!」と来たけど、返事もせずにスルーしたのは、こんな貧弱な体をみんなに見せる訳にはいかないと思ったからで、本当はみんなと海で遊びたかったな…って、うじうじと今も思っている。だけど、まあ、そもそも僕のことなんて、みんな気にしてないのだろうけど…。


 僕は、とぼとぼと大学の門を後にする。

 小さな公園の向こうに地下鉄に降りる階段がある。僕は、年季が入った二つのブランコの脇をゆっくりと通り抜けて行った。


「待って、待ってってば!」


 ん?えっ?僕?

 僕が声をかけられる訳がないのに、哀しいかなつい振り向いてしまう。

 その時、足下に黒いものが触れ、それはすぐ脇の草むらに音も立てずに逃げ行った。


「もう、ほんとに!!!!!」


 あ〜、もうっ、、と言いながら肩で息をしているのは、確か同じ大学の生徒の女子、学園際のポスターで見たことがあったような気がするが、名前は…、えっと、なんだっけ?

 そんなことを思っていたらその彼女が僕のことをじっと見ていることに気づいた。


「あの…」

「はいっ!?」


 声をかけられるなんて思いもしてなかったので、思わず声が裏返る。


「つかぬ事をお聞きしますが、さっき私が取り逃がした猫ちゃんが化けたんじゃないですよね」

「はぁっ!?」


 今度は、さっきよりも大きな声が出ていた。


「ずっと気になってる猫ちゃんがこの公園に棲みついてて、保護したくて何度もチャレンジしてるんだけど凄くすばしっこくて、いつも逃げられちゃうの」

「へぇ〜、そ、そうなんだ」

「へ〜、そうなんだ〜なんて、よく言えるわね貴方。貴方をずっと追いかけている私の身も考えてみてよ」

「いや、あの、だって、僕、猫じゃないし」


 彼女は、さらに僕の全身に視線を集めて何度も上から下まで見ている。


「もう、騙さなくてもいいわよ。私わかってるし」

「あの、猫が化けるなんてある訳ないでしょっ。ほんと、アニメとか見過ぎだよ。絶対にそんなの起きないし」

「え〜、だって、あの子、貴方と同じで凄い痩せてるし、なんだか雰囲気が凄く似ているもの」

「えっ、でも、流石にそれはないってば!」

「あっ、そうだ!あの子、右の手の裏側に二本、傷があるのよ」

「えっ?」


 僕は思わず長袖のシャツの上から右手を掴む。

 先週、ジョギング中に泥濘ぬかるんだ土手で転けてしまい、その時に傷を作ったのだ。それは、今も僕の右手の裏側でかさぶたになって残っている。


「見せて」

「え?な、なにを!?」

「見せて、ほら、右手」

「やめてくれよ!なんで僕が君に見せないと駄目なんだよ」

「だって、あなた、自分は化けてないっていうからよ。ほら、何もなかったら信じてあげるから。ほらほら」


 そういうと彼女は僕に近づくと僕の右手を取り、シャツを折り曲げた。


「あっ、ほら!やっぱりあった!」

「いや、違うって、違うってば。これはこの前、ジョギングで転けた時に…」

「良かった。本当に良かった…」


 僕が必死で言い訳をしているのに、彼女は僕の右手を掴んだまま、しくしくと涙を流し始めていた。

 あ〜、もう、いいや。そうだ。そうだよ。僕はあの痩せている猫が化けてる人間なんだ。そうそう、そうです、そうです。


 僕はちょっと自棄になっていた。


 「そう、僕が君が探している猫なんだよ」


 こう言えば、きっとこの子は満足してくれるんだろう…。



- - - - - - - - -


「今週の譲渡会、ほら、僕らの大学の近くにあった公園の広場でやるんだって」

「え〜!、そうなんだ〜、懐かしいね〜。今、あの辺り、高層マンションがいくつも建っているから、この子らを大事にしてくれる家族がきっといるね」

「そうだな。よし、少しでもこの子らを美男美女にするために、今日はお風呂に入れてシャンプーしちゃおう!」

「ふふ、そうね。そうしましょう」

「それにしても、思い出すわね。私達が初めて話をした時のこと」

「ははっ。あんなインパクトある出会いってなかなかないよな」

「貴方、本当に痩せてて、私が追っかけていたあの子猫にそっくりだったんだもの」

「しかし、二十歳を過ぎた大人が、”あなた、化けてるわね”なんていうから心底驚いたんだっけな…」

「ふふふ」

「まあ、でも、そのおかげで今こんなに幸せなんだもんな」

「そうよ。私が頑張ったからよ。感謝しなさい」

「えっ?頑張ったって?」

「あっ、まだ言ってなかったっけ?」

「何を?」

「あれ、私の作戦だったんだ…」

「えっ?作戦?」

「そうよ。私、貴方のことずっと気になっていたの。だけど、ゼミは違うし、サークルにも貴方入ってなかったし、接点がないじゃない?だから、あの公園で貴方を見かけた時、前から考えていたことを行動に移したって訳」

「そ、そうなのか!?おいおい。演劇部のヒロインを務めてた大女優に僕はまんまと騙されたって訳か?」

「ふふふ。でも、いいじゃない。私とっても幸せよ。ん?貴方はどうなの?」

「ばか、僕だってこんなに素敵な奥さんがいて、この子らがいて…。最高に決まってるじゃない」

「あの時あんなに痩せていた貴方が今はこんなんだもんね。ふふふ」

「いや、これは、ちょっと、流石にダイエットしないといけないレベルだよな…」

「ううん。余り痩せすぎてるとまた私の前から逃げていっちゃうから、これくらいが丁度いいと思うな…」

「お前さ…、ほんとそんなに恥ずかしいことを良くもさらっと言えるよな」

「えー、そんなことまだ分からないの?だって、私、根っからの女優だもの。ふふふっ」


 そうなんだ。全く気づかなかったな…。


 実は、僕も彼女に隠していることがある。

 

 君が僕を追いかけてきたあの日あの時、精気のないひょろっとした男性が公園を歩いていたんだよな…。僕は君から逃げるために一生懸命で、前をちゃんと見てなかったからその男性にぶつかってしまったんだ。

 彼の足に僕の尻尾が絡まるように振れた瞬間、何故だかわからないけど、僕は彼と入れ替わってしまったんだ。

 で、今に至るって訳さ。なんだか不思議だよね。こんなことあるんだなぁ。


 彼は今どこにって?

 シャンプー好きな彼は、ほら、僕の足下を今もご機嫌に走り回っているよ。



終わり

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猫の爪とぎ かずみやゆうき @kachiyu5555

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