第2話 愛さないと言ったけれども

「異界の迷い子に生きているうちにお目にかかるとは思わなかったなあ」

「ディルクがそう言うなら、やはり本物か」

「うん。間違いないよ」


 新郎新婦不在の宴席を楽しんでいたディルクを呼び出して魔眼で視させると、このアマーリエの体の中うつわには異界の迷い子がたしかに入っていると言い切った。

 幼なじみであり、魔法省の次期主席と目されているディルクの鑑定は信用に値する。

 

 改めてアマーリエ――マリを見ると、ほっとしたように表情を緩めていた。

 ディルクは雰囲気も口調も気安く、人に警戒心を抱かせないタイプだ。呪術から解き放たれたことと、話が分かる部外者が来たことで安心したのだろう。

 

 しかし、ディルクから簡単な魔法を見せられたマリは驚きの声を上げて感心し、その後の不躾な聴取にもすべて素直に答えていたのには逆に心配になった。

 ちょろすぎないか。少しは人を疑え。プライベートな質問は回答を拒否しろ。

 

「えー、じゃあマリは恋人とかいなかったの? キスも経験なし?」

「うん。母親がそういうの煩くて」

「……おい。もういいだろう」


 いい加減に止めさせれば、ディルクに訳知り顔をされた。なんだっていうんだ。

 

「そうだね、必要なことはだいたい聞けたかな。じゃあ、王宮への届けは僕がしておくよ。僕たちとマリの世界の生活様式に大きな乖離はないようだし、特別措置は必要ないと思う。そうすると必然的に保護者はジークだろうね」

「保護者? 私たち親子になるの?」


 こくりと首を傾げたマリは、さらりと肩に流れた金の髪を手で払おうとして一瞬動きを止めた。

 元の世界での髪は黒色で短かったと言っていたから、違和感があるのだろう。

 

「あはは! 違うよー、ええとね、身元保証人っていうこと。異界の迷い子に特別なにかあるって訳じゃないけど、念のためにね」

「あっ、わかった。私が妙なことをしないように監視するんだね!」

「もう、マリ。僕がせっかくオブラートに包んだのに」

「気遣いを台無しにしてごめんなさい? 国家転覆とか企まないから心配しないで」

「えー、本当ー?」

「ほんと、ほんと」

 

 ははは、とディルクとマリが大口を開けて笑い合う。穏やかではない内容をあっけらかんと話す二人に、俺だけでなくハインツたちもやや引いていることは気にならないらしい。

 今のマリからは、さっきまでの懐かない猫のようなピリピリとした空気が消えている。

 笑みを向ける対象がディルクと使用人の二人に限定されているところ、俺に対する警戒は解けていないと分かるが。


「マリも大変だったね。入れ替わったらいきなり結婚してて驚いたでしょ。ジークはこの結婚をかなり嫌がっていたからさ、もしかして酷いこと言われたんじゃない?」

「大正解ー!」

「うわっ、やっぱり」

「人の話で勝手に盛り上がるな。……当たる相手が違ったと、反省している」

「へっ? 反省? ジークが? ちょっとマリ、コイツにどんな魔法かけたの。こんなにしおらしいジーク、初めて見るんだけど」

「いや私、魔法なんてできないし。でも、その件に関しては私も失礼だったと思う。親子ゲンカの八つ当たりもしちゃってました。ごめんなさい」


 ざっくりと謝罪を述べながら深く頭を下げられ、思わず自分も悪かったと再度謝って、またディルクに目を丸くされた。

 さっきから、マリといると調子が狂う。

 ペースを乱されること自体は遺憾だが、不愉快ではないのが我ながら妙だ。

 

「でもさあ、この人の気持ちは分かるんだ。オルロープ伯爵夫妻もヒルデガルドも、お近づきになりたくないタイプだもん」


 異界の迷い子は、体に残る記憶を自分のものとして擁する。

 つまり、マリとアマーリエはお互いの記憶を共有しているのだ。ただ、感情までは同一にならず、あくまで他人の記憶という線は引かれているらしい。

 

 アマーリエが明かしたオルロープ伯爵家の負の部分は、貴族家には珍しくないとはいえ、聞いていて気分のいいものではなかった。

 先妻の娘であるアマーリエへの虐待だけではなく、マリの返答からは伯爵夫妻が横領など悪行に手を染めていることが窺えた。

 縁戚になったからとて、いや、なったからこそ不穏分子に容赦はしない。

 我がミュラー伯爵家に飛び火する前に粛々と排除せねばならないと、胸の内で算段をする。

 

「結婚相手がヒルデガルドからアマーリエに代わったことは、あなたにとっては悪くなかったと思うよ。アマーリエはちょっと気が弱いけど本当にいい子だから」

「今は中身がマリだけどねえ」

「そのうち入れ替わりが戻るかもしれないでしょ! きっとお似合いだよ、仲良くしてあげてよね」

「……本人に会ってから決める」

「えー」

 

 明言を避けたことにマリは不満そうだが、世間に広がる「アマーリエの悪評」を真に受けて失態を晒したばかりだ。

 

「いくら良い話を聞いたからと言って、本人のひととなりが分かるわけはないと学んだ」

「だ、旦那様が神妙になられている……!?」

 

 ハインツにまで意外がられた。なんだよお前ら、俺はそこまで分からず屋じゃないだろうが。

 

「ねえディルクさん。この人って、もしかしてピュアなの?」

「実はそうなんだよ、マリ」

「そこの二人、茶化すな」


 ムッとする俺を見上げたマリの瞳が楽しげに細められる。

 菫の色をしていると、そのとき初めて気がついた。

 

「ふふっ。少しは仲良くできそうで、ちょっとほっとした」

「……っ、そ、そうか」


 初めて向けられた笑みに、詰めていた息を吐く。

 胸が少し軽くなったのはきっと、出会い頭の無礼を許されたように感じたからだ。


「ふーん……?」

「なんだよ、ディルク」

「いや。これから楽しみだなあと思って」


 ニヤニヤと思わせぶりなディルクに軽くムカついて、マリとの初日はそうして終わった。



 §



 マリの部屋を当初に予定していた別邸ではなく俺が住まう本邸にしたのは、異界の迷い子であるマリを監視……いや、見守る必要からだ。

 彼女が異界の迷い子だということは上層部の一部のみが知る事実で、マリの公的な肩書きは俺の妻であるミュラー伯爵夫人である。

 しかし異世界人であるマリにこの世界の伯爵夫人としての役が果たせるわけはない。急な病を得て長期療養中ということにした。

 

 女主人の仕事はしなくていいと告げ、本人の好きにさせていたら、メイドの制服を着て使用人と一緒になって床を磨いていたのには驚いた。

 マリの専属侍女につけたエラが言うにはなかなか筋がいいそうで、腕利きの上級メイドとして育ちそうだと……それもどうかと思うし、一応俺の妻であるマリには必要ない技術のはずだが。

 しかし、住まいと使用人について把握し、この世界に馴染むためと本人に言われれば、すぐに止めさせることもできなかった。

 

 療養を口実にしているため、マリは頻繁に出かけられない。

 できる限りの体験と知識を家で得られるようにしろとディルクから言われていることもあるが、あの菫色の瞳でまっすぐに見つめられると、断ってがっかりさせるのが忍びなくなってしまう。

 おかげで今日も、マリは朝食後からずっとキッチンに籠もっている。


「旦那様、ディルク様がお見えです」

「わかった。応接室だな」

「いえ、キッチンに向かわれました」

「は? あいつ、またか!」


 書き途中の書類を大急ぎで確認しサインを入れると、足早に執務室を出る。背後でハインツの忍び笑いが聞こえた気がしたが、無視だ。

 階下の厨房の扉を開けるとディルクや使用人……それにマリの笑い声と甘い香りに迎えられる。


「あっ、ジーク。お邪魔してるよー」

「本当に邪魔だな。王宮で山ほど仕事が待っているだろうに」

「頼もしい部下に任せてきたから平気だよ」

「その部下から泣き言を聞かされるのは俺なんだが」

「まあまあ。だってさあ、新作の予感がしたんだもん」


 そう言って、ディルクが示したテーブルの上には、また初めて見る焼き菓子が並んでいた。


「ええそうですよ、旦那様! マリ様の! 新作! できたて!」

「エラってば、そんな持ち上げないで。私が考えたわけじゃないし、こっちの材料でいい感じに作ってくれる凄腕シェフのフリッツがいてこそだし」

「だって今回のこれもおいしそうです! 早く試食しましょ!」

 

 マリが「料理をしたい」と言ったのはこちらに来て十日目のことだった。

 合わないわけではないし不満はないが……と申し訳なさそうに前置きした上で、基礎となる食生活が違って慣れないと告白した。

 向こうで料理は実益を兼ねた趣味だった。時々でいいからここでも自分の好きな料理を自分で作りたい、と訴えるマリに、それもそうかと納得する。


 新しいもの好きの料理長に興味津々に覗き込まれながら、マリが最初に作ったのは、あっさりとした味わいの魚介スープだった。

 バターやクリームを使わない、澄んだブイヨンのままのスープは一見淡泊だが滋味に溢れていた。溜まっていた決裁処理で徹夜明けだった俺の胃がやたら喜んだ一品だ。

 そこから始まって、料理だけでなく最近はよく菓子を焼いている。

 

 今日のこれは、スライスしたナッツが入った薄いクッキー……だろうか。くるりと半円を巻いたような形が、バラの花びらのようにも見える。

 聞けば、平らに焼けた生地がまだ柔らかく熱いうちに麺棒に押し付け、わざわざカーブをつけたそうだ。


「味は変わらないんだろう。なんでそんな手間を」

「これはそういうお菓子で、向こうではアーモンドチュイールっていうんだよ。それに、くるんってしてるほうが、かわいいじゃない」

「かわいい……これも『かわいい』なのか?」


 マリは頻繁に「かわいい」と口にする。

 小さいものの愛らしさを示す言葉のはずだが、子犬などに対してだけでなく、庭師が使い倒してよれよれになった麦わら帽子にも「かわいい」と言ったりする。

 挙げ句の果てに、俺の頭についた寝癖にまでそう言うのだから、正直マリの感覚はよくわからない。


「ふふっ、理解できないって顔してる」

「無駄なことをしているとは思う」

「そう言いながら、私の好きにさせてくれるんだよね、ハルトは」

「禁止する理由もないからな」

「あはは! ありがとね! ハルトもこれ好きだと思うよ、ナッツだし」

 

 持ち込んでも害のない情報と判断された「マリの異世界レシピ」は、形を変えてこの屋敷に根を下ろした。

 ディルクを通して王宮にも伝わった結果、王族主催の晩餐会にも出されている事実をマリはまだ知らない。

 

「えっ、最近ナッツ系のお菓子が多いのって、もしかしてジークの好みに合わせてるんだ?」

「最近また忙しそうだったし、家主のご機嫌を取っておいたらなにかと便利かなあって思って」

「……家主……」

「ぷぷっ、ジークがショック受けてる」

「マリ様、そこはって言わないと!」

「えっ?」

 

 ディルクの揶揄やエラの小声アシストよりも、「家主」と言い切られたことが地味に痛い。

 俺とマリは書類上の夫婦にすぎないから、家の主と客人という関係こそが事実なのは百も承知だが。

 

 ――アマーリエの体に残された記憶から掴んだオルロープ伯爵の不正は、その後順調に告発と裁きが済んだ。

 俺と結婚して離籍していたアマーリエ以外の三人は、刑に処された。

 いつか「アマーリエ」がこの世界に戻ったとしても、あのオルロープ伯爵家に関わることはないと分かるとマリは嬉しそうだった。

 

 マリはいつも、真っ先にアマーリエの……他人の心配をする。

 強気な物言いとは裏腹に自分を後回しにするマリをどうにか甘やかしたくて、使用人たちも構い倒している。

 

 マリの世界に行ったアマーリエとは、夢で会い、お互いのことなどを話したそうだ。

 当初は毎日のようにあった夢での邂逅は次第に日が空くようになり、半年経つ頃には月に一度ほどに減り、明日で一年になる今ではもう三月も会っていないという。

 

 向こうに渡ったアマーリエは家を出て、信用できる人のもとで、ゆっくり心と体を癒やしているらしい。

 あちらでの暮らしに満足している、入れ替わって幸せだと言われたと、その言葉がたとえ自分の願望だったとしても嬉しいと、いつかの夜にマリは初めて涙をこぼした。


 自分だけがここで幸せなのは苦しかったと泣いたマリに、思わず口付けたらその後五日も避けられた。

 最終的に「嫌ではなかった」「恥ずかしくて顔を合わせづらかっただけ」と真っ赤になったマリに詫びられ、すれ違いは終わったが、あの時期は使用人からも腫れ物に触るような扱いをされてしんどかった。

 

 試食の支度が進むテーブルを眺めていると、ディルクが近寄ってきて耳打ちをする。


「で、プロポーズしたの?」

「放っとけ」

「入れ替わりは戻らず固定っていうのが、この一年見てきた魔法省の見解だけど、万が一ってこともあるし。引き止める要因は多いほうがいいと思うけどなー」

「……明日は来るなよ」

「おっ? そうきたかあ、了解。今度は間違えるなよ」

「ああ」


 一年前、マリがここに来たのと同じ日、同じ時。

 「君を愛さない」との宣言を撤回して跪く準備はできている。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛さないと言われたけれど/言ったけれども 小鳩子鈴 @k-kosuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ