壇上のすべて

小西オサム

壇上のすべて

 私が小説の賞を取ったときには既に、執筆の楽しさなど分からなくなっていた。しかしそこまでの実力になったという自覚がなけなしの自尊心を養った。その瞬間からだろう。小説だけが私が精一杯の装いをするためのとっておきとなった。

 それまでの私の足元は事あるごとに震えていた。友人や家族などと話す際も私の足場はまるで不安定であり、誤魔化すことばかりを覚えてしまっていた。しかしその過去は、賞に選ばれた直後の私からすればもはや無縁のものであった。

 賞のない私のかつての作品など意味がないのだろう。賞さえあれば、私は小説を着込むように大路を歩くことができる。私はもう小説家なのだ。大丈夫だ。これからの私は小説家であり、小説家として生きられる。そう、思ってしまっていた。しかし、受賞作という服が劇的に増えることなどなかった。

 小説家以外に生きる道など分からない。もう周りの家族も友人も、こいつは小説家になると思ってしまっている。これで小説家になれなかったなら、ただのほら吹きだ。詭弁家だ。しかしすぐそばにあったはずの小説家という職業が、時間が経つにつれて遥か彼方に遠のいていくようにさえ思えてしまった。

 生き方など分からない。小説家である私こそがすべてなのだ。優しい、優しいと私の小説を読んだ者は頻繁にそう口にする。しかしそれを書いた私は彼らが言うほどの真人間ではない。だがそれが小説家である私の姿であるならばそれでも構わない。そう思いたかった。しかし増えていくのは賞賛であり、賞、ではなかった。

 教えてほしい。どうすれば私の小説が賞を取れるのかを。貶してもいい。私の小説の足りない何かを、私の眼前に突き付けてほしい。欲しいのは誉め言葉ではない。私が小説家たるために必要な何かを、散々っぱら見下しながらでも殴りつけてほしい。そうどれだけ願っても、賞が、いつまでもどこまでも遠かった。

 終わりにしよう。いつか家族や友人の私を見る目が、小説家から格下げされて足場が崩れていく前に。そして私は、死ぬことに、決めた。場所を暗に示してから、死ぬとだけ書き残した。その日、なぜだか懐かしい川と過去に出会った人たちのことを思い出した。

 川は、いつも通学路の隣にあった。川は黙々と流れていき、その奥底でこもっていく音が今にも聞こえてくるようで、その川とそのそばの通学路がなぜだか忘れられなかった。この川に横たわり、流れのままに橋を、人を、街を、通り過ぎて音とともに消えられたならと願わずにはいられなかった。生き心地の悪い私の人生の終わりにぴったりである気がしてならなかった。

 過去に出会った人たちで思い出すのは、私のかつての作品を見せてひどい言われようだった瞬間ばかりであった。作品とは関係のない過去のことであっても、思い出せるのは思い詰めたくなるようなものばかりであった。どうしてそのようなものばかり思い起こしてしまうのかなど分かるはずもあるまい。しかし私には、もう死ぬのだという諦観めいた言葉がちらついてしまっていた。

 私は川を歩いた。夕暮れが近い。しかしどっしりとした無数の雲に阻まれて、夕焼けなど見えるはずがない。次第に暗くなっていく空だけが薄ぼやけた闇に包まれていき、また降り出してきた雨とともに体が溶け込んでいくようだ。終幕の予感がした。私はもう逃げ場などなかった。ここで終わり。終わりなのだ。

 ずっと決めていた。この川で死のうと。しかし、動く足とは裏腹にどうしてか生きながらえる方法を探してしまう。どうしたら生きられるのか。既に宣言をして逃げ道は断ち切られているため生きる術などないと言うのに。感覚がおぼつかない。まるでこの光景の一部になっているかのようだ。どうしたら生きられるというのだろう。生きる価値も、術も、残されていないと言うのに。

 死にたくない。しかし他に方法がない。追い込んだのは誰だろう。政府か。学校か。友人か。恋人か。傷つけてきた誰かか。元凶などもう分かりきっていた。私だ。私なのだ。生きていたい。だが、生きていく方法など、皆目分からなかった。なぜなら私が、私の手で私を追いやったのだから。

 いつも私の所為でしかなかった。どんな場面でも突き詰めてしまえば、結局私の行動が原因だった。教室で先生に追い出されたのは誰のせいか。私のせいだ。恋人に振られたのは誰のせいか。私のせいだ。私が真っ当な人生の一つでさえ生きられないのは誰のせいか。私のせいだ。なぜ私がここで死ななければならないのか。私のせいだ……。

 しかしこのような状況に追いやられてなお、どうにかして生きてもいいとなるための方法を探してしまっていた。生きたい。生きたい。ごめんなさい。私のせいだと。だけれども、どんなに謝っても生きられない。追い込んだのは、私だ。私が遺書を書いて逃げ道を塞いだのだから。

 これから生きたところで、ずっと死にぞこないがつきまとう。どんな慰めの言葉も嘲りの言葉も今の私には意味がないから死ぬ、とまで言い切った私が生きたいと言うのは罪なのだろうか。罪だ。逃げたい。私が一人で追い込んで一人で死んでいくというのに生きたい。

 小説家をやめたなら生きられるだろうか。何事もなかったように帰れば生きられるだろうか。すべて冗談ですと言えば許されるだろうか。今までの過去の苦しかった部分をさらけ出してこんなひどい人生を送ってきたのでと言えば許されるだろうか。無理だろう。一度渡した言葉は取り返せない。

 生きる方法を探しながらも、体はずっと進み続けている。何かに引きずられるように心が引っ張られていく。この意志は一体何であるのか。それは冷たいようでいて火花を散らすように体を動かしていく。

 どうしても生きたかった。けれども今生きてもいいなんて言い聞かせることはできなかった。ごめんなさいを誰に言えば生きられるのかを考えたところで、誰に謝ったところで許されることなどないと知ってしまう。だからか、その不確かな意思のままになぜだか歩いてしまっている。

 雨で濡れた足が川に浸かって流水が私を呼んでくる。もっと泣きたかった。生きていたかった。しかしこの苦しみはすべて私が引き起こした結末であるのだから逃げようがあるまい。この私を引っ張る意思も、私なのだ。しかしこの意思の名前をいくら考えようとしても理解できそうになかった。もっと、泣きたかった。

 不意に手を掴まれる。声がけたたましく聞こえてきた気がした。見れば、私の名前を呼んで確かめる男が、懐中電灯を片手に私の手を強く握っている。私は答えることができなかった。再度、その男が私の名前を問いただす。私は男の目を見てしまった。その目からは夜のせいか、私のせいか、どうしてか感情を読みとることができない。しかしその目に痛々しく濡れそぼった私が映ったような気がした。

 そして生きたいと願っていたはずの私の心がかき消え、脳裏にあった言葉さえも跡形もなく消失した。残された意思だけが私の体のすべてになった。意思は急激に堰を破り、私の体はその男を振りほどいて川の奥底を目指そうとする。

 しかし、その男と後ろにいた者たちの手に私は捕まってしまっていた。彼らの声が何度も私に覆いかぶさって、私は河川敷へと強引に連れ戻されていく。あふれ出ていたはずの意思が少しずつ固まって動きを止めるのが分かってしまった。川が遠ざかっていく。雨粒が体にまとわりついていく。

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