護りし者、連れ去りし者

大隅 スミヲ

護りし者、連れ去りし者

 次の裁判まで、彼女の保護は絶対に必要だった。

 彼女が裁判で証言することによって、あの悪党の有罪判決は確実となる。

 そのためにも、彼女のことは絶対に守り通さなければならなかった。

 奴の力をもってすれば、彼女の暗殺もやらないとは言い切れないだろう。


「ねえ、まだこんな場所にいないといけないの?」

 まだ到着して30分も経っていないというのに、彼女はソファーの上で雑誌を読みながら不満の声を上げていた。

 東金とうがねヒロコ。彼女は大手広告代理店の受付嬢であるが、それと同時に東京千代田区に事務所を構える東亜とうあ貿易ぼうえきという中華系貿易会社の社長である呉翔ウー・シャンの愛人でもあった。


 呉翔は表向きこそ貿易会社の社長であるが、裏の顔は中国マフィアの顔役であり、上海、香港といった地域のマフィアたちを東京で束ねている。

 先日発生した、海産加工会社社長誘拐事件も呉翔の息がかかったマフィアたちによる犯行であるとされており、日本国内では暴力団組織ですら手出しが出来ないほどに力を持っているとされていた。


 警視庁組織犯罪対策部は、新宿区歌舞伎町にある中華料理店店主を脅迫した容疑で呉翔を逮捕した。もちろん、これは別件逮捕であり、本当の目的は呉翔の組織を解体することにあった。

 そして、その組織解体のためには呉翔が犯した殺人の罪を立件する必要があった。


 東金ヒロコは呉翔が殺人をおこなった現場を見た唯一の証人である。

 それについては、東金ヒロコ本人の口から語られており、殺された男は大黒ふ頭でみつかった腐乱死体がその男であったという裏付けも取れている。


 あとは裁判で、東金ヒロコが呉翔の殺人を証言するだけだった。


 検察が東金ヒロコの保護のために用意したのは、セーフティーハウスと呼ばれる証人を保護するための建物であった。

 証人保護の観点から、このセーフティーハウスの場所は明らかにされておらず、証人が連れて来られる際も目隠しをして場所をわからないようにしていた。


 噂では、呉翔は暗殺者集団を自分の手元に置いているとのことだった。

 その暗殺者集団を使って証人を亡き者にしようとする可能性も考えられたため、検察は東金ヒロコの身柄をセーフティーハウスで保護することに決めたのだ。


 東金ヒロコを守るために用意された人員は、元警察官の佐々木ささき優紀ゆうきが率いる民間警備会社のスペシャルタスクフォースチームだった。

 佐々木のチームは人を守ることに関しては、その業界で一目を置かれている存在であり、アフリカ某国の大統領がお忍びで日本にやってくる時などは必ず佐々木のチームを指名して警護させるほどである。


 佐々木はセーフティーハウスに入ると、チームのメンバーたちを集めて会議を行った。

 どのようにして東金ヒロコを守り抜くか。ここは日本であり、重火器の使用は認められていない。

 しかし、相手が送り込んでくるであろう暗殺集団は重火器を持っていることは確実である。

 こんな不利な状況で証人を守り抜くことは出来るのか。

 佐々木たちは夜通しで話し合いを行い、完璧なプランで東金ヒロコを迎えたのだ。


「ねえ、ヒマなんだけど」

 また東金ヒロコが不満を漏らす。

「スマホも使えないし、外に出ることも出来ないし、わたしはこのままじゃヒマすぎて干からびちゃうよ」

 まるで子供のようにソファーの上で足をバタバタとさせながら東金ヒロコは言ったが、佐々木はちらりとその様子を見ただけで表情一つ変えることはなかった。

「え、無視?」

「いや、聞いている」

「だったら、返事ぐらいしてよ」

「悪いんだが、私は仕事に集中しているんだ」

「じゃあさ、なにか面白い話をしてよ。ね、ね、いいでしょ」

 噛み合わない、ふたり。

 もう一緒の空間で過ごして3日目となっていた。


 その時だった。天井に設置されているスピーカーから警告を知らせる音が鳴り響いた。

 どうやら、セーフハウスの敷地内に侵入者がいるようだ。

 セーフハウスは、山間にある別荘地に存在していた。隣接する建物までは5キロ以上離れており、誰かが間違って敷地内に入ってくるというのはありえないことだった。


「監視カメラに侵入者は映っているか?」

 無線を使って、佐々木はモニタールームにいる人間に話しかける。

 佐々木の率いるタスクフォースチームは、全部で4人だった。モニタールームにいるのはコンピューター・エンジニア出身の星野ほしのすみれであり、彼女は荒事には向いていないがコンピューターに関する技術などは、誰にも負けなかった。


「西側の塀に3人いますね。闇に紛れて侵入を試みたようですが、温感センサーがしっかりと捉えています」

「わかった。では西側の塀へ電流を流せ」

 佐々木はそう言うと、リビングルームに置かれた巨大モニターに西側のカメラの映像を表示させた。

 モニターに映っているのはサーマルカメラと呼ばれる温度を映し出すカメラが捉えている映像であり、塀をよじ登ろうとしている赤い人形ひとがたがはっきりと映っていた。

「電流、流します」

 その星野の声と同時に、モニターがハレーションを起こしたかのように一瞬白くなる。

 映像が元に戻った時には、塀の上にあった赤い人形は地面へと落下していた。


 このセーフハウスには、様々な防衛機能が装備されている。絶対に侵入不可能。それがこのセーフティーハウスの売り文句でもあった。


 侵入者は去っていき、その日は何も起きなかった。



 ほころびが始まったのは、深夜のことだった。

 モニタールームに引きこもっていた星野が、佐々木にコンピューターの調子がおかしいと言ってきた。


 東金ヒロコの寝室のドアの前で警備をしていた佐々木は、別のメンバーである石原いしはらに警備を交代してもらうと、モニタールームへと向かった。


 モニタールームに入った佐々木は事態の緊急性を察知した。

 3台あるサーバーのうち1台が停止している。


「なにが起きているんだ、星野」

「わかりません。先ほどまでは正常稼働していたのですが、突然OSが停止しました」

「外部からの侵入か?」

「その可能性も考えられます。残り2台のサーバーとは接続を切り離してあるので、いまのところ問題はありませんが」

 そんな会話をしながらモニターを見ていると、突然モニターに表示されていた映像が切り替わった。


 それはピンク色のクマのキャラクターだった。


「なんだ、これ」

『にゃっほー』

 ピンク色のクマが動きながらアニメのような声で話し掛けてきた。


『このサーバーはあたしが乗っ取ったから。もう、セキュリティも役に立たないよ』

 佐々木はピンク色のクマの言っていることの真偽を確かめるために、星野の顔を見る。

 青ざめた顔の星野は無言のまま、首を縦に振るだけだった。


「誰だ、お前は」

『あたし? あたしは世界一のハッカーよ。でも、いまの立場は、あんたたちと一緒。雇われただけ。いまから雇い主の言葉を伝えまーす』

 ふざけた動きをしながらピンク色のクマが話を進める。


 ピンクのクマによれば雇い主こと呉翔は、無駄な血を流したくはないとのことだった。

 出来れば裏切り者である東金ヒロコを殺してやりたいところだが、それは今やることではないと考えており、佐々木たちにも損はさせない条件を出してきた。


 その夜のことは、佐々木と星野、そしてピンク色のクマだけの秘密となった。



* * * *



 裁判がはじまり、呉翔は弁護人を伴い法廷へと出てきた。

 殺人事件の証人として、東金ヒロコも佐々木たちに守られながら出廷し、呉翔の悪事をこれでもかと話し続けた。

 これで呉翔も終わりだ。

 検察は、東金ヒロコを守り抜いた佐々木たちに感謝をした。

 これで佐々木たちスペシャルタスクフォースチームの仕事は終了だった。


 呉翔は裁判の結果、懲役30年の実刑判決を言い渡された。

 その判決が言い渡された時、呉翔は俯いたままだったが、佐々木にはそれが笑っているように見えていた。


 裁判が終わり、佐々木たちの仕事も終わった。

 もう東金ヒロコも自由の身となったのだ。

 検察から報酬が振り込まれていることを確認した佐々木は、裁判所の裏手に路上駐車していた黒のバンへと乗り込んだ。


 裁判所から呉翔を乗せた護送車が出てきたのは、数十分後のことだった。

 護送車は、これから呉翔のことを刑務所へと送るのだろう。


 黒のバンに乗った佐々木はアクセルを踏み、車を走らせた。

 呉翔はどうやって東金ヒロコの居場所を知ったのか。佐々木にとってはそれが疑問だった。最初に侵入を試みた連中。奴らは完全に東金ヒロコがセーフティーハウスにいるとわかっていてやってきたに違いなかった。

 東金ヒロコの居場所については、検察と佐々木たちしか知らなかったはずだ。

 呉翔の代理人であったピンク色のクマは、そのからくりを説明した。

 検察内部に呉翔の内通者がいるのだと。そのため、情報は全部、呉翔へ筒抜けだったそうだ。

 その話を聞かされた時、そんなことに命をかけなければならなかったのかと佐々木はため息をついた。

 そして、佐々木は呉翔の提案に乗ることを決断した。


 黒のバンに乗った佐々木は護送車に追いつくと、対向車線にはみ出しながら追い越しをかけた。

 護送車はバンが追い越そうとしていることに気づき、速度を緩める。

 次の瞬間、佐々木はハンドルを左に切っていた。

 衝撃が佐々木の身体を襲う。

 側面から体当たりされる形となった護送車はバランスを失い、そのまま横倒しとなる。

 佐々木は、アイスホッケーのキーパーが使用するマスクを被ると、ショットガンを持って運転席から飛び出した。

 護送車に乗っていた運転手は頭から血を流し、気を失っていた。

 また呉翔と一緒に後部座席にいた男も、何が起きたのかわかっていないようで意識を朦朧もうろうとさせている。

 佐々木はショットガンの銃把グリップの部分でその男の頭を殴りつけて失神させると、横転した護送車の後部座席から呉翔を引っ張り出して、黒いバンに乗せた。


 呉翔からの提案。

 それは、東金ヒロコを佐々木たちに守らせる代わりに、裁判の後で自分を救い出せというものだった。

 呉翔は破格の金額を提示し、検察のやり方に腹を立てていた佐々木はそれに乗った。


「おい、飛ばすからシートベルトをしておけよ」

 佐々木は助手席に座った呉翔にそう告げると、アクセルを一気に踏み込んだ。

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