〜あなたがくれたモノ〜

真上誠生

一生に一度のお願い。

 その日は星が掴めそうな夜だった。


 空には雲は一つも見当たらず、無数の輝きが散りばめられている。その光の中でも一番大きい月から落ちる光に照らされて、僕と女の子は何もない空き地の中で向かいあっていた。


 同じ歳くらいの女の子が、上目遣いでじっとこっちを見ている。闇に目が慣れたからか、彼女の顔がしっかりと目に映った。かわいい子だ、もしかするとそれは僕のひいき目かもしれないけども。


「あの……お願いを聞いてもらってもいい?」


 女の子はおずおずと言葉を口にする。そんな姿を見てしまえばお願いを断るわけにはいかなかった。⋯⋯元々断る気なんてこれっぽっちもないのだけれど。


「うん、いいよ」


「ほんと?」


 女の子の顔がぱぁっと明るくなる。その顔を見ていると胸の中に温かさを感じる気がする。


 思えば、誰かに頼み事をされるなんて人生で初めてのことだった。自分が必要とされているのだと思うと、なんだかくすぐったいような気持ちになる。


「うん本当だよ。だからお願いを言ってみて?」


 女の子を安心させるように笑みを浮かべてみる。しかし、この子は何を願うつもりなのだろうか? 


 僕は神様じゃない、だから全ての願いを叶えることはできない。もし、願いを叶えられないと知ったらこの子から笑みは消えるだろう。それだけはどうしても嫌だった。


「今日一日、わたしと一緒にいてほしいの」


 女の子の願いはささやかなものだった。だけど、よく見ると女の子の体が震えている。その願いを言葉にするのに、どれだけの勇気が必要だったのだろうか。


 彼女は今、この世界にひとりぼっちだった。


 僕はゆっくりと彼女に近づき、その手を握る。その瞬間、彼女は「──え」と小さく声を上げた。


「いいよ、一緒にいよう」


 繋ぐ手に少しだけ力を込めた。ここにいると伝わるように。だけど、どうしても緊張からか手が震えてしまう。誰かと手を繋ぐのは初めてだ。


 女の子は、ぼうっと呆けた顔で僕の震える手を見ていた。そんなにマジマジと見ないでほしい、なけなしの勇気を振り絞っているんだから。


「えへへ、ありがとう」


 女の子は急に顔をほころばせ、感謝の言葉を口にした。その理由はわからない。だけど、感謝をしたいのは僕の方だった。僕のことを必要としてくれたことが嬉しい。


 残り時間でこの子になにがしてあげられるのだろうか。頭の奥でそんなことを思った時、僕の耳に何かを叩くような音がかすかに聞こえてくる。

 

 ──ドン、ドン。


 重く、震わせるような音が辺りに響いている。それで、僕は今日が何月何日かを把握した。


「盆祭りか⋯⋯」


「ぼんまつり?」


「うん、太鼓の音が鳴っているでしょ?」


「あっ、この音聞いたことある!」


「⋯⋯行ってみる?」


 さりげなく、彼女を祭りへと誘ってみる。祭りには一回行ってみたかったところだ。初めて行くのが彼女と一緒ならどれだけ素晴らしいだろう。


「……外に出られるの?」


 不思議そうに首を傾げた彼女を見て、さっきまで浮かれていた僕の心が一気に冷えていくのを感じた。そうか、まずは先にすることがあるよな。


「うん、出られるよ、来てごらん」


 僕は彼女の手を引き、空き地の外へと向かった。僕たちは、まずここから始めないといけない。


 彼女をエスコートするように、僕は先に空き地の外へと出る。彼女は空き地の中に留まったままだ。そこには壁も何もない。それなのに彼女は踏み出そうとしない。


「……でも」


「大丈夫だよ、僕を信じて? 怖いなら目を閉じていいから」


「う、うん」


 女の子は僕の言葉通りに目を閉じた。僕は目を閉じたままの女の子をそっと引っ張り、最後の一歩を踏み出させてあげた。


「目を開けてみて?」


 女の子は僕の声にそっと目を開ける。そして、目を大きく見開き僕の顔を見た。


「わぁっ、外って出てもだいじょうぶなところなんだ!」


 目を輝かせながらそう言ってくる彼女を見て、感情をぐちゃぐちゃに混ぜたナニカが僕の中を満たしそうになった。それを必死に抑え込み、彼女へと笑い掛ける。自分の気持ちに蓋をしないと感情があふれ出てしまいそうだった。


「そうだよ、壁なんて元からなかったんだ。どこにだって行けたんだよ」


「そっか……」


 そう言いながら胸に手を当てる彼女を見て、僕は何とも言えない気持ちになった。彼女を励まそうとしたところで、ふと気付いた。


「そうだ、君の名前を聞いてもいい?」


「名前?」


「うん、知っておいた方がいいかなって」


 色々なことがありすぎて、名前を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。だけど、僕の言葉に彼女は苦笑いを浮かべるだけだった。


「えっと⋯⋯実はわたしって名前がないんだ……」


 彼女は恥ずかしそうに、えへへと小さく笑う。それは笑っていう言葉じゃない。少なくとも僕は笑えなかった。


「⋯⋯君に合う名前ってなんだろう」


「もしかして、つけてくれるの?」


 僕は首を縦に二回振った。ここで名前を付けてあげないと、きっと後悔する。


 だけど、彼女に似合う名前を考えても一向に案が出てこない。そりゃそうだ、だって僕も──あ。


 ドン! という和太鼓の音で僕はハッとなる。そうだ、いい名前があるじゃないか。


「まつり、君の名前はまつり。⋯⋯どうかな?」


 彼女の笑顔は晴れやかで、僕の目にはまぶしく映る。それは、僕が祭りに抱くイメージと同じだった。


「まつり……まつり……」


 彼女は口の中で自分の名前を転がすように何度も呼んでいる。彼女が気に入ってくれるかどうかが不安だった。これ以上いい名前は思い付かない。


 僕は女の子の反応をじっと見守った。そして、次第にその顔が笑顔に変わっていくのを見て、ほっと息を吐いた。どうやら気に入ってくれたようだ。


「ありがとう! すてきな名前!」


 屈託なく笑う彼女に照れ臭くなって目を逸らした。喜んでくれたのは嬉しいが、いささか恥ずかしい。鼻の頭がムズムズする。


「そ、それはよかった。それじゃあ、行こうか……まつり」


 自分で付けたはずの名前なのに、名前を呼ぶのが恥ずかしい。


「えへへ、まつりって呼んでくれてる」


 まつりのあかるい声に、僕も知らずのうちに微笑んでいた。やっぱり彼女には笑顔が似合う。


「それじゃあ、行き先はまつりに決めてもらおうか。どこに行きたい?」


 今日の主役は僕じゃない。だから僕はまつりに行き先をゆだねた。


「うーん」


 まつりはほほに指を当てて少し悩んだ後、「初めての外だから、のんびり街を歩きたいな」と言いながら笑った。それを見て僕もつられて笑う。


「わかった、二人でのんびり見て回ろうか」


 うん、彼女がそれを願うのなら、僕もそれに賛成だ。だって、僕は彼女が隣にいるだけで幸せなのだから。


「なんで笑ってるの?」


「内緒だよ」


「えー、教えてよ!」


「内緒だよー」


 二人で笑い合う。なんだかこんなやり取りをするのが恥ずかしくなったけれど、不思議と嫌な気持ちはなかった。


「じゃあ、行こうか。まつり」


「うん!」


 まつりの存在を確かめるように、もう一度強く手を握り締める。僕に合わせてまつりもぎゅっと握り返してくれた。その行動にどちらともなく笑い声をあげた。


 それから僕はまつりと夜の道を歩いた。人混みのない静かな道をゆっくり、ゆっくりと行く先も決めずに。その間、僕達は何も話さなかった。言葉なんていらない、手を繋ぎあっていればそれだけでよかった。


 たまに、まつりが繋いだ手に力を入れて驚かせてくる。急にやられるとびっくりするからヤメてほしい。仕返しとばかりに、僕も強く握ってやる。その度に、まつりがくすくすと笑う。


 やがて太鼓の音が遠く離れていき、辺りには静けさだけが残る。僕たちの足音だけを辺りに響かせながら、街灯のあかりに導かれるように歩き続けた。この世界にはもう二人だけしかいない。そう錯覚してしまう程、何の音も耳に入ってこなくなった。


 やがて、街灯も途切れて真っ暗な世界になった。だけど、月の光が僕たちを照らしてくれた。それを頼りに、僕たちはさらに歩く。


「……後どれくらい時間があるんだろう」


 静寂をかき消すようにまつりはぽつりと声を発した。寂しそうな声が僕の横から聞こえてくる。


 まつりは僕の手をぎゅっと握る。さっきまでのおふざけとは違う感情がこもったそれは、まるで僕の存在を確かめているかのようだった。僕もぎゅっと握り返す。まだここにいると伝える為に。


「⋯⋯まつりが聞きたいことって何かある?」


 湿っぽい雰囲気を打ち消すように、僕はまつりに聞いてみた。


「えっと、そうだ! まだあなたの名前を聞いてないね」


「……そういえば言ってなかったね」


 その言葉で、今まで僕のことを伝えていなかったことを思い出した。僕は顔を横に向けて、まつりと向き合う。


「おしえてほしいな! あなたのお名前は?」


 まつりは興味津々といった感じで、食いつくように聞いてきた。その姿を見て、僕は何と答えるべきか少し迷ってから、本当のことを話すことにした。


「実はね、僕にも名前がないんだよ」


「⋯⋯え」


 僕は頭の隅の方に追いやった記憶を探ってみた、それでも名前らしい名前で呼んでもらったことは生きていた中で一度もなかった。


「おい、とかお前って呼ばれてたかな……」


 記憶のふたが開く。思い出したのは、ろくでもない日々。


「それって、わたしと……」


「僕のこと、聞いてみる?」


 まつりがうなずいたので、僕は自身の過去を話す。ろくでもない人生のことを。




 享年十一歳、それが僕の生きてきた時間だった。生まれてから死ぬまでの時間、ずっと家畜のような扱いを受けてきた。


 いつもハエが飛び回るゴミだらけの部屋で、母の残した物だけを食べ生きていた。学校にも通わせてもらえず、母以外の誰にも知られずに、僕はひっそりとその生涯を終えた。


 戸籍もないから処分も楽だったに違いない。なにせ、僕は母が隠れながらに産んだ子供だって話だ。それは酔った本人が何回も言ってきたから知っている。


 生かされたのは、僕の死体を処理するのが面倒だからと言っていた。それなら最初から産まなきゃいいのに。もし、母が他人ならばどれだけよかっただろうか。これで血を分けた家族だっていうんだから余計に質が悪い。


 力がない僕には母をどうにかする力なんてなかった。ただ、その立場を甘んじて受け続けることが、僕にできる唯一のことだった。



 僕の話を聞いたまつりは下を向く。彼女は僕の話しを聞いて何を思っただろうか。


「そっか⋯⋯」


 まつりは、なにかを噛み締めるようにつぶやいた後、僕の顔を真剣に見つめて口を開いた。


「──じゃあさ、一生のお願いはないの?」


 一生のお願い、それは何もお願いする事が出来なかった僕には縁のない言葉だった。


 まつりが望んでいるのは、一生に一度すら願いを叶えることが出来なかった者の願い事。現世での後悔を振り払う為の行為。


「願い、か」


 僕の願いは考えるまでもない。まつりが心配そうに僕の顔を覗きこんでいたので、その頭をなでながら、ほほを緩めた。


「⋯⋯もう叶ってるよ」


「え?」


「こうやって君と歩きたかった。何気ない話がしたかった。ずっと⋯⋯ずっと⋯⋯」


 まつりが何も言わずに立ち尽くす。これは最後まで言わないつもりだったんだけどな。


「話の続きを聞いてくれる? これはそんなくだらない日常で、名も知らない女の子と出会った話なんだ」


 僕はまつりの返事を待たずに、話の続きを語ることにした。


 僕と同じ境遇の子、その子に一目惚れをしたのは僕が死ぬ十日前のことだった。


 その日、空腹に我慢ができず家から逃げ出した僕は、当てもなくさまよい続けた。そして、少しぼろくなった小さな家を見つけてその家に忍びこもうとした。──そして、彼女を見つけた。


 それは、本当に偶然だった。


 カーテンが薄っすらと開いていた。僕は中に誰かいないのかを確認するために、その隙間を覗いてみた。その部屋の中には、女の子がいた。


「うわっ!」


 その女の子の体中にはアザが浮かんでいた。何も食べさせられていないのか、体は痩せて骨と皮みたいに見える。一目見て、その子が人間として扱われていないのだとわかった。


 驚きと恐怖から声を漏らしてしまい、慌ててその場から立ち去った。帰る途中、胸の中には感情が芽生えていることに気付いた。


 共感からだろうか? それとも同情からだろうか? とにかく、理解できない感情が胸の中を埋め尽くしていくのを感じた。


 思えば、この時に二人で逃げるべきだったんだ。それを今でも僕は後悔している。


 彼女にもう一度会う為、また家を抜け出た僕はその家に向かった。だけど、その家の前には警察が居て近寄ることができなかった。女の子が死んだとわかったのは母が見ていたニュース番組を聞いた時だった。


 女の子は三日前、僕が行った日に死んでいた。母親に殺されたのだそうだ。


 僕はそのことに絶望をして、体が食べ物を受け付けなくなってしまって死んだ。最期は餓死という実にあっけない物だ。


 薄れていく意識の中で、僕は女の子に謝り続けた。そして誓った。今度は絶対に助けてみせると。


 そう思い、気がついた時にはなぜか外にいた。一瞬だけ走馬灯か、それとも夢かと思ったけどもそれは違うとすぐに理解した。身体が透けていたからだ。


 そして、僕は死んだのだと理解すると共に一つの仮説が思いつく。


 彼女も僕と同じような存在になっているのではないか? そのことが頭をよぎった。


 だから、僕は軽くなったどこにでも行ける身体を使って、彼女を探すことにした。しかし、どこを探せばいいのかわからずに宛もなくさまよい続けることとなる。


 残念なことに、生きている間に家から出たのが二回だけだったので土地勘なんてものはない。あるものは彼女にあいたいという意思だけだ。


 夜が終わる度に意識が消え、そしてまた夜に目を覚ます。それを繰り返した。


 もう何回目になるかわからなくなった時、遂に彼女を見つけた。空き地での中で彼女は座り込み、ずっと何かを見つめていた。それが彼女の生前だったと言わんばかりに。


 そして、あの日をやり直したくて、僕は彼女に覚悟を決めて声を掛けた。


「あの……大丈夫?」


 彼女は僕を声を掛けると驚いた顔をした後、すぐに「うん、だいじょうぶ」と言って笑ってくれた。なんて強い子なんだろう。僕なら心が壊れていたに違いない。


 どこにもいけず、誰とも会えず、ただ下を見続けるだけの日々。ただ過ごすだけ日々がどれだけ辛いのか想像もしたくない。


 彼女に出会えた、一緒に外を歩けた。それだけで僕の願いはもう叶っていた。


 これが、僕の全てだ。これ以上話す物は何もない、彼女は僕に幻滅していないだろうか? 僕は女の子の手を離して、彼女を向いて頭を下げる。


「ごめん、会った時にちゃんと言えなくて。あの時、助けてあげられなくて」


 彼女はこんな僕を許してくれるだろうか? もしかすると、怒っているかもしれない。不安が胸の中にうずまいていくが、彼女の出した言葉に呆気に取られてしまった。


「……うーん、とりあえず名前を付けてもいいかな?」


「え、な、名前?」


 突然の提案に、思考が追いつかない。そんな僕を余所に、まつりはほほに指を当て、うーんと悩み始めた。そして、「あっ」と言ってからにこっと笑う。


「じゃあ、これからあなたの名前は、りつ! りっくんって呼んでもいい?」


「うん、いいけど……」


 初めてだ、名前を呼んでもらえたのは。何だろう、初めて自分という存在が認識出来たような気がする。


「よかった、まつりの後ろから二文字を取ったんだ。少しでもあなたにお返しがしたかったから」


 まつりは顔を赤くさせながら、にこやかに笑う。


「……怒ってないの?」


「え、おこる? なんで?」


「だって、あの時助けていれば……」


「それで、二人で逃げてどうするつもりだったの?」


「それは……」


 まつりの言葉に何も返せなかった。そうだ、そこから逃げ出したとしても行く当てがない。食料もなく、子供二人で逃げてもどうしようもない。


「これでよかったんだよ。だって、りっくんにこうやって会えたんだもの」


 まつりにその言葉を言わせてしまったことが、何よりも不甲斐ない。


「⋯⋯うん」


「何で泣いてるの、りっくん」


「泣いてないよ、幽霊なんだから」


「声、震えてるよ?」


「そうかな、最初からこんな感じだったと思うけど」


「ウソつき!」


「ホントだよ、だってまつりとこうやって会えたんだから泣くわけないじゃないか。でもさ、まつりと離れるのがつらくって」


「わたしもだよ」


「もっと、違う形で、まつりと……」


 言葉が口から出てこない。伝えたいはずの言葉が紡げない、いつも通りに話せない。涙が、僕の邪魔をしてくる。


「泣かないで、りっくん──えいっ!」


「まつり!?」


 突然、まつりに抱き締められ僕は困惑する。目の前にまつりの顔があるせいで、あるはずの無い心臓が高鳴ったような気がした。


「りっくん、そんなに自分を責めないで。ここにはりっくんを悪く言う人はいないから」


 まつりは僕を抱き締めたまま、ゆっくりと頭を撫でてくれる。それが心地良い。心が温かくなるようだ。いつのまにか、涙は止まっていた。


「わたし、りっくんのこと好きなの。だから、わたしの好きな人のことを悪く言うのやめて欲しいな」


「……はは、なんだよそれ」


 乾いた笑いが口から漏れる。でも彼女に好きだって言ってもらえて気持ちが落ち着いていく。だって、僕もまつりのことが好きなんだから当たり前だ。


「それに、これから毎年迎えに来てくれるんでしょ?」


 屈託のない笑顔で彼女はそう言った。その言葉に僕はなんて返答するか少しだけ迷い「そうだね、迎えにいくよ」とつぶやくようにまつりに伝えた。


 その声を聞いてまつりは僕から離れていく。それが名残惜しく感じた。まつりは少し照れを誤魔化すように、苦笑をする。顔が赤くなっているように見えるけど、きっと僕も同じ顔をしていることだろう。


 僕は彼女の顔を見ていられず、空を見上げた。そこには満点の星が浮かんでいた。街灯がある場所よりも星がくっきりと見える。それはまるで僕たちを歓迎しているかのようだ。


「ねぇ、まつり空を見て!」


「うわぁ、すごいね!」


 まつりは歓喜の声をあげた。二人で寄り添い空を見上げる。そこが僕たちの還る場所だと思うと胸が苦しくなったが、それを振り払い笑ったまま、まつりとの残り時間を話して過ごすことにした。


「次に会った時はどこへ行く? まつりは行きたいところある?」


「今度はお祭りに行ってみたいな」


「そうだなぁ、その時はまつりに浴衣を着てもらいたいな。絶対に似合うし」


「えー、そうかなぁ?」


「似合う似合う!」


「……ありがとう」


 そう言ってお互いに笑いあう。最後の時まで、笑おうと心に誓った。頬に何かが伝った気がしたが、気にしないことにした。


「あ、りっくん……時間みたい……」


 ハッと弾かれたように、まつりの方を見ると、その姿が薄くなっていた。薄っすらと足元から徐々に光の粉が空に向かって舞い上がる。その光はまるで蛍のようだ。


 まつりはこちらを向いて、笑い顔を浮かべた。さっきまで見せてくれていた彼女の笑顔はそこにはない。それが別れへの実感に変わり、無性に寂しくて僕は下を向いてしまった。


「りっくん、そんな顔しないで。迎えにきてくれるんでしょ?」


「うん、迎えにいく。その時は思いっきり遊ぼう」


 まさか、こんな約束を死んでからすることになるとは夢にも思わなかった。


 彼女の願いは叶ってしまった。この世界への未練は無くなってしまった。だから、もうここには居られない。心には幸せが満たされた⋯⋯満たされてしまったから。もう、僕たちは会うことはない。


「まつり、会いに行くから……」


「わかった、待ってる」 


 僕は下を向いたまま彼女を抱き締めた。彼女の身体はもう消えかけていた。それを繋ぎ止めるかのように力の限り抱きしめる。


「まつり⋯⋯」


「りっくん⋯⋯ありがとう。わたしを見つけてくれて、願いを叶えてくれて⋯⋯」


 それがまつりの最後の言葉だった。顔を上げ、最後に見た彼女の顔には花が咲いたような、心からの笑顔を浮かんでいた。


 そして、まつりの姿はパァっと一際明るく光ったと思ったら消えていた。まるで最初からいなかったかのように痕跡すら残さず。


 僕は自分の腕を見て、涙を溢す。彼女ともっと話がしたい、もっと触れあいたい、彼女と──恋がしたい。


 心の奥底に隠していた気持ちが溢れ出す。そうだ、彼女の気持ちは聞いた。それなのに僕からはまだ伝えていない。だから、絶対にまつりともう一度会わなければいけない。


 やがて、僕の身体も薄くなってくる。僕は消える前に空を見上げた。まつりが先に戻っていった場所を見た。そして、口を開く。そこにいるまつりにも聞こえるように大声で叫ぶ。


「次も絶対に見つけるからな! 待ってろよ、まつり!」


 生前、死後とすでに二回も見つけている。だから次も絶対に見つけられるはずだ。


 視界一杯に光が溢れていく。それと共に意識が薄まって行くのを感じた。


「……次はまともな人生だといいな」


 ──最後にその言葉を言った途端、ぷつりと世界が真っ暗になった。




「──りつ、りつ! 起きなさい!」


「うわっ、なに!?」


 突然、母さんの声で弾かれたように目を覚ました。


「なに、っておじいちゃんの家に着いたから車から降りなさい」


 そう言いながら、母さんは先に車から降りていく。僕は父さんの煙草のせいで茶色くなった車の天井を見ながら、さっきまで見ていた夢を思い出そうとした。


 何か大切な夢を見た気がするのだけど、まったく思い出せないのがもどかしい。視界がにじんでいたので目を擦ると手の甲が濡れた。


 体を起こすと、お母さんがおばあちゃんと挨拶をしているのが見えた。父さんが見当たらないということはおじいちゃんに話しをしに行っているのだろう。


 そっと車を降りて、僕は母さんの後ろをそろりと抜けた。その途中で母さんに見つかったので、駆け足でその場から離れる。


「ちょっと律、どこにいくの!?」


「会場を見にいくんだ! いってきます!」


 僕は行き先を伝えたあと、前を向いて全力で走った。


「待ちなさい! もう、あの子ったら!」


 母さんの小言が背後に遠ざかっていくのを感じながら、僕は胸を高鳴らせた。僕が今年おじいちゃんの家に来たのは、ある目的の為だった。


 それは、盆祭り。都会に住んでいる僕は盆祭りという物に参加をしたことがなかった。いつもはお母さんの実家に行くのだが、今回は盆祭りに参加をしたくておじいちゃんの家に来たのだ。


 会場はおじいちゃんの家から歩いて20分のところにあった。


 木々をくぐり抜けて、僕は肩で息を整えながら会場を見て。──そして、ある一点で止まった。


 僕の目は会場ではなく入口に向いていた。その場所では、女の子がひょこひょこと背伸びをしながら会場の奥を覗き込んでいる。なぜだか、その子のことが目から離せない。


「──あ、あの」


 言葉が勝手に口から出ていた。僕は慌てて手で口を閉ざす。知らない人にいきなり声を掛けるだなんて、普段の僕なら絶対にやらない。それなのに、どうしてだろう。


「⋯⋯え?」


 女の子が振り向き、目が合ってしまった。その顔を見た瞬間、頬を何かが伝い落ちていく感覚がした。


「え、なんで!?」


 突然の出来事に慌ててしまう。鼻の奥がツーンとし始める。なんで僕は泣いているんだろう?


「え、だいじょうぶ!?」


 僕も驚いたが、それよりも女の子の方が驚きながら僕の方に駆け寄って来てくれた。僕は恥ずかしくなって、目をごしごしと擦り涙を拭う。


「あ、あはは、大丈夫大丈夫。ちょっと目にゴミが入っちゃったみたいで」


 気まずくならないように慌てて喋る。ごまかす為に、思わず早口でまくし立ててしまった。それに、この子と話すのはなぜだかすごく緊張する。


 僕の慌てっぷりに女の子はくすくすと笑っていた。その笑い方があまりにも可愛くて、思わず見とれてしまう。


「ねぇ、あなたはこの辺りに住んでるの?」


「いや、東京に住んでるんだ」


「そうなんだ。私は今日こっちに引っ越してきたばかりなんだ。お友達になれると思ったんだけど」


「大丈夫、夏休みが終わるまでこっちにいるから!」


「そうなんだ。よかった!」


 実のところ、そんな予定はまったくない。お母さん怒るかな? 怒るだろうなぁ。それでも、お母さんを説得しないと。──たとえ、一生のお願いを使ったとしても。


 僕が決意を固めていると、女の子はにこにことした笑みを浮かべながら僕の方に手を差し出してきた。


「え、これはなに?」


「握手しよ! お母さんにね、仲良くする人とは握手しなさいって言われてるの!」


「う、うん!」


 僕はズボンで手を念入りに拭いてから、女の子の手を握る。その感触に、どこか懐かしさを覚えた。


 ……あ、そうだ、名前を聞かなきゃ。


「僕は高橋律って言うんだけど、君の名前を教えてもらっていい?」


「うん、わたしは神野じんのまつり! これからよろしくね、りっくん!」


 そう言って、彼女は花が咲き誇ったような笑顔を浮かべた。


 もう一度君に会いたい──FIN

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

〜あなたがくれたモノ〜 真上誠生 @441

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説