真夜中、忍者と死体を埋める

惟風

アパートの自室にて

 ヒュー


 女を絞め殺していたら、頭上から口笛のような音が聞こえてきた。

 思わず顔を上げる。両手の力が緩んで女が暴れ出したので、取りあえず壁に頭を叩きつけて黙らせる。

 ワンルームアパートの部屋の天井の隅に、怪しい人影が張り付いてこちらを見下ろしていた。


 忍者の幽霊である。


 どこにでもいそうな濃紺のしのび装束しょうぞく、半透明の身体。

 コスプレにしては天井への張り付き方が板についている気がする。本物の忍者に違いない。

 目が合うと、不審者は「あっヤベッ」と口走り小さく舌打ちをした。

 色々言いたいことがあったが手が離せないので、俺は本来の目的を達することに専念した。




「……で、何なの?」

 俺はタバコに火をつけながら言った。

 女は、口の端から舌をだらしなくはみ出させ醜く横たわっている。生前は少しはマシな容姿をしていたが、壁に打ち付けたせいで鼻が潰れて無惨なものだ。

 俺の足元に正座した忍者は、そのまま土下座の形に額を床に擦りつけた。

「水を差してしまって誠に申し訳ないでごさる、貴殿の余りの手際の良さに感服してしまい、つい口笛が……でござる」

 手際か。確かに、俺は自室に入るなり躊躇なく首を絞めにかかった。

「いや、ることれたからまあ良いよ。次から気をつけてな」

 女の息の根を止められたことの達成感で、俺は今ちょっと機嫌が良い。

「お優しいお言葉、かたじけないでござる!」

 忍者は更に頭を低くした。

「あんま堅苦しい物言いされたらこっちも緊張しちゃうからさ、もっと砕けた感じで良いよ」

「わー寛大で忍者感激しちゃう、好きになっちゃうかもー」

 ニッコニコで上げた顔に根性焼きを入れてやろうとしたけど、擦り抜けてしまって無理だった。触ることはできない。やはり幽霊らしい。


「忍者ってホントにいたんだな、アニメとか漫画だけの話だと思ってた。ちょっと死体運ぶの手伝ってくんない?」

 俺は女の首でタバコを揉み消して伸びをした。硫黄いおうを含んだタンパク質が焼ける嫌な臭いが、部屋に立ち込める。

「いや、忍者何のチカラもなくて……悪霊でもないから物に触ったりとかもできなくて……マヂすまない」

「うわあ無能。俺みたいな一般人に簡単に見つかるようなことするし生きてた時も能無しだったんじゃないの、ていうかホントに忍者なの? コスプレしてるだけじゃない? 一人称が“忍者”なのもハッキリ言って滑ってるし」

「暴言の嵐」

 俺は女を担ぎ上げながら溜め息をついた。

 元から自分一人で作業する計画だったし、そこまで期待はしていなかったが。

「忍者、死体処理の手伝いはできないけど、アドバイスとかならちょっとは役に立てるから……良い“埋め”場所知ってるから」

 頭巾からは目元しか見えないが、それでも情けない表情をしているのが伝わってくる。

「そうなの? それは助かるな。風呂場で解体してちょっとずつ捨てる予定にしてたけど、埋める方がサクッと終わりそう」



 真夜中のアパートの駐車場はシンとしていて、扉の開閉音に少し気を使った。

 死体を積んで車に乗り込むと、当たり前のように忍者は助手席に座ってくる。

 教えられた住所をナビにセットするともう忍者に用は無く、でも隣でソワソワと話したそうにしていたのでこちらから話を降った。

「あー……えっと、名前は?」

「死してなお忍の身に、名前など無……」

「ホントは?」

茂吉もきち

「実直そうな良い名前じゃねえか茂吉。俺の知らねえ場所に行くから道中頼りにしてるぜ茂吉。間違えそうになったらちゃんと教えてくれよな茂吉ぃ」

「せめて貴殿の名前も教えて」

「嫌だよこの流れなら絶対イジってくるでしょ」

「自分が悪霊にならなかったことを悔しいと思う日が来るなんて」

 よく見ると涙目になっていたので、名前を連呼するのは止めてやることにした。人が嫌がることをしつこく行う人間は軽蔑に値する。


「……やっぱ、忍者ってことは、そういう里とかで子供の頃から厳しい修行とかしたの?」

 大して知りたくもなかったが何となく質問してみる。

「いや、大体の人はそうやって忍になるけど、自分の場合はちょっと特殊で」

「うん、一人称“自分”の方が俺は好きだなー」

「自分、元々は山奥の小さな村に住む普通の百姓だったんだけどー、成人してすぐくらいに生まれた村の住人を皆殺しにしてー」

「急に物騒になる話の流れ」


 道路は空いていた。少し曇ってはいるが見通しは良く、絶好の死体運び日和だと思った。

 いつにも増してタバコを消費するスピードが早くなり、車内は煙っている。

「それでそのまま悠々自適に暮らしてたら、ある日忍びの里からスカウトが来て」

「先に役人とかに見つかってたら死刑になってたんだろうね」

「即戦力が欲しかったらしくて最初はめちゃくちゃ歓迎されたんだけど、初仕事でハリキリすぎちゃって『人の心が無さすぎて引くしよく考えたら一時の感情で村民を皆殺しにするのヤバすぎ』つって暗殺されちゃった」

「汚れ仕事の本職集団にドン引かれちゃったんだ……」

「でもさあ、あいつら任務として引き受けたら赤ん坊だって八つ裂きにする連中だよ? 自分の村は高齢化が酷かったのもあって、さすがに子供に手をかけたことは無かったのにさあ。こっちの方がイカれてるみたいな扱いは心外っていうか。確かに初任務で自分から率先して女子供殺りまくったのは良くないかなって思うけど」


 身振り手振りを交えて熱弁を振るう忍者の拳が、ハンドルを握る俺の腕を何度もかすめた。コイツが幽霊で本当に良かったと思う、生きてたら何度事故っていたことか。


「初仕事の後に殺されたんだったら、忍者歴短くない? それで忍者を自称すんの烏滸おこがましいと思わないの?」

「だって……何かカッコいいし……」

「やっぱコスプレみたいなもんなんじゃん」

「言葉で幽霊を殺そうとするのやめて」


 適当に喋っている内に、車は順調に高速道路に滑りこんだ。

 提案された死体遺棄場所は俺の住むアパートから車で三時間はかかる山中で、忍者は死後に目覚めたという覗き趣味についてを二時間ほどたっぷり語って聞かせてくれた。

 俺から提供できる話題はなく、忍者が黙ると車内に沈黙が訪れた。

 ラジオや音楽を流す気にもなれず、俺はただぼんやり咥えタバコで運転していた。

 アドレナリンが出ているのか、疲れも眠気も感じない。

 パーキングエリアでトイレを済ませて、缶コーヒーを購入して車内に戻った。


「なあ」

「何でござるか」

「村人殺した時ってさ、親も……やったのか?」

 なるべく忍者の方を見ないようにして缶を傾ける。

「殺った殺った、真っ先にぶち殺した。手近なとこから片付けてかないと全殺しとか大変だから」

 忍者の口調はどこまでも軽く明るい。

 バックミラーに視線をやる。後部座席の更に後ろ、トランクの中に放り込んだ女の死体が、ここからは見えないはずなのに存在感を増したように感じた。


 金にがめつく、過干渉な母親だった。

 いい大人になっても、解放されることはなかった。

 逃げても隠しても、奪われ続けた。金だけでなく、夢も人間関係も。

 とうとう我慢ならなくなって、殺した。

 罪悪感どころか何の感慨も湧かない今の自分が不思議だった。


 真夜中の山道を、ヘッドライトが舐める。

 ナビで示された場所から更に三十分ほど入り組んだ道を進んで、車を停めた。

 シャベルを持って獣道に入る。

 適当にアタリをつけた地面を雑に掘っていると思考が暇になり、思わず忍者に話しかけた。

「なあ、幽霊を見たのなんかお前が初めてなんだけど、世の中そんなにいるもんなのか」

「いや、世間で言われるほどにはいないかな」

「ツチノコとどっちが希少?」

「圧倒的にツチノコ」


 慣れない土掘りにはさすがに疲弊した。それでも、小柄な女を埋めるに足りるだけの穴を穿うがった。

 車から死体を運び出す。ブルーシートに包まれた女は、それなりに重かった。

 中学に上がる頃にはとっくに背丈は越していたのに、この女に逆らうことが怖くて仕方なかった。

 この程度の質量の生き物に支配されていたことが、心底バカバカしい。


「何だかんだ言って、ここまで付き合ってくれてサンキュな」

 土をかけ終わって、一服しながら忍者に礼を言った。

 取り乱さずに最後まで作業を進められたのは、間違いなくこの能天気な幽霊のおかげだった。

 親を殺して逃げたところで俺の人生が好転するとは思わないが、気持ちのケジメはつけられた気がする。

「なんのなんの、自分のことが見える人でここまで話が合う人間に出会ったのは初めてで、こっちこそ嬉しかったでござるよ」

 忍者は照れたように頭を掻いた。

 話が合っていたかどうかはともかく、色んな意味で正直であけすけな姿勢には俺も好感が持てた。


「で、どこまでついてくんの? もしかしていてくる感じ?」

 死体遺棄が終わった後も助手席に陣取る忍者に、運転しながら声をかける。

 空が白み始めていた。

「いやあ、自分は“憑く”のはできないんだけど、このままにしておくのは勿体ないかなあって」

「何を?」



 バン



 忍者が返事をする前に、フロントガラスに赤い手形が大きく打ち付けられた。

 ハンドルが俺の操作を受け付けなくなり、ブレーキもビクともしない。

 アクセルが勝手に踏み込まれる。

「なっ……」

 後ろから何者かに首を絞められた。

 バックミラーに目をやると、俺によく似た顔立ちの女がだらりとした舌を動かしてこちらを見つめていた。

 歪んだ目元は、きっと笑っている。

 ハンドルが勢い良く右に切られた。

 対向車のライトが目に眩しい。

 急ブレーキの音が響き、俺の意識は途絶えた。




「お袋が化けて出るって、わかってたのか?」

 眼下を見下ろすと、横転している車から煙が上がっていた。フロント部分は見事に潰れ、運転席の扉から血が染み出している。

 ここからは自分の死顔は見えないが、見たくもない。

「まあ自分、幽霊だし」

 隣には忍者が浮かんでいた。

 俺は半透明になってしまった身体をあちこち確かめてから、忍者に向き直った。

「悪霊になって俺を取り込もうとするのも?」

「何となくは」

「もっと早く言ってくれても良くない? そしたらお守りとか清めの塩とか用意してさあ」

「いや……ギリ死んだとこで取り込まれる前に助けたら感謝してくれて仲良くなれるかなって……」

「下心まで正直に話すんじゃねえよ」

「んがっ」

 忍者の尻に蹴りを入れる。ちゃんと手応えがあり、満足した。

「……でも、ありがとな」

 忍者は俺に向かって左手でサムズアップしてみせた。

「お前は悪霊じゃないんだろ?」

「もちろん! 生きた人間を殺すのは生前で卒業したでござる! それにそんなことやろうと思ってもできないし!」

 忍者はフフンと鼻を鳴らして胸を張った。

「じゃあ、なんで」

 俺は忍者が右手に掴んでいるモノを指差した。

 俺を取り殺そうとした女が、忍者に首根っこを掴まれてジタバタと藻掻もがいている。

 ああ、とかうう、とかくぐもった声を吐き出している。

「今も、触れさえすれば殺すのは得意なんでござるよ。多少の悪霊でも、大体殺れるでござるね。自分、忍者だし」

 そう言うと、忍者は俺の母親の首をたやすく捩じ切った。悲鳴を上げる間もなく、女はすぐに掻き消えた。忍であるのと関係ある?


「めちゃくちゃ力技じゃん、もっとスマートにできないのかよ」

「他の技能を身につける前に死んじゃって……シンプルな殺り方しかできないんでござる……素手なら武器もいらなくて手軽だから」

「まな板と包丁を使わないで料理を済ませたい、みたいなモンなのかな」

「不器用な自分ですがお友達からお願いします」

「その先も想定されてるのかあ」


 一服したくなったが、胸ポケットには何も入っていなかった。幽霊が物に触れないのだとしたら、もう喫煙はできないのかもしれない。

 それだけは、ちょっと残念に思った。

「俺、いつか成仏できるのかな」

 生き方にも死に方にも不満しかないから幽霊になるのはわかる、でもずっとこのまま彷徨い続けるのは勘弁してほしいとも思う。

「自分、まだ成仏したことないからそれはわかんない……」

「経験したことないなら仕方ないなー」

「何かやりたいことやって気持ちがスッキリしたらいけるかも?」

「やりたいことって言われても……」

 タバコが吸えなくて口寂しい。日の出を見つめながら無意識に唇を撫でる。


「あっ」

「おお、何かやりたいことを思いついたでござるか?」

 忍者がキラキラした瞳で俺の顔を覗き込んだ。


「ツチノコ探そ」

「成仏したくないと同義では」


 それでも、誰にも奪われないから良いんだ。

 自力で手に入れた友情と目的ユメを、タバコの代わりに噛み締めた。




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