第7話 客だけが神じゃない

 ドアが開いた。その男は夜だというのにサングラスをかけ、胸元が大きくあいたシャツから重たそうな金の太いネックレスがはみ出して揺れている。

「いらっしゃいませ」

 そう言い終わると軽くため息をつく。同時に彼女を見ると、来店した男に手を上げて招いている。カウンターに居座る犬猫は、自分たちの後ろを通り歩く男の様子をちらっと見ては怪訝な顔を並べている。

「遅かったわね」

「道路がさ、えらい混んでてさ。こんな時間になんだよって思ってたら、やっぱり、事故渋滞だった」

「え?車で来たの?」

「そうだよ。だってさ、ここ、ちょっと遠くねぇか?」

「じゃあ飲めないじゃない。私一人で飲んでも楽しくないわ」

「俺も飲むから」

「車は置いてくのね」

「いや、乗って帰るつもり。そんなに飲まなければいいっじゃない」

「ダメ。私はジントニックを頂いたから、また、出直しましょ」

 彼女は残っていたジントニックを飲み干して、カーディガンを肘にかけ帰り支度を始める。

「少しくらい平気だよ。じゃあ俺も、それにする」

 異質な客のそんな会話の内容は興味津々の犬猫たちにはすでに共有されていた。

「バーテンさん、同じやつ、ちょーだい」

 止めようとする彼女を無視して、サングラスを少しずらして僕を見る男は悪びれる様子もなくそう言った。

「僕が行ってきます」

 彼は僕にそう告げると下唇を突き出して、目を見開いたかと思うとすぐに真顔に戻った。

「遠慮なく」

「あの女性にはカウンターで飲んでほしかったかな。残念です」

「珍しいことを言う」

 僕の冷やかす言葉を背中に受けて彼は彼女と彼のもとへと向かっていった。

「お車でお越しでしたらアルコールはご提供できませんので、今回はノンアルコールカクテルは如何でしょうか?」

 男は彼を一度見上げてから、テーブルに置かれていた車の鍵をポケットにしまい込んだ。

「大丈夫だから。同じやつ、持ってきて」

「お断りいたします。またの機会にお待ちしております」

 接客業にはあり得ないはっきりとした否定、でも、能面のような表情の彼にはお似合いの言葉だ。

「あのね、バーテンさん。お客様は神様って言葉、知ってる?神様の言うことは絶対なの」

 その古典的な返しに、僕は少しだけ驚いた。そして口角が下がりそうになった。

 からかうような男の態度にも、彼は戸惑う様子を微塵も見せなかった。

「それは本来、僕たちバーテンダーの台詞であって、お客様ご自身が言うべき台詞ではないんですが、一方通行の解釈をした使い方が一人歩きをしていますね」

 男は彼の言葉を少し理解しようとしている。

「バーテンさん、もっとわかりやすく言ってくれ」

「このお店が好きで来店される方々に満足して頂けるよう私たちはカクテルや料理を作る。そんな相思相愛の中でこそ生きる台詞です。私たちは、みんな、神様なんです」

 彼のハスキーな声が壁にぶつかり染み込んでいく。

「長くなりましたが、あと、バーテンではなくバーテンダーと呼んでください」

彼の凛とした姿勢には心地よさを感じる。

「今日は如何されますか?」

 彼の顔をじっと見ている彼女の目がなんとも艶っぽいことにも気づかず、男はすっと立ち上がった。そしてポケットから車の鍵を出して彼女に渡して座りなおした。

「車は置いていくわ。このバーテンダーにジントニックを作ってもらうわ」

「かしこまりました」

 そう、このお互いが神となる瞬間がこの仕事の醍醐味なんだ。僕たちが提供しているのはモノだけではなく、人生が豊かになる時間こそがその真髄なんだ。





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寡黙なBARTENDERはかく語りき 橘 遊 @tachibana-y

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