第6話 寡黙な客であれ

 お酒の種類が豊富で、お店の調度品も素敵なものが並んでいても、カウンターに立つバーテンダーの格好が悪くてはおいしいカクテルが飲めたりや食事ができるとは思えない。上質な時間を過ごしたいとBARを訪れた気持ちを汚されたくない。 

 バーテンダーに限らず、接客業に携わる者にとって見た目が悪いことは致命傷だ。髪がまとまっていなかったり、爪が伸びすぎていたり、タブリエのポケットの糸がほつれていたり、シャツの袖口が汚れていたり、革靴が乾いて曇っていたり等々の怠慢はだらしない人格を見透かされる原因となる。歩き方、グラスやボトルの持ち方は練習すれば美しくなる。声の質感や量の調整、言葉の選び方と話し方は学習すればいいこと。BARという暗くて狭い空間だからこそ無様なものほど照明にあぶり出される。 


 頻繁に顔を出す一人でやってくる犬客はまず長居をする。財布の紐が固い犬客にカウンターが占領されるとシェーカーの音が聞こえない時間が長くなる。今宵のカウンターは犬客と猫客がちょうどいい配分で混じりあい注文が絶えず、耳に障らない声で溢れて理想的なにぎやかさ。

 彼は能面の冷酷さが漂うような顔立ちと、それに似合わないハスキーな声のアンバランスさがとても魅力的。キッチンスタッフとして働くうちに、バーテンダーの仕事にも関心を示して、今ではフライパンよりもシェーカーを振る時間のほうが長いかも知れない。

 彼が愛用する柑橘系コロンの香りが立ち始めた。

「鏡を見ておいで」

 シェーカーを拭き終わったあとに軽く息を吐いた彼に近づいてそうっと言った。僕の言いたいことを察した彼はすっとカウンターから離れ、バックヤードへと姿を隠した。

 バックバーから冷ややかな視線を送る酒瓶の前で華麗に舞うバーテンダーは止まり木に脚をかける客を異空間へと誘う。異空間にいるバーテンダーは客の前では夏も冬もいつも同じ姿をして、同じ表情でいることが大切で、額に汗をかいてはいけない。自分の感情をコントールして、処理すべき仕事の優先順位を考えて、身体の状態をしっかりと確認して平静を維持するからおいしいカクテルが作れる。緊張した平静さを纏うと、勝手気ままな客がむやみやたらに話しかけられない雰囲気が漂うために自分のペースで仕事ができる。あまりにも人間的な汗を拭う仕草で、バーテンダーも同じ現実世界の存在だと我に返った客は、まだ緊張を解いてはいけないタイミングで言葉を投げ始めてしまう。

 言葉だけではなく、にじみでる汗やかすめ通る香り、そんな五感を刺激する一つ一つの要素で、止まっていた時間は再び動き始める。今、時間を止めていたいと願うのであれば、すべてにおいて寡黙なバーテンダーであるしかない。


 特にBARには顕著なことは、煙草、油、埃や人の臭いがするのは同じだけれど、どのお店も独特の空気感がある。掲げた理想通りのお店に仕上がらない理由は、そこに通う客が時間をかけてお店を作っていくからだ。店主が本の題名を決めて表紙を作り、さらには目次まで決めたにもかかわらず客が主人公として勝手に物語を作り流れていく。

 バーテンダーは客が求めるものを探す手助けをする役目であり、主役ではない。来店者はこの店の物語を紡いでいく責任を感じてほしい。

 故に、視覚、聴覚、嗅覚に嫌悪感を与える人はお店、特にカウンターの常連客としては歓迎しない。流石にこんな気持ちはカウンターの中からあからさまに伝えられないけれど、居心地を大切にしたい犬や猫が追い出してくれる。

 自分の時間を有意義に過ごしたいと願うのであれば、聡明で寡黙な客であれ。






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