第5話 つまらない会話の原因
「ボス、1番はおまかせしていいですか?」
彼は僕のことをボスと呼ぶ。マスター、オーナー、店長という呼び方が僕らの会話に似合わないかららしい。
「了解」
この犬とも猫ともつかない客は開店前から扉の前に立っていたり、閉店間際に酩酊状態で来店することもある。彼はできるだけこの客の前には立ちたくないと言っていた。
「ボスに言われたように、横断歩道ですれ違う人になにも感じないように、あの人には接しようとは試みてはいますし、好きだとか嫌いだとか、そんな上等な感情はもったいないと頭では理解できていますが・・・すみません」
「いいんだよ、それで。避けられることは避けたらいい」
「ありがとうございます」
僕は1番の客の前に立った。
「なにかお作りしましょうか?」
「ジンフィズでいいや」
「かしこまりました」
ジンフィズを注文する一見さんには、ここのバーテンダーの腕前を試しているのか、このお店を値踏みするのかと警戒心を持つほどに、僕にとってはすごく意味深くて真摯に向き合うカクテルである。彼は僕のこのカクテルへの思い入れを理解してくれて、ずいぶんと練習をしてくれた。
ふと、テーブル席の彼女に目をやると、ジントニックを少し残してスマートフォンを操作しながら微笑む姿を見て少しほっとするが、連れの方が早く来店することを切に願う。BARはスマートフォンが客のお相手をする場所ではない。
客の退屈そうな姿はBARとして機能していない証拠だ。バーテンダーは会話だけではなく所作でも客を楽しませることができる。一人でお酒を飲んでいるとしても、その表情を見れば退屈ではないとわかる。誰とも関わりたくないからBARという場所を選んだとしても、カウンターの中にいる我々は別次元の存在である。目の前に立って、今みたいに黙ってグラスを拭いているだけでいい。客が話がしたいときに話しかけられる状況を作ることに専念すればいい。
目の前にいる客はジンフィズを一口飲んだあと、淡々と今日の出来事を話し続ける。いつもの光景をいつも通りに切り取り、いつもの仕事をいつも通りにこなした報告を、起承転結が狂うことなく語る客の話を聞きながら、たまに相槌を打ちながらグラスを拭く。
客と話をしていて退屈だなと感じる理由は、会話をするという行為ではなく、会話を構成している単語がいつも同じであることが原因。我々も「またか」「面倒だな」と思う感情に縛られたまま、自ら話題の変化を求めて動かないからこの退屈から抜け出せない。
聞きなれない単語が多いほど、新鮮な気持ちで人と話ができるのは、脳がその単語の意味やその人の背景に興味を示すからだ。それでも同じ環境下において、同じ言葉が繰り返されると脳もどんどんと興味をなくしていく。
ただ、同じ客と何度も話しているとこれを繰り返すことになる。だから、来店も週に3回ではなく1か月に2、3回程度にしてくれたら我々も客も新しい話題で楽しく時間が過ごせる。
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