第4話 音が語ること

 バックバーの裏にあるキッチンから油のはねる音が聞こえる。鶏のから揚げとポテトフライが得意な彼を仲間にできたお蔭で、しっかりとお腹を満たそうと来店する方も多い。料理人である彼はお酒の知識やカクテルを作る技術に関しては日々の営業の中で勉強。客あしらいや所作が忙しくなると落ち着かないのは、まだ僕がその心得を伝えきれていないせいだ。本来、バーテンダーの修行には包丁の扱い方や簡単な調理を学ぶことは必須だから、彼の場合はその順番が逆なったと思えばいい。

 カウンターに戻ってきた僕は、並んだタンブラーの底に余計な水は見当たらないことを確認して、新しいタンブラー1つ加えた。

 冷えたビーフィータージンを取りだす。メジャーカップで60mlをきっちりと量り左から順番に4つのタンブラーに注ぎ入れる。ライムを優しく絞り入れてクラブソーダをタンブラー半分ほど注ぐとそっとステアしジンとなじませたあと、4つのタンブラーがすべて均等量になっていることを確認する。フィーバーツリートニックウォーターを注ぎ入れて静かにステア。そして、アンゴスチュラ・ビターズを1ダッシュで完成する。

 まるで美容師が髪に鋏を入れる瞬間のような緊張とパーツが繋がりパズルが仕上がっていく高揚感が支配するカウンターで、僕は一切の無駄を省いた所作と一切の不必要な音を省いてジントニックを作り上げた。

「マスター、しなやかだね。もう少し指が細長くて華奢な手だったらもっと繊細なカクテルに見えるのに」

 犬客の女性が目の前に置かれたジントニックと僕を交互に眺めながらそう言った。

「ありがとうございます」

 テーブル席の彼女にも届けた。

「お待たせしました」

「ジントニックを作る姿、素敵でした。このBARはカウンターに座るべきね」

 僕はカウンターに戻り次のカクテルに取りかかろうとしたときに、彼が鶏のから揚げを持って戻ってきた。

「ありがとう。オレンジブロッサム2つ、お願いします」

「はい」

 立ち位置について手を洗い、軽く深呼吸した彼を確認してから僕はサザンカンフォートソーダに取りかかる。2mほど離れた彼の様子をずっと視界に入れるようにしている。

 バタンと冷凍庫の扉が鳴る。メジャーカップで45mlに量られたジンが2回、シェーカーに注がれる。

「あなたのショートカクテルは初めてかな」

 彼の目の前に座る猫客がニヤリと笑う。その言葉につられた犬や猫の目が一斉に彼の手元を見た。こんな場面では話しかけるのは素っ頓狂なことだと冷やかした猫客に気づかせるために、今は、カクテルを作ることだけに集中して返事は要らない。カウンターを包む静寂の中、彼もオレンジジュースを注ぎながら黙して語らず、我々は寡黙なバーテンダーを勤め上げる。

 ガタンと冷凍ストッカーの扉が鳴る。彼はシェーカーの中へそうっと氷を落とし込んでいく。バースプーンがシェーカーの腹をくるくると回り、金属が擦れ合う心地よい音がする。ストレーナーがギシッとはめられ、トップがカツンと被せられた。

 コン コン コン コン コン コンと踏切警報のリズムでシェーカーが振られ始め、踊る氷の音が高らかに響き渡る。

 コンコンコンコンコンコンコンコン

シェーカーを振る彼の肘の動きが次第に激しくなるにつれ、氷が奏でる音も金槌で釘を叩く速さになる。やがて隙間のない連続音となると今度はその音を消すかのように腕の振りを小さくしていく。

 彼はシェーカーをカウンターに静かにおいてトップを外す。2つのカクテルグラス交互に注がれる黄色い液体は余ることなく綺麗にグラスに収まった。

 注文をした客の前に運び終え、緊張を解いた彼が僕を見る。僕は軽く頷きながら彼に近寄っていく。

「ありがとう。カウンターの上での所作は綺麗だった」

「ありがとうございます」

「でも扉は閉まるまで手を添えれば開閉音はしないから」

 歌や詩と同じように、バーテンダーの所作や気遣いは人に感銘を与える。

「はい」

 そのときガシャと音が聞こえた。これはタンブラーをボトムズアップしてから元に戻したときに聞こえる氷の音だ。見ないでもわかる。

「1番、グラス、空いたね」

 ちょうど注文が途絶えた今、洗い物に取りかかりたくなるけれどその前に声をかける。後回しにすると作業が重なって自分のペースを乱すことになりかねないから、客をコントロールすることが大切なんだ。

 今宵の1番には、人にも帰巣本能があることを証明しているかのような客が止まっている。



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