第27話 地の底よりの帰還者 〈2〉
竜骨市骸区第三層・
「まったく。ジャヤ、おまえはけしからんやつだな」
「ごめんね。今回はすっかり忘れていたんだよ。なんならテトラたちの存在自体を忘れかけていた。まさか今夜七層から戻るとはね」
「うん、最低だおまえ」
「ジャヤちゃんひど~い。知ってるけど」
日没後。
午後十時を回る頃、三人は三層中ほどに位置する紅燈籠の事務所に辿りついた。
事務所の応接間では心配したルシャがずっと待機しており、主に明の無事を確認するとジャヤを半ば本気で叱咤した。ジャヤは困ったように笑う――と言ってもいつも通り笑っているように見える例の表情をしてみせただけだった。
「テトラとジンが本気を出していたならともかく、そうじゃなければ帰ってこられないメイくんの方が悪い。メイくんはもうそれだけの力を身につけている筈だから」
悪びれる様子もなく、そう言い切る始末だ。ここまで振り切れられると明としてはどう反応してよいかわからない。
それでも、突然見知らぬ相手に襲われる恐怖といったらない。
「ともかく、テトラさんたちのことを知っていたなら本当に教えて欲しかったです」
明は素直に本音を述べた。これくらいなら言っても許される、というか言う権利はある筈だ。
「それは本当に悪かったよ。テトラが新しい子がどんなか試したいって伝えてきた手紙をシャツごと洗ってしまったきりその水も捨てて……っていうかよく考えなくても自分では洗っていない気もするし?」
「てめえはその荒んだ生活をいい加減悔い改めろよ」
「どうして?」
「テメエの場合、大方ツケを払うのが他人になるからだろうが」
「そうかな」
「たしかに、それはそうですねぇ」
胡が運んできた握り飯を頬張りながら、もっともな指摘をするのはジンだ。
深部潜行用マスクと強化外套は事務所のロッカーにしまい、今はシャツにスラックスという平服姿でソファに腰掛けている。
その肩に凭れる形で黒いスリップ一枚になったテトラも寛ぎ、レトルトパウチ化された血液にストローをさして飲んでいた。こうして本来は狩られる側と狩る側が寄り添って生きている姿は明をどこか不思議な気持ちにさせた。
「悪いか?」
「え?」
「吸血鬼と吸血鬼ハンターが一緒にいちゃ悪いか?」
「……いえ、そんなことはまったく思ってない、です。ただ、不思議だなって」
「だろうな。だが、てめえも一緒だろうがよ? ア――」
「ア・キ・ラくん」
テトラがいたずらめかした口調でフォローを入れる。戦いでもそうだったが、二人の呼吸はぴたりとあっている気がする。まるでふたつでひとつの番のようでもある。
「アキラ。いつか自分の手で殺す、てめえもそういう目的でこいつらとつるんでやがるんだろうが」
「それ、は」
痛いところをつかれた。
確かに明がこのクランでこうして活動しているのは、自分からすべてを奪って造り変えた竜と彼らにその代償を払わせるつもりだからだ。そして、彼らと殺し合うこと――その望みを周囲も受け入れている。その筈
だが、最近はもう分からないのだ。いつか来るその時に、自分が彼らを殺せるのかどうか――。
「ジンくん、初対面でその態度はちょっと不躾だとぼくは思うなあ。そも、きみが今までは一番末席の所員だったのだから、新しくきた後輩に直近の先輩としてもっと優しくしなくちゃあねえ」
「くあっ、うるせえな。俺ァもともと人見知りなんだよ。悪かったな……なんだ、その。おまえだって色々あるんだろ。ちらっと聞いただけだが、そりゃ重くもなるくらいの事情だ」
「それでいーの。ごめんね、アキラくん。この子はちょっと考え過ぎるきらいがあるのさ」
「ンだと?」
「いえ……大丈夫、ですから」
正直、テトラが話を切ってくれて助かった。明はジンの突きつけた言葉に対する答えをなにも持っていなかった。あのまま問答が続いていたらどうなっていたか分からない。
テトラが猫めいた動作で「んにゃ~」と鳴いて伸びをした。
「それじゃさ。ねえ、ルシャテリエ。七層からぼくらを呼び戻した理由、そろそろ教えてくれないかなあ」
「……来月頭の清明節に竜骨都市親和派の竜人と市骸区長が会談を行うのは知っているな」
「ん、聞いてるよ」
「その区長側の警護を今年も我々に頼みたいという依頼が来ている。とりわけ、先の邪竜事件には不可解なところがいくつもあり、区長をはじめとする要人を狙ったテロ行為が起こるのではないかと懸念されていてな」
「それはその通りだよねぇ。あの竜は明らかに何者かの手によって疑似的な〈転生体〉として顕現したものだもの」
ルシャとテトラの言葉に明は胸が締め付けられるような痛痒を覚えた。同時に菊理の言葉が思い起こされる。
『くくりね、とっても、とってもがんばったんだよ。寄せ集められた異界生物や死体の欠片、魂魄の欠片の中でぐちゃぐちゃになりながら、あきらくんのことだけを考えて、そうしてようやくこうして身体を手に入れた。
明と同じように寄せ集めのパーツからなる転生体。そうなったことを菊理自身が語っていた。そして「あのひとたち」という菊理の転生を引き起こした存在も示唆された。
菊理自身はその内面に宿った恩讐心から明に執着していたが、結果的に竜骨市骸区全体に被害が及んだ。
……なにか、明たちの知らないところで不穏なことが起こっている。
何者かが悪意か――それとも全く別の意図でもって何かを引き起こそうとしている。
そうだとすれば。
「……ああ。そのために竜胆党全体を動かさねばならぬ。だから、所員であるおまえたちの協力が必要になる。そのために二人には先んじて引き上げてもらったのだ」
要人警護。しかも竜人が絡んでくるという。
俄かに動き出した事態に、明の胸が高鳴った。
「なるほどね~、今年ももうその時期かぁ」
何か感慨深げな表情のテトラが言う。テトラはレトルトパウチの輸液を飲み干してしまうと、そのまま三メートルは離れたゴミ箱に放った。
「わかったよ。親和派や穏健派とはこのまま良好にやっていきたいものねえ。協力する。ジンくんも、ね?」
「無論だろうが」
ジンも視線を上げて答える。それにルシャが頷き返し、今度は明の方を向いた。
「アキラ。おまえの力も借りたいが、どうだろう」
「……わたしも協力したい、です。でも、竜人について何も知らないままで引き受けるわけにはいかない、というのが本音……です」
竜人。竜。彼らは明がこの世界に転移・転生する原因を作った種族だ。事と次第によっては協力はおろか敵対することになるかもしれない。
明は出来るだけ素直に自分の意思を伝えたつもりだった。
「うむ、吾輩もそれが真っ当な判断だと思うよ、アキラ。竜人については……む、説明がちと長くなってしまうが……もう日付を越えるな」
「え? あ……すっかり忘れていました」
時計を見やれば午前零時を回ろうとしているところだった。
明は早朝から出ずっぱりだったことにようやく思い当った。五層に籠って半日以上経っていたし、ここでもつい長居をしてしまった。
「続きは明日にした方がよいのではないですか?」
空になった皿を片づけつつ、胡が促す。
「うむ。トワイライトもおまえの帰りを心配している頃だろう」
「なっ、あ……べつにあいつはどうでもいいです! っていうか心配なんて絶対してないしするわけないし!」
「そうなのか?」
「メイくんも素直じゃないなぁ。ボクは疲れたからこのまま館に行くよ。今日は解散にしない?」
おまえはまた娼館に行くのかよ。そういうツッコミはさて置いて、解散という部分には誰も口を挟まなかった。
「では、アキラ。すまないが、詳しい説明は明日ということでよいな」
「はい。お願いします」
「ジンくんは事務所で寝泊まりするんだよねえ?」
「今からねぐらに戻るのは面倒だしな」
「仕方ないにゃ~」
聞けばジンの家は三層の反対側にあるといい、この時間から戻るには億劫だと言う。事務所には所員が寝泊まりできる宿直室もあるので、今日はそれを利用するらしい。テトラはジンの家に投宿するつもりでいたのだろう、当てが外れたというふうに腕を頭の後ろで組んでみせた。
明も使ったことがあるが、事務所にはいくつか部屋が設けられており、宿直室は大人二人くらいであれば普段から生活できそうな程度には整っている。居心地も悪くないよう、家具や備品などもなかなか質のよいものが揃えられていた。
「ぼくはてきとうに宿を探すよ。そいじゃ、明日ねえ」
「……応」
「それじゃ、ボクは明日現地で」
「戸締りは任せたぞ。我々も帰ろう」
「そうですね。では、アキラも気をつけて帰るのですよ」
めいめいが挨拶を交わし、その場は解散となった。
表層の昇降機降り場までは全員一緒に行き、そこからはそれぞれの住まいや目的地の方向に分かれて歩きだした。
明は同じ方向に行くというテトラと一緒に医院までの道のりを戻ることになった。
竜骨市骸区も今は寝静まり、閉じた屋台やバラック小屋に囲まれた表通りは夜闇に沈んでいた。だが、隣にいるテトラは闇の中でも浮かび上がるような美貌だ。実際、銀白色の目は幽かな赤い光を放っている。
この世界の吸血鬼がどのような種族であるのか、まだよく分からない。ただ、テトラ自体に関して悪い印象はなかった。この少女――少年かもしれない――がひどく美しいこともあるが、異形の存在にして紅燈籠の所員であり竜胆党員でもあるという在り様が明の心を強く惹きつけた。
もっとも、聞きかじった伝承によると吸血鬼の能力には〈魅惑〉というものがあり、人心を惹きつけ虜にしてしまうというから油断はできない。もしかするともうとっくに術中に嵌まっているのかもしれないが、それならそれで仕方ないと思う明だった。
第一、自分の様子がおかしければジャヤやルシャが黙っていなかっただろう。
……頼る、というよりは委ねているのだ。
自分は思ったよりずっと仲間の存在に救われている。
「ねえ、アキラくん。この辺ってもう結構お店が閉まっちゃっている感じなんだね。ちょっと見ない間に随分変わったなぁ」
「あ……そう、ですね。
「きみの心配には及ばないよ。ぼくの力、見たでしょう? でも歓楽境はなあ……ちょっと賑やか過ぎて嫌ねぇ」
少し考え込む様子を見せたテトラであったが、次の瞬間に何かを思いついたようにぱっと表情を明るくした。
「そうだ! アキラくんち、泊まってもいい?」
「あの、テトラさん……それ完全にわたしの血を狙ってますよね?」
「ちえ。ばれてるか~。でもきみ、トワイ先生の医院に棲んでるって本当?」
「はい。……あー、医院ならトワイライトがいいっていえば沢山部屋がありますし……保存用輸液パックもあるから、わたしの側の心配も少ないですし、ね。来ますか?」
「地下室はある?」
「ありますよ」
「じゃあ行く!」
無邪気なテトラはやはり可愛らしい。喋る度にのぞく真珠色の牙も愛嬌がある。
こんな可憐な外見のテトラがはるかに自分よりも強いのは少し情けないが……まあ、そこは仕方がないだろう。いつか強くなって、できるだけ近くに――否、追い越すことができればいい。
「でも、意外だなあ」
「なにが、です?」
「トワイ先生のことだよ」
「……え?」
「ぼくと彼とはライバルなんだよ、アキラくん。互いに生物の精気を吸い取って生きるという点で良質な獲物は限られてくる。同じカテゴリの捕食者として獲物を取り合う食物網上の好敵手というところだね」
「はあ……」
確かに房中術によって気のやり取りはしているが、人間の精気を吸い取る存在――トワイライトに対してそういう見方をしたことはなかった。
そも、明はトワイライトのことを殆ど知らないままだ。その出自から現在に至るまで、あの男がどうやって生きてきたのか――。どうして明をこの姿に生まれ変わらせたのかすらも。
「アキラくん、彼は誰かと一緒に暮らすなんてことをしないタイプだよ。それなのに、きみを傍に置きたがるってよっぽどだ。きみの体が
「え、と……なにが、言いたいんですか」
「つまり――きみはとっても美味しいに違いないってことさあ!」
言うが早いか襲い掛かってきたテトラが明の腕を絡め取り、手近な壁に背を押しつけた。すごい力で腕を絞め上げられて、呼吸が止まりそうになる。
「……っ……あ、……離して、ください!」
「ふふっ。トワイ先生の家に着く前にちょっと味見させてもらっちゃおうかな。きっとだいじに囲って、触らしてくれないのだろうし」
「あっ、やめッ……」
吐息が首筋に吹きかかる。思わず身じろぎしたところを更に深く抑え込まれて、立ったままテトラと絡み合う恰好になる。両脚の間に膝が割り入れられ、さらにテトラが距離を縮めてくる。妖艶な美貌がゼロ距離で明を見つめていた。
「ねえ……きみの血はどんなビジョンをぼくにみせてくれるのかしらん?」
くわぁ、と紅い唇が開き、尖った牙と長い舌が覗く。明にはテトラの表情が淫らに蕩けて見えた。喉を食い破られる寸前、明の意識も甘く霞み始める。
噛まれたい。血を吸われたい。吸い尽くされたい。
そうしてテトラと混ざり合ってしまいたい。
ああ――これが〈魅惑〉――そう思った時、聞き覚えのある声が響いた。
「ちょっと! オマエらウチの敷地内でなにやってンの! 美少女同士だからって許しませんよ! めっ! 余所いきなさい余所! それかおれンちの中でじっくりたっぷり鑑賞させなさい!」
どうも痴女二人組だと思われたらしい。
医療廃棄物用バケツを持って出てきたトワイライトがあまり意味のない威嚇でもって追い払おうと――あるいは招き入れようと近づいてきた。気持ちわるい。相変わらず変態だ。しかしその変態ボイスを聞いた瞬間、明を虜にしかけていた〈魅惑〉の効果がぷつりと切れた。
そう、気がつけば既に明たちは医院の敷地内に入っていたのだ。
「トワイ先生! ひさしぶり!」
「ン? おまえ、テトラ……とアキラちゃん!?」
「ん~! 相変わらず血と消毒液と髪の匂いがいい感じ~。おひげが全然生えてないにゃ~」
トワイライトに思い切り抱きついたテトラが無理やり頬ずりをして匂いや感触を楽しんでいる。
そのテトラの髪を撫でてやりながら、トワイライトが思い当ったように言った。
「アー、テトラとジンが戻るのは今日だったかァ。それじゃアキラちゃんも大変だったんじゃナイ? っていうか今真っ最中だったよね? おれ邪魔? 席はずした方がいい? 一時間? 九十分? それともいっそ3Pする?」
「いいね3P! 愛噛プレイありでいい?」
「妙な気遣いすんな! あと3Pはしない! ……でも正直助かった」
安心感からくず折れそうになりながら、明は壁に身体を預けてトワイライトを見た。
少しずつ黄昏色に戻り始めたアッシュグレーの髪をいつも通り三つ編みに結わえ、白衣に身を包んでいる。今は仕事用の眼鏡をかけてもいる。暗がりの中でもそれとわかる異形の美貌。黄昏色の瞳が明を見ていた。禍々しく渦を巻いていてもなお美しい眼だと思った。
トワイライトは肩を竦めて苦笑してみせた。
「なンだよ、アキラちゃん。ほら、うち入ンな?」
テトラを小脇に抱えたトワイライトは、明にも手を差し伸べた。
……うん、いつも通りだ。
「……ただいま」
「おかえり、アキラちゃん」
見慣れた姿にほっとしながら、明はトワイライトの手を取り、医院の中へと入っていった。
第七話 了
竜には九つの魂がある 津島修嗣 @QQQ
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