第21話:忌み姫と死ねない男
「……よもや、このような事になるとはな」
館の奥にある執務室にて、宰相ゼフォンは重い息を吐いた。
アルデイル連邦を利用した企みに、そのために用意した虎の子の精鋭たち。
その全てが、《彷徨える王》という想定外の災害によって潰えた。
次に打つべき手を早急に考えねばならないが、手札は無限にあるわけではない。
刺すような頭痛を感じ、老いた宰相はもう一度ため息をつく。
「《忌み姫》が《彷徨える王》を討った噂も、既に国の内外に出回っている。
これでは《王器》を狙おうと、名乗りを上げる輩も少なくなるか」
そして、それはアルデイル連邦を含めた諸国も同様だろう。
身の程を知らない小娘一人を手篭めにして、一国を支える《王器》を手に入れる。
少ないリスクで極大のリターンを得る、そんな旨い話ではなくなるからだ。
ただでさえ限られていた手筋が、ここに来て更に削れてしまった。
「クロウェルめは、何を考えているか……」
数日ほど前に、魔法の水晶を通じて現状確認を済ませてから、まだ音沙汰はない。
アレは信用ならない売国奴だが、策謀家としては優れている。
こちらには黙って、また裏で謀を進めているはずだ。
ゼフォンは、その点についてはあの仮面の男を誰よりも信用していた。
同時に、自分ならばそれを逆に利用できると確信していた。
「まぁ良い。動きがないのなら、こちらもこちらで手を進めれば良い事」
手札が乏しいとはいえ、まだ皆無というわけではない。
虎の子を失っても、切り札や奥の手の一つや二つは残されている。
ただ、できれば今は切りたくないというだけの話だ。
可能なら大法官クロウェルに、先ず手札を使わせたかったという欲もある。
あるいは、あの仮面の男も似た事を考えているからこそ、今は沈黙しているのか。
「若造が、小賢しい事を考えるな。だが、それならそれで……」
「――お静かに、宰相ゼフォン殿」
誰にも聞かせるつもりのない、老人の独り言。
特に意識したわけでもなく、ついつい口に出ていた言葉に、応える声があった。
身をすくませ、ゼフォンはその場に固まる。
警告を語る声には、脳の片隅に引っかかる程度だが、聞き覚えがあった。
「……お前は、鴉の……」
「ヤタと申します。宰相殿も、私の声はご記憶されておりましたか」
背後。囁く声は、男とも女とも言い難い。
視線だけ動かせば、小柄な執事姿の相手が立っているのが見えた。
冷たい眼差しは、心臓の奥をえぐり出すように鋭い。
「何の用だ? お前は《王器》の眷属、王の命無くば動かぬはず……」
「お静かにと、そう申したはずですが?」
「ッ……」
刃に似た殺意が、首筋を掠めた気がした。
――従う気がないのなら、このまま殺すのも致し方ない。
無駄な弁舌で時間を稼ぐのは、まったく無意味だとゼフォンは悟った。
屋敷の各所に控えている私兵たちも、アテにはなるまい。
宰相殿が沈黙したのを確認すると、ヤタはゆっくりと言葉を続ける。
「宰相ゼフォン殿に、重要な報せを持って参りました。
私がやって来た事で、薄々気付いているやもしれませんが。
バルド王国の《王器》――《緋の玉座》は、新たな主に継承されました」
それはつまり、新たな王が定まったという事。
驚きに声を上げそうになったが、ゼフォンはそれをギリギリで呑み込んだ。
しかし、一体誰が?
《彷徨える王》の出現後、まだ新たな婚約者候補は決まっていない。
では、どこぞの流れ者が? いや、その可能性も低いはずだ。
そもそも、あの《彷徨える王》さえ討った姫君に、一体誰が勝てるというのか。
「新たな王は、ヒルデガルド女王陛下です。
《王器》の眷属として、新女王の即位に祝福を」
「何だと……?」
新女王ヒルデガルド。王となったのは、あの《忌み姫》だと?
先ほどとは別種の驚きに、ゼフォンは混乱した。
あの小娘は、あそこまで自らが王となる事を拒絶していたというのに。
戸惑いはしたが、宰相の思考はすぐに冷静さを取り戻した。
今更ではある。今更ではあるが、ヒルデガルドが女王になったのなら話は早い。
そもそも話がここまでこじれたのは、彼女が玉座に着くのを拒んだからだ。
怪物を力で屈服させる事に比べれば、小娘を女王に祭り上げる方がよほど容易い。
――祝福か。あぁ、私も心から祝福しようじゃないか。
無駄な犠牲を支払わされた事に内心怒りはあるが、こうなれば単なる些事。
ゼフォンは表情を笑みの形に取り繕い、背後のヤタの方を振り向いた。
「その報せ、確かに受け取った。
新たなバルド王国の女王の誕生に、私も祝福を……」
「新たな女王は、貴方たちがした事を忘れてはいません」
言葉と共に、ヤタが手にしていた『何か』を放り投げた。
ゼフォンはそれを反射的に受け取り――そして、手に触れる冷たさに戦慄した。
手にしたのは仮面だった。見覚えのある、一枚の仮面。
その半分ほどが、まだ渇ききらぬ血で濡れていた。
「大法官クロウェルは、アルデイル連邦の間者でした。
先王の時代はまだ弁えていましたが、流石に度が過ぎましたね」
「……まさか、私も……?」
「そのつもりであれば、声も掛けずにその首をねじ切っていましたよ」
《王器》の主のためならば、眷属たるヤタはどんな汚れ仕事も厭わない。
ただ恐怖に震えるしかない老人を、鴉の眼が静かに捉える。
「忠誠を。女王にではなく、この国とこの国に生きる全ての民に誓いなさい。
不本意ながら、バルド王国は少なからず荒れてしまった。
立て直しに尽力するのであるなら、女王は貴方の行いを不問とするでしょう。
――さぁ、返答や如何に?」
それは、考えるまでもない選択肢だった。
椅子から転げ落ちるようにして、ゼフォンはヤタの足元に跪く。
深く頭を垂れ、心の底から屈服した事を全霊で示した。
「全て、新たな女王の仰せの通りに致します。
老い先短い身なれども、残る命の全てを国と民に捧げる事を誓います……!」
「――誓約を受諾しました。きっと女王もお喜びになるでしょう」
バサリと、老宰相の頭上で翼が羽ばたく。
執事の姿から鴉の姿へと変じて、ヤタは軽やかに宙を舞う。
「遠からず、遣いを寄越します。
王都に戻り、自ら誓った役目を存分に果たして貰いましょう。
それまでには、どうぞ順分を済ませておいて下さい」
「必ずや……!」
最後の言葉を告げて、ヤタは窓ではなく壁の向こうへと消えていく。
完全に羽音が聞こえなくなるまで、ゼフォンは動かなかった。
気配も何も過ぎ去って、後には黒い羽根だけが残された。
「……完敗だな」
その事実を認めて、老いた宰相は身体から力を抜いた。
最早、余計な謀は寿命を縮めるだけ。
無駄なことに労力を割くよりも、与えられた役目を全うする方が余程建設的だ。
拭いきれない戦慄を抱えながらも、ゼフォンは思考を前向きに切り替えた。
こちらを殺さなかったのは、まだ能力的に必要とされているからだ。
ならばその慈悲に縋って、後は賢く大人しく立ち回るしかない。
「しかし、一体何があってあの《忌み姫》様が心変わりしたのか……」
それだけはきっと、ゼフォンにとっては永遠の謎となるだろう。
諦めずに姫君に挑み続けた不死の男がいる事を、老いた宰相は知らないのだから。
答えの出ない疑問は思考の隅に追いやり、ゼフォンは次に向けての行動を始める。
再び玉座の前で顔を合わせた時、恐るべき新女王はどんな表情をしているのか。
恐ろしい想像に、大きく身震いをしながら。
◆ ◆ ◆
「……方角は、ずっと西を指し示してるな」
旅の空には、半分に欠けた火の心臓が燃えている。今日も悪くない天気だった。
放置されて荒れ気味の街道を辿りながら、ガイストは小さく呟いた。
彼が見ているのは、手元に輝く小さな光。
左手の指に嵌められたそれは、赤い石が象嵌された指輪だった。
石に灯った淡い火は、高く掲げる事で一定の方角を光で示す。
王都ソールグレイを出てから、既に二日ほどが経っている。
その間、光は変わらず西を向いていた。
「西の果て、月が消える地の向こう側か」
呟くのは、古い伝承の一つ。
天の心臓の火が暗く沈む時、代わりに空で輝く月。
それが何であるのか、人々の知識には記されていない。
心臓が砕けた時に別れた、最も大きな欠片とする説もあるが定かではない。
ただ月は、巨人の心臓が火の明るさを取り戻すと、黙って西の彼方に沈んでいく。
その先にあるのは、『何もない』世界の果てだと伝説には語られている。
「確かに、《隠れたる者》が身を潜めるならぴったりの場所だな」
「…………」
「何だ、“そんな場所に人間の足でたどり着けるのか”って?
そればっかりは、やってみないと分からんだろ」
傍らを……いや、やや後方を歩く灰色狼。
その無言の視線を感じて、ガイストは気楽に笑ってみせた。
楽観的なその発言に、傍らから声が返ってきた。
「本当に、無計画が過ぎるな。お前は。
まさかとは思うが、このままひたすら西へと真っ直ぐ行くつもりではあるまいな」
「……拙かったか?」
「神話や伝説に挑もうというのに、そんな単純な話で済むわけがなかろうが」
まったく馬鹿者めと、呆れ気味にぼやく美女が一人。
それはヒルデガルドだった。
装いは黒いドレスではなく、以前に一度だけ着てみせた町娘風の衣装に似ていた。
肩には小さな鴉が、一羽だけ止まっていた。
ヒルデガルドのツッコミに、ガイストはふぅむと唸った。
「まぁ、最初からアテのない旅だったし。頑張れば何とかなるかなぁ、と」
「馬鹿者め。本当にどうしようもない馬鹿者だな、お前は」
「めっちゃ馬鹿って言うじゃん」
とはいえ、事実なので否定はし難い。
呑気に笑いながら、人気のない長閑な道を二人は進んで行く。
次の目的地は、まだ定まっていない。
今のところは、《王器》の断片が示した導きを辿るだけの道のりだった。
「……ところで、姫様?」
「…………」
「あー、ヒルデガルド?」
「長く呼びづらいなら、短くしても良いぞ」
「じゃあ、ヒルデ」
「何だ?」
「こっちに付いてきて、本当に大丈夫なのか?」
「……今さら迷惑だと言ったら、私が何をするか保証できんぞ。
その覚悟はあっての発言であろうな」
「迷惑どころか、俺としては大変嬉しいんだけどなぁ」
それはそれとして、やはり問題があるんじゃないかなと。
ガイストの言葉を聞いて、ヒルデガルドの肩に止まった鴉がため息をついた。
「問題は、当然ありますとも。
何故にこのような輩に、わざわざ陛下が同行なさるのか……」
「口を慎めよ、ヤタ。私自身が決めた事だ。
欠片とは言えども、ガイストに与えたのは紛れもなく《王器》の一部。
《隠れたる者》を探すだけなら良いが、万一という可能性はある。
《王器》の主として、見張らぬわけにはいかない」
「だから、ヒルデも影で付いて来たって話だよな」
「そうだ。こちらも《王器》の欠片を利用しているからな。
王都からどれだけ離れても、本体と影の繋がりが解ける事もない」
自信満々に言いながら、ヒルデガルドは自分の左手に触れる。
その指には、ガイストと同じデザインの指輪が嵌められていた。
灰色狼は、長閑な空気の中で退屈そうに欠伸をした。
「……確かに。女王の命とあらば、これ以上は口を挟みますまい」
「それで良い。繰り返すが、こちらにいる私が影だからな。
ガイスト、お前も妙な勘違いは…………」
「? ヒルデ、どうした?」
不意に固まってしまったヒルデガルド。
訝しげにガイストが首を傾げるも、すぐには反応は返って来なかった。
沈黙は数秒ほど。
神妙な顔つきで、新たな女王は不死身の男を見た。
「ガイスト、一つ聞きたい」
「なんだ?」
「あの戦いの時、何故お前は私と影を一瞬で見分けたのだ?」
「あー、それか」
ヒルデガルドの影は、見た目から能力、思考、行動に至るまで本物と同等だ。
外部からそれを見分ける手段は皆無――ヒルデガルドはそう自負していた。
だからこそ、あの時ガイストが本物を見抜いたのは、極めて不可解な事態だった。
問われたガイストは、何てことはないとばかりに頷いて。
「匂いだよ」
「匂い?」
「あぁ。確かにヒルデの影は、本物とまるで見分けがつかない。
外見もそうだし、動きも何も全部おんなじだ。
ただ一点、身体に付いた血とか、そういう物の匂いまでは同じじゃない。
匂いのする方が本物で、しない方が影と、まぁそんな感じだな」
「……なるほど、そのような弱点が……」
知らなかった、と。
小さく呟いてから、ヒルデガルドはすっと半歩ほど距離を取った。
行動の意図が読めずに、首を傾げるガイスト。
頬をほんのり赤く染めながら、女王は不死の男を軽く睨んだ。
「……言っておくが、この身は影だ」
「? おう」
「そう、影だ。幾ら本物と寸分違わず同じであっても、影でしかない。
努々忘れるなよ。影を相手に、不埒な事に及ぼうとも意味などないのだ。
その――そういう行為は、貴様が《死》を取り戻し、清い身となってからだ。
……私も女王となった以上、伴侶となる者を一存だけで決めるわけにもいかん。
不死の呪いを解き、正式に婚約するまで、そういう行為は待て」
「えっ?」
「……何だ、その反応は。まさか婚前交渉など出来ると思っていたのか?
あり得んだろう、ふしだら極まるわ」
不機嫌そうな顔をするヒルデガルド。
足を止め、彼女の方を見ながら、ガイストは一言。
「婚約、してたのか。俺たち」
「………………ッ!!!!」
きょとんとしている男の左手と、頭が一瞬で沸騰したヒルデガルドの左手。
両方の手、どちらも薬指に《王器》の欠片たる指輪が嵌められている。
どうやらガイストは、その意味を正しく理解していなかったらしい。
――愛していると、先に言ったのは貴様の方ではないか……!
かつてない怒りに、目の前を真っ赤にしながら。
「貴様との婚約を、破棄するっ!!!」
ヒルデガルドの叫びは、よく晴れた空に響き渡った。
素早く離れた鴉が、これから始まる壮絶な修羅場を思ってため息を吐き出す。
既に二歩ほど退いていた狼は、アホくさいという顔で二人の攻防を眺めていた。
忌み姫と死ねない男 駄天使 @Aiwaz15
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