第12話:迫る唇

「琴歌はその事件について知っているのか」


 俺がそう聞くと、琴歌は小さく頷いた。


「琴歌だけじゃないよ。みんな知ってる。なぎちゃんも……あいつも」

「あいつ?」

「……柳田乃碧」


 まるで禁句でも口にしたかのような苦々しい表情で、琴歌がそう部長の名前を吐き捨てた。


「なんでそこに部長の名前が出るんだ。あの人は変人だが、島の事とは関係ないはずだ」


 琴歌が島民だと分かった今、射手川について色々と知っているのは理解できる。なのに、なぜ彼女はわざわざ部長を名指しにしたのか。


「騙されないで、お兄ちゃん。あいつは関係者だよ」

「は? いやいや。そんなはずないだろ。だって部長は島民じゃない。県外から来たって言っていたし」


 確かに部長は美少女だし、頭もいい。女奈宇めのう島出身の女性が皆美形で優秀だというのなら、当てはまるかもしれない。


 でも、ただそれだけだ。そもそも島民ならわざわざ島のことを調べたりしないだろう。


「お兄ちゃん。その言葉が本当だという証拠は?」

「それは」


 そう言われると、確かにそれはそうだが……。


「あいつは嘘つきだ。お兄ちゃんは騙されてるんだよ」

「いややっぱりそれはおかしい。だってもし部長が島民なら、当然同じ島民である射手川はそのことを知っているはずだ。でもそんな素振りはなかった。それも演技だって言うのか?」


 保健室での会話を思い出す。


 〝そそのかしたのは絶対にあのオカルト部の部長だよ。あの人、色々島について調べ回っているし〟


 もし同じ島民なら、そんな言い方にはならないはずだ。


「なぎちゃんは気付いていないだけ……むしろ気付いたのは琴歌だけだよ」

「気付いていない……?」

「多分、上の人達は知っていると思うよ――戸籍抄本には記録が残るから……入学書類を見て気付いたはず」

「改名?」


 俺がそう聞くと、琴歌がニコリと笑った。


「お兄ちゃん、白巫女の話は聞いた?」

「ああ、射手川から聞いた。俺が生まれた年の前後数年に生まれた女の子のことだろ?」

「うん。白巫女はね、五人いるの」


 五人。


 射手川と琴歌、それと――


「雪那お姉ちゃんと真白お姉ちゃん。でもこの二人はしきたりを破って東京に逃げた。だから、多分二度とここには帰ってこない」

「それで……その最後の一人は誰だ、誰なんだ」

「――冠城かぶらぎ凜乃亜りのあ。お兄ちゃんと同じく事故で両親を失って島外の親戚に引き取られて、島から出ていった子。それが柳田乃碧の本当の名前。改名して眼鏡掛けて、バレてないつもりだろうけども……琴歌には分かる」


 冠城凜乃亜――その名前を聞いた瞬間に、頭痛に襲われる。


「かぶらぎ……りのあ……りのあ……!」


 フラッシュバックする記憶。陰気な少女が爆ぜる炎をバックに叫ぶ。


 〝いやだ……いやだ……人魚なんていやだ……燃えろ……燃えろ!〟


「ああ……ああ!」


 俺は膝から力抜けて、倒れそうになってしまう。結果、膝がつき、琴歌に縋るような姿になる。


 ああ、いつかあの部室で、同じような格好をしたな……。なんて情けないんだ、俺は。


「お兄ちゃん。聞いて」

「くそ……嫌なことを思い出した」


 火の匂い、焼ける匂い。

 俺の両親は……火事で死んだんだ。俺の目の前で――俺を守る為に死んだんだ。


 母さん……父さん……。


「お兄ちゃん。琴歌はね、あんな儀式やりたくないの。人魚になんてなりたくないの。だから――逃げよう?」

「待ってくれ……待ってくれ……もうわけがわからない。部長が島民? 儀式? もう勘弁してくれ」


 もう何を信じたらいいか分からない。


「お兄ちゃんはもう何も知らなくていい。あいつらはね、。馬鹿馬鹿しいおとぎ話を信じてさ。だから、このままあいつらと一緒にいたらダメ。琴歌が逃がしてあげる。あいつらから、みんなから」


 そう言って――琴歌が俺の頭を優しく撫でながら、歌い始めた。


 それはさっき聞いたあの歌じゃない。


 でもどこかで聞いたことのある歌だ。


「ああ……」


 俺が顔を上げると、そこには満面の笑みを浮かべる琴歌の顔があった。まだ幼さを残しながらも、近くで見れば見るほど、引き込まれてしまう美貌だ。


 ああ、もう全部投げ出して、この子と一緒にいた方がいい。


 そんな風に錯覚してしまう。


「キスする?」


 そういう歌詞なのか。それとも、それは琴歌の言葉だったのか。


 近付いてくる彼女の唇に、俺は身体が麻痺したように抗うことができなかった。


 キスをするのか。


 そう思った瞬間。


「はい、そこまで」


 そんな声が背後で響く。

 まるでさっきまでの呪縛が嘘だったみたいに、俺は動くようになった身体で声の主へと振り返った。


「……先生?」


 琴歌が睨む先にいたのは、風で白衣をはためかせている女性――牛飼先生だった。


「昼休み、もう終わるけど?」


 琴歌の視線を無視して、牛飼先生が咎めるような口調でそう言った。


「……ちぇっ。じゃあお兄ちゃん、


 そんな言葉と共に、あっさりと琴歌が去っていく。


 彼女が牛飼先生の横を通り過ぎる時に何か言ったような気がするが、その声は俺のところまでは届かない。


「……大丈夫?」


 呆然としていた俺へと、牛飼先生が手を差し伸べてくる。


「あ、はい」


 その冷たい手を取って、俺は立ち上がった。


「頭痛は?」


 心配そうな先生の顔を見て、俺は首を横に振る。


「今は大丈夫です」

「そう。でも保健室で少し休んでいきなさい」


 その言葉に俺は甘えることにした。今、どんな顔して授業を受ければいいか分からないし、この混乱した頭をとりあえず落ち着かせたかった。


「……はい」


 俺と牛飼先生は屋上から離れると、無言のまま高等部の方にある保健室へと向かった。


 保健室には、幸いというべきか、誰もいなかった。そういえば前回は逃げるように去ったのでちゃんと見ていなかったがここはちょっとした医療施設なみに医療機器が充実している。この辺りもこの学園の経営が潤っている証拠だろうか。


 先生がデスクに座ると、俺に着席を促した。


「それで……何を思い出せた?」

「えっと……いや、その前に確認したいんですが……先生も女奈宇めのう島出身なんですよね?」


 俺の言葉に、彼女が頷く。


「ええ。その通りよ。私はここの卒業生。渚や琴歌とは島にいた時から知り合い」

「ですよね。じゃあ俺のことも」


 牛飼先生が微笑む。


「もちろん。島に帰省するたんびにお土産をせがまれてたわよ、幼い頃の君にね」


 全く記憶にない。だけども、なぜか牛飼先生の言葉にだけは嘘がないように思えた。


「柳田乃碧は……」

「知っている。その話を琴歌から聞いたの?」

「はい。でも、信じられなくて……だって部長は」


 俺がうなだれると、彼女の溜息が聞こえた。


「あの子は……引っ込み思案で、島にいた時も全然外で遊ばない子だったわ。暗い子だったのをよく覚えているもの。だけども、あの事件のせいで変わってしまった。仕方ないのよ。あの子も両親を亡くしたのだから。彼女はね、君と一緒なの」

「一緒……」


 ああ、そういえば忘れていた。

 部長は最初からそう言ってたじゃないか――〝でね〟、と。


「あの子もまた、事件のショックで記憶を失ってしまったのよ。それで九州の方の親戚に引き取られたの。なぜ改名したのかは分からないけども……彼女はまたこの雨花市に戻ってきた。当然、私達は、彼女は巫女になるために戻ってきたと思った」

「巫女になるため……」

「白巫女の中でも、オハシラ……つまり君に選ばれた者だけが巫女になれて、儀式に参加できる。つまり、君に会うために戻ってきたんだよ」


 なんだよそれ……そんなの知らねえよ。


「じゃあ部長は記憶を取り戻したということでしょうか」

「そうでなければ、戻ってこないと思うけども……正直なところ分からない。もしかしたら、肝心な部分は覚えていないのかもしれない。だから――島のことを調べている。自分の記憶を取り戻す為に」


 それなら。それなら納得できる。でも、分からないことがある。


「なんで、俺に隠していたんでしょうか。同じ境遇なら、最初からそう言えば……」

「きっと、警戒していたのでしょうね」

「警戒?」

「そう。儀式を疎み、オハシラを憎む――そんな呪いを受け継いだ者……に」

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嘘つきマーメイド達の恋と戦争 虎戸リア @kcmoon1125

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