第11話:屋上に響く歌
俺が通う私立雨花学園は中高一貫校で、中等部の校舎はすぐ隣にあった。
昼休みに渡り廊下を抜けてその中に入ると、やはりそこは高等部とは少し雰囲気が違う。なんというか若い感じがするな……なんだか眩しく感じるぜ。
なんて思いながら歩いていると、俺だけ制服が違うせいでジロジロと見られてしまう。
まあ普通、高等部の生徒なんて来ないだろうし仕方ない。
「……しかし来たものの、クラスも学年も分からないんだよな」
分かっているのは、下の名前と中等部であることだけ。
その辺りにいる奴に聞いてみるのも手だが……。
「うーん」
とはいえ、いきなり見知らぬ高等部の男子が〝琴歌を知っているか、知っているならクラスを教えてくれ〟――なんて聞いてきたら、怪しむに決まっている。
そうやって俺が何もせずに突っ立っていると余計に目立つのか、更に周囲から注目を浴びてしまった。
そのおかげなのかどうかは分からないが-――
「あれ? 沖名君?」
そう声を掛けてきたのは白衣を着た女性――校医の牛飼先生だった。
「あ、おはようございます。先生どうしたんですか」
普段は高等部の方にある保健室にいるはずなので、こうして校内で見るのは珍しかった。
「なんか倒れた子がいるからって慌てて駆け付けたんだけど、ただの貧血だったわ」
「ああ、なるほど」
「それで、君は何の用事があってここに?」
牛飼先生が不思議そうに首を傾げた。
「あー、ちょっと中等部の子に用があって来たんですけど、クラスが分からなくて困ってたんです」
「それなら私が聞いてきてあげるけど。その子の名前は?」
「琴歌、って名前の子です。それ以外は……」
「んっ、琴歌? 小さくて黒髪の長い子?」
牛飼先生が目を一瞬細めた。
「そうです」
俺がそう答えると、牛飼先生はなぜか少し考えるような素振りをし、再び口を開いた。
「それならどこのクラスか私が知っているけど」
「え? そうなんですか?」
校医って、生徒のクラス割りまで覚えているのか?
「でも、今教室行ってもいないわよ。あの子、昼休みはいつも違う場所にいるから」
「違う場所、ですか?」
「こっち来て」
牛飼先生が俺を階段の脇にあるスペースへと連れてくると、声を潜めた。
「あの子、昼休みはいつも屋上にいるから。会いたいなら屋上に行きなさい」
「屋上……」
屋上。
アニメや漫画なんかでは、学校の屋上って開放されがちだが、現実では安全面やリスクを考えて、封鎖しているのが一般的だと聞いた。この学園も例に漏れず屋上へと続く扉は施錠されていて、生徒が入ることは許可されていない。
なのに、琴歌はその屋上にいるという。
「これ貸してあげるから、行っておいで。ただし、放課後にちゃんと返しに保健室に来ること」
そう言って――牛飼先生がポケットから鈍色の鍵を俺へと渡してきた。
「いいんですか?」
俺は受けとっておきながらそう聞いてしまう。鍵は人肌で温められていたのか、微かに熱を帯びている。
「いいの。でも、他の子には内緒ね?」
まるで子供みたいな笑顔を牛飼先生は浮かべた。
「分かりました。必ず返しにいきます」
「うん。あの子のこと、よろしくね」
そうして彼女は俺の肩をポンと叩いて、去っていった。
「そもそもなんで校医なのに、屋上の鍵を持っていたんだ?」
屋上へと向かいながら、思わずそう呟いてしまう。それにあの口振りだと、どうやら琴歌と知り合いのようだ。
そういえば……射手川とも仲が良さそうだったな。
「あの人もまさか」
美人で、医師免許を取るほど優秀で、生徒からも慕われている牛飼先生。
「
海の中に自ら潜っておいて、〝魚が多い。これはおかしい〟なんて言っているようなものだ。
そう自分に言い聞かせた俺はしかし、余計なことを考えてしまう。
いや、待て。
ここが海の中だというのなら――本当に俺は俺の意思でここに来たのか?
なぜ俺だけが中三の時に、縁もゆかりもないこの学園へと入学を勧められたのか。
なぜ俺だけ学費や下宿代まで免除なのか。
「まさか俺は……この学園に入るように仕組まれていた……?」
その考えに至り鳥肌が立つ。
だから俺は屋上へと続く扉を前にして立ち止まってしまう。
本当に……本当にこのまま琴歌と会ってしまっていいのだろうか。なんだか、どんどん深みへと嵌まっていっているような気さえしてくる。
いや違う。嵌まっているんじゃない。誰かに、あるいは何かに――
深い、海の底へと。
オカルト部を辞めて、もう全部忘れてこれまで通り暮らす方が幸せな気がしてきた。
幽霊の正体が枯れ尾花ならまだいいが、それが実は幽霊以上の恐怖かもしれないという可能性を、俺は全く考えていなかった。
「考え過ぎだな」
俺は首を振ってその考えを無理矢理頭から追い出して、屋上へと続く扉へと鍵を差し込んだ。
錆び付いた扉が開き、潮風が髪を揺らす
同時に、どこかで聞いた歌が耳に飛び込んでくる。それはアカペラで声量もないけども、確かに響いていた。
屋上には空調設備やらタンクやらが所狭しと置かれていて、現実のつまらなさを分かりやすく表現している。だけどもその先にある屋上の端に、ちょっとしたスペースがあってそこに一人の少女が立っていた。
腰まで届く黒髪。小さな体躯。
顔を見なくても分かる。
「琴歌……ちゃん、だよね」
俺が近付いてそう声を掛けると、歌が止まった。
「――お兄ちゃん。どうやってここに?」
彼女は振り返らずにそう問うた。その顔にはどんな表情が浮かんでいるのだろうか。
「牛飼先生に教えてもらった」
「梓さんに……。そうなんだ」
「先生とは知り合いなのか?」
「うん」
「そうか」
俺は、彼女に近付くべきかどうか迷う。
「それで、お兄ちゃんは琴歌に何の用?」
昨日のことを聞こうとしたのに、なぜか俺は無意識で別の質問を投げてしまった。
「さっきの歌、上手だったな。あれだろ、今流行ってるKOTOの……なんだっけ、ルールはなんとかって曲」
扉を開けて聞こえてきたあの歌は確かに昨日、あの交差点で聞いたものと同じだった。それに、歌声もそっくりだった。
「――〝ルールはいらない〟、だよ。良い曲でしょ?」
「ああ」
「嬉しい。でもあれ、
……は?
俺が作った? 何を言っているんだ、この子は。そんな記憶はないし、そもそも大ヒットするような曲を作れるほどの音楽的才能はないぞ。
「昔、お兄ちゃんが泣き止まない私を笑わそうと、変な歌詞に適当な節をつけて歌ってくれてたんだよ。それを私は全部、一音一音覚えていて、それっぽく曲にしただけ。歌詞は流石に下品すぎるから変えたけど……」
「待ってくれ、それは何の話だ!」
思わず琴歌に詰め寄ってしまう。これ以上俺が知らない俺の話をするのはやめてくれ!
「全部……全部、お兄ちゃんの話だよ」
琴歌がそう言ってようやく俺へと振り向いた。そしてその勢いのまま俺の胸へと飛び込んでくる。
「な、ちょっ!」
「あはは、嬉しい! ちゃんと曲に気付いてくれた! 会いに来てくれた!」
そう声を上げながら、琴歌が俺の顔を見上げた。
その顔には、惚れてしまうぐらいに素敵な笑みが浮かんでいる。だけどもその瞳にだけは、触れていけない何かを予感させる暗い光が宿っている。
女子特有の柔らかい感触と甘い匂いが俺の理性を麻痺させ、彼女を突き放すという選択肢を封鎖していた。
「ちょ、落ち着けって!」
「お兄ちゃん……お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん! 会いたかったよ! ずっとずっとずっと会いたかった! だからね、お兄ちゃんが作ってくれた曲を全部、この世界に流したよ! もしかしたら琴歌のことに気付いてくれるかなって! 凄い? ねえ琴歌凄い!?」
まるで――褒められるのを待っている子供のように、琴歌が俺を見つめてくる。
脳内に、いつか射手川が言っていたセリフが響く。
〝KOTOちゃんは、素顔も本名も不明のネット出身のアーティストなんだよ〟
琴歌がKOTOってことか? そう言われてみれば、アーティスト名も納得できる。
つまり彼女は……俺に気付いてほしい為だけに、曲を作ってアーティストになったってことになる
「嘘だろ……」
思わずそう言葉を零してしまう。
「嘘じゃない。証拠ならいっぱいあるよ? 今からマネージャーに電話しようか? だからお兄ちゃんはもう何も心配しなくていいんだよ。島のことなんて忘れよ! 二人で東京住むのもいいね! 大丈夫、お金はいっぱいあるから!」
何を言っているんだ、こいつは。
「どういうことだよ、全然分からねえって。俺はまだ何も思い出せていないんだ。いきなりそんな事言われても困る」
そう言いつつも、俺は彼女から身体を離すことができない。
「もう思い出さなくてもいいんだよ! 今から思い出を作っていけばいいと思うの! あの二人も、島のみんなも間違ってるよ!」
あの二人。島のみんな。
その言葉で、茹だっていた頭の中が冷めていく。
ああ、そうだった。俺は何しにここに来たんだ?
「……なあ琴歌。教えてくれ。あの二人は、俺に何を隠しているんだ。嘘ついているのはなんとなく分かってる。でもそれはどうでもいいんだ。俺が知りたいのは――
俺がまっすぐに琴歌を見つめた。彼女の瞳から、暗い光が消えていくのが見えた。
「何って? そんなの決まってるよ――お兄ちゃんが記憶を失った、あの事件についてだよ」
そんな言葉と共に、琴歌の顔に怯えのような表情が浮かんだのだった。
ああ……やっぱりか。
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