第10話:あらゆる嘘が許される、魔法の言葉

 その日の夜。


 俺が今住んでいる部屋は、寮として学園側から用意されたもので、普通のワンルームマンションの一室だ。さして広くもないしユニットバスではあるが、タダで住まわせてもらっている以上、文句は言えない。


 俺はベッドに寝っ転がりながら、ボーッと天井を眺めていた。


 今日はあまりにあれこれありすぎて、気持ちの整理が追い付かない。


 射手川の突然の転部。

 人魚伝説。

 オハシラ、白巫女。


 そして――


「嘘つき……か」


 それは……俺もどこかでずっと感じていたことだ。

 部長も射手川も……何かを隠している気がした。


 それが俺の記憶に関わることなのは間違いない。


 だから射手川が嘘をつくのは分かる。


「でも、なぜ無関係な部長まで? いやそもそも、あの子の言ったことが真実とも限らないしなあ」


 あの社浦琴歌と名乗った中等部の生徒は、何を知っているのか。


「はあ……もう何もわからん」


 なんて溜息をついていると、スマホから控えめな着信音が鳴った。

 

 画面には〝早乙女さん〟という名前が表示されている。俺は一度深呼吸して、その電話を取った。


『やっほー! 沖名君生きてるぅ!?』


 陽気な女性の声が響く。相変わらず声がデカいな、早乙女さん。


『ええ、生きていますよ。なんとかね』

『そりゃあ重畳。ああ、そうそうこないだの検査の結果だけど、異常なーし! 沖名君の脳みそちゃんは元気で健康です!』


 そう。早乙女さんは俺のカウンセラーだ。

 おそらく三十代ぐらいだと思うが、年齢は不詳。いつも黒髪をポニーテールにしている明るい女性というイメージで、化粧っ気はないものの、美人なのは間違いない。

 

『それは良かったです。相変わらず記憶は戻りませんけども』


 俺は先日、校医の牛飼先生と早乙女さんの勧めで大きめの病院で脳の検査を受けた。その結果報告のようだ。


『まあ、そこはゆっくりでいいじゃないかな? それで、最近はどう? 頭痛は?』


 なんて聞いてくるので、俺はいつものように日常を報告する。もちろん、全部を語るわけではない。

 オカルト部の活動で図書館に行ったことは喋っても、中学生に尾行された、なんてことはわざわざ言う必要ないからだ。


『青春してるねえ! 羨ましいなあ!』

『はあ……まあ』

『とりあえず、今のところ経過は順調だね! 場所が場所だけに急に色々と思い出すかもしれないけど、無理はしないでね? 何かあったらすぐに報告して』

『分かりました』

『それ以外に、何か相談事とかある?』


 ないです。そう答えようとして、俺は口を開いた。


 なのに、それとは別の言葉を出てきてしまった。


『早乙女さん、女子が嘘をつくのってどういう心理なんでしょう?』

『ん? ん? んー!? なになに恋ですか!? 恋バナですか!?』


 早乙女さんのテンションが急上昇したので、俺は思わず電話を切ってしまった。


「……何やってんだ俺……」


 スマホが再び着信音を鳴り響かせた。なんか、音量デカくなってない?


 流石に無視するわけにはいかないので、もう一度電話を取った。


『あー、すみません。回線が悪くて』

『大丈夫! それでそれで!? どういう話!? 一から丁寧に説明して! あ、ちょっと録音するけどいい?』


 ガサゴソ何かを用意し始める音が電話越しに聞こえてくる。


『いや、録音しないでくださいよ……。それに恋バナではありません。心理学に詳しい早乙女さんの意見を聞きたいだけです。学術的探究の結果とでも思ってください』

『えー』

『えー、じゃないです』

『ぶー』

『切りますよ』

『はいはい……それでなんだっけ。なぜ、女子が嘘をつくかってところね』


 ようやくいつものトーンに戻った早乙女さんに、俺は顔も見えはしないのに頷いてしまう。


『その通りです』

『そうだなあ。小難しい話は無しにすると……嘘はね、女のサバイバルツールなのよ』


 早乙女さんがそう語って、少しを間を置いた。


『サバイバルツール……ですか?』

『今は違うけども、昔はどこも男社会だったでしょ? だからそこで生きるには嘘や方便が必要だった。でもそれは全てが全て、悪意あるものではないの』

『それはまあそうですね』


 部長と射手川が嘘つきだと仮定したとしても、それで俺が不利益を被っているとは思えない。それとも、それにすら俺は気付いていないだけなのだろうか。


『だからね、もし嘘をつかれたと思ったら、〝なぜ〟嘘をつかれたのか、それによって誰が得した、あるいはかを考えてみるといいかもね。それはもしかしたら……優しい嘘かもしれない』

『なるほど……嘘そのものではなく、なぜ嘘をついたのか、を考えればいいと』

『思春期の女子なんてまあ、みんな嘘つきみたいなもんよ。それに恋愛が絡めば……さらに拍車が掛かる。つきたくない嘘も、ついちゃうの』

『つきたくない嘘……』


 別に恋愛が絡んでいるわけではないが。


『色々と悩みなさい。それが若者の特権だからね。あー、私も恋してえ……どっかにイケメン落ちてねえかな』

『そんなこと言っている時点でもうダメだと思いますね』

『そういうことはね、思っても口にしないのが、モテる為のコツだよ』

『へいへい。覚えておきますよ』

『じゃ、そんな感じで! めんどくさいかもしれないけど、定期報告をまたよろしくね!』

『了解っす』


 そうやって俺が電話を切ろうとした時、なぜか早乙女さんがまだ何か言いそうな気がして、俺は指を止めた。


 するとやはり、早乙女さんの声が再び聞こえてくる。


『あ、そうだ、最後に。沖名君にこの言葉を教えてあげる――』

『言葉?』

『そう。ある限定的な条件下において、あらゆる嘘が許される、魔法の言葉――〝〟……覚えておくといいよ』


 その言葉と共に、早乙女さんは電話を切った。


 俺はスマホを放り出すと、再び天井を見上げたのだった。


「恋と戦争……ねえ。どっちも縁はないんだが」


 なら、なぜ社浦琴歌は確信を持って、部長と射手川は嘘つきだと断言したのだろうか。


 分からない。


「……本人に聞くのが一番か」


 結局、こうしてウダウダ悩んでいたところで、何も変わりはしないのだ。


「明日、中等部に行ってみよう」


 おそらく彼女は何かを知っているはずだ。


「なんか最近、妙にアクティブだな……俺」


 人と極力絡みたくない、なんて思っていたくせに。


「誰の影響だか」


 俺はそう呟いて、そのまま寝ることにしたのだった。


 夢に出てきたのは、部長と射手川とあの社浦琴歌だ。


 全員が人魚になって、あの交差点で聞いた曲をバックに踊っている、馬鹿みたいな夢。


 あの歌……どこかで……聞いたことが……でも……どこで?


 答えは出ずに、ぐるぐると部長達が俺の周囲を泳ぎ始めた。

 それはやがて極彩色の渦となり、俺はそれに溺れ、落ちていく。


 海の底へと

 深い、海の底へと

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