第2話 本文

「ねえ。鹿島は、風音姉さんのことが好きなんでしょう?」と、漆原 潤花が言った。


 ほとんど人がいなくなった放課後の教室には、夕日が差し込み始めている。

 そんな中で、鹿島――こと俺は、漆原と見つめ合っていた。


 漆原 潤花は、どこからどう見ても美少女だった。少し着崩した制服という挑発的なファッション。いわゆるメンヘラ系とでもいえばいいのだろうか。

 そんな漆原は、教室の真ん中の席に平然と座っている。


「鹿島は私の姉さんが好き。でも、その姉さんは、鹿島のお兄さんと付き合っている」

 

「何が言いたいんだよ」

 

 痛いところを突かれ、思わずぶっきらぼうな口調になってしまう。

 

「お前も同類だろ。兄貴のことを好きなんだし」

「えぇ。私も、貴方のお兄さんには、『初めまして』って言われたわ」

「そりゃ、遠くから眺めているだけだったら、そうなるよ」

「貴方よりマシだわ。ね? 風音姉さんに一目ぼれして高校まで入ってきた貴方に」

 

 無言。

 口喧嘩では互角。


 仕方ない、さっさと話を聞こう。

 そう思った俺は、しぶしぶ話を元に戻すことにした。


「で、負け犬同士でどうするんだよ」

「そう。私たちは、負け犬同士」


 だから、と漆原が艶やかに笑った。


「――私と、共依存しない?」


 と。





*****




 俺と漆原潤花の関係はそれほど複雑ではない。


 俺は、出来がよく顔・性格共に優秀な兄貴と常に比較され、その度に捻くれていった。 


 だが、ある時、そんな俺にも転機が訪れた。

 偶然行った高校の説明会。そこで案内してくれた先輩――柏原 風音に恋をしたのだ。


 風音先輩は、とてつもなく周囲の目を引く人だった。

 天真爛漫で元気いっぱい。捻くれ過ぎているという自覚のある俺にさえ、優しく話しかけてくれた。 

 しかも、


「俺、この高校に行くには偏差値足りないっすよ」とそっけなく告げた俺に対しても、


「大丈夫! 絶対受かるよ、待っているからね」と明るくエールをくれた。




 そんなに優しくされて、惚れないわけがない。




 というわけで、俺は説明会以降、死ぬ気で勉強を開始した。よくわからない参考書を読み、よくわからない問題集を解く。


 すべては、


 ――憧れの風音先輩に会うために。


 ただ、俺が必死に勉強した結果補欠で入学した高校に、兄貴は特待生で入っていたという事実はムカついたが。



 そうして、地獄の勉強の末、俺は晴れて風音先輩と同じ高校に入学した。


 しかし、である。


 これから薔薇色の生活が始まるはずだったが、その決心はある光景を見て一瞬で吹っ飛んでしまった。



 放課後。

 楽しそうに笑い合う2人。


 1人は俺もよく知る男だ。

 成績優秀、スポーツ万能の爽やかイケメン。鹿島家の遺伝子が急に突然変異したのではないか、という噂がまことしやかに親戚内でも囁かれた、俺の兄貴である。



 そして、2人目は下手すれば、もっとよく知る人物だった。

 当然だ。俺はずっとその人を追いかけてきたのだから。


 明るい表情、楽しげに笑う仕草。いるだけでまるで周りがパァッと暖かくなるような雰囲気の持ち主――つまり、憧れの先輩、風音先輩だった。



 楽しそうに、まるで付き合っているかのように楽しげに帰っていく2人。

 その姿を見て、唐突に理解した。

 

 あぁ、そうか、と。

 俺は、お呼びじゃなかったんだ、と。


 こうして、俺の人生初にして、おそらく最後の恋は無残にもお蔵入りになった。



 


 ――とはいえ、ここで困った問題が起きた。


 俺は、風音先輩と会うためだけに、寝る間も惜しんで、偏差値を急上昇させたのである。

 つまり、俺はこの高校で特段やりたいことも夢もなかった。


 結局、俺は兄貴と風音先輩のイチャイチャっぷりを涙目で見つつも、それ以外にはすることがない、という世間一般から見ても、あまり賢いとは言えない高校生活を送っていた。


 そんなある日のことだった。

 この女が声をかけてきたのは。



「ねえ、貴方ストーカー? 最近、私の前によくいるけど」

「いや別に」


 と言う会話を交わしたのは、屋上だった。

 なぜ屋上にいたかと言うと、高校に設置してある屋上からは、兄貴と風音先輩が楽しく勉学や青春に励んでいるクラスの様子がよく見えたからである。


 泣いてなどいない。


「ストーカーといえばストーカーかもしれないけど、お前のストーカーではない。安心してくれ」


「そう」と短く答えた女子は、俺の返答を聞いても屋上で同じ方向を見ていた。


 へえ、珍しい、と俺は思った。

 屋上は基本的に立ち入る生徒は少ない。それに、その少ない生徒にしても、どちらかといえば俺のようなまともな高校生活からのドロップアウト組が多い。


 漆原潤香は、間違なくクラスの中でも一軍だった。特段うるさい、と言うわけでもないが、蠱惑的な表情の美人だ。色気があって、何となく派手に遊んでいそうな雰囲気さえある。

 

 なんで、そんな女子が屋上で俺と一緒の方向を見ているのか。

 疑問に思ったが、まあいいか、と横に置くことした。


 そんな俺の目線の先では、兄貴と風音先輩が机をくっつけて勉強していた。どうやら風音先輩が教科書を忘れ、兄貴が見せてあげているらしい。


 ――ケッ!!!

 

 その日の午後は特に面白くない午後だった、と言っておこう。



*****



 が、しかし。

 その日だけかと思われた漆原との1件は、それからも続いた。


 俺が高校生活デビューと共に失恋にしてから1ヶ月、つまり、5月になってからも、なぜか漆原は時たま屋上に現れた。


 そして、次第に俺は気が付き始めた。

 こいつ、俺と同類なんじゃないか、と。

 

 まず、漆原の1日ルーティンはこうだ。


 1.屋上に現れる。

 2.兄貴と風音先輩のいる3年生の教室の方を向き、俺と同じくため息を付く。

 3.以下、繰り返し。


 ここまで来たら、どんな阿呆でも気が付くだろう。

 それは漆原も同じらしかった。


「ねえ、貴方。姉さんのこと好きなの?」


 唐突に聞かれた質問に眉をひそめる。


「姉さん?」


「えぇ、風音姉さん」


 声のした方をじろじろ見る。風音先輩を「姉さん」と呼ぶ。


 と言うことは、


「お前、風音先輩の………?」


「ん」とけだるげに頷く漆原。


「でも、風音先輩の苗字は、柏原だろ」


 と言いつつ、俺は記憶を探っていた。

 風音先輩の苗字は、「柏原」である。どれほど「無気力で怠惰」と親戚中で噂になっていようとも、一応好きな人のプロフィールくらいは頭に入っている。

 

 そんなことを言うと、漆原はわかりやすく顔をゆがめた。


「はぁ………典型的ストーカーね」


「そう言うお前は?」


 それを無視して、聞き返す。


「私はストーカーではないわ。ただ単に、姉さんの相手に興味があるだけよ」


「相手?」


 いやな予感がした。顔が引きつる。


「相手って?」と馬鹿みたいに繰り返すと、


 はぁ、と漆原がため息を付いた。


「鹿島先輩よ。あんなにいい人は、そうそういないわ。こんな屋上で、他人をストーカーすることに青春のすべてを注いでいるあなたも見習うべきね」


「いや別に、そんな部活のようなモチベーションではやっていないが」と言いつつ、訂正するところは訂正する。


「兄貴です」


「何が?」と言う漆原の不思議そうな声。


「だから、俺の兄貴」


 いやいや、指を指し示す。クラスの兄貴を指して、お次は自分。 

 呆気にとられたような顔の漆原。


「へ???」


「同じ、鹿島。兄弟」


「う、うっそ」


 漆原は傍から見てもわかりやすいほど、混乱していた。


「たしかに、同じ苗字………で、でも、顔も性格も違うじゃない!!」

「もう何百回も聞いたわ、それ」


「そ、そんな」と漆原が膝を落とす。


「あの鹿島先輩と、クラスで無気力に寝ていることしかできず、クラス中で若干浮いている鹿島が兄弟なわけがないわ! 詐欺よ………!」

 

 だいぶ好き放題言ってくれる女である。

 俺は思った。


 詐欺ってなんだよ。

 遺伝子に言え、遺伝子に。






「で、そう言うそっちはどうなんだよ」


 次はそっちだと、話を振る。

 聞かれた側の漆原は、


「へえ、聞きたいの。私と鹿島先輩の馴れ初めを」と言って語り出した。


 漆原の話によると、俺の兄貴との馴れ初めはこんな感じだそうだ。


 高校の説明会に行く。在校生として説明会に参加していた兄貴からプリントをもらう。

 以上。


「えっ、お前それ本気で言ってるの?」


「えぇ」と漆原が頷く。


「運命的な出会いよね」


 いや、運命的っていうより………


「薄くね??」


と思わず、言ってしまった俺は悪くないと思う。


「ふん、よく言うわ。姉さんの笑顔を見ただけで、馬鹿みたいに浮かれていたくせにね」


 その発言は禁句だ。


「随分と言ってくれるな、兄貴のストーカー」と俺は口火を着れば、

 

 漆原が、


「へぇ? 屋上のストーキング魔が何を言うのかしら」と言い返す。


 一瞬で、屋上は口喧嘩の場と化した――が、


 よくよく聞いてみたところ、兄貴と風音先輩は、1年生の時はクラスが別々で関わり合いがなかったらしく、「ひょっとして、あの説明会で意気投合したのでは?」という結論に達した俺と漆原は、口喧嘩という不毛かつ無駄極まりない行為を止めることにした。



 そんなある日のことである。


 いつも通り、屋上で「リフレッシュ」と言う名のストーカー行為を行っていた俺は、珍しく遅れてきた漆原に告げられた。


「放課後。クラスに来て」

「なにが?」


 もちろん、俺と漆原はクラスでは何の接点もないようにふるまっている。当たり前である。たまに眼が会ったりもするが、基本的にはお互いに眼をそらして終わる。

 非常にいい関係だ。


「いいから」という漆原は珍しく真面目な表情をしている。


「絶対来なさいよ」





*****



 と、まあこんないきさつで、俺と漆原は、放課後の誰もいない教室で向かい合っていた。

 今日は授業が早く終わったおかげで、この時間帯にはほとんど生徒はいない。


「はぁ」


 思わず、ため息がこぼれる。


「で、共依存ってなんでしょうか?」


 それには答えず、漆原は、


「私たちの状況、どう思う?」と逆に問い返してきた。


「状況?」


 まあ、とはいえ、あまりいい状況とは言えないのは、自分でもよくわかっている。

 幼少期から比較され続けた兄貴と、あこがれの好きな人が仲良くしている。はたや遠くからその様子を見守っているだけの自分。


 おそらく、もっとシンプルに行動できてしまえば楽なのだろう。

 風音先輩にアタックしに行く、とか。連絡先を交換する、だとか。


 だが、俺にそれだけの覚悟も心意気もなかった。何しろ、横にいるのは完璧超人の兄貴である。漆原の言う通りで癪だが、完全に負け戦だと俺は認めていた。


「まあ、あまりよろしくはないだろうな」


 意気揚々と入学しては見たものの、現実を理解させられてしまった俺は、部活にも入らず、勉学にも勤しめず、青春にも勤しめない、と言うどうしようもない状況だった。


「でもさ、お前はまだマシだろ」


 そう言って、漆原を見返す。


 実際、その通りだった。表面上、漆原はクラス内でもまともにやっているように見えた。一軍に属する彼女は、その見た目の派手さゆえ、クラスの真面目学級委員の女子から注目を受けるほどである。少なくとも、自分よりはましな立ち位置と言える。


「そうでもないわね」と漆原が首を振った。


「たしかに、楽しいと言えば楽しいけど。でも、こんな思いは誰もわかってくれないわ」


 そこまで言い切った漆原は、「ね?」と続けた。


「運命だと思わない?」


「運命?」


「ええ、私たち。2人とも高校の説明会であこがれの人を見つけ、入学したものの、そのあこがれの人には相手ができていた」


 しかも、と漆原が形のいい眼がこちらを射抜く。


「あこがれたのが、両方の兄と姉なんてね」


「運命ねえ」


 興味なさそうに答える。が、実際のところ、俺も深いところでかなりのシンパシーを漆原には感じていた。違いがあるとすれば、クラス内の地位くらいだろうか。


「で、どうしろって?」と、問いかけてみる。

 

 このままではよくない、と言うのはわかったが、どうもさっきの「共依存」という単語と結びつかない。


「お互い、このままで高校生活を終わらせたくない。かといって、このまま貴方も私も残念ながら、直接相手にアプローチするほど自信はないわ」


「まあ、それはそうだけど………」


「簡単な話よ」


 漆原はさらりと告げる。


「私と貴方で『共依存』しましょう。どちらにしろ、上手くいかないんだったら、せめて同じような境遇の人間で傷を舐め合った方が生産的じゃない?」


 ね? と漆原が唇を舐める。


 漆原の提案は斜め上だったが、説明されると、どこか納得できるものではあった。


「まあ、な。でも、そっちはいいのかよ」


「いいわよ。貴方も私の気持ち、わかるでしょ?」


 たしかに。こうしている間にも兄貴たちは仲良くやっているのだろう。

 そのことを考えると、嫉妬で胸が狂いそうになる。


 そんな感情を、


「抱えるくらいなら、か」





 ――気が付けば、俺は「いいよ」と承諾していた。

 

「そう。じゃ始めましょう」


 漆原はそう言って、机の上に腰かけた。随分あっさりとしている。

 彼女の白い太ももが、目に焼き付く。


「お前………」


 始めましょう、という言葉に対して、この場で何を始めるんですか? と聞き返すほど俺は馬鹿ではなかった。

 誰もいない放課後。教室に2人きりの男女。


 ここまで来たら、どれほどクラスで浮いていようとも、わかってしまう。

 これはつまり、そう言うことだろう。


「お前……。こういうこと、よくするのか?」


「えぇ。初めては小学校の時かな」


 そう答える漆原は、いつもよりほんのり顔が赤い。


 目をつむる。 


 そりゃ、こんな派手だし、随分遊んでいるよな、と言う思いが頭を巡った。


 だけど、それも関係ない。


 どうせ自分も同じ穴の狢だ。俺も、漆原も。

 好きな相手に、相手をされていないから、お互いの欲望で満たそうとしている。

 

「ごめん」


 知らず知らずのうちに、そう言ってしまっていた。 

 それは漆原に対するものなのか、それともあこがれの風音先輩に対する思いなのか。


 その答えが出ないまま、俺は、ゆっくりと目を開けた。


 そして――









「えっ」


 目の前の光景に、眼を疑った。

 

「お前………」


 口が渇く。

 こんな感情は、兄貴と風音先輩の逢瀬を見て以来だろうか。


 いや、それよりもはるかに強烈だった。


 なぜなら、


「なに、やってんの?」


 目の前の漆原 潤香は、顔を真っ赤に染めて、こちら側に「手」を差し出していたからである。


 手………?


「なに? 見たらわかるでしょ? 手をつなぐのよ」


 そう言った漆原は、今までに見たことがないほど息が荒く吐き、胸を上下させていた。

 エロい光景である。

 

 ただし、「手を差し出される」と言う謎の状況でなければ、だ。


「本当に、意気地なしね。姉さんに告白もできなかったし。共依存するって誓ったでしょ??? 

 なら、私のことをめちゃくちゃにしなさいよ!!!」


「手をつないで………?」


「ええ!」とこちらを、キッと見つめながら漆原は言った。


 

 ――ものすごい、嫌な予感がした。


「う、漆原、お前さ」


「何よ? いっちょ前に私を恥ずかしめて、放置する気?」


 何度も言うが、手を差し出しているだけの人間が言うセリフではない。


「いや、ちょっと確認したいんだ」


 嫌な予感を確かめるため、質問する。


「お前………子供って、どうやってできるかってわかる………?」


「馬鹿じゃないの。そんなの誰でも知っているわ。国の事業委託を受けたコウノトリが赤ちゃんを持ってくるのよ」


 と、自信満々な表情で告げる漆原。

 

 頭が痛くなった。

 まさか、こいつ。


「じゃ、じゃあ次の質問だけど。お前さ。『初めては小学校の時』って言ってたよな?」


「ええ」


「ぐ、具体的には………?」


「あれは小学生のクラス旅行の事ね。あの時、私は夜の肝試しで、男の子と手をつないだわ」


 あ、凄い馬鹿だ。

 俺は絶望的な表情で、「あの時は遊んでいたわね」と勝手に納得する漆原を眺めた。


「最後の質問だが………あの、お前のグループあるじゃん? そこでの、こう、恋愛話とかってどういう感じ?」


 俺の質問を、ふん、と鼻で笑った漆原は堂々と言い放った。


「私が恋愛話をするとね。どういうわけか、みんな顔を真っ赤にするの」


「でしょうね」


 そうとしか思えない。

 おそらく今の発言から考えると、漆原は同じ派手なグループの中で、俺の兄貴と「手をつなぎたい」とかいうとんでもなくレベルの低い恋愛話を披露したのだろう。


「みんなレベルが低くて困っちゃうわ」と首を振る漆原を、俺はもはや可哀想な目で見つめた。


 いや、これはひどすぎる。

 レベルが低いのは、お前である。


「お前、その見た目で、その感じなの??」と、俺は顔をゆがめながら、聞き返した。


 もう一度、漆原 潤香の全身を見る。

 服の上からでも存在感のある胸元。着崩してあるファッション。

 そして、漂う色気。


 見た目は完全にメンヘラのそれだが、恋愛レベルがおこちゃまのそれである。


「うっさい!! もういいわ!!」


 が、しかし。自暴自棄になっていた漆原は、もはや我慢する気はなかったらしい。


「早く!! 私のことを!!! めちゃくちゃにしなさいよぉぉぉ!!!!」


「馬鹿、お前! 声がでかいんだよ!!」


 俺は慌てて、暴れ始めた漆原の口をふさごうとする。

 抵抗する漆原。当然、もみ合いになる。


 最悪だ。

 いや一応弁解しておくと、俺はたしかに無気力でやる気のない人間だが、かといって自分からクラスでの評判を下げたいわけではない。


 この状況で見つかったら確実に、恐ろしいことになる。


「今日こそは!! 一線を越えてやる~~!!!!!」


「頼むから!! 落ち着け馬鹿!!! 手つないだごときで『一線』とか言うんじゃねえ!!!」



 が、しかし。

 俺は思い出すべきだった。


 基本的に俺は運が悪い。

 あこがれの人を追って高校に入学したかと思えば、兄貴に先を越され、そして、他にもこんなことはよくあった。


 だから、もっと注意を、しておくべきだったのだ。







「ヒッ………」


 おびえたような声が俺の後ろからした。


 俺も、漆原も一瞬、動きが止まる。

 ゆっくり、ゆっくりと首を回す。


 頼む。頼むから。

 せめて話の分かるやつであってほしい。これを冗談だと笑い合えるようなやつに――



 が、教室の入り口にいたのは、黒髪のロング。

 美人だが、規則にうるさく冷たい、と評判のクラスの委員長その人だった。


「へ、変態………!」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。委員長、誤解なんだよ」

 

 俺は喘ぐように訴えるが、委員長は、


「欲にまみれた高校生が2人きり………誰もいない部屋………何も起きないはずがなく………」と言うだけ言うと、ダッシュで


「先生!!!! 不純異性交遊ですぅぅぅぅ!!!!!」


 と大声を出しながら、走り去ってしまった。



「………………」


 沈黙に包まれる教室。


「委員長、足早いな」


 思わず感想がこぼれる。


 すると、さっきのもみ合いから服を直した漆原が、


「うん。たしか、陸上部」とどうでもいい補足をしてくれた。


 へえ、そっか。

 俺は息を整え、漆原にほほ笑んだ。


「『たしか、陸上部』じゃねええええええええ!!!!!!!!!」


「な、なによ!」と急に驚く漆原。


「馬鹿!! そんなことよりよっぽどヤバいことになってるんだよ!!!!」


 それだけ言うと、俺は委員長を追って教室から飛び出した。

 少し遅れて、漆原も追ってくる。


「どういうこと???」


「誤解されてんだよ! 委員長に!!」


「なるほど……」

 

 廊下を走りながら、漆原が頷く。


「そう言うことね」


「やっとわかってくれたか――」

 

 よかった。どんな馬鹿かと思ったら、このくらいは認識してくれるらしい。


「たしかに、委員長の前で手をつないで、私たちが共依存の関係にあるって証言してもらった方がいいわね??」


 は?

 俺は、「名案ね!」と1人で拳を握る漆原を、信じられないものを見るような目で眺めた。


「じゃあ、委員長を追いかけて説明してくる!」


 それだけ言うと、漆原はスピードを上げ、どんどん俺を追い抜いていく。


 馬鹿、馬鹿だ。とんでもない馬鹿がいる。


 お前、そんなの………、そんなの………


「より状況が悪化するだけだろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」


 俺は発狂しながら、委員長を、ひいては、諸悪の根源である漆原を追った。先頭を行く委員長は、普段の静かな様子を投げ捨てて、素晴らしいフォームで走っている。

 そして、漆原も相当運動神経がいいらしく、委員長に食らいついている。


 教室とは違い、廊下にはそれなりに人がいたが、そんなものはもう関係ない。

 何しろ、自分の評判が掛かっているのである。





 そして、俺はこの時、まだ漆原 潤香と言う女を過小評価していた。

 この自暴自棄なメンヘラは、どう考えても恋愛レベルが低すぎた。


 俺だって、人のことを言えたものじゃないが、ひどいものである。





 そして、もっと言えば、俺はこの女に『共依存の関係になる』としっかり言ってしまっていた。


 まさかそのせいで、あこがれの人と兄貴が付き合っているのをストーキングするよりも、はるかに面倒な事態に巻き込まれ、俺自身が本当に共依存する羽目に陥るとは、



 ――俺はこの時、知る由もなかったのである。

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②「私と共依存になりなさいよ」と言ってきたメンヘラの貞操観念が、どう考えても高すぎる件について アバタロー【クズレスコミック2/20発売 @dadadada32432

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