in the Mirroring World

水神鈴衣菜

?EM S'TI

 目の前の景色を、何度疑ったことだろうか。ある夜私の部屋の鏡が光ったと思ったら、不思議な世界が見えて、そして鏡の中に手が入っただなんて。

「……夢?」

 何度も鏡に手を出し入れして、たしかにガラスの感触がないことに驚きと感嘆の息を何度も漏らす。よくある夢かどうかの確認のための頬のつねりをしてみて、その痛みに顔をしかめること何度か。どうやら夢ではないようだし、向こう側も本当にあるように見受けられる。

 ふと、向こう側に行ってみたくなった。子供の好奇心から出るものである。何が起きてどうなるかなんて思わずに、鏡の奥へと手、腕、上半身、足、と段々と入っていった。


 その世界は、不思議とキラキラして見えた。世界自体が輝きに溢れて、いつも見ている日常がキラキラと色づいて見える。いつもとは大違いだ。

 ここではものの上下左右がぐちゃぐちゃになっている。鏡の中だけれど、完全に左右が逆になっているわけではないのだ。例えばベッドが壁に足を付けていたり、ペン立てがペンを支えにして机の上に立っていたり。ものたちはそれが普通だよとでも言いたげに、その向きで鎮座している。

 とりあえずいつも通りに制服を着て、学校へ向かおうと思った。世界は異なるというのに、学生としての本業をしっかりこなそうとするのには全くもって呆れるというか。どこまで行っても私は変わらないやつなんだなと思った。

 今日は一体何曜日だったか。スマートフォンを開くと、画面すら上下が逆になっていた。読みづらい。

「……水曜日か」

 水曜日は、苦手な教科が最も多い日だ。朝から気が重い。


 お母さんに行ってきますと声をかけ、外へ出る。外もおかしな、けれど明るく煌めいて見える世界だった。木の色が秋でもないのにオレンジや赤っぽく見えるのは、色が反転しているからなのだろうか。つくづく面白い場所だと思う。

 学校に着いて、いつも通りの時間に授業が始まった。今日の一時間目は数学。私は根っからの文系なので、もちろん数学も苦手である。プリントをもらって、机に広げて解き始める。

「……」

 なんだか今日は調子がいい。ところどころ分からないところもあるが、解ける。どうしてこんな、いわゆる応用問題のようなものもこんなにスラスラと解けているのだろう。先生もよく出来ているね、と微笑んでくれた気がした。

 少々気分がいいまま二時間目になった。国語の授業だ。今は小説を読んでいる。先程も言ったが私は根っからの文系人間なので、やはり国語の授業は楽しい。

 そして三時間目。体育の授業だ。運動神経がよくない私には体育であることだけでも憂鬱なのだけれど、特に苦手な球技のバスケットボールの授業であるため尚のこと気が重い。

 体育館は寒い。なぜ寒い時期に突き指しやすい球技をやることになっているのか甚だ疑問だが、そうならないために準備体操をしっかりするのである。いち、に、さん、し、と気だるそうに口にしながら手首を回し指を回す。今日は怪我しませんようにと願った。

 ボールを取ってきて、指示されたようにまずはドリブルをその場でする。とん、とんと一定のテンポで小気味いい音が発せられる。いつもならばあっちにいってこっちにいってを繰り返して歪な音がするのだが、今日は数学の時といい調子がいいみたいだ。その後はシュートの練習になる。ゴールの後ろの板に書かれた四角を狙って、上手い人になりきった気分で綺麗なシュートが入るところを想像して──ぽんと投げる。いつもであればシュートが決まるはずはないのだが、ゴールの網のようなところにボールが擦れたシュッ、という音が響いた。

「……え?」

 他の子のボールであろうと思ったが、全くそんなことはないみたいだ。ボールは律儀にゴールに入ってからこちらへ転がってきた。


 その後も調子のいいまま一日が終わり、家に帰ってきた。ただいまと声をあげる。水曜日は早帰りの日なので、ずっと続けているピアノの教室のレッスンがある。ピアノだけは、というか音楽だけは、ずっと好きで続けられているものだ。

 いつも通りピアノ椅子に座り、教材を開く。鍵盤に指を置き、まずは指ならしをする。

 ドレミ、ファ、ソ、ラシド──。

「……なんで」

 こんなに指送りがゆっくりになるわけがない。だってもう、小学校から中学校で七年ほどやっている私だ。毎回こうしてこの音階でその日の指の動きやすさを探る。けれどこんなにもぎこちなくなることがあるだろうか? ピアノは昨日も弾いたのに。


 そこで私は、気づいてしまった。この世界では鏡の中のように、世界そのものが上下左右逆になっているだけではなく、反対になっているということに。

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