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 瞬きひとつの後、私の目の前にはこぢんまりとしたお社と、真っ白い毛をした狐があった。白い毛玉は、こちらをじっと見つめている。

『……お前』

「ひっ……!」

『なんだその情けない声は。狐がしゃべるなど、「ふぃくしょん」では普通だろうに』

「あ、生憎私はノンフィクションに生きる人間だから」

『面倒なやつめ。ではここが人智を超えたものだとも気づいていないのか?』

「……それは」

『気づいたから、お前はここに来た。元の世界に戻ることができる資格を与えられたのだ』

 狐は、大人とも子供とも判別できない不安定な声で、そう高らかに告げた。

「元に、戻れるの?」

『ああ、お前が戻る術を見つけられたらだが』

「どうすればいいの」

俄然がぜんやる気が出たようだな、まあいい』

 私の食いつきっぷりに呆れたように笑いながら、狐は声をすっとなだらかにさせた。

『この世界に唯一ある鏡を探せ』


 狐は名前がなかったようだが、狐と呼ぶのも申し訳なく感じてしまうので、シロと呼ぶようにした。もちろん理由はお察しの通りのそれだ。

「鏡がないの?」

『ああ。気づかなかったのか? 女子おなごだというのに』

「いつも感覚で髪の毛セットしてるから」

『それでいいものなのか……?』

「私がいいんだからいいの」

 探し出せなければ私は元の世界に戻れないという状況であるのに、随分と私は楽しんでいるみたいだ。ここまで自分が呑気なやつだとは思っていなかった。

 とりあえず鏡が本当にないのかを確認するために、お社から町へと戻っていく。

「ねえシロ」

『なんだ』

「もし私がずっと鏡を見つけられなかったら、私はずっとここにいるままなの?」

『そうなるな』

「シロは知らないの? 場所」

『何度も案内しているはずだが、その度に記憶を消されているのかもしれないな』

「ふうん……」

 自分で考えるしか方法はないらしい。全く面倒なことになってしまった、と自分の子供らしい安直な考えにため息を吐く。

「……そういえば、なんか静かだね」

『お前が来てから、いやその前からずっとここは静かだが』

「嘘だ、だってクラスメイトも先生もいたのに」

『それはの存在が、こちらにも反映されているだけだ』

「……なに、それ」

『こちらの世界もあちらの世界も、いわば鏡合わせに時が進んでいるんだ。なんと言うんだったか、「ぱられる」……?』

「ああ、パラレルワールドってやつね」

 やつね、と言ったが、時間軸を共有しているのであれば、こうしてシロと話している自分も、向こうの世界にいるのだろうか。

「シロは向こうにいる?」

『向こうに? いるわけがなかろう、しゃべる狐が「のんふぃくしょん」に』

「……じゃあ向こうの私は独りで虚空に話しかける寂しいやつになってるってこと?」

 愕然として呟く私に、シロは『はあ?』と怪訝そうな相づちを返す。

『今この空間は、時間の流れから逸脱している。向こうの世界にはこの時間は流れていない』

「そ、そうなの?」

『だからこの会話はここだけの会話だし、向こうの存在も反映されていない。静かだと思ったのはそれだからではないか?』

「なるほど」

 やっとこの世界のことが分かってきた。有識者がいることの大切さが身に沁みる。


 長い間話をしていた。やっと家に到着し、鏡があるかどうかの確認と、少々の腹ごしらえをする。

「ない……」

『だから言っただろう』

 シロは洗面台にのぼってふん、とそっぽを向いたが、確認しなければ信じられないたちなのだ。その辺は理解して欲しい。

 鏡は真っ黒に塗りつぶされたかのように何も見えない。底なしの暗闇は、見つめていて心地の良いものではなかった。

「……鏡、か」

 すぐに立ち去ろうと思って踵を返す。洗面所からキッチンへ向かい、冷蔵庫の中からプリンを取り出す。

『ものが無くなるのは向こうも同じだぞ』

「えっ」

 怖いことを言う。まあ別に、ほとんど毎日のようにプリンを食べている私なのだから、きっと無くなっていてもなんら不思議に思わないはずだ。大丈夫。


 * * *


 プリンを食べ終え、休憩が済んだところで鏡について考え始めることにした。

「ねえシロ、ヒントとかないの?」

『「ひんと」? とはなんだ?』

「あー……問題を解く時に解きやすくするような情報、かな」

『ほう。知らんな』

「ええ……」

 どうしろというのだ、ノーヒントで。

 とりあえず、言葉からなにか得られないかと思いついて、鏡の付く言葉を調べながら書いていく。

「鏡餅、眼鏡、水鏡、あとは……」

『鏡餅は映らぬぞ』

「そうだけど、とりあえずだよ」

『眼鏡は持っているのか?』

「お母さんのがあるはず……あ、でもまだ付けてるかな。そもそも入れないか」

『水鏡、というのはなんだ?』

「水面にものが映るんだよ。お風呂場でやってみようか」

 そう言って、私はシロを連れて風呂場まで行く。桶に水を張ってしばらくすると、洗面台にあった鏡のように水面は底知れぬ闇に包まれてしまった。

「ああ、だめか」

『けれどこれが鏡だとこの世界に認識されていることは分かったな』

「……たしかに!」

 シロ、こいつは結構頭が切れるらしい。

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