独り遭遇した壮絶なある一日の出来事ながら、読了後に感じたのは新たな可能性を孕んだ腐葉土の香りでした。しかし、それを生み出した森の掃除屋は、己の仕事を推し量る術を知らず、ただ黙々と歩き彷徨う。
主人公が見た走馬灯は、仄暗い薄闇の中に灯る微かな希望のようにも感じられます。絶望的な状況から起死回生する、ひいては倒木更新のように自然界では人知れず繰り返される再起の光景を暗示しているようでもありました。
伏せている時間に身を委ねれば壮絶な恐怖と絶望、しかし立ち上がって振り返れば、孤独であったからこそ得られた安堵。
作品の趣旨とは少しずれてしまうかも知れませんが、このように捉えるのは甘えでしょうか。人知れず打ち崩れるかも知れない未来を想えば、その時は一際静寂であって欲しいと願うばかりです。
作品に唯一つけられているタグである〝孤独〟。それをどれだけ経験しているかで読み方が変わると思うのですが、個人的にはかなり共感性の高い作品でした。
しかし、その共感すらも無意味に思わせるテーマと、最後の一文。誰しもが孤独を抱えて生きている同類のはずなのに、壁一枚、扉一枚隔てた社会という森の中で独りの人間が倒れても、誰も気が付かず、音は聴こえない。
孤独に倒れ、汚物に塗れ、絶望に襲われた作者は、走馬灯めいた幻影の中で過去のノスタルジーに誘われて起き上がったが、音も無く倒れたまま朽ちていった木は、世界にどれだけいただろうか。
共感などしても無意味だ、と言われているような諦観めいたシニカルさを感じますが、それでも、その主観に共感せざるを得ない作品でした。だとすれば、私小説として、とても味わいのあるものなのだと思います。
孤独を抱えている木の中の独りとして、この文章を寄せました。応援しています。