散り菊のような世界
汐海有真(白木犀)
散り菊のような世界
明日、地球に巨大な隕石が落ちるらしかった。これだけ繁栄していた人類は、なす術もなく一律に滅びるらしい。
私はそもそも世界がそこまで好きではないので、文明が終わりを迎えること自体は正直どうでもいいのだけれど、そんな薄情な私にも、終わってほしくないものが一つだけある。
「はあああ、滅びないでほしいなあ、世界……」
彼女の三つ編みにされた濃い茶色をした髪は、煌めく線香花火に微かに照らされていた。長い睫毛の下で大きな円を描く瞳に、夏を溶かしたようなオレンジ色をした火の光が、淡く映り込んでいる。
「まだ言ってるの。いい加減諦めなよ」
「もう、
陽咲はそう言って、くしゃりと微笑んでみせた。私は思わず、目を逸らす。陽咲の笑顔は余りにも美しいから、時折直視できない。
自分の持っている線香花火に視線を移すと、光の粒が段々と弱まっているから、もうすぐ火の玉が落ちるのだろうと思った。
「……ねえ陽咲、知ってる? 線香花火って、燃える段階によって名前があるんだよ」
「ええっ、そうなの? 全然知らなかった! 教えてほしいなあ」
「いいよ。火を付けて、火の玉が大きくなる時期が『蕾』。それから少しずつ、大きな火の花が生まれていくのが『牡丹』。火の花がさらに強さを増して、舞うように煌めくときが『松葉』。そうして段々と弱くなり、終わっていくのが『散り菊』――」
いつかネットで見かけた知識を、私はゆっくりと述べた。二つ並んだ線香花火から視線を上げて、もう一度、陽咲の顔を見た。彼女は真剣な表情を浮かべながら、口を開いた。
「そうなんだ……やっぱりすごいね、弓弦! あなたは本当に色々なことを知っているから、尊敬しちゃうなあ。教えてくれてありがとう!」
陽咲の笑顔に、私はまた、俯いた。
本当にすごいのは貴女の方だと思っている。高校生になっても人と関わるのが苦手で、クラスで孤立していた私に、積極的に話しかけてくれたこと。
それに貴女は今のように、人を褒めることを躊躇わない。誰かに優しい言葉を掛けることが、本当はどれほど難しいか、私はよく知っている。
「別にすごくないよ。ただ知っていただけ」
「そうやって謙遜するところも、かっこいいよねえ。わたしだったら絶対、自慢しちゃうもん!」
陽咲は、楽しそうに笑う。気付けば私の線香花火は、火の玉をぽとりと落とし、終焉を迎えていた。燃え殻を、近くに置いてある水の入ったバケツに捨てる。
「……あのさ、陽咲」
「ん、どうかした?」
「いいの?」
「え、何が?」
「……明日、世界が終わるんだよ。だから今日は貴女にとって、きっとすごく価値のある物なんだよ。それなのに、そんな一日の夕方に、私なんかと花火をして過ごしていいの?」
私は陽咲の線香花火を見つめながら、そう尋ねた。
言葉が返ってくるのが、少しだけ、怖かった。
「いや、いいに決まってるじゃん! あのね、わたしはね、弓弦のことがすっごく大切なんだよ? クールだけど、話してみると面白くて、それにすごい人で。だからさ、そんな風に言うのはやめてよ〜」
思わず、苦しくなる。
それと同時に、嬉しくて嬉しくて、堪らなくなってしまう。
「……陽咲はやり残したこととか、ないの」
「ええ、うーん、そうだなあ……強いて言うなら、その、笑わない?」
「別に笑わないよ。何?」
私たちを、少しの間だけ沈黙が満たした。どこかでヒグラシが、寂しげに鳴いていた。
「えっとね、わたし……恋人、いたことなくて。だからさ、その、キスとかしてみたかったなあ、とは思うかも? ほら、弓弦は知ってると思うけど、わたし少女漫画好きだからさ! 好きな人とそういうことするの、憧れたなあ……」
陽咲の線香花火が終わりを迎えて、それと同時に私の気持ちももう、限界だった。
立ち上がって燃え殻をバケツに放り込んだ陽咲を、私は強く抱きしめた。
「……え、」
驚いたように声を漏らした陽咲の、ほのかな桃色に染まった唇を、私は強引に奪った。
陽咲の身体が少しだけ、震えた。
拒絶されなかったから、私はその事実に縋るように、彼女と唇を重ね続けた。
永遠のように思えるこの時間も、そう遠くないうちに終わってしまうのだろうと、頭のどこかで理解していた。
……終末、ありがとう。汚い欲望に満たされた私の背中を、後押ししてくれて。
ああ、でも、終わらないでいてほしい。
せめて陽咲だけは。ずっと、ずっと、生きていてほしかった。
優しいままで。尊いままで。美しいままで。
……私の隣に、いてくれるままで。
蕾でなくてもいい。牡丹でなくてもいい。松葉でなくてもいい。
だからせめて、散り菊のような世界が続いてほしいと、そう思ってしまうことは。
――私の愚かな、願望なのだろうか。
散り菊のような世界 汐海有真(白木犀) @tea_olive
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