とある青年のお話—危険指定区域1類—夢の中の不思議

虚妄公

第1話

 そこは帝国と危険指定区域1類の境界である小さな川の上を走る船。


 客は十数人余り。


 川は船一隻が通るのがやっとの大きさである。


 船の最後尾に刀を胸に抱くように持って目を瞑る18歳くらいの青年に一人の男が話しかけた。


「兄さん、兄さん」


「・・・・・・なんだ?」


 青年は煩わしそうに片目だけを薄らと開けて返答した。


「兄さんはなんでこの船に乗ってんだい?」


 言ってみれば、この船は違法船であり、かなり危険な船である。


 頑強な鉄の柵と塀で遮られているとはいえ、船の左は危険指定区域1類。


 危険指定区域の中では危なくない地区ではあるが、それでも化け物共が蠢く魔境である。


 それにこの危険指定区域は奥に行くほどやばい化け物達の巣窟となる。


 そんな横をわざわざ通ろうなどという物好きはそうはいない。


 ここに乗っている者たちも、帝国の弾圧に耐えきれず夜逃げする者や、何か後ろめたいことがある者達だろう。


「・・・・・・特に理由なんてない。ただ、気の赴くままに世界を見ているだけだ」


 青年は再び目を瞑りそう口にした。


 理由はある。


 だが、目の前の見ず知らぬの者に告げる理由などない。


「そうなのかい?如何にも訳ありって感じに見えたんだが・・・・・・。どうせ暇なんだし、何か話でもしねぇか?」


 船の上は閑散として、船が進む音しかしなかった。


 なんせ、皆、後ろ暗い者達だ。


 5歳くらいの子供を胸に抱きしめている母親。


 顔に瑕を持っている強面の男達。


 10歳にも満たないであろう一人の少年。


 この川を下っていっても行き着くのは危険指定区域の入り口。


 そして、他国へと入国するための秘密裏のルート。


 全員命懸けの覚悟であろう。


 そんな中、お喋りをしようなどという者はいない。


 この男がなぜこんなに気楽そうで、そして刀を持った青年に話しかけたのかもわからない。


 しかし、視線が集まるのも必然である。


 だが、その閑散とした船旅もここまでであった。


「きゃぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあ」


 突然鳴り響いた女性の悲鳴。


 全員が一瞬で気を引き締め、その声の発生源を見ると。


「・・・・・・た、・・・・・・たすけ・・・・・・」


 恐怖に引き攣った女性の顔が目に入り———。


 化け物だ。


 一つ目の化け物。


 それも3、4メートルはあろうかという巨体の化け物。


 その化け物が女性を掴み、口へと運んでいっていた。


 船に座っていた人間達が焦ったように立ち上がった。


「なんで、なんで、危険指定区域じゃねぇ方から化け物が現れるんだよ!」


 一人の男が皆の言葉を代弁するかのようにそう叫んだ。


 それはもう悲鳴と変わらなかった。


 化け物共が現れたのは船の右側。


 帝国の領土から。


 本来であるならばありえない。


 今いるのは船の上だ。


 逃げ場などない。


 化け物の腕がまたしても船へと伸びてきた。


 もう一人の船の乗員が化け物に掴まれるのを、皆が恐怖の表情を浮かべ見ているしかなかった。


 だが、それに気を取られていた人間達は誰一人気づいていなかった。


 横から迫ってきていたもう一体の化け物に。


 大きさは2メートルほどだが、先ほどの化け物に比べて横にドッシリとしており、その体の大半を埋め尽くしているのが1個の目玉である。


 青年の真横に突然現れた大きな目玉がこちらを凝視していた。


 誰も一言の発せられない。


 突然の恐怖に直面したとき、人間は何も出来ず、悲鳴すら発せられない。


 その化け物が口が裂けんばかりに笑みを浮かべたかと思うと、船を掴み取り、上に向かって放り投げた。


「っな⁈」


 青年は宙に舞ったことで驚愕の表情を浮かべた。


 全員が船の上から飛び出し、宙を舞う。


 落ちれば死ぬほどの高さだ。


 だが、青年は宙で体勢を整えそのまま受け身を取りながら地面に着地した。


 少し遅れて、一緒に放り投げられた船が地面に叩きつけられ大破し、その破片が飛んできた。


 青年は腕で顔と体を守った。


 痛みに顔を歪めるが手に持つ刀は決して離しはしていなかった。


 青年は即座に周りを見渡した。


 そして狼狽したように表情を崩した。


 そこは危険指定区域1類の中。


 船ごと飛ばされた際に、あのバカ高い塀を乗り越えてしまったようだった。


 周りには同じく飛ばされた人間達もいる。


 どうすべきかと焦燥感に駆られた。


 だが、状況は待ってくれなかった。


 塀の上の方を見ていた青年は向こう側から何かが投げられてきたのを目視した。


 それは奇しくも青年の近くに落ちてきて、その物体を直視してしまった。


 先ほど化け物に掴まれていた男の首。


 目や口から血を流し、恨めしそうに目を見開いているのは見るも痛々しい。


 思わずその首から目を逸らすと、突然塀の向こう側で鳴り響いた化け物共の楽しそうな鳴き声。


 そして地が爆せたかのような爆音。


 皆が塀の上の方に視線をやっていた。


 そして現れる太陽に照らされた二つの巨大な影。


 徐々に皆の顔が引き攣っていく。


 しかし動くことはできない。


 化け物共が遂に地面へと爆音とともに着地した。


(ああやって、塀を乗り越えやがったのかっ‼︎)


 端を切ったかのように皆が化け物共に背を向けて走り出した。


 ここら辺は草原であり、遮蔽物もない。


 しかし、数十メートルもいけばとても大きな木々が乱立している森がある。


 青年も一切振り返らずその木に向かって走り出した。


 足の遅い者から順番に食われていく悲鳴を後ろに聞きながら、とにかく走った。


 そして、1番手前にある木へと辿り着き、即座に登っていった。


 そのときに木が大きく揺れ、危うく青年は落ちそうになった。


 下を見ると化け物がニヤリと醜悪な笑みを浮かべてこちらを見上げている。


 一つ目の目玉と目があった少年の心臓はドクドクと音を立てて、恐怖で呼吸が苦しくなってきた。


 顔も引き攣ったような笑みを浮かべている。


 だが、それでも死に物狂いで登っていく。


 何とか登り切った少年は息を整えつつ下を見た。


 あれほどのジャンプ力があったにも関わらず、何故だか登ってこようとはしない。


 そして周りには同じく登った数人の人間。


 化け物共は登ってくる気は無さそうであるが、どこにも行く気もなさそうである。


「はぁ、たしか、はぁ、この区域の木に登るのは帝国が禁止してるんだっけか」


 恐怖に震え、顔が引き攣っている男が無理やりに笑みを浮かべてそう言った。


「この状況で、そんなもん知ったこっちゃねぇよ」


 自分の命と帝国が定めた法、比べるまでもない。


 話しかけられた男も呼吸が不規則に乱れている。


 その胸には先ほど船の上で見た母親の胸に抱かれる小さい女の子がいた。


 そこにいるのはたったの4人。


 いや、4人生き残っただけでもマシか。


 だが、生き残ったというにはまだ早い。


 大木なんて比ではない、とても大きな木であるが別に果物が実っているわけでもない。


 このままこの上に居れば餓死するだろう。


 だが、下に降りれば化け物共の餌である。


 詰んでいると、青年はギリっと歯を噛み表情を歪ませる。


 ———ぎゃぁぁぁぁあぁ


 そのとき下から悲鳴が聞こえてきた。


 下には先ほど船に一人で乗っていた10歳くらいの少年が、木を登りきれず、ずり落ちていっているのが目に入った。


 そして、遂に地面まで落ちるのが目に見えた。


「ッチ‼︎」


 青年は舌打ちをし、そのまま木の上から飛び降りた。


「お、おい‼️」


 おっさんの静止の声が耳に届くがもう遅い。


 自分でも何をしているんだと思う。


 だが、勝手に体が動いたのだ。


 もうどうしようもない。


 鞘から刀を抜き放つが、別に刀を扱ったことがあるわけでもない。


 だが、幸いにも化け物共は地に落ちた少年を見ており、上から来る青年には気づいていない。


 青年はそのままの勢いで化け物、目がけて刀を振り下ろした。


 幸いにも刀は鈍ではなかった。


 小さい方の化け物の体が豆腐のように真っ二つに割れたのだ。


 青年はもう一体の化け物から距離を取るようにジャンプしながら後退した。


 だが、まだ絶望的な状況であることに変わりはない。


 何せ今までに見たこともない巨大な化け物がまだ残っているのだ。


 本能が逃げろと訴えている。


 気持ちが後ろ向きになり体の震えが止まらない。


 刀を前に構えるが、その持つ手がカタカタと震えている。


 旅の過程で喧嘩など腐るほどやってきた。


 どいつもこいつも口先ばかりの雑魚ばかり。


 だが、目の前の怪物はそんな奴らとは根本的に違う。


 捕食者と被捕食者。


“あの少年を囮にすればまだ助かるか?”


“間抜けが死ぬことなど世の常だ。一度助けてやっただけでも十分だろう?”


 そういった思考が頭を駆け巡った。


 だが、それに反して青年の体は逃げはしない。


 化け物と対峙したままだ。


 化け物も仲間がやられたことで少しだけ警戒しているみたいであるが、怒ったように青筋が体に出てきたと思えば、全力の咆哮をした。


 自身を奮い立たせ、相手を威嚇するような咆哮を。


 周りの太い木々すらビリビリと揺れる大声量。


 少年は死んだのか、気絶しているのかわからないが、地面に倒れている。


 なぜ、青年がまだ立てているのかはわからない。


 その耳からは血が出ているが、その目には生きるという覚悟の灯火が浮かんでいる。


 遂に化け物どもが走り出してきた。


 1歩1歩と振り込むたびに地面が捲れ、割れる衝撃を、青年は地面を通して感じながら神経を研ぎ澄ませていった。


 相手は人間などが敵うわけもない強大で見るだけで怖気が走るような怪物である。


「お、おい、今のうちに反対側に逃げるべきじゃねぇか?」


 木の上にいる男の一人がそう言った。


「あ、ああ」


 逃げるべきなのは分かっている。分かっているがその青年の立ち姿から目が離せなかった。


 すぐに化け物の手が青年に届く範囲に入る。


 青年がやられて、下の少年が食われれば次は自分たちの番。


「お、おい‼︎」


 すぐに動こうとしない仲間の男に焦りと怒りを滲ませた声を上げた男は驚愕に目を見開く仲間の様子を見て、木の下へと視線をやった。


 目に入ってきたのは、刀を振り切った青年の姿と、化け物の腕がずり落ち、ズシンと地面に叩きつけられた音。


 そして男達は目を疑った。


 先ほどまで立っていた青年の姿が消えて、怪物の後ろに現れたのだ。


 そして怪物の首が横にスライドして落ちていった。


「っ!や、・・・・・・やった、やりやがっった‼︎やったぁ‼︎生き残った!生き残ったぞぉぉぉ‼︎」


 男の一人が歓喜の声を上げた。


 青年を見捨てて逃げようと言っていた男だ。


 だが、その気持ちも分からなくはない。


 ただの一般人が化け物を相手にして勝てる可能性など皆無だ。


 何もできない自分達など逃げる以外に道はない。


 そもそも何の縁も義理もないのだから、見捨てたところでなんの後腐れもない。


 青年は立てないくらいに息を乱していた。


 そして何が何やら分からなくて困惑と辛苦の表情を浮かべて手を地について四つん這いとなっていた。


 ザザーと木に擦るように二人の男と背負われている女の子が降りてきた。


 一人は倒れている少年に近寄っていき、もう一人ははしゃいだ様子で青年へと近づいてきた。


「お前すげぇじゃねぇか‼︎こんな化け物共を倒すなんてよ‼︎」


 興奮が収まらないと小躍りしているおっさんに、青年は反応などできない。


 そこに近づいてくる足音が一つ。


「あの少年は無事だ。よかったな」


 何が良かったものか、と青年は一人自嘲した。


 そのおっさんは青年が正義感から駆け出したと思ったのであろうが、そういうわけではない。


 人助けなどするつもりもないし、そんな人生を生きてきてはいない。


「にしても、すげぇ剣だな。あの化け物共を斬れるなんてよ」


 危険指定区域は帝国所有の領土である。


 だが、基本的に一般人の立ち入りは禁止されている。


 化け物共が彷徨くから危険————などという理由ではない。


 危険であるということはそれだけ資源が豊富であるということ。


 ここに実る果実、薬草、鉱石、そしてお宝。


 密輸を防ぎ、それらを独り占めするために周りの塀も造られている。


 化け物共を領土内に買うリスクを負ってでも手放せぬ金のなる地。


 それがこの危険指定区域である。


「そりゃ当然だろ。その剣、ここから出たものだろ?」


 青年はその言葉にバッと顔を上げた。


 おっさんは背中に女の子を、そして腕で気絶している少年を抱いていた。


 この危険地区でなんともお人好しなことだと青年は嗤笑した。


 だが、それどころではない。


「この剣が何か、お前分かるのか」


 青年はキッと険しい表情でおっさんを睨みつけた。


「何だお前。知らずに持っていたのかよ」


「そんなことはどうでもいい。これは何だ」


 青年は問い詰めるように声を発した。


「それは、秘宝さ。この危険指定区域、おそらくは・・・・・・、3類以降で手に入る宝剣。よくそんなもん隠し持っていられるな」


 この危険指定区域に入れるのは帝国の騎士達、もしくは許可をもらったものだけ。


 密輸など見つかれば即刻処刑であるし、そもそも入ることも容易ではない。


 この剣も父が持っていたもの。


 その父は祖父の物だと言っていた。


 そして青年が旅をする理由。


 この剣だけを置いて突然いなくなった父の痕跡を探すため。


 この剣だけを頼りに色々なところを旅していた。


 だが、どこにいっても誰が作ったのか、何なのか、何一つ分からなかった。


 その痕跡がいま分かったと拳を握りしめた。


 そこに心配そうな声が降り注ぐ。


「しかし、どうするよ」


 先ほどまで小躍りしていたとは思えないほどテンションが下がっている。


 そう。


 化け物を倒したのはいいが、この後どうするかだ。


 門から出る?


 自殺行為だ。


 門を守る門番に殺されるか、出れたとしても国際指名手配となるだろう。


 事情を話して出してもらう?


 そもそも後ろ暗い船に乗っていた者達である。


 それに、帝国のエリート共が、一庶民の言葉などに耳を貸すわけがない。


 そんなにお優しいのならば逃げようなどとするものがあんなに居るはずがないのだ。


 今この場にいる5人はこの区域から出る術がないのだ。


「とりあえず、移動するか」


 子供達を背負っているおっさんがそう口にした。


 血の匂いに釣られて別の化け物が集まってくるかもしれないし、何よりも見通しのいい場所である。


 帝国の探索隊と鉢合わせになってもゲームオーバーだ。


 すぐに出る手段は思いつかない。


 ならば、この中でどうにか生き延びなければならない。


 そのために必要なのがまずは水と食料。


 森の中に入るのも危険ではあるが、川があるのもまた森の中が多い。


 どうせこのまま居ても死ぬだけだと5人で移動し始めた。


 だが、少しだけ移動したそのとき、青年が突然刀を抜いた。


「待っとくれ」


 響いたのは女性の声。


 木の木陰から一人の女性が手を上げながら出てきた。


「先住民か」


 子供を背負ったおっさんがそう呟いた。


 この危険指定区域も元々は人が住んでいたのだ。


 塀を造ったのも、立ち入りを禁じたのも突然のこと。


 何の勧告もなく行われた。


 それも遠い昔ではない。


 それゆえ、いまだにこの区域の中には人間が生活しているのだ。


「何の用だ」


 青年が鋭い声でそう問うた。


「あの化け物共を倒してくれただろう?その礼を言いたくてね」


 話を聞けば、あの化け物共は本来こんな浅層にいるような化け物ではないのだとか。


 もっと奥深くにいるはずの怪物が突然現れて、何人も人間を食い殺したらしい。


 そしてあの塀を越えては戻ってきてを繰り返し、この辺に集落があった人間達には気が休まる暇がなかったのだとか。


 そして、それを殺した青年に感謝を述べるとともに、困っているのならば食料を恵んでくれると集落まで行くことになった。


 そして、なし崩し的に宴のような有り様になった。


 ——————

 実際にはこの宴の途中まで夢が続いていました。


 そこでこの青年の姓が『勇者』と書いて、なぜか『ゆうかみ』と呼んでいました。


 で、なぜかもう一人別の青年が現れ、その青年が賞賛を浴びているところで目覚めるという。


 夢っていうのは本当にわかりませんね。


 ですが、見ている分にはなかなか恐怖と楽しい体験だったので供養。

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とある青年のお話—危険指定区域1類—夢の中の不思議 虚妄公 @kyomoukou

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