本文
ひそやかな夜。
暗がりにカスタネットを叩くような音がこだまする。
タタ、タタッ、タタン。
それが銃声だと気づくものが、この平和という空気が浸透した国にどれだけいるだろう。
「……クソッ、なんだってんだ」
男は毒づいた。
震える手で銃に弾を装填しようとするがなかなか成功しない。
背後の殺人音楽は今まさりに高みを迎え。
終息に向かおうとしている。
「ヤッてやる。おれはヤッてやるぞ。くらえ……」
幸か不幸か男は背後から迫ってきた影のような彼に気づかなかった。
殺気を感じる間もなく、振り向いた男の額を消音器付きの銃から発射された弾丸が貫通する。
彼方のビルから連発する狙撃の銃声は絶え間なく鳴り響いている。
彼が目的消失の合図を送るまで。
どんな静かな夜でも、無音になる状態を彼は知らない。
夜間営業する店の群れ、離陸する飛行機の音、行き交う人々。笑い声泣き声怒号悲鳴。
眠らない街。
彼は知っていた。
人がいる限り、無音の夜なんてものは存在しない。
「やあよく来てくれたね、歓迎しよう。それでは商談を始めようとしようじゃないか」
由佐興一は両手を広げた。
由佐グループ。日本に住んでいてこの名を知らぬものはいないであろう飲食業界のトップメーカーである。
中性的な容姿をしたグループの若手社長は、優雅な仕草でワイングラスを傾ける。
「ミスター由佐」
同席して向かい側に座る、少女の呼びかけに由佐は首を傾げてみせる。
「なんだい。ミスレオーネ」
日本、都心に位置するグランドホテル。
いわゆるVIP用のレストランにしても少女の姿は異様だった。
溢れんばかりの白銀髪を背に垂らし、小柄な身体を形式にのっとったクラシックなドレスに身を包んでいる。
ここだけ切り取れば不自然ではないだろう。
不自然なのは、少女のこの場における異様な幼さ。
各業界の重鎮が懇親会を開くような場所で、現代日本企業の帝王といっても過言ではない由佐の前に座するには少女は幼すぎた。
まだどう見積もっても小学生といった、人形のように小柄な身体。
どうしてもこの場には相応しくない。
それでも、その雰囲気を感じさせないまでに少女の姿は圧倒的だった。
「それともここでは敬意を持ってロードレオーネと言ったほうがよかったかな?」
「いや別に。ただ一つ確認だ」
少女ーー、レオーネは両手に花とばかりに由佐が左右に侍らせている二人の女性にそれぞれ目を向ける。
「うちの連中がこの席に加わりたいと言っていてね。外の警護だけでは不満なそうだ。無礼を承知で申し上げる。中に入れていただくことは可能かな?」
そう言うと遊佐はパンと手を叩いた。
「ああなんだ、そんなこと!当然構わないよ。入って来てくれればいい」
「ありがとう。……聞こえたか。入ってこい」
少女が無線機ごしにそう言うと優雅な物腰で一組の男女が入ってきた。
一人は長身でダークブラウンの髪を綺麗になぜつけ、上物の黒スーツを着込んだ若い男。
もう一人は抜きん出たスタイルを強調するように、赤いドレスに身を包んだ年若い女だった。
「……さて」
少女は傲然と微笑む。
まるでこの場の主人は自分であるかというように。
「商談を進めようじゃないか」
青い空。白い雲。
行き交う同じ制服の、同一化された髪や格好をしたものたち。
見分けがつかないとはよく言ったものだ。
この国の人は自分のみが抜きん出ていることを嫌う。出る杭は打たれ、鳴く鳥は撃たれる。
だから平和なのだという人もいるだろう。
平和がみな当たり前だと思っている。
それが砂の城で仮初のものだとしても。
「かざり!」
後ろから聞こえた声に立ち止まる。
「紅」
「もー、また怖い顔して。難しいこと考えていたんでしょ。そんなんじゃモテないぞ」
そう言ってニコッと微笑んでみせる。
「別にモテたくないし」
「またまたそんなことをおっしゃいまして。でも飾かわいいからなー。放っておきたくないって男子は少なからずいるってわけよ」
にやついた顔に、反対に飾は苦い顔をしてみせる。
「どうせ浮ついたやつでしょ。興味ない」
「だってさー。どう思いますー?」
そう言って紅は背後に声をかける。
長身の二人の男子生徒が立っていた。
二人ともきちんと制服を着こなして困ったように笑っている。
「紅」
「なんでしょう飾ちゃん様」
「もしかしてハメた?」
「さーなんのことでしょう」
軽くはぐらかして紅は言った。
「たまには遊ぼうよ。みんなでカラオケ行こうってさ。飾も行くでしょ?」
ね、と上目づかいでのぞきこむ顔にため息を落とす。
「わかったよ、今回は乗ってあげる」
「そうこなくっちゃ。先輩たちオッケーだってー」
紅がブンブンと手を振ってやっとその一人が一学年上の好見先輩であることに気づいた。
周りの視線が熱いはずだ。
現総理大臣の孫なんだから。
注目を集めるのは十分だと思いながら仕方なく飾は紅の後を追いかける。
「皆が聞いての通り、任務は敵企業からの書類の奪還だ」
レオーネは少女にしては低いがよく通る声でそう告げる。
「今どきには珍しくアナログの紙媒体。資料室に他の紙資料と紛れるように置いてある。木を隠すなら森の中ということだろう。考えたものだね。じゃあまず諸君の意見を聞こうと思う。ここまででなにか質問は」
由佐に用意してもらった会議室の一角。
そこに「煤払い業」のメンバーが集まっていた。
「用意周到なこった」
そう呟いたのはダークブラウンの髪の男。
「ていうか今どきアナログかい。デジタルにすりゃあうちの歌姫がいつでもコピーしてくれるものを」
「生憎と最近はそういうのも増えているみたいっすよ。デジタルはハッキングの可能性があるから信頼できないということでね。その点、紙の資料は手元に置いておけば安心だと思っている」
パソコンを叩きながらそう言ったのは黒髪の少女。画面を見ながら難しい顔をしている。
「あー。建物も古すぎて、内部の全体図がみつからないっす。これじゃ今回はお役ゴメンかもですねえ」
「なに言ってるんだよ。なんとかしろよ」
金髪の男が少女の頭に手を乗せた。
「それがお前の仕事だろうが、ディーヴァ」
「うるさいっすよ、アイビー。ていうかその手どけてくんないっすか。地味に重いんですけど」
「ほーら。二人ともケンカしない」
パンパンと手を叩いたのは黒髪の妙齢の女性だった。
「そんなんじゃ話進まないでしょうが。ディーヴァ。なんか手はないの」
「うーん、そうっすね。誰かが中に潜りこんで測量するってのはどうですか。そしたら私がデータ作りますんで」
「はいはーい。じゃそれ私がやる」
黒髪の女性が手を挙げたところでダークブラウンの髪の男が言った。
「待てよ。バレッタじゃ目立ちすぎる。ここはニコラが行けばどうだ?測量に関しちゃお手のものだろうし、工事にきた業者だとでも言っとけばまずバレないだろ」
「俺はそれで構わない」
奥でなにかの機械いじりをしていた寡黙そうな男、ニコラはうなずく。
「皆、それで依存ないかね」
レオーネが採決をとった。
「賛成」とはダークブラウンの髪の男、ジャック。
「私もさんせーい」とは黒髪の妙齢の女性、バレッタ。
「了解」とは、黒髪の寡黙そうな男、ニコラ。
「了解っす」とは黒髪の少女、ディーヴァ。
「まあ、それでいいんじゃねえか」とは金髪の男、アイビー。
「ていうかよ」
アイビーは今気づいたというようにあたりを見渡した。
「ナイトのやつはどこ行きやがったんだ?」
「……おそらくいつもの射撃の訓練だろ」
ニコラは手元から目を離さずそう言った。
「へえ。それでミーティングにも参加しないってか。お偉いことで」
アイビーは会議室のドアを開けて外に踏み出した。
「ちょっとアイビー。どこ行くの」
「俺も射撃の訓練にちょっくら行ってくらあ」
ヒラヒラと手を振ると会議室を出て行った。
「まったく、どいつもこいつも勝手なんだから」
「まあいつものことだろ」
頭を抱えるバレッタにジャックは笑ってそう言った。
「まったく、しょうがないおっさんすね。ボス、いいんですか?」
「構わないさ」
渋い顔をするディーヴァにレオーネは寛容に言った。
「各自がそれぞれの個人に合った動きをする。それがうちのチームの良いところだよ」
「まあてんでバラバラでも協調性があるんでヨシとしますってことですかね」
ジャックはうんと伸びをした。
レオーネが指示を出す。
「ニコラが内部構造の情報を手に入れ次第、それをディーヴァに伝えろ。ディーヴァは内面構造データの作成。潜入はジャックとバレッタに任せる。それまでにニコラは偽造IDの取得も並行して行うように」
「そうこなくっちゃ」
バレッタはウインクをする。
「イェッサー」
ジャックはにこやかに言う。
「わかった」
ニコラは無愛想にうなずく。
「じゃ、コーヒーでも飲みながら作戦会議でもしますか。姐さん」
ジャックが言う。
「いいわね」
バレッタがそう言いかけたところで、ニコラが立ち上がった。
「あれ、どこ行くのニコラ」
バレッタが質問するとニコラは答えた。
「少し、ナイトとアイビーの訓練を見てくる」
ジャックとバレッタは顔を見合わせる。
それから、ニヤリと笑った。
「じゃ、私もそっち行くー」
「俺も便乗する」
三人は肩を並べて会議室を出て行った。
「まったくみんな好き勝手すねー。久々の遠出ではしゃぐのはわかりますけど」
そう言ってディーヴァはパソコンから顔を上げた。
「ボス。コーヒー……、じゃなくて紅茶でも飲みます?」
「ああ。よろしく頼むよ」
手元に置いた書類に目を通しながらレオーネはそう言った。
「えーと、紅茶紅茶。いたれり尽くせりっすねー。ドリンクまでこんなに揃ってるなんて」
カチャカチャと音を立てながらディーヴァは不器用に紅茶を淹れる。
茶葉をこぼす音、お湯が吹きこぼれる音、茶碗を落とす音がする。
「ど、どうぞっす!」
30分くらいかけて完成した紅茶を飲んでレオーネは思った。
まだまだだと。
「いたれり尽くせりだな!金持ちの道楽とはいえ建物内に訓練施設まであるたあ。軍隊でも作るつもりか?」
アイビーが叫びながら繰り出す拳が、ナイトの防御した腕に当たった。
「ありゃりゃまあまあ」
「射撃の訓練じゃなかったのー?」
それを見てジャックとバレッタは呆れた顔をした。
「大方、アイビーから絡んでいったんだろ」
「アイツ、この前の任務の傷まだふさがってないんでしょ?やめとけばいいのに」
そう言うジャックとバレッタの目の前でなぜかナイトとアイビーは格闘戦をしていた。
ナイトの蹴りをアイビーが防ぎその勢いのまま拳を突き出す。
その拳をナイトが避ける。
その繰り返しだ。
「近接戦じゃアイビーが有利なんじゃない?あいつ元軍人でしょ」
「そらあ見立てが甘いな。ナイトだって中々のもんさ」
「そうは言ってもアイビーは筋肉ゴリラでしょ。ナイトと体重差がありすぎる」
「格闘は体重差だけじゃないぜ?」
先にアイビーがしかけた。
全体重を乗せた拳をナイトに突き出す。
だが、大技はそれだけ振り幅も大きく。
アイビーの拳が大きくナイトの体をかすった。
しまった、とアイビーの動きが鈍くなる瞬間にナイトが肉薄。
軽い動きで跳躍して、宙返りする。
アイビーの頭に踵落としが決まった。
「あちゃー……」
ジャックが目を覆う。
「今のはけっこうキタわね……」
バレッタも痛そうに目を細めた。
「クソ!」
しばらく頭を抱えて膝をついていたアイビーが立ちあがろうとしたところで、ナイトがアイビーの肩に蹴りを決めた。
そこは先日にアイビーが銃で撃たれた古傷がある場所である。
アイビーが声にならない呻きをあげる。
「うわー。ご愁傷さん」
「なかなか鬼畜ね。ナイト」
「鬼だなありゃ」
汗をぬぐうとナイトは競技場を出て行った。
それを見届けるとニコラは拍手を送った。
アイビーはまだ立ち上がらない。
「あんのガキ許さねえ!」
アイビーが吠える。
「ハイハイ、安易に絡んだアンタが悪い」
そう言ってディーヴァはため息をつきながらアイビーの包帯を巻き直す。
「ハイ、終わり。これに懲りたらナイトにもうケンカをふっかけるんじゃないすよ」
「ケンカじゃねえよ。訓練だ訓練。男の決闘とも言う」
「ふーん」
「まあ女にはわからねえだろうな」
「ぶっ飛ばされたいんすか?」
そんなアイビーとディーヴァを微笑ましそうにジャックとバレッタは眺めていた。
「なに見てやがる」
「別に」
「別にー」
そう言ってジャックとバレッタはまた笑った。
「二人ともバカなんだら。ねえ、ボス」
「バカなのは主にアイビーっすよ」
やれやれとディーヴァは首を振る。
「まあこの程度で済んでよかったんじゃないかい、アイビー。敵を甘くみていたということだ」
レオーネは冷静に言う。
「ナイトは実戦を積んだ冷徹な戦士だ」
「俺はそうじゃないっていうのか?」
「まあ頭にすぐ血がのぼるところが君の個性ではあるね」
アイビーはだまった。
ほらね、という視線でディーヴァはアイビーを見る。
「だから、今回は作戦の書き換えが必要だね。潜入はジャックとバレッタ、バックアップにアイビー、待機はナイトにする予定だった。だが、バックアップはナイトに交代だ」
「はあ?冗談だろ!」
「悪いが、仕事のことについて冗談は言わない主義でね。腕がまともになるまで激しい運動は控えるようにとお医者様にも言われただろう」
そのレオーネの言葉でついに面々は爆笑した(ニコラを除き)。
ニコラはアイビーの肩を叩く。
「お前の体力ならすぐ現場復帰できる」
「哀れむな!あのガキ本当許さねえ!」
アイビーの絶叫は空しく響いた。
一方その頃。
ナイトは屋上で一人筋トレをしていた。
一通り終わって空を見ると雲が暗い色を帯びてきていた。
風が少し強くなったようだ。
「……嵐がくる」
ナイトはつぶやいた。
「あっ、いたいた。ナイト!」
屋上のドアから声がするので見てみるとディーヴァが手招きする。
「ここにいたんすね。ミーティング始まるから来てくださいよ」
「今行く」
そう言ってナイトはドアにかけ寄る。
「なぜここにいることがわかった?」
「なぜって。熱探知ですけど」
なるほど、とナイトは思う。
このビルはそこまで情報が筒抜けなのだ。
外部の侵入者を阻むのには使えるだろうなと考える。
内部の人間を、見張るのにも。
「あっ、来た来た。やっと主役様のご登場ね」
「主役?」
ナイトが首を傾げるとジャックが言った。
「今期一番アイビーを怒らせたで賞。あと、アイビーを近接戦で負かしたで賞だな」
アイビーは無言でナイトをにらんでいる。
ナイトは全く気にしてない。
レオーネに言った。
「悪い、ボス。遅れた」
「時間には正確になるように、と言いたいところだがまあ誤差の範囲だ」
それからレオーネは少女らしからぬ、いや美少女であるからこその壮絶な目つきで一同を見渡して獰猛に笑った。
「諸君、仕事の時間だ。準備はいいかね」
①モノクローム・クロニクル 錦木 @book2017
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