最後の花火

夕日ゆうや

臨死体験

「バイタル低下! 血圧200! ECMOの用意を!」

 ざわついた声が木霊こだまする。

西沢にしざわさん! 西沢さん!! 聞こえますか!?」

 わしは重いまぶたを閉じる。

 意識が遠のいていく。


▼▽▼


「付き合ってください!」

「うん。いいよ」

「ホントか!?」

「うん。嬉しい」

 物静かな人だった。


 おぎゃー。おぎゃー。

 赤ちゃんが泣き叫ぶ。

「この子には恋和ここなと名付けよう」

「どういう意味なの?」

 小首を傾げる病衣の妻。

「恋をして、人を和ませる――そんな子に育つように」

「ふふ。わたしたちの名前からじゃないのね」

「それも、ある」


「お父さんと結婚する!」

 舌足らずな子どもの声が響く。

「そうかそうか」

 頭を撫でると、嬉しそうに目を細める恋和。


「お母さん、ご飯まだー?」

 恋和が夕食を促すと、妻が優しい声で応じる。

「はいはい。待ってね」

 妻の作ってくれる料理はうまい。


和人かずひと、何度言えば分かる。ここを読め!」

 上司が厳しく叱責してくる。

 毎日歩いて営業をかけていく。

 断れることが多く、営業成績は良くない。


「こら。何時だと思っているの!」

「うっさい」

 かったるそうに応じる恋和。

 思春期の娘とは分からん。

「お父さんからも言って!」

「女の子がこんな時間まで。ダメじゃないか」

 俺の声を聞く気がないのか、自室に閉じこもる恋和。


「ここまで育ててくれて、ありがとう。お父さん、お母さん」

 結婚式場で涙ながらに手紙を読む恋和。


 オギャー。オギャー。

「お父さん、孫の愛理あいりだよ」

「可愛い。名前の由来は?」

「愛のために生きて、この世のことわりを知る者。そんな思いをこめたの」

 恋和が抱きしめる愛理。

 わしは嬉しくて、ぎゅっと抱き寄せる。

 暖かく優しい気持ちになる。

 幸せとはこういうことなのかもしれない。


歌恋かれん。そこから花火が見えるのかい?」

「ふふ。そうなの。綺麗よ」

 夜空に咲く大輪の花は、ドンッと腹に響く音を鳴らしている。

 これが最後の花火になるなんてわしは思っていなかった。

 妻と一緒に見る最後の花火。

 川岸に集まっている人々。

 その帰り道、群衆雪崩ぐんしゅうなだれに遭い、妻は帰らぬ人となった。


「わしもそろそろ、そっちへ行くよ」

 肺腑が苦しい。辛い。痛い。

 光が集まり形となっていく。

「歌恋よ。待たせたな」

 ふるふると首を横に振る歌恋。

『何を言うの。あなたはまだ生きて』

「もうわしがいなくてもみんな生きていけるじゃろうて」

『そんな悲しいことを言わないで』

 わしが振り返るとそこには、愛理の花嫁姿がある。

 おじいちゃん。

 愛理の唇が震える。

「わしは、まだ……」

『そうよ。見守って。わたしたちの子どもを』

 わしに生きろと言っているのか。


「おじいちゃん。おじいちゃん!」

 電話越しに聞こえる孫の声。

「西沢さん、聞こえますか!?」

 わしは瞼を上げると、LEDの光が差す。

「わし、は……」

 人工呼吸器をつけられ、たくさんの機械のケーブルが見える。

 肺や心臓を調べているのか、波打つ電子画面。

「もう大丈夫です。回復しました」

「わしはどうしていたんじゃ?」

「西沢さんはコロナのウイルス性肺炎です。危機は脱しました。安心してください」

「そうか……」

 ドンッと大きな音を立てて、夜の病室から花火が見える。

 でももう妻、歌恋はいない。

 ツーッと流れ落ちる涙。

「わしがあのとき、花火を見に行こうなどと言わなければ……」

「西沢さん……」

 悲しそうに呟く医者。


 一週間後。

 コロナから回復したわしは病院前で待つ。

「おじいちゃん!」

「お父さん!」

 恋和と愛理が駆け寄ってくる。

「ああ。良かった」

「三ヶ月後には可愛いひ孫が産まれるのよ。生きてもらわなきゃ」

「そうじゃな。わしもおばあさんに言われたよ」

「言われた……?」

 あれは臨死体験という奴じゃろうか。

「生きた心地がしなかったけど、本当に大丈夫みたいで安心したわ」

 孫の愛理が微笑む。

 この顔を見ただけで生きている意味があるのかもしれない。

「今年の夏は花火祭りに行くわよ」

「それは……」

 歌恋を失ったときの映像がフラッシュバックする。

「大丈夫。もう大丈夫だから」

「警官がちゃんと規制してくれるから安心よ?」

「それでも、わしは……」

 恋和がわしの手をとり、そっと頬に触れる。

「分かった。心配なのね。……行かないよ」

「あたしたちも行かないから安心して」

 二人はこくりとうなずき、涙目で応じる。

「おばあちゃんのこと、まだ好きなのね」

「ああ。もちろんじゃ。一日足りとも忘れることはない」

「そっか。じゃあ、お庭で花火しよ?」

「それはいい提案ね!」

「それなら……」

 わしは愛理と恋和に言われると、わしも自然と微笑んでいた。

 今度は最後の花火にしない。

 わしはもっと生きる。

 孫を、ひ孫を見守るために。


 わしはこんなにも愛されているのだから。

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