第17話 底値の勝機



「クズが」


 淡々と吐き捨て、右手でくいっと眼鏡を上げる。銀縁の。

 完璧なバランスの造形は美しいとしか表現できず、目立つのはその銀縁眼鏡だけ。

 目を奪われた誰もがわかっただろう。今まさに話題にしていたのはこの女だと。



「債務者ルフス。ダンジョンから戻ったと探針大連盟ゾンデ・リーガで聞きましたが」

「……」

「返せるものはなさそうですね。返済が遅くなるほど利息が増えるというのは知っていますか?」


 大衆食堂の入り口で、左手に書類を抱え右手の指は眼鏡に沿えたままルフスを見据える。

 その目を見ていられなくて俯いた。


「偶然、この町に寄ったタイミングだったので聞いただけです。何も期待していませんが」

「……」

「返せるのか返せないのか返事もできませんか? そのさまで私の名を聞きたいと」

「……ない、です」

「知っています」


 面白くもなさそうにすっぱりと、切り捨てるように返される。

 返済のことよりも、自分を酒の肴にして盛り上がっていたことが気に入らないのかもしれない。



「聞いていれば、なんです? お前に声をかけてくれたのはとうが立った女性だけだったと? それはそうでしょう。お前のような無能には釣り合いが取れた……いえ、それすら失礼ですね。お前を憐れんで上から・・・手を差し伸べてくれた女性に対してあまりな言いよう。浅慮で失敗をして借金を抱えながら、今も何一つ顧みずよりによって私の寵愛が欲しいなんて。願望ばかり大層で何もできないゴミクズがお前ですルフス」



 少し前から聞いていたらしい。

 喧騒の中で気づかなかったが、探針大連盟でモーリッツ達が町にいることを聞いて出入りしそうな場所を当たったのだろう。

 ルフスを見つけ、与太話で盛り上がっている様子を観察していた。


「分不相応な欲望を抱く前に自分の情けなさを知りなさい。恥を知りなさい」

「おい姉さん、そんくらいで――」

「――」


 つらつらとルフスを責めるのを見かねた男が口を挟んだ。

 入り口の近くの席から立ち、彼女を止めるように手を伸ばしたのはスケベ心もあったのかもしれない。


「ふぁっ?」


 バタン、と。次の瞬間には背中から床に叩きつけれられていた。

 何が起きたのか、その場にいた誰も理解できない。



「……星付きステルラ、か」


 少し遅れて立ち上がったアイヴァンが呻いた。

 肩に触れられる瞬間に男を投げ飛ばした。目にも止まらない速さで。


「マジかよ」

「とんでもない女ね、ほんと」


 モーリッツ達も酔いが醒めたのか、目をぱちくりとさせて頭を振る。

 絶世の美女で、人間の限界を超えた力を持つ星付き。

 ルフスが求めて許されるようなレベルじゃない。高嶺の花。


「私がなんであれ、ルフス。今のお前が異性を品評できるような立場でないことくらい自覚しなさい。欲することも許しがたい」

「……」

「次に会う時には、いくらかでも返済を期待していますよ。借りた金を返すのが真人間というものですから」


 先ほどは何も期待していないと言った口で、嫌味ったらしく期待などと言って顎を上げた。

 ポケットから銀貨を一枚取り出して見せると、カウンターに向けて投げた。


「え、あっ」

「場を冷めさせたお詫びです。気になさらずに、ルフスへの貸付に足しておきますから」

「あ……う……」

「構いませんね、ルフス。不服なら私からにしておきますが」

「……」


 構わないわけがないのだが、彼女に反論するのが怖くて何も言えない。

 そんなルフスを熱のない目で睥睨へいげいし、わずかに息を吐いてから出ていく銀縁眼鏡。

 彼女の姿が消えてからも、しばらくは誰も言葉が出てこなかった。

 投げられた男が咳き込み、それで呼吸を忘れていたことを思い出す。



「……ひどい女だ。あれは」

「お仕事ってのもあるんでしょうけどね。だとしても仲良くなりたい性格じゃあないわ」


 すっかり酔いは醒め、何を食べていたんだったかも思い出せない。

 食欲も失せた。

 座り直したアイヴァンは苦々しく酒を飲み、ジエゴは皿のブロッコリーをフォークで刺して溜息をつく。


「やめておけルフス。他人に対する思いやりの欠片もない」

「そうよそうよ。あんさんは若いんだから、あんな顔だけの女なんて気にしちゃダメ」

「うん……わか――」

「いんやぁ違うぜぇルフス」


 気を取り直すようにぐいっと酒を飲み干し、袖で拭う。

 ランランと燃えるような瞳で、強く握った拳をルフスに見せつけた。


「おもしれえじゃねえか、あれがお前に口説き落とされるとこが見られたらよぉ」

「モーリッツ……」

「簡単に諦めてんじゃねえよ男だろ。金貸しだろうが星付きだろうが、なにも王女様ってわけじゃねえんだ」


 貴族や何かなら庶民のルフスが望める相手ではないが、彼女は違う。

 酔っ払いとはいえ大の男をたやすくねじ伏せる力もあるけれど、だからと言って手が届かない相手ではない。



「夢があっていいじゃねえか。借金返して美女と結ばれる。バカみてえな夢でもお前が見せてくれりゃあ俺は楽しいね」

「そんなこと言っても……」

「勝ち目ならあるっ!」


 だん、と。杯をテーブルに置いてルフスに指を突きつけた。


「今んとこお前の評価は底値だ。最低値だ。これ以上悪いことはねえ」

「だから――」

「あいつだって、こっぴどくお前を振ったつもりさ。ルフス。だがそりゃあお前が借金返済もできねえ男だって思われてるからだぜ」

「わかってるよそんなの」

「いんやわかってねえ。だからお前そいつは、別にお前の顔だとか性格だとかじゃねえ。経済力の問題だろうが」


 ルフスのことなど無価値なゴミだと言い捨てていった。

 その評価基準は金のこと。資産マイナスで返済もままならないクズだから。

 顔が嫌いだとかそういう以前の問題。



「借金は耳揃えて返す。利子もつけてきっちり返してやって、ついでにアレだ。プレゼントもつけて好きだって言ってやりゃあどうだ? なあ」

「プレゼント……」

「評価最低値のはずの男がちゃんと仕事してきて、贈り物までくれてよ。あんなにひどいことを言ったアタシのこと、まだ好きだって言ってくれるなんて……ってぇのに女は弱いっ!」


 言い切って、もう一杯飲み干してからにやっと笑った。

 一方的な言い分だけどあまりにきっぱり言うので説得力があるようにも感じる。


「そういう意味じゃ、今ここで最低の印象って方がギャップがあっていい。だから勝算はあるって言ってんだ」

「まぁた無茶苦茶言い出したわねぇ」

「だが、そうだな。その方が面白い」


 アイヴァンも口元に笑みを浮かべて酒を飲み直した。

 モーリッツは馬鹿なことを言うけれど、やはり彼はリーダーなのだ。

 ルフスも、萎れかけていた心になんだか力が湧いてくる。腹の中が熱くなってくる。


「そうだ……うん、俺もっと頑張ってみるよモーリッツ」

「いいぞ坊主!」

「となりゃあ前祝いだ。さっきの銀貨の分も飲ませてもらうぜ」

「おぉぉ」


 ルフスの奢りだと、勝手に銀縁眼鏡が払っていった銀貨。

 あんまりだと言いたい気持ちも湧かないでもなかったが、銀貨一枚程度の追加を返す気概もなしに美女を口説けるなんて甘っちょろい。

 のし・・をつけて返してやる。それくらいの心構えが必要なのだ。


「ああ、飲んでくれ。俺はきっと彼女をものにする!」


 挫けそうな根性とみみっちい気持ちを、安酒と一緒に飲み下した。



  ◆   ◇   ◆

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☆スパイラルダンジョン/借金返済! 大洲やっとこ @ostksh

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