第16話 高望み
「今日も生きてる俺らに、かんぱーい」
「はいはい、乾杯」
「乾杯」
「あ、うん。乾杯」
モーリッツはご機嫌だ。
赤字覚悟で戻ったルフス達だったが、
領域ボスは植物系モンスターで、火食い芋虫が守る柱の下に本体の根っこがある。
他のパーティからも領域ボスの情報は提供されていたが、本体の情報はモーリッツで二例目。
ボス本体が潜んでいる場所の見分け方は前になかったそうだ。
別々の探索者から同じ報告があれば事実と推定できる。
それと同時に領域ボスに関する有益な情報。見つける手段の確立。
まだ見つかって数年足らずのハーディソンのほとりに関する情報提供は少なく、多少でも価値のある情報として報酬が出た。
おかげで赤字は回避。
プラスマイナスゼロ程度の採算にはこぎつけた。少しだけプラスだったとか。
祝勝会というわけでもないが、まずは無事に戻ったことへの慰労会。
「なぁんだ、ルフスよぅ。お前童貞かぁ」
「るっさいなぁ、仕方ないだろ」
「農村だとほら、あるんじゃねえの? 祭りの晩に人妻とかが若い男の手ほどきしてくれちゃったりとかぁ」
酒の入ったモーリッツに絡まれる。
ルフスの方もいくらか酔っていてぞんざいな口調で言い返した。
「ねえよ……兄貴の嫁さんに、そんなことできるわけねえじゃんか……」
「それってぇ、誘われたってこと?」
「……たぶん兄貴が俺に気を遣ったんだ。ちくしょ……」
思い出したらなんともやるせない気持ちが沸き起こり、杯を空にする。
「兄貴はさぁ、俺の四つ上で……嫁さんは、俺の三つ違い。村ん中じゃけっこう可愛かったんだよ」
「あんさんも惚れてたのね」
「んなことない……そんなわけ、ないじゃんか」
テーブル中央に置かれた
杯でそれを掬い、喉に流し込んだ。
苦い。けれど大人の男はこれを飲むものだと割り切って飲む。
周囲の卓も同じような状況。まとめて飲むのなら
行商人やら出稼ぎ労働者の集まる卓もあれば、モーリッツ達と似た雰囲気の探索者らしい集団もいた。
ハーディソンは王都ほどではないが大きな町だ。ルフスが住んでいた農村とはまるで違う。人間が多い。
雑然とした大衆食堂の喧騒の中で安酒を飲む。
酔いも回ればつい大きな声で余計なことを喋ってしまうものらしい。
「兄貴は十五で結婚して、すぐにユールが生まれたんだ。このユールがまた可愛いんだよ」
「ルフスの姪か?」
「そうなんのかなぁ? とにかく可愛いんだってわかるアイヴァぁん?」
「あ、あぁ……」
「わかるじゃん……だからさぁ、俺は別に兄貴のこと嫌いじゃないんだよべつにぃ」
「飲ませ過ぎたかしらね」
喋っている内容がグダグダなルフスにたじろぐアイヴァンと、苦笑いのジエゴ。
モーリッツは上機嫌で笑っていた。
「ユールのこととかぁ。兄貴のこととかさぁ……考えちゃったら、無理じゃんそんなの」
「そうだな、ルフス。お前は間違っていない」
「そうだろ兄貴ぃ」
「いや俺はお前の兄では……」
「いいじゃないのよぅ」
お上品な都会とは違う。田舎では祭りの夜は多少の
モーリッツが言ったように、夫婦以外のあれやこれや。
もちろん好き合った者同士が結ばれるのも珍しい話じゃない。
「んでさぁ、次がひっでぇの。同い年の子が村のやんちゃ野郎どもとやってるの見ちゃって……ひっ、く……見ちゃってさぁ」
「そりゃわらえ……いや、ひでえ話だなぁルフス」
「もうなんか、あれだって……俺なんのために生きてんだかわかんねぇって」
同い年の娘が、なんだか急にすごく遠くなってしまった気がした。
正直に言えば少しは期待していた。
この祭りでお互いの初めての相手になったりするんじゃないかと。ただの妄想でしかなかったわけだが。
「もうぜんぶ嫌んなって騒がしいとこから逃げようとしたら、誘ってくれちゃうわけよ俺を」
「ほう、どんな女だ?」
「ばばあ!」
「……っ」
「俺の母ちゃんより年食ったゴダンのかみさんだったよ。笑えねえよなぁ……」
近くのテーブルの連中まで巻き込んで爆笑だった。
まあ食え坊主と料理の盛られた皿を差し出され、その時だけ急に礼儀正しくありがとうございますと言うルフスにまた爆笑。
「それで、やらなかったのか?」
「……おっぱい触ったら、すっげぇこう、だるぅんって……だるぅんってさぁ」
「手で表現するのはやめなさいよ」
「急に目が覚めて逃げたんだ」
すっくと立ちあがったルフスに食堂中の視線が集まる。
手元にあったなみなみ一杯のエールを飲み干し、天を仰ぐ。
「すっげぇ……こわかった、です……触っちゃった自分が……自分がぁ」
「わかったから座んなさい」
座りながら卓につっぷしたルフスの背中にジエゴが手を当てた。
やれやれと溜息交じりに。
「ついおっぱいに手が出ちまった気持ちはわかるぜ、ルフス」
「なんなのかしらね。わかるけど」
「好きな子なんかできてもしょうがねぇし、あのまんま村でめそめそ生きて死んでいくんだろうなぁって……」
「だから町に出たんだろう?」
「そうだけど……うまくやれると思ったんだけど」
小さな村で、鬱屈した気持ちのまま年老いていく。そんな人生を変えたいと思った。変えられると思っていた。
現実はそんなに甘くなかった。
「モーリッツ達に拾ってもらわなかったらさぁ、俺死んでたわけじゃんかぁ……ほんと、ありがとう……ありがとう」
「おうおう、気にすんな」
「働いて借金を返す。そこからまた頑張ればいいだけだ」
「借金返したら次に何かしたいことはないの?」
「そりゃあ女だろ、女」
働いて借金を返して、自由を取り戻したら何をしたいのか。
目の前のことでいっぱいだったルフスは考えてもいない。
「人間、何か目標がないとね」
「めがね……」
「ん?」
「銀縁眼鏡、ちゃん……」
「……」
呻いたルフスの言葉。
周囲の卓の人間も若いルフスの潰れっぷりを笑っていたのが、ふと静まり返る。
「銀縁眼鏡って……あれか、メッソフタミヤの?」
「誰それ?」
「ササトーシュの金蔵商んとこの有名な冷血娘だろ。それで借金ってわけだな」
周囲にざわめきが広がる。
知っている数名が納得の声を漏らした。
有名な娘だと言われていたが事実だったらしい。
「……って、借金奴隷が金蔵商の娘に恋しちゃってんのかよ?」
「ははっ笑えねえなぁ! 金にしか興味ねえって噂の娘だぜ」
「言い寄った奴は身包み剥がれて路地裏にぽいよ。俺ぁこの目で見たんだ」
「確かにありゃあ美人だ。おっかねえくらいな」
「マジか? 俺も会いてえ」
分不相応な高望みを口にしたルフスに嘲笑が起きて、ついでに嘘か本当かわからない話も吹聴される。
他人に関心のない冷血な女。興味は金だけ。外見は非常に良い。
「またずいぶんと無茶なところに行ったわねぇ」
「惚れたと言うなら頑張ればいい。ルフスの自由だ」
「まぁだ借金が残ってるけどな。だがおもしれえ。秘宝を手にしようって探索者っぽいじゃねえかルフス」
「そう……そうかなぁ……?」
「そうだって。おい誰か、メッソフタミヤの銀縁眼鏡ちゃんの名前を知らねえか?」
トレードマークの銀縁眼鏡のイメージが先行して、ルフスも名前を知らない。
大衆食堂に居合わせる誰もが、顔を見合わせて首を傾げた。
「名前は知らねえな」
「俺らとは縁がねえ世界だしよぉ……」
「あれは吸血鬼だぜ。金と血を吸って生きてるバケモンだって噂だ」
「誰も知らねえのかよ……俺も知らねえんだけど」
こんな大衆食堂で安酒を飲んでいる人間とは住む世界が違う。
ルフスだって借金がなければ知り合うわけもなかった。
貴族のお姫様みたいな美人で、借金返済もままらなないルフスとは真逆の、たぶん腐るほどの金を見てきている女。彼女自身の財産はわからないが。
「ようしルフス。金を返しに行ったらまず名前を聞くぞ」
「名前……うん、名前かぁ」
「リーダーのこれは面白半分なんだから、無理するんじゃないわよ」
「ここで無理しねえで男になれるかってんだ。なぁ?」
モーリッツが立ち上がり煽るようなことを言えば、他の卓からもそうだそうだと歓声が上がった。
もちろん誰もが面白半分に、無責任に。
皆が杯に酒を掬い、一斉に乾杯と高く掲げた。
バカバカしい喧騒。
しかしルフスも悪い気分ではない。なんだかできるような気がしてきた。
借金を返した上で惚れたと素直に気持ちを伝えれば好印象かもしれない。振られたって別にいい。それで死ぬわけでもない。
女神様の導きの通り、これがルフスに与えられたチャンスという可能性も――
「そういう望みは――」
活気づいていた大衆食堂の熱気が、一瞬で凍り付いた。
冷たい声音。
声量は静かなのに、建物の隅々まで凍てつかせるような殺意。
「卑銭の一枚でも返してから口にしなさい」
透き通るような音がその場にいた全員の頭を冷えさせ、漏れた溜め息にぎゅっと胃が縮こまった。
「クズが」
◆ ◇ ◆
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