第10話 魔法とステータスの無い世界で
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「お、おい、目を覚ましたぞ!!」
「修!!修!!」
ずっと長い夢を見ていたような気分だった。親父が倒した杉の木に挟まった俺は、幸運にも打ち所がよかったらしく、五体満足のまま意識だけを失っていたらしい。後に聞いた話によれば、半年以上ずっと眠り続けていたのだとか。
「修、大丈夫か!?すまなかった、俺の不注意のせいで!!」
「全くよ!修、しばらくはお父さんの手伝いなんかしなくていいからね!今はゆっくり休みなさい!」
「……は、はい。ありがとうございます」
口から出た敬語は、今までまともに使ったことが無かったはずなのに、何故かごく自然と使うことが出来た。学校の先生にだって、こんな敬語は使ったことがなかったはずなのに。
この胸にぽっかりと空いた穴は、なんなのだろう。眠っていた間に何かを忘れている。大事な約束を……大事な誰かを忘れている気がした。
「修……?お、おい、大丈夫か。人が変わったようだぞ」
「お父さん、お母さん、シュウ君はまだ混乱しているようです。息を吹き返しただけでも奇跡なのですよ。明日、またいらしてください」
「そうよアナタ、まずは休ませてあげないと!修、退院したらお母さんのシチューをおなか一杯食べさせてあげるからね!早く元気になるのよ!」
『とりあえず唾でも付けときなさい!――』
何を忘れているのかは分からない。だけど、頭の中に反響する聞いたことの無いはずの声が、どうしても耳から離れなかった。
意識を取り戻した後の俺は、しばらくリハビリ生活を続けるしかなかった。でも本来なら半身不随、あるいはもっと重篤な怪我で全身不随になっていてもおかしくなったというのに、車椅子を自走できるまでに回復できたのは、それだけでも奇跡だという。
それにしても……車椅子を自走するたびに、何か懐かしい気分を覚えるのは何故だろうか。遠い昔にも、重い何かを振り回していたような覚えがある。記憶と呼べるほど、確かなものではないけども。
「遠い昔……って言えるほどの齢でもないはずなんだけどな」
そんな風に考えてしまう自分に驚いた。俺、こんな風に自分を見下ろすようなやつだったか?
モヤモヤとした気分を抱えたまま、俺は誰にも見つからないように、こっそりと病院の屋上に出た。屋上と言っても3階建てだから、高さなんてたかが知れている。でも、この高さから見る景色は、何故かとても懐かしかった。
「……そうだ。彼女の屋敷も、ちょうどこんな高さだった気がする」
…………彼女?彼女とは、誰のことだ?屋敷って?
『――よ。でも皆の前ではお嬢様と呼んでね、シュウ』
……お嬢様だって?
『もう……わかったわ、教えてあげる。それとお父様に言って、私の使用人としてここに住まわせてあげるわ』
必死に思い出そうとしても、何故か霞がかったように顔が思い出せない。名前が出てこない。声は聞こえるのに、声色がはっきりしない。絶対にどこかで会ったことがあるはずなのに。
「くそっ……やっぱずっと夢でも見てたのかな。半年も寝てたらしいし」
そういえば、あの日に潜ったベッド下はかなり狭かったな……って、なんでベッド下?
「あああああ、もう!!まじで意味わかんねー!!……やっぱ俺、杉に挟まれてからおかしくなったのか?」
「あっ!!こら、神沢君!!またこんなところに忍び込んで!!」
しまった、屋上の扉をうっかり閉め忘れていた。風に気付いたナース長さんに気付かれてしまったか。
「ここは柵も低いし風も強いから入っちゃダメって言ってるでしょう!!また院長先生に怒られるわよ!!」
この人はどっかの誰かさんみたいに、いちいち小うるさくて苦手だ。
「あーもう!うるさいな!わかったよ、病室に戻るってば!」
『ふふっ……今のは貴方が悪いわ、シュウ。先生の言いつけを守りなさい――』
まただ。この声は誰だ。会ったことのないはずの子の声が聞こえるのは何故なんだ。
思い出したところで何の意味も無いかもしれない。
だけど俺の中の何かが訴え続けていた。
絶対に思い出せと、根っこの部分が叫び続けていた。
目覚めてから一か月して、俺は小学校に復帰した。松葉杖が珍しいやつらは俺から奪い去ってチャンバラを始め、痛々しい包帯を哀れんだ女子が何度も声を掛けてくれた。
だけど心のモヤモヤは晴れない。ずっと学校を休んでいたはずなのに、不思議なくらい学校の問題が簡単に思えた以外では、何か変わった様子も無かった。
このまま何事もなく日々が過ぎて行って、忘れちゃいけないことを忘れてしまうんじゃないか。そんな思いでさえも、一か月も経つ頃には薄れてしまっていた。
「ただいまー」
「修、ご近所に大きな家が建ったのを知っているか?最近引っ越してきたみたいだから、ちゃんとご挨拶してきなさい」
え、ご近所さん?俺一人で挨拶!?
「やだよ、親父か母さんもついてきてよ!ていうか、お隣でもないならわざわざ行かなくてもいいんじゃないの?」
「駄目よ!修も小4なら、それくらいは一人でしてきなさい!ほら!」
尻を叩かれながら玄関から叩きだされた俺は、自称つまらない物を片手にぶら下げながら、雑な地図を頼りにご近所さんとやらへ向かうことにした。
えーっと、左曲がって、まっすぐ行って、ポストのところを右に……ん?あそこって更地だったところだよな。俺の入院中に建ったのか?……なんでここから屋根が見えるんだ?
そのご近所さんのスケールは、俺の想定をはるかに超えていた。
「で、でかい……!?」
ご近所さん。うん、確かにご近所さんだ。俺が入院していた病院くらい大きくたって、建っている場所が近ければご近所さんには違いない。
……いやこれ、もはや家っていうか大屋敷だろ。こんなでかい門初めて見たよ。なんでこんなところに一人で挨拶させるんだよ。普通は親同伴だろ、おかしいって絶対。
「こ、これ、呼び鈴どこだ?あれか?お、俺の身長じゃ届かないじゃんか……脚立でも持ってくればよかったか……。こ、これはもう、門をよじ登って、押すしかないのか……!?」
「あら、貴方は?」
無意味に足を門に引っ掛けてウンウンと悩む俺の後ろから、聞き覚えのある声がした。
ハーフの女の子だろうか。さらさらとした長い金髪と、青空のような碧眼、整った顔立ち。
まるでゲームの中から飛び出してきたかのような美少女だった。
「呼び鈴が押せないからって、門をよじ登ろうとするのはどうかと思うわよ?ていうか、山や木じゃないんだから、素手でクライミングなんて出来る訳がないじゃない」
いや、違う。現実だ。この世界には、剣も魔法も無いのだから。
「……申し訳ありません。ここが山じゃないことを忘れていました」
……思い出した。俺が魔王を倒すまで過ごしていた、剣と魔法の世界の事を。
俺を待ってた女の子と、あの子と交わした約束を。
あの日に約束を守れなかった、最期の無念も、全部。
「……ふふ、変な子。貴方、お名前は?この近くに住んでるの?」
そうだ。俺はあの日、女神に願ったんだ。
たとえ俺の役目が終わったとしても、絶対にもう一度、あの子に会わせてほしいと。
そして出来れば、あの子の願いも一つ、叶えてあげてほしいって。
「
「あら、私と同い年なのね?いい名前ね、シュウ!」
女神よ。あんた、俺の願い事、叶えてくれたのかい?
「……ん?なんで私、いきなり下の名前で呼び捨てにしたのかしら?でもなんか呼びやすいのよね……ねえ、これからも貴方のことをシュウって呼んでもいいかしら?」
彼女の願いも、これだったのかい?
「ええ、構いませんよ、お嬢様」
「やだもう、うちの執事みたいな口ぶりじゃない!ねえ、良かったらうちでお茶でも飲んでいかない?手にぶら下がってるの、つまらない物ってやつでしょ!」
なあ女神様。
「うん、そんなところ。実は俺、お茶淹れるの結構得意なんだ。良かったら任せてみて貰えないかな?」
「良いけど、うちの侍女長はその辺うるさいわよ?執事の方も普通に怒鳴るし……」
最後にもう一個だけ、願い事をしても構わないかな?
「きっとその二人なら大丈夫だよ。ところで、そろそろお名前を聞いてもいいかな?」
「あ、そうだったわ!私の名前はね――」
ああ、どうか――
「樹音っていうの!貴方も私をジュネって呼んでね、シュウ!」
――どうか彼女が、この魔法とステータスの無い世界で、幸せになれますように。
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<ステータス・クローズ> 秋雨ルウ(レビューする人) @akisameruu
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