さぬき川おうどんチェーン店殺人事件

川門巽

さぬき川おうどんチェーン店殺人事件【短編】

 さぬき川署の刑事、遠藤エンドウナツとその後輩にあたる薩川サツカワリン太は、おうどんチェーン店「さぬき川製麺」で人が死んでいるとの通報を受け、現場に駆け付けた。

 その調理場には店長である店長張切ミセナガハリキリが、無残にも三本に束ねられた長ネギで首を絞められてうつ伏せに横たわっていた。

 店は開店前の午前八時で、いつも通り開店の下準備をしようとしたパート従業員五名が発見したという。

 従業員の名前は木綿モメンタエ、絹超キヌゴシチヨ、細川ホソカワユイ、幽霊のおベニ、マイタケ天ぷら怨念集合体フニャフニャくんだ。

 これでこの店の従業員は全員らしい。これからその従業員達に事情聴取をする。

 

 薩川はまず、マイタケ怨念集合体フニャフニャくんに話を訊いた。

「マイフニャさん……あなたはここで、お仕事をされているのですか?」

 薩川の疑問は当然だった。なぜなら怨念集合体は通常、仕事なんてできないから、そのあたりの道で宙を漂っているだけだ。遠藤も静かに頷いている。

 それを聞かれたフニャフニャくんは、天つゆでふやけた衣を静かに震わせる。その拍子にボトボトと、少し衣が床に落ち、床は油で汚れてしまった。

 そしてフニャフニャくんは体を下に向け、寂しそうに床を見る。その目がどこについているのかは、ベテラン刑事の遠藤にも分からなかった。

「私には仕事はありません。ただ、ここは私の家なのです。私はここで生まれました」

 静かに答える。やはり仕事はしていないのか。遠藤も薩川も、怨念集合体……ましてやマイタケなんかに仕事が出来るわけがないと思っているから不思議ではなかった。

「では、なぜこの場所にパート従業員として居るのですか?」

「店長さんです。彼のご厚意で居させていただいてます。彼にはとてもお世話になったのです……でもまさか殺されてしまうなんて……」

 フニャフニャくんがそう云うやいなや、従業員の細川ユイが声を上げる。

「嘘よ! そのマイタケ野郎、店長さんを恨んでいたわ!」

 二十代前半の女性である細川は、その甲高い声でフニャフニャくんを罵る。

 薩川はそれは聞き捨てならないといった顔で、

「細川さん! 『マイタケ野郎』は暴言です。怨念集合体にはきちんと、名前であるフニャフニャくん、もしくはその略称を使って呼んでください」

 と注意した。怨念集合体及びそれに準ずる霊には名前を丁寧に呼ばなければならないからだ。それを聞いて「悪かったわ」と細川は引き下がるものの、依然としてその細い目はフニャフニャくんを睨みつけたままだ。

 フニャフニャくんは調理場の宙を漂いながら、細川の方を見ることはなかった。

 薩川はさっき細川が云っていた、「恨み」について訊く。怨念集合体は例外なく、恨みから生まれるものだからだ。

 フニャフニャくんはまた少し衣を床に落としながら静かに話す。

「確かに細川さんの言う通りです。でも、生まれたときこそ恨んでいましたが、今は恨みなんかありません」

「マイフニャさんはどうやって、この場所で生まれたのですか?」

「そ、それは……」

 フニャフニャくんが口ごもったところを、五十代のベテランパート従業員だという木綿タエが、代弁するように説明する。

「塩よ……」

「塩……ですか?」

 薩川にはその意味がよくわからなかったが、遠藤は「やはりなあ」と云いながら、その美しい顔でニヤついている。彼女には分かっているみたいだ。早く結婚したいと思ったが、今は取り調べ中だから集中せねばならない。その意味について詳しく尋ねることにした。

「塩とはどういうことですか?」

 薩川はフニャフニャくんに聞いたつもりだったが、ここでも木綿タエが代弁する。彼女らのやりとりを見るに、相当長い付き合いなのだろうと察した。込み入った話をしているのにもかかわらず、フニャフニャくんの衣が一つも床に落ちていないからだ。

「店長さんはね、マイタケの天ぷらを天つゆで食べるようにってお客さんに勧めていたのよ……。でもマイタケの天ぷらは、塩で食べたほうが衣がサクサクしてて美味しいでしょう?」

 鈍い薩川にも、話が見えてきていた。

「つまり、マイフニャさんは塩で食べて欲しかったのにもかかわらず、天つゆで食べられ続けた結果、生まれた怨念集合体という訳ですか……」

 天つゆでフニャけた衣からどこか寂し気な雰囲気を感じたのはこのせいだろう。フニャフニャくんも静かに頷いている。

 これでフニャフニャくんの出自は間違いないと思った薩川だったが、思いがけない人物が割入ってくる。

 遠藤だ。あ、ちょっと近い……。

「おい! マイタケ天ぷら怨霊集合体フニャフニャくんさんよ……、あんた、嘘ついてるだろ」

 流石は遠藤さんだ、フルネームで呼んで礼儀を欠かさない。

 いやそれよりも……近い。

 いやそれよりも……嘘をついているとはどういうことだろう。

 薩川は再び鈍くなってしまった頭を、天ぷらコーナーにあった紅ショウガ天ぷらをつまんでスッキリさせ、遠藤に問う。

「ナツ先輩、マイフニャさんが嘘をついているとはどういうことですか?」

「目を見りゃ分かるんだよ」

 目……? ナツ先輩は、このマイタケ天ぷらの目の位置がわかるのか?

 薩川だけでなく、他の従業員達もザワザワしている。「目の位置が分かるの?」と。

 当然、遠藤には目の位置なんて分からなかったが、いつもの勢いそう云ってしまったからには仕方がない。目の位置がわかる体で、フニャフニャくんの真ん中あたりを見つめる。

 しばらくそうしていると、フニャフニャくんが観念したように切り出す。目の位置が合っていたかどうかは定かではないが。

「刑事さん……流石ですね。そうです、私が生まれたのはもっと他に理由があります」

 それを聞いて木綿タエはその皺だらけの顔をさらに皺だらけにしながら驚いた顔をしている。初耳だったようだ。

 薩川と遠藤はじっと黙って話を待つ。

「フニャフニャくん……どうして言ってくれなかったの? 私たち、もう仲間でしょう?」

 フニャフニャくんは静かに宙で体の向きを変え木綿タエの方を向く。そのはずみで、僅かだが衣が落ちた。

「すみません、木綿タエさん。内緒にしていて。……刑事さんは、もうお分かりなんですよね」

 遠藤は、急に振られて焦る。いつも通り、勢いだけで指摘したからだ。

 しかし、後輩の前で失態を見せるわけにはいかない。

 遠藤はそれでも十八歳からキャリアを十二年間積み重ねてきたベテラン刑事。その培われた刑事の言語中枢が、確信に迫る一言を生み出す。


「マイタケ……」

 それを聞いたフニャフニャくんは、観念したように遠藤の方へ振り返る。その衣の一部を、大きく床に落としながら。

「そうです、『舞う茸』。それがマイタケの由来です。昔から私、マイタケは幻のキノコと呼ばれていました。見つけた人が飛び上がって舞うほど珍しくて美味しいキノコ……。それが『舞茸』なのです。でも、今となってはもう……舞ってくれる人なんていません」

 薩川も含め、その話は従業員でも初耳だった。いまやマイタケは、大量生産されるただのキノコだ。

 しかし、ナツ先輩だけは知っていたのだろう。ナツ先輩は本当に博識だ。早く結婚したい。

 薩川がそう惚けていると、遠藤は体を強張らせてフニャフニャくんの方をじっと見つめている。

「馬鹿な真似はよせ、マイタケ天ぷら怨霊集合体フニャフニャくんさん!」

 その言葉を聞いて急いで宙を見上げると、体の真ん中をじるフニャフニャくんの姿があった。まさか……と思った。

 その刹那、フニャフニャくんは「人を舞わすことが出来ないならば!」と叫びながら、自らの体を大きく回転させ、その衣を調理場のみならず客席にまで巻き散らした。

 フニャフニャくんの体はバラバラになり、飛び散った。

 その姿は舞茸……まさにそのものだった。


 薩川と遠藤、そして従業員達でその衣を片付ける。シン、と静まり返った「さぬき川製麺」の中では、木綿タエが静かにニガリを零しながら泣いていた。絹越チヨはその肩に軽く触れ、慰めていた。そのきめ細かくなめらかな豆腐で出来た手は油で滑りやすく、衣を上手く片付けられないという理由もあるだろう。しかし、長年この「さぬき川製麺」でともに働いてきた姉妹だ。同時に二人の仲間を失った悲しみが、彼女たちをそうさせた。

 犯人は細川だった。三本の長ネギを扱える生物は店長を除き、唯一の人間である細川しかいない。細川にそのことを指摘すると、あっさりと罪を認めた。動機は給料未払いによる金銭トラブルで、衝動的な犯行だったという。「まさかフニャフニャくんまで……」と、彼女も大きなショックを受けているようだった。

 

 細川を連行して現場が片付いた後、薩川と遠藤は「さぬき川製麺」でおうどんを食べる。もちろん、トッピングには舞茸天を選んだ。

 噛めばサクっと、いい音を立てた。

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